(9)家にいましたが、兵舎に戻れと言われました
1週間以内に、近衛騎士の兵舎に戻れ…と…??!?
意味がわからず、なんとか空気を求める金魚のように口をパクパクとさせていると、言付けにきたメイドは焦ったように、同情の意を見せてくれた。
「急ですよね…!せっかく療養でこちらに帰っていらっしゃるのに……ああ、すぐにあちらでの生活の準備をしなければ……」
『こちらに帰っていらっしゃる』……?
『あちらでの生活』……??
「しかしアリア様も近衛騎士!その義務を果たさねばなるまい」
するとジョンがーやや芝居がかった調子でー喋り始めた。
「一時ご実家に帰宅されたことで、御前試合での怪我も癒えてきたようにお見受けする。そろそろ住み慣れた、普段近衛騎士が生活している城下の宿舎に、アリア様自身も戻りたがっているであろう」
な、なるほど!
『アリア』は通常、このサマセット家ではなく、城下にある近衛騎士の宿舎に住んでいるのか……!
ジョ、ジョン、イイヤツ!と救世主に縋る思いでジョンの方を見ると、ジョンは咳払いをして、私から顔を逸らした。
「そうですよね…出過ぎたことを言いました」
ジョンの言葉に、メイドは顔を赤らめると、私に向かって頭を下げた。
「アリアお嬢さま、失礼いたしました」
いや、私は何も言っていないのだが。
それだけジョンの言い様には、あたかも私がそうそう考えていると、私自身がそう言ったかのような雰囲気があった。
私はメイドに顔をあげさせると、私を気遣ってくれたことに礼を言い、(ジョンが)言ってしまったからは引き下がれないので、兵舎へと戻る準備を始めてもらえるかと頼んだ。メイドは背筋を伸ばして「エブリン様と相談して進めます」と、一礼して部屋から出ていった。
部屋のドアが閉まったのと同時に、私は膝に手をついて、ようやく口を開くことができた。
「うおおおおお、1週間で引っ越せとおおおおおお!」
「正確には、1週間で以前の『アリア』様と遜色ない程度になった上で、兵舎に戻る、と言うことだな」
私は顔を上げる。
「無理では?!」
「無理だろうな」
ジョンは冷たい目で私を見下ろす。
「しかしお前ーーアリが『アリア』様でないと勘づかれたり、疑念や、違和感を抱かれるのは、できるだけ避けなければならない。1週間以内に急拵えの付け焼き刃くらいにはならねばならない」
「それなら『戻りたがってる』とか言うなよ〜〜」
「『アリア』様であれば、必要以上に休んでいる方が不自然だ。それに、俺があの場でああ言わなければ、お前はより窮地に立たされていたと思うが?」
「うう、それは、ありがとうなんだけどさ…」
私は膝を伸ばし、立ち上がる。
「1週間か。1週間の間に、私は何をできるようになればいい?」
「まずは、魔術。主に身体強化術の会得。もちろん、言ったように博識であったアリア様と同等になるのは不可能だが…」
ジョンはチラリと私、正確には私の足を見た。
「元の筋力とでごまかせる程度にはなる必要がある」
「おお…それは、ジョンが教えてくれるんだよね?ていうか、ジョンも兵舎について来てくれるんだよね?!!」
私はジョンに縋りつくようにして、そう言うと、ジョンは心底不本意ながらにいった具合に険しい顔をして言った。
「俺はアリの師範代であり、同時に従士であるなら、そうするしかないだろ。騎士団に従士の帯同を許可されるかはわからんが」
「ああ〜〜〜ありがたい〜〜〜〜」
「やめろ!俺に縋りつくな!それに、お前にはまだ会得しておくべきことがある!」
「へ?」
私は間抜けが声を出し、実際に縋りついていたジョンから離れる。
「まだ、なにか、あるんですか……?」
「剣術だ。騎士であるわけだがらな」
確かに、思えば、当たり前のことだった。
私は腕を組み、斜め上を見上げた。
「剣術かあ。剣道なら小学生まではやってたけど、今でもできるかなあ……え?剣術もジョンが教えてくれるの?」
「いや、剣術は俺の専門じゃない」
「えぇ?じゃあどうすればいいの?!!」
「落ち着け。そもそも『アリア』様には剣術の師がいる、この家のハウスキーパーだ」
この家のハウスキーパー……エブリン。
「ああ!なんかそんなこと言ってた気がする!」
私はこの世界に来て、最初に目を覚ました時のことを思い出した。
ほぼ全裸で蹴りを繰り出す私。卒倒する母。呆れた顔をしながらも、私の顔を見るとうなだれ、私の手を握って懺悔の言葉を述べていたエブリン。
『これまでの十数年、『騎士として』の訓練を施してまいりました』
「そう言うことだったのか…」
あの時は文字通り何もわからず、目の前で顔をクシャクシャにしている優しそうな人をどうにか励ますことに一生懸命になっていたから、特に気を留めていなかったけれど……
「何者なんだ、エブリン」
私は今だ、何も知らないことばかりだ。
「何にせよ」と、ジョンは話を続けた。
「この状況下において、剣術を学ぶならやはり彼女に習うのが適切だろう。だが、彼女にもアリのことはバレてはいけない……なにか上手いことやってくれ」
「おい、急に雑になるな」
「『俺だったらこうする』を、今のお前ではできない」
「はあ?」
「ともかくだ。魔術においてはいささか不安が残るが、体術であれば、アリならば、なんとかできるかもしれない。そうだろ?」
そう言って、ジョンはまっすぐ私を見た。そこには私の前世を知る者として、また、私と一戦交えた者として、何か希望や期待のようなものが見えた。
「わかった」
私は頷いた。
「型、とかはよくわかんないだろうけど、体を動かすことにならドンとこい!だ!」
「もしかしたら『アリア』より強くなっちゃうかもね〜」と戯けて見せると、その驕りはジョンの「それはない」と一蹴されてしまった。
わかってる。付け焼き刃で『アリア』の十数年に渡る努力には敵うことはないだろう。それはテコンドー選手であった私として、そして『アリア』の中に入った私として、よくわかっていた。
よくわかっているけれど、今はそれくらいの思いでやらねばならないのだ。
かくして、
私は1週間、昼は剣術、夜は魔術に明け暮れた。
危惧していたエブリンへの言い訳だが、「私は御前試合に負けた身…今一度、一から剣術を学び直す思いだ!エブリンもそのつもりで、私を鍛え直してほしい!」と言ったところ、エブリンは少し驚いたように目を見開いたが、私を疑うことはなく、「お嬢様が、そう、決心されるのであれば」と言った。
「お嬢様がそう決心されるのであれば、エブリンは何度でも、お嬢様のお力になりましょう」
剣術に関しては、剣道の経験があったおかげか、ある程度対処することができた。もちろん、この世界の剣術と、前世の、日本の剣道とは異なる部分はあるが、足さばきや攻め合い、駆け引きの間合いなど根の部分には似通った部分も多かった。剣道自体、テコンドーと比べたら、そこまでやり込んだわけではないけれど、私は自分が剣を使った戦い方をグングンと吸収していることを実感した。『アリア』のマッスルメモリー的なものが作用しているのかもしれないし、エブリンの教え方が上手いのかもしれなかった。
ただ、時々剣よりも足が先行することもあった。
エブリンは「ふふ、やる気ですね」と笑った。
「以前のアリア様も十二分にお強かったですが、今のアリア様からは何が何でも勝とうとする気概がみられますね」
私は「やべ」と思って、「あはは」と誤魔化すように笑った。
「一度負けてるから、次こそはってね……ところでエブリン」
これを機に、と私はエブリンに尋ねた。
「どうしてエブリンは剣を扱えるの?」
すると、エブリンは構えと解き、剣先を地面につけて、少し黙っていた。
「やべえ『アリア』ならもう知ってたことかな…」と私は内心焦りまくったが、エブリンは遠い目をして「私が…」ち口を開いた。
「私がこのように生まれ、そして生き残ってしまったから、ですかね」
「それってどう言う…」と私が続きを聞こうとすると、エブリンの木剣が急に頭上に降ってきた。私は咄嗟に自分の剣で、その兜割が如き振り下ろしを防いだ。
「エブリンずるい!今私が話して…」
「ふふふ、アリアお嬢様。そのようなことが、対する敵に通じますか?」
それは、そうだ。
私はエブリンの力をいなすようにして、体を横にスライドさせて、避けた。
「ん!通じない!じゃあ、お喋りは終わり!もう一戦!」
エブリンは何か眩しいものを見るかのように、目を細めて笑った。
「はい、お嬢様」
エブリン、ごめん。エブリンの言う通り、タイムリミットがある今は、それを話している場合じゃない。
だから今度、今度家に帰ってきた時には、ゆっくりあなたのことを聞かせてね。
今は何でも知りたい。
知ることが、ここでやっていく術だから。
して、魔術である。
こちらは…こちらは難航している。そして如何にジョンが、ジョンの血が、魔術に向いているかを思い知らされた。
彼は感覚的に、わかるのだ。
「体には流れがある。血ではない、力の流れだ。この流れを魔力流と呼ぶこともあるが、呼称は理解を補足するものであるから、好きにするといい。重要なのは、流れを自覚すること。そして、こと身体強化術においては、自らの内にある流れを意識的に運用することだ」
「待て、わからん!気功みたいなこと?!」
「言っただろ。呼び方は何でもいい。流れがある、それを運用する、それだけだ」
かくいう私も、どちらかと言えば感覚派ではあるが、血流ならまだしも、感じたことのない流れを感じろと言われても、なるほどわかりました、とすぐに感じることはできない。
ジョン曰く、この流れは草木や水、他生物や時折物質などにもある、『法』に則って世界全体にある『流れ』、なのだそうだ。わかれば、当たり前のように、わかる。だがそれは、ジョンの祖先がその流れ、自然界の中で暮らしてきたからこそ、気がつきやすい、と言うことだ。
なんやこれ、才能やんけ。
「そうとは限らない、知識を積み、自覚して鍛錬を積み、方法論を確立して運用できる者もたくさんいる。それこそ『アリア』様のように」
俗な言い方をすれば、ジョンは天才。『アリア』は秀才ということだ。
……天才ってもの教えるのに向いてなくないか?とも思いつつ、私はジョンに質問する。
「言うて、その『流れ』とやらがわかるようになる訓練とかないんか?!ジョンは最初どうしてたんだよ!」
「俺か?そうだな、俺は…」
ジョンは顎に指を当て、己の過去を回想した。
「瞑想をしたな」
「めいそー?!!」
「落ち着け。目を閉じ、余計な感覚を遮断して、流れを掴むことに集中するんだ。自らの中にある力の流れを、そして、自らもこの世界の大きな流れの一部であることを。『流れ』だけだ。肉や骨、血の根本に『流れ』がある。それらは『流れ』を覆う膜だ。故に『流れ』が動けば、膜も動く」
だめだ、わからん。
私の頭が完全にショートしているのを見て、ジョンはやれやれと首を振った。
「だから知識が必要なんだ。あえて言うが、『魔法』と『魔力流』を理解して『魔術』を理解するために。それは俺も例外ではない。人に体がどう構成され、どう動くか、火がどのように発生し、火が何を発生させるか、水が……」
「わかった!わかった!勉強する!それは勉強するから!」
私は両手を前に出し、このまま講義でも初めてしまいそうな、ジョンの言葉を遮った。
ジョンは不服そうな顔をしていたが、軽くため息をついてから、私をまっすぐに見た。
「ならば、お前がまずやるべきは勉強、後、実践としての瞑想だ。これは魔術の基本。万事そうだが、基礎のない力は砂上の城だ」
「はい…」
わかっておりますとも。
そのような感じで、夜な夜なとにかく『アリア』所有の書物を一行一行ジリジリと読み、その後は床に座って瞑想した。
途中「ハーーーーーッ!!!集中力が切れてるぞ!!!」と私はジョンに何度も頭を叩かれ、「コイツあの夜のこと割と根に持ってやがるな」と思った。
あと、いつか家族で行った禅寺の座禅を思い出した。
そして、瞬く間に猶予期間である1週間が過ぎた。
出立の朝、私はサマセット家を出る前に、自室に何か忘れ物がないかを点検していた。と、言っても、私以上にこの家に詳しいエブリン率いるメイドたちが全て準備をしてくれたので、私が見たところで特に何もないのだが、前世時代、海外のホテルにスマートフォンを忘れて、マジで本当に大変なことになった経験から、私には何処かから出る前に部屋を点検する習慣がついていた。
ふと、惹きつけられるように、目線が本棚へと向いた。そこには『アリア』が集めたさまざまな本が綺麗に並べられていた。私はついぞ一冊も理解し切ることはできなかったが、アリアはこれを全部読破していたのだと思うと、彼女の勤勉さが伺える。
どれか、基礎的な本だけでも持っていくべきか?と本棚を見上げていると、本棚の最上段に紙の束が押し込まれていることに気がついた。
何故これに今まで気がつかなかったのだろう、と逆に気になり、私は椅子を持ってくると、その紙束を引き出てにとってみた。
紙束は本…か何かのページを切り取った集まりで、和綴じの本のように綺麗に縫い止められていた。
が、それよりも何よりも、私はその紙束に表紙を見て、愕然とした。
そこには綺麗な手書きの文字で、こう書かれていた。
『前世の私へ』