(8)奴隷でしたが、姫様の忠実な下僕になりました
「ど、どれぇーーーーーー?!?」
私は思わず、そう叫んでしまった。なんというか、おそらく幸運にも、それは聞き慣れない言葉だったのだ。
「というか、この見た目でわからないか?俺はこの辺りの生まれじゃない」
と、ジョンはぶっきらぼうに言ったが、すぐに「あ、そうか。お前は知らないのか」と付け足した。うん、知らんよ。
「俺の祖先はここよりもずっと北方の部族で、定住せず狩猟採集をして暮らしていたらしい。最早滅んだ部族だから、詳しい記録など残されていないが」
「滅んだって……」
「この国が、かつて内乱状態にあったことは、姫様から聞いているだろ。その内乱時代に、勢力を広げていた、当時でいう反ランカスター派の支流に、部族は捕囚された。もちろん男ら皆は戦い、殺された上でな」
「待て、ジョンは生きてるじゃん」
「……お前な、俺をいくつだと思ってるんだ」
ジョンは通例のため息と腕組みを見せた。
「これは俺のジイさんや曾ジイさんたちの時代の話だ。まあその時死んだわけだが」
そう、乾いた声で言ったジョンからは、特別な感情は感じられなかった。それは何か遠い場所の話をしているようだった。
「捕囚された女たちは、そのまま支流家の奴隷となった。その時、俺のバアさんは孕っていて、奴隷として働く中で産んだのが、俺の母さんだ」
「や、ちょっと待ってほしい…」
長いファミリーストーリーに私は片手で頭を抱え、もう片方の手のひらをジョンに向けた。
「ええと、ジョンのお祖母さんが奴隷だったんだね?でもそれって、さっきアンタ自身がそう言った通り、ジョンのお祖母さんの話だよね?なんで、ジョンも奴隷なの?」
するとジョンは顔を顰めた。
「貴族の子が貴族であるように」その声には先ほどよりかは、わずかに鋭かった。「奴隷の子は奴隷だ」
宿命。
「だから俺の母さんも奴隷だし、そこから生まれた俺も奴隷ーーーだった」
「だっ……た?」
「3つの転機が起きた。1つ目は内戦が決し、ランカスター王朝が誕生した。賊軍下にあった主人は運も悪く廃家となり、俺たちの奴隷は奴隷市場に巻かれるなどして離散した。家族関係なく、俺は母さんともここで別れた」
「別れたって………?」
「以降母さんとは再会できていない。今生きているかどうかさえもわからない」
そう言うジョンは、また、無味乾燥なものとなった。
ジョンは続ける。
「2つ目は、ウィリアム・ランカスター2世、つまり現国王陛下の治世となり、奴隷解放令が発布された。だが、即座に解放されたわけではなく、ほとんどの奴隷がそのまま、その時の主人に元に残った。というか、そうする他なかった。主家を出たところで、飯が食える保証などないわけだからな。だが解放令によって、奴隷制においてある種主人の方へと課せられていた、奴隷所有する責任が公的になくなった。それで、特段何か秀でているものがなかった俺は、身一つで追い出されてしまった。家族はどこにいるかもわからないし、行く宛のないから、俺は道端に住むしかなかった」
私は絶句し、ジョンの独白に合いの手を入れる言葉を無くしてしまった。
奴隷制が正しかった、いいものであった、とは、絶対に言うことはできない。
だがそれまで、それでーーおそらく誰かの犠牲の上でーーそれなりに回っていたものが、急に瓦解した時、一番割を食うのは、結局それまで犠牲になっていた人たちだった、と言うことだ。
私はふと、国王の優しさに言及した姫様を思い出し、今まさに伏せっている母を思い出した。
眩暈がする。
「3つ目は」
しかし、果たしてちゃんと立てているのかもわからない私に構わず、最後の契機について話始めた。
その声に、私は救われた。
そこにはヒリヒリとするような熱があり、それまでの彼の人生が、まるで前座であったかのように覆すような、力があった。
「姫様に出会った」
ジョンの瞳は、融点に達した金のように発光していた。
「何故あの時、あのような場所に姫様がいらっしゃったかはわからない。ただ姫様は、壁に寄りかかって座る俺の元にやってきて、こう言った。『あなた、いいセンスね。来なさい』と。状況を理解する間もなく、俺は姫様の従者に連れられ、王宮へと連行された。そしてシラミだらけの体を一通り綺麗にされ、再び姫様の前に差し出された。姫様は俺の姿を頭からつま先まで観察した後、最後に目をじっくりと見てから言ったんだ。『魔術を学びなさい。そして私に仕えなさい』」
「おお」と、熱量で平行を取り戻した私は合点した。
「だからジョンは魔術に詳しいんだな!」
「さっきの話か?まあ、あれは魔術の基礎概念に過ぎないが、それを言語化して伝えられるのは、教育の賜物と言えるかもな」
「わかる〜人に教えられるようになってこそみたいなところあるよね〜」
私はそう、うんうんと頷いていると、それが何か気に障ったのか、ジョンは眉根を寄せて「実際俺は魔術に向いていた」と話題を流した。
「正確には俺が向いているというより、俺の血が魔術に向いていた。北方の人間は、より自然に近く、未開の土地で生きていたために、理に、感覚的に近いようだ。最初のうちこそ奴隷であった頃と同じように、あてがわれた師の元でただ言われた通りに魔術を学んでいたが、途中から、向いているのもあって面白くなってきて、自ら積極的に学び、研究するようになった。その時になって初めて、ようやく、俺は理解した。もし、もし、神が、理が、人の形をしていたのならば、きっと姫様のような姿をしているのだろう。そして薄暗い貧民街の路地に座る俺の前に突如、黄金の光として現れ、俺を導いたのだろう」
ロマンチストかよ。
と、その信仰に近い告白に内心若干胃もたれしていたが、私はジョンが発するその熱に、強く共感していた。
そうだ私も、テコンドーを選んだ時、それにこの身を捧げるとした時、超自然的な力を信じ、それさえあれば何でもできるという万能感を酔いしれた。
私の場合、途中でそれが途切れたわけだけど。
「ある程度魔術を学んだ後、俺は本格的に姫様の元で、魔術を駆使して動くようになった。上手くやれれば褒めてもらえたし、できなければ鞭で叩くのではなく、次への改善策を示してくれた。姫様から俺に対する視線は、常に平等かつ普遍的であった。ただのいち事象として見ていた。……いや、あの方は万事に対しそのようであるが、生まれた時から奴隷であった俺にとって、常に一段下の、人ではない何かとして見られてきた俺にとって、その視線はむしろ心地よかった。だから忠誠を誓ったんだ。姫様は救世主であり、俺の存在を決定づける目だ」
ジョンはそこまで言うと、上がった息を整え、少し間を置いてから、こう続けた。
「俺が何者かと聞いたな。俺はジョン、ただのジョンだ。姫様という理で動く、いち事象だ」
姫様という理で動く、いち事象。
それであれば、私を殺そうとしたことも、不本意ながらも理解できる。
理を護ろうとしたのだ。
ジョンはすでに知っているのだ。
何が正しいかわからず、行いは必ずしも善き結果に結びつかない、眩暈のする人生の中で。
私は肺で固まっていた空気を、静かに吐いて外に出した。気づかぬうちに緊張していたようだ。
満足か?といった具合に、ジョンは両手を広げてみせた。
私はジョンです、これ以外ありません、といった具合に。
「ジョンは…」
私はまた、愚問とわかっていて聞いた。
「姫様が好き、なの?その……恋愛的な意味で」
するとジョンは軽く笑ってこう答えた。
「お前は神と人間的な恋愛ができると思うのか?」
いや、知らんけど。
ただやはり、姫様の近くにいると、姫様に似てきてしまうようだった。
「……とりあえず、ジョンのことはわかった。魔術を学んで、実際姫様の元で働いていたこともわかった。それなら私が師事するには適役だな」
「お前に評価される謂れはないが、姫様がそうあてがうのであればそうなのだろう」
「つーか!」
私はジョンを指差した。
「その、『お前』『お前』と言うのはやめろ!アンタにこそ、『お前』と言われる謂れはない!」
「しかしお前を『アリア様』と言うのも違うだろう」
ジョンは腕を組んだ。
「お前は『アリア」様ではないわけだからな」
この辺り、姫様はだいぶ柔軟だったが、コイツはコイツらしく四角四面であった。
「じゃあ私のことはアリアって呼べばいいんでないの?」
「ダメだ。『アリア』様が戻られた時に混乱する」
「自分に対する評価が低い奴だな……じゃああれだ、あれ、アリ、とか」
「アリ」
「なんかそういう、あだ名的なので呼んでよ!『お前』とかじゃなくて、ちゃんと名前を呼ぶのは大切だぞ!人間関係において!」
「それは」
ジョンは意外にも腹落ちしたような顔をした。
「そうだな。わかった、アリ」
私は少し肩透かしくらったが、
「おう!それじゃ、ジョン、改めてよろしくな!」
とジョンに向かって握手の手を差し出した。
その時だった。
コンコンコン、と部屋のドアを叩かれる音の後、「アリアお嬢さま、よろしいでしょうか」と外から声をかけられた。
私は一度手を押さえめ、一応襟を正してから「どうぞ」と答えた。
ドアが開いて、メイドが1人「失礼します」と部屋の中に入ってきた。
「先ほど、王室よりお嬢さまに連絡がありまして」
「王室?姫様からかな」
「いえ、衛兵騎士団からです」
えーへーきしだん?!
「あ、衛兵騎士の団か……って何で?!」
「いや……」
メイドは少し困ったようにこう答えた。
「体に問題ないようであれば、1週間以内に騎士団の兵舎に戻れ……とのことです」
騎士団の兵舎?!?!
1週間以内に!?!?!
私は思わずジョンの方を向いたが、ジョンは無表情で首を横に振った。
これ、何も知らん奴やんけ……
私は早速途方に暮れながら、次々に降りかかるイベントに、頭を叩かれ、沈まないように、何とか両足を踏ん張って、倒れ込みそうになるのを耐えていた。