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(57-?)王国の鏡・後編

夏がやってきた。

太陽の頂点は過ぎたものの、依然彼が空の王者であることは変わらず、月を伴うよるに場所を明け渡すまでには長い時間を要した。

夕食をとり、寝る時間になっても、まだ太陽が沈みきらないくらいである。


世界が長く明るい分、人々は皆どこか陽気になった。

急に嵐になることを除けば、夏はこの国で最も良い季節だった。

これ以降始まる長い冬に備えて、皆こぞって日光浴をし、光り輝く時を楽しんでいた。


それは王族とて同じだった。

毎年夏になると、王都郊外にあるウィンデイル城へ、夏の静養するのが慣わしとなっていた。

自然豊かなウィンデイル城で、政略やら何やら、日々の喧騒を忘れるためでもあった。


しかし今年の夏の静養は、例年とは異なる点があった。


一つは、国王ウィリアム一世は『所用』により王都に留まるとらしく、ウィンデイル城には王太子夫婦とその子供グロリア王女のみが向かうこと、だった。

もう一つは、ジョフリーなど『教育サロン』の子供たちが夏の静養についていくこと、だった。


王族の御静養には多くの従者や近衛騎士が供奉する。

そのため貴族子弟たちが、国王陛下不在を埋める賑やかし……というわけではないだろうが、少なくとも王太子家族、特にグロリア王女の御慰みになれば、という計らいが働いた結果のようだった。



何にせよジョフリー・タウンシェンドは、この小旅行は楽しみでしかたがなかった。



たった一週間のこととはいえ、王女と一日中同じ場所で過ごせるのは、この上ない幸せだった。

ある意味でジョフリーが密かに夢想する理想的な生活を、限定的にでも経験できるのであった。




王都からウィンデイル城までは、馬車で半日以上かけて向かった。

やや手厚めに休憩が入ったり、道中の民草の歓声に応えるなどをしているうちに、必要以上に時間かかるのが、王族の行幸の通例だった。

それでも夏の日照時間も手伝って、日が落ちる前にはウィンデイル城に到着した。


ウィンデイル城での一日目は、軽く晩餐会が行われたのち、早めの就寝となった。


随行してきた各子供たちには、一人一部屋が与えられた。

ジョフリーにも一つの部屋と一人の従者があてがわれたが、夜になれば一人きりになった。



夜。

眠れなかった。



一人寝はいつものことだったし、長時間の移動で疲れてもいた。


それでも、眠れなかった。

緊張していたのだ。

同じ建物の中のどこかで、グロリア王女がいる。


眠れず、寝返りを打ち、さらに寝返りを打っていると、不意にいつか見たグロリア王女の回転運動が、頭の中に浮かび上がってきた。



眩い。さらに眠れない。



夏用の毛布を被り、ジョフリーは無理矢理にでも目を閉じた。



すると今度は、とある記憶が蘇ってきた。

それは彼の自宅での光景だった。



ジョフリーの父と母はそれぞれ別々の部屋で寝ているのだが、父は時々夜中母の部屋を訪れているようだった。

最初は偶然見かけただけったが、少し日数を計算すれば、狙ってその姿を目撃することもできた。

父はこの小さな監視者の存在に気が付かなかったし、もちろん母にもバレていなかった。

かと言って部屋に入って中を暴いてやろうとか、そう言った気にまではジョフリーはならなかった。

中の様子こそわからなかったが、嫡男とはいえ第三者が侵犯していい雰囲気ではなかったのだ。


そこには両親の間にしかない親密さがあって、少し羨ましいとさえ思った。


ジョフリーはそれを思い出した。

母の部屋の中に入る、父の後ろ姿。

そしてそれがいつしか自分自身へと変わった。

であれば中に入っていく先は一体誰の部屋であろう、と思った。


ジョフリーは体が熱くなってますます眠れなくなった。





二日目。

午前中は貴族子弟たちと共に、ウィンデイル城内を散策をした。

そして昼食後、襲いかかる睡魔を噛み殺しつつ、ジョフリーはマスカレードの予行練習に励んだ。


マスカレードーーーー仮面舞台劇である。


誰が言い出したのかは不明だが、この夏期静養中、『サロン』の子供たちに劇を演じることになっていた。

そしてなんと、王太子夫妻の前で披露するのである。

本番は明日、三日目の夕方だった。


劇の内容は、『竜退治伝説』。

この国や大陸諸国に広く伝わる伝承の一つで、流浪の旅人が竜の生贄になった姫を救うという騎士道物語である。

もちろん姫を演じるのはグロリア王女だった。

そして竜と戦う勇敢な騎士役は、ジョフリーが演じることとなっていた。


これは願ってもない配役だった。

ジョフリーは張り切っていた。

この劇の話を聞いてから、自分でもこの伝承についてかなり調べたほどだった。


これまでの『サロン』でもすでに練習は行われてきた。

しかし実際に仮面や衣装をつけるのは、今日が初めてだった。


実際に衣装を着させられると、一層気分が舞い上がった。

『騎士』役用の甲冑は、皮を金属風に加工したもので首や手首にはレースがついていた。

頭には羽付帽子を被せられ、ジョフリーが調べた限りでの本物の騎士とはちょっと違う格好ではあったけれど、それでも誇らしい気持ちになった。


すでにセリフも身振りも覚えていたジョフリーは、熱心に練習を行なった。

だが一方で、肝心のグロリア王女はあまりやる気がないようだった。

というか役に不満があるようだった。


「私が竜を捕まえるところまではいいけど、結局ジェフが倒すのよね。納得いかないわ。竜をしもべにすればいいじゃない。私ならそうするわ」


王女は仮面を被ったまま、ジョフリーの隣でぷりぷりと怒っていた。

この劇における『姫』役は、自らを竜に捧げる自己犠牲性と、悪辣な竜を従順な獣へと転身させる聖女性が強調されていた。


女の子なら、誰でも憧れそうな役柄であった。


おそらく『サロン』の教師かもしくは宮廷劇作家が駆り出され、この子供マスカレード用に脚本が書かれたようだった。


「リア、これは伝説劇なんだよ。多少の色はつけられるけど、大筋は変えないのが慣わしなんだ」

「慣わし?何それ、つまらない」


王女と口を尖らせた。

このようにして王女はやはり納得がいかないようだったが、ジョフリーの方は大いに満足していた。



ジョフリーが、グロリア王女を救うのである。



確かに劇は、遊びの一環だった。

『サロン』がそうであるように、配役にも将来を見越した意味があった。


神的な力を持つ姫。

姫を害するもの。

敵を倒す騎士。


これらを劇中でロールプレイさせることで、献身的な主従関係を構築させる狙いがあった。

さらに言えば、劇のラストシーンは結婚式で締めくくられていた。

結婚するのはもちろん、『姫』と『騎士』だった。



ジョフリーが、グロリア王女と結婚するのである。



この時まだ、グロリア・ランカスターの婚約者は、正式には決定していなかった。

しかしこの、王太子夫妻の前で披露されるという劇の配役を見れば、それが誰なのかはほとんど公然としていた。



まるで劇が、指定された脚本通りに進められるように、彼が王女の婚約者になることは一目瞭然であった。



周りだけでなく、ジョフリー自身が実感していた。

このまま順調に事が進めば、自身の夢想は現実のものとなると期待で胸を膨らませていた。



この『騎士』のように、もしくは、勇敢な戦士であった祖父のように、ジョフリーは悪を打ち滅ぼして、救国の英雄となる。

そして美しい王女と幸せな結婚をし、昼は彼女の手を引いて庭を散歩して、夜は密やかに彼女の部屋の扉をくぐるーーーー。



妄想は肥大する一方だった。



ジョフリーの体はまた発熱したが、その分『騎士』の演技にも力が籠った。

演劇指導をする教師たちの評価も上々だった。

マスカレードの予行練習は、つつがなく終了した。


「はあ」


グロリア王女は金装飾の入った『姫』の仮面を外し、つぶやいた。


「やっぱりつまらない」






三日目、夕刻。

劇の本番がやってきた。


劇は晩餐会の前に予定されていた。

そのため、空腹を伴う緊張感で吐き気を催す子供たちが続出した。

無理もない。これから彼らは、王太子夫妻をはじめとした数多くの大人たちから注目を浴びる。

「失敗したくない」という不安げな気持ちが、子供たちの間に伝染しつつあった。



そのような状況下で、ジョフリーは逆に頭の中がスッキリとしていた。



彼はこの劇を通して、ある一つの発見をしていた。

ジョフリーは人の感情を推察できるだけではない。

ある程度、自分の感情を演技立てることもできるのだった。

全く異なる気質の人間にはなれないが、望む形に自身を増幅することはなんとも簡単にできた。


そういう意味で、今回の『騎士』役はまさに適任であった。

大人たちが、そして自分自身が、ジョフリー・タウンシェンドに望む役。


誰よりも優秀で、勇敢で、悪から王女を護る役。

婚約者。未来の配偶者。


ジョフリーはこれを、完璧に演じる事ができると確信していた。

むしろ本来の自分以上の存在に、なれるような気さえしていた。


冴えた頭に熱い体を持って、ジョフリーは再度本番用の衣装と仮面をつけた。


そうしてふと、


「リアは僕に、何を望んでいるのだろう?」


という疑問が、ジョフリーの脳裏に思い浮かんだ。





その時、

彼の目の前に、『姫』の衣装と仮面をつけた、グロリア王女が現れた。

貴族子弟の男児たちとは別室で着替えていたのだ。

王女は予行練習の時よりも豪華なドレスを纏っていた。どうやらこちらが、本番用の衣装のようだった。


仮面で顔を半分隠していようと、彼女は変わらず美しかった。

歩くたびに豪奢な金髪が揺らめていて、光の水脈が彼女から溢れ出ているかのように見えた。





『姫』の役を纏ったグロリア王女を見て、ジョフリーは思った。

おそらく王女はこれまで、ジョフリーに『いい話し相手』という役を求めていた。

しかしそれ以降は?

それ以上には、何を求めている?

その息を飲むような美しさを、誰の手に委ねたいと考えている?



仮面を被った王女からは、感情を読み取ることはできなかった。



ジョフリーは内心で、闘争本能にも似た思いを抱いた。



ならばこの劇で、僕は完璧な騎士を演じて見せよう。

そうすればリアも、『騎士』と『姫』がそうなるように、僕との将来を想像するかもしれない。



ジョフリーはそう胸に決心し、本番へと臨んだ。






結果的に、子供マスカレード『竜退治伝説』は大成功に終わった。


ジョフリーはセリフも所作も完璧に、彼の理想とする『騎士』を演じて見せた。

ジョフリーがあまりにも堂々としているので、『騎士の従士』役を担った子供たちも安心し、それに引っ張られ、練習事以上の成果をみせた。

緊張で顔を真っ青にしていたのが、まるで嘘のようだった。


『サロン』では何かとジョフリーに対抗してきた男児は、『竜』を演じていた。

この劇において『竜』は悪役であり、この配役に男児は最初不貞腐れてしまっていたのだが、そんな彼にジョフリーはこう助言していた。


「『騎士』と『竜』の戦いは、この劇の見せ場だ。お話上、『騎士』が勝つことにはなるけど、君が『すごい竜』だからこそ、僕だって勇敢に戦えるんだ。みんなもそう思っているはずだよ」


そう言ってにっこり笑うジョフリーの顔を、男児は怪しむように目を細めて見たが、「仕方がないな」と満更ではなさそうな表情でフイと目を逸らした。

これでよかった。

彼は素晴らしく悪逆非道な『竜』の役を見事演じ切って見せた。

予想通りだった。



劇の全行程が終了し、仮面を被ったジョフリーたちが礼をした時、大きな喝采が彼らを包み込んだ。

顔を上げると、王太子夫婦をはじめとした大人たちが皆笑顔で、拍手をしていたのである。

ジョフリーはとても甘美な満悦に浸っていた。

子供たちが再度一礼をすると、歓声はさらに大きくなった。



ふと、すぐ横にいた王女の様子が気になった。



グロリア王女もそつなく『姫』役を全うした。

一つの間違いも、乱れもなかった。


しかし最後の結婚式のシーンで彼女の手を握った時、その手が氷のように冷たかったのを、ジョフリーは思い出した。


もしかしたらただ単に、興奮した自分が逆に熱くかっただけなのかもしれない。

いやだからこそ、王女の冷たさが際立った。


ジョフリーは横目で王女を顔を伺ったが、その顔は仮面に隠されていて、やはり表情は見えなかった。

彼女の気持ちは気になったものの、盛大な拍手と異様な高揚感で、引っ掛かりはすぐにかき消されてしまった。





その日、三日目の深夜。

ジョフリーは普通に寝ていた。

や連日の不眠に劇の疲れが相まって、ジョフリーを深い睡眠へと誘っていたのだった。



静かな夜だった。

開け放たれた窓からは、木々を揺らしてすり抜けてきた風が気持ちよかった。


ジョフリーは柔らかく胸を上下させ、静かに寝息を立てていた。



しかしその安眠は、思わぬ急襲によって打ち破られてしまった。



「ジェフ、ジェフ!」


ジョフリーは体が無理矢理揺らされるのを感じ、重い瞼をあげた。

そして目を疑った。


「起きて、ジェフ!」


自分の体、その上にナイトシフト姿のグロリア王女が乗っていたからである。


「リ、リリリ、リア?!?」


夢かと思った。

しかし下半身に感じる子供一人分の重みが、現実であることを知らせていた。

ジョフリーが驚いて飛び起きると、王女の体は純白のワンピースとともに、コロリと後ろに転がった。

子供には大きすぎるベッドだったので、彼女が床に落ちてしまうことはなかったが、王女は「も〜〜いきなり起き上がらないで」と怒ったような声を上げた。

ジョフリーは反射的に「ご、ごめん」と謝ったものの、バクバグと音を立てる胸を抑えるのに必死であった。



リアが、同じ部屋にいる。



カッと体が熱くなる。


ジョフリーはまさにこのベッドの上で、妄想していたのだ。


自身が、彼女の部屋の中に入っていく姿を。

誰にも侵略し得ない、親密な時間を過ごす状況を。


そこまで思い返して、熱を振り払うようにジョフリーは首をぶんぶんと横に振った。



いや違う。

ここは僕の部屋で、僕のベッドの上だ。

これじゃあまるで、逆じゃないか。

そもそも何でーーーー。



「リアがここにいるんだ!」


グロリア王女はベッドの上でむくりと起き上がると、昼の間にはけして見せなかった楽しそうな笑顔を見せて、言った。


「城を抜け出しましょ。街に出て、冒険をするの」


ジョフリーは完全に覚醒して、目を丸くした。


「城を抜け出す?こんな夜中に?!?」


すると王女は眉根を寄せて唇に人差し指を当てると、「シーッ!」と蛇のような声を出した。


「だからこそよ!ここは王宮よりも警備が薄いわ。抜け出すにはうってつけよ」


確かに従者や貴族、近衛騎士が四六時中徘徊する王宮に比べれば、夏の離宮であるウィンデイル城には人が少なかった。

もちろん夜間警備を行う者はいるだろうが、子供二人くらいーーまさかそんな者がいると思われていない分ーーこっそり抜け出す隙間はあるかもしれなかった。


とはいえ、「街に出る。冒険をする」という王女の言葉は、ジョフリーの耳に赤い警戒色を持って届いた。


「そんなの危ないよ!」


ジョフリは体を前のめりにさせて言った。


「君の身に何かあったらどうするんだ!君はこの国の王女なんだぞ!」

「だから何?あの『お姫様』みたいに護られてばかりいればいいの?」


王女はまた唇を尖らせて腕を組み、そっぽを向いた。


「本当、あの劇にはうんざり。何も面白くない。ああ、イライラしてたまらなかったわ」

「イラ、イラ……?」



イライラして、たまらなかった……?



ジョフリーの頭はぐらりと揺れた。

あの劇は、『竜退治伝説』は、成功した。

大成功だ。

貴族子弟たちも、大人たちも、王太子夫婦も、そして自分自身も、皆満足していた。



グロリア王女だけが、不満を持っていた……?



『騎士』たるジョフリーにすぐ隣にいた、『姫』であるはずの彼女だけが。



「だからこんなところ抜け出して、冒険でもしてやらなきゃ気が済まないわ!ねえジェフ、一緒に行きましょう」


ジョフリーは返答に窮した。

子供だけで夜の街に繰り出すのが、明らかに危ないというだけではなかった。


ショックだった。


自分では完璧に上手くできた劇が、『騎士』が、一番評価して欲しかった人にとっては、イライラさせるだけであったことに、強い絶望感を覚えた。


「……っ…」


急激に喉が渇いて、言葉を上手く紡げなかった。

それ以前に、なんと言っていいのかわからなかった。


何も答えないジョフリーを、王女は少しの間不思議そうに見つめていたが、やがて察したように「そう」と目を伏せると、そのままベッドの上に立ち上がった。


「いいわ。私一人で行くから」

「……ッ待って!」


ジョフリーは咄嗟に、ようやく声を上げた。


「……僕も……行くよ」


ジョフリーが苦悶の表情で絞り出すようにそう言ったのをよそに、グロリア王女は嬉しそうに目を細めて、ジョフリーへと手を差し伸べた。


「ふふ、そう来なくっちゃ」


ジョフリーが王女の手を取ると、その手は熱く温かかった。


その体温は、ジョフリーを余計に惨めにさせた。


「僕も行く」と答えたのは、グロリア王女を一人で行かせられないからではなかった。


彼女に、置いていかれたくなかった。







ウィンデイル城は東側には広大な幾つもの庭を持つ一方、西側はウィンデイルの街に面していた。

城は丘の上にあり、部分的には城壁で囲まれていたが、背の高い木々のみで区切られている箇所もあった。

特に城の裏側は顕著で、石垣さえ降りてしまえればすぐに市街に出ることができた。


とはいえ石垣もけして低い訳ではなく、ゆうに木一つ分ほどの高さがあった。

十歳にも満たない子供がおいそれと飛び降りれる高さではない。下手すれば大怪我をしてしまうだろう。

しかしグロリア王女には、一つ策があるようだった。


「木が伸びすぎて、枝が石垣にかかっている場所があるのよ。庭師が手入れしているかもって思ったけれど、昨日の午前中に見た時は『去年と同じまま』だったわ。むしろ去年より成長していた。その木を伝えば、石垣から降りれるわ」


「木を伝って降りるだなんて危ない」とジョフリーは心配になったが、自信満々に計画を話すグロリアを前にして彼女を止めることはできなかった。


怖気付いた、と思われるのも嫌だった。


幸か不幸か、ウィンデイル城背面の警備は手薄だった。

夜勤の近衛騎士はやはり、こんな夜中に城を襲う者も、また城を抜け出そうとする者もいないと思っているようだった。

そのあってないような監視の目を難なく抜けると、ナイトシフトのままの王女は迷わず歩いて行った。

月明かりだけが頼りの、真っ暗な道だった。

ジョフリーは一応辺りを警戒しつつ、前をズンズン進む彼女の後をついていく他なかった。


しばらく歩いていくと、王女が言っていた通り、生垣に枝がかかっている木を発見した。

枝はけして太い訳ではなかったが、子供一人分くらいなら簡単に支えられそうではあった。

グロリア王女はジョフリーの方を振り返ると、


「さあ、行きましょう」


とはやる気持ちを抑えられないかのように言った。


そうして王女が枝に手と足をかけた時、「ねえ、リア」とジョフリーは王女に声をかけた。

彼はここに来る途中、ずっと考えていたことを彼女に聞いた。


「どうして街に行きたいの?リアは、劇がそんなに不満だったの?」


グロリア王女は枝から手を離すと、「そうよ」と立ち上がった。


「戦って、動き回るのはあなたたちばかり。本当につまらなかった。街にでも出て歩き回ってやらないと気が済まないわ」


ジョフリーは少しカッとなって言い返した。


「でもリアは『竜』を捕まえたじゃないか!十分活躍しただろ!」

「魔法の腰帯を使って?バカみたい。あんな子供騙し」

「あ、あれは象徴なもので!それ自体『姫』の……神性を表しているというか!そもそも『竜』だって敵対勢力の代替えなんだよ!」


グロリア王女は黙った。

ジョフリーの言い分に大筋納得いったような表情をしていたが、サファイアブルーの瞳だけが鮮やかに燃え上がっていた。

王女は言った。


「だったら、やっぱり『竜』は殺さずに仲間にすべきだったわね。私の配下に加えて、国を護らせる方がずっと良かった」



ジョフリーは言葉を詰まらせた。



月明かりの下、王女は無表情でジョフリーを見つめていた。

ジョフリーは唾を飲み込むと、「でも、言ったじゃないか…」となんとか言葉を吐き出した。


「あれは伝説劇だって、大筋は変えられないんだって……」

「そんなもの、教師に黙ってでも変えてしまえば良かったんだわ。即興でやってしまっても良かった!私とジェフならそれもできたはずよ!」

「……は……え?」



大筋を、変える……?



ジョフリーの中に、そんな筋書きはなかった。

そもそも変えていい、勝手にやってしまえ、なんて、考えてもいなかった。


大筋を変える?

『竜』をしもべとする?

それじゃあ、『竜』を倒すはずだった『騎士』は、『姫』を護る僕は、なんのために存在するんだ?



僕は……?



ジョフリーは困惑した。

同時に心が暗く落ち込んだ。



ジョフリーはまた、いつかの『教育サロン』の時のように、いくつかの事実を認め、己を律し、グロリア王女の御心を探って、合わせようとした。


しかしできなかった。


今回ばかりは、ジョフリーは口を硬く強張らせていた。




「……ごめんなさい」


そう先に萎んだ声で言ったのは、王女の方だった。


「今更よね。ごめんなさい、わかってて、でもお父様たちの目が怖くて、結局何もできなかった。私が一番イライラしているのは、私自身になのよ」


王女は俯いた。


夜風が吹いて、木々の葉をカサカサと鳴らした。

王女が目を伏せると、サファイアブルーの瞳は長い金色のまつ毛で隠れてしまう。

しかし代わりに、月光がその細い金糸の上に光の粒を下ろして、目元を細かく光らせていた。


グロリア王女はこんな時でも、本当に恐ろしく美しい子だった。


「だからね」


とグロリア王女は瞼をあげて、ジョフリーに微笑んだ。



「外に出てみたいの。街を見てみたいの。それを今、やってみたいの。ジェフ、あなたとならそれもできると思うの」



そう言われて断れるほど、ジョフリーは王女に無関心ではなかった。

嫉妬や無力感、困惑に落胆と自己嫌悪を抱きながらこの場から立ち去れるほど、彼は自分に無頓着でもなかった。



ジョフリーはグロリアが好きだった。




彼女が笑う、それだけで、世界の全てが吹き飛んでしまうほどに、彼は彼女が好きだった。




「……うん」



とジョフリーは小さく頷いて、グロリア王女が乗っている木の枝に、自分の足をかけた。

木からは簡単に降りることができた。

降りた後で後ろを見上げると、高い石垣がそびえ立ち、ジョフリーたちに大きな影を被せていた。

月はすでに石垣の上にある城に隠れてしまって、見えなかった。


ここまで来てしまった以上、簡単には戻れないことを、ジョフリーは悟った。








木々をかき分けていくと、ウィンデイルの街はすぐ見えてきた。

すでに太陽が沈み切った後の街は、暗かった。

細かなところが闇に埋もれ、建物のシルエットしか見えなかった。

それらはなんだが、不気味な立方体の群れのように思えた。


「うそ、全然人がいないわ」


王女は驚いたようにその場に立ち竦むと、目を丸くしてジョフリーを振り返った。


「ねえジェフ、街に誰も人がない!」


確かに少し、静かすぎるような気もしていた。

誰もいない通りは、夏だというのに空気が冷たく、まるで廃墟のように静まり返っていた。

「考えすぎだ」とジョフリーは首を振り、なるべく明るい声で王女に言った。


「子供は寝る時間だし、大人だって危ないから家に篭っているんだよ」

「でも王都じゃ……夏は夜中でもみんな騒いでるって聞いたわ!」

「王都には夜遅くまでやってる店もあるし、それに夜警だって巡回してるから、夜でも外を出歩けるんだ」


ジョフリーはグロリア王女に「リアは民を見てみたかったの?」と聞くと、王女は「いや、ただ街を……でも聞いていた話を全然違くて……道も、ゴミだらけだし……」とやや狼狽した面持ちで言った。


もちろん王都全体が安全という訳ではない。

夜でも店が開いていて外を出歩けるのは、王都広しといえども、貴族が住む屋敷区域の一部と、商業区北のメインストリートくらいであった。

それ以外の場所は闇が深く、人攫いやスリ、強盗などが跳梁跋扈しているとのことで、夜はほとんど人がいなくなるようだった。

東の果ての貧民街では、もっと酷い有様らしい。


これらはジョフリーとて従者などから間接的に聞いた話だったが、グロリア王女に関してはそれ以前に、王都の素晴らしいところしか見たり聞いたりしていなかったようであった。


「ま、まだわからないわ…!もう少し進んでみましょう」


そのせいなのだろうか、グロリア王女は向き直ると、前に向かって歩き始めた。

ジョフリーは慌てて、その小さな背中を追った。


「待って、リア。言っただろう!夜は危ないんだ」

「どうして?人一人ないのでしょう?逆に安全じゃない」

「野犬だっているかもしれないんだ!」

「犬?」


グロリア王女は首だけで後ろを振り返り、眉を顰めた。



「犬なら王宮にだって………わっ!」



そしてぶつかったのである。



「……ぁんだあ?」



彼女が求めていた『人』に。



「ガキィ〜〜?なぁんでこんなとこにガキがいんだァ?」



その男は、酒に酔っているようだった。

暗闇の中でもわかるほどに顔が赤く、息も臭い。


「……ッ」とグロリア王女は肩を震わせて、一方で後ずさった。


すると、酔っ払い男の後ろからもう一人、「何やってんだ?」と別の男が顔を覗かせた。

前方の男はグロリア王女を指差して、大声で言った。


「ガキがぶつかってきたんだよゥ。しかも二匹もいやがる!」


後方の男は「はァ?」地面に唾を吐いてから、グロリア王女とジョフリーに目をやった。

この男も酔っ払っているようだった。

しかし前方の男よりも目が据わっており、奥はどろりと白濁していた。



ジョフリーはゾッとした。

彼はこのような種類の人間と出くわすのは、初めてであった。



「……やけに身なりのいいガキだな」


後方の男は垢で汚れた顎を撫で回して、ニヤリと笑った。


「ちょうどいい。煤屋が新しい小鼠を欲しがってた。服剥ぎ取って、アイツに売ろう」

「ギャハハ!いいなァ!」


前方の男はグロリア王女を見て目を細めると、舌なめずりをした。


「女の方は別の使い道もあるしなァ」





王女の肩がもう一度、びくりと震えた。


その瞬間、ジョフリーの頭の中でカッと赤い火花が散った。





「リアに手を出すなッッ!!」


気がついたらジョフリーは、細い板切れのような物を持っていた。

その辺に落ちていたゴミを、適当に拾ったようだった。

そしてグロリア王女を押し除けて、前に出ていた。


「リ、リアに手を出したら許さないぞッッ!!」


ジョフリーは必死だった。

板切れを握る手は震え、前に出した足はガクついていた。

劇で演じた『騎士』の立ち振る舞いとは、雲泥の差だった。



それでもジョフリーは必死だった。

この場で彼女を護れるのは、自分しかいなかった。



酔っ払いの男たちは一瞬キョトンとしたが、すぐに悪どい顔つきに戻って、ジョフリーを笑い飛ばした。


「おいおい坊主〜あんまリいきがるなよォ〜〜二、三発殴んなきゃなんねェだろ〜」


ジョフリーの顔に、据えた息が一気に浴びせられる。

それはまるで、本当に『竜』の口から発せられたような、瘴気に満ちた匂いがした。


ジョフリーはかろうじて板切れの先端を男たちに向けていたが、彼の奥歯はガチガチと音を立てて痺れていた。



「ガキの怪我はすぐに治るからな」



後方の男が言った。



「後ろの嬢ちゃんにも、いくらか静かになってもらわねえとな」





その言葉が、ジョフリーの体を突き動かした。





「うわああああああああ!!!!!!」




ジョフリーは足を踏み出し、板切れを持った手を前に突き出した。

おそらくジョフリーがまだ九歳であったことが、ここでは功を奏した。

ジョフリーがただ全力で前に突き出した板切れは、後方の男のちょうど股間部分に深く突き刺さったのである。


「ぎゃあああああ!!!!!」


後方の男は鋭い叫び声をあげた。

板切れの刺さった傷口からダラダラと血が吹き出している。

流石に前方の男も焦ったのか「テメェ〜このクソガキィ〜!」とジョフリーに襲いかかってきた。

しかし、一度成功体験を得たジョフリーは、次にすべきことがすでに頭の中に浮かんでいた。


「ガッ…!!ギィィアァァァ!!!」


暗闇の中に、前方の男の断末魔が響いた。

男の股間を、ジョフリーは思いっきり蹴り上げたのだった。


「リア!!」


ジョフリーは背後のグロリア王女に向かって叫んだ。

王女は当惑した瞳でジョフリーを見たが、彼は構わず彼女の手を取った。

ジョフリーは王女の手を引っ張り、来た道を振り返らずに走って駆け抜けた。

男たちの何やら言葉にできない声がしばらく聞こえていたが、二人とも急所を攻撃されたせいか追ってくることはなかった。



ジョフリーはグロリア王女の手を引いて、走って、走って、走り続けた。



そうして最初の、石垣を降りた時の木まで戻ってくると、ようやく止まった。

ジョフリーは一瞬、「リアを置いてきていないか」心配になったが、彼女はちゃんと彼の手を握ったまま、後をついてきてくれていた。



ここまできたら、もう大丈夫だ。



ジョフリーはほっとした。

ほっとしたら一気に気が昂って、思わずグロリア王女を抱きしめていた。

そうしないと、むしろ自分の方が地面に崩れ落ちてしまいそうだった。



しかしそれは、グロリア王女の方でも同じようだった。



ジョフリーよりも一回り小さいグロリア王女は、ジョフリーの腕の中居すっぽりと収まっていた。

二人とも息を切らしていた。

二人とも震えが止まらなかった。



「リア、リア」とジョフリーが声をかけると、グロリア王女は呼応するように「ジェフ、ジェフ……」とジョフリーの名前を連呼した。

その声を耳にして、ジョフリーはようやく「僕がリアを護ったんだ」という実感が湧いてきた。

劇の中ではなく、ちゃんと現実の世界で彼女をーーーー。



「リア、安心して。もう大丈夫だからね」



そう思うとジョフリーの方は少し落ち着きを取り戻して、腕の中の王女へと話しかけた。



そして驚愕した。



王女が、泣いていた。

あのグロリア王女が、ジョフリーの服をぎゅっと掴んで、泣いていたのである。



静かに、ジョフリーの胸に、すがるように。少し、しゃくりあげて。

彼女のサファイアブルーの瞳からは、涙がポロポロと溢れ出た。

その煌めく光のような涙はジョフリーの服を濡らし、そして服の下の肌を熱くさせた。




その時、

ジョフリーは気がついてしまった。




彼女への嫉妬、無力感、愛情、欲望。




蜜のように甘美で、どろりとした、

優越感。




ジョフリーは思わず、ほくそ笑んでしまった。

しかしジョフリーの胸に顔を埋めていた王女には、それが見えなかった。

ジョフリーはほとんど確信を持って、こう思った。






なんだ、こうすればいいのか。






夏が過ぎて、秋がやってきた。


ジョフリーはパブリックスクールへと入学し、タウンシェンド家の屋敷から学校の寮へと移り住んだ。

色々『やること』が増えたために、ジョフリーはもうグロリア王女の『教育サロン』には参加しなくなっていた。

『サロン』での彼の役割は、すでに済んでいた。


その結果というべきか、ジョフリーは時折王女に会うことを許されていた。


学校の寮も王都内にあったので、彼女か、もしくは彼が望めば、ほとんどいつでも、二人は会って、話すことができた。

話すことといえば、相変わらず歴史や政治や、この国の行末についてで、特に色のある話題ではなかったのだが、ジョフリーにとってはそれで十分だった。


今は変わらず、彼女の望む『彼の役』をこなすことが、将来的に有効であることは彼にはすでにわかっていた。


ジョフリーは通常の勉学に励む傍ら、二つの研究に励んだ。


一つは対外外交についてだった。

一つは戦史についてだった。


そのうえで武芸にも励み、成長に合わせて『戦える体』を作り上げた。


方法さえわかれば、努力はジョフリーにとって苦ではなかった。

ただ明確な目標が定まっただけで、やっていること自体は子供の頃と大差なかった。

迷う必要はない分、楽でさえあった。




勉学、研究、訓練。

勉学、研究、訓練。

勉学。

研究。

訓練。

そして王女との逢瀬。




これを繰り返しているうちに、ジョフリーは十六歳になっていた。

グロリア王女は十三歳になっていた。


この間に国王ウィリアム・ランカスター一世が病気のために崩御し、王太子ウィリアム二世が新たな国王となった。

新国王夫妻には王女グロリアしか子供は生まれなかった。

そのため自動的に、次の王位継承権はグロリア王女へと移った。





そしてジョフリーがパブリックスクールの最高教育課程に進む直前、彼とグロリア王女の婚約が決定した。





「こうやって庭を歩くのも、なんだか久しぶりね」


その日、学校が休みであったジョフリーは王宮を訪れていた。

父から「グロリア王女との婚約が内定した」と連絡を受けてから、彼女と顔を合わせるのはこれが初めてだった。


見たところ、王女に変わったところはなかった。

いつも通りだった。


王宮の十字に区切られた庭を、王女はいつも通り、ジョフリーの少し前を歩いていた。


ジョフリーとの婚約内定が、王女の耳に届いていないはずがない。

それでもこうして、普通に会ってくれるところから察するに、王女の方でも婚約を受け入れてくれているのだろうと、ジョフリーは思った。


ジョフリーも、またグロリアも、初めて出会った時からは随分と成長した。

『結婚』というものが、政略を抜きにしても、一体何を意味するのか、二人はすでにわかっていた。


その相手として、ジョフリーは王女に受け入れられた。

これが、ジョフリーにとって嬉しくないはずがなかった。



「……ねえ、覚えている?昔二人でウィンデイル城を抜け出して、街に行った時のこと」



グロリア王女は歩きながら、言った。



「夜の、誰もいない街で、人攫いに出会したこと」



ジョフリーは「覚えているよ」と答えた。

忘れるはずがなかった。



「多分今でもあんな風に、子供を攫って売る者や集団がいて、流通してとして成り立ってしまっているのよね。それだけじゃなくて、もっと多くの、見えない暗部がこの国にはたくさんあるのよね」



グロリア王女は振り返った。

黄金の豊かな髪を風に靡かせ、午後の光を纏い、ジョフリーに笑いかけた。



「私たちこれから、たくさん話すことになるのよね。本当に、すごくたくさん。ねえ、ジェフ。その相手があなたなのが、私はとても嬉しいわ。ジェフ、これからもよろしくね」



ジョフリーも微笑んで「うん」と頷いた。

そして大理石のように白い手を差し出してくる王女に向かって、ジョフリーはゆっくりとゆっくりと歩き出した。





嬉しくないはずがない。

嬉しくないはずがなかった。



ただ、



「……ジェフ?」


目標が、もっと遠くに、定まっただけで。






グロリアはやや困惑した声色で、ジョフリーの背中に話しかけた。


ジョフリーがグロリアの手を取ることなく、彼女を追い抜かし、前に出たからであった。


グロリアは無言のまま、ジョフリーの背を見つめた。



「ジェフ?」



と、もう一度グロリアが呼びかけると、ジョフリーは彼女に背を向けたまま、



「初めて君とであった頃は」



と、庭を見渡して話し始めた。



「なんて広い庭だろうと思った。庭というより、通路を歩いている気分だった。でも今にしてみればまあ、一国の王族としてはこれくらい普通なのかな」



ジョフリーはグロリアの方を振り返ってた。

笑顔のままだった。太陽の光を背に浴びて「リア、知っているかい?」と話を続けた。



「大陸にはもっと広い宮殿、もっと広い庭があるんだ。ここよりも何倍も大きい。きっと壮観だろうね。君の寝室から、朝露に濡れる森のような庭を眺めるのは。年中咲く薔薇の中を、君を連れて散歩もしたい。きっと素晴らしい光景になるだろう」

「…………何を、言っているの?」



グロリアの唇はかすかに震えていた。

彼女にとって、ジョフリーの言葉の意図がわからないのはこれが初めてだった。

ジョフリーは小首を傾げて、そして笑った。



「僕たちの将来の話だよ」

「しょう、らい……?私たちの将来の話に、なぜ大陸の話が出てくるの?」

「そこが僕たちの住まいだからだよ。リア、僕は君に、ここよりもずっと広い『庭』をプレゼントしてあげる」

「ジェフ……あなた、本当に、何を言って……」




「戦争をするんだ」




二人の間に風が吹いた。

強い風だった。

花びらや地面に落ちた葉、刈り取られてちぎれた芝生などが一斉に空へと舞い上がった。

嵐を予感させるような風だった。



ジョフリーは繰り返した。



「大陸の国と戦争をするんだ。敵を打ち滅ぼして、もっと大きな土地と、街と、城と、庭を手に入れるんだ」

「何を言っているの!」


グロリアは声を荒らげた。


「あり得ない!現実的じゃない!!」

「そんなことはないだろう。現に、僕たちのお祖父様はそうしてきたじゃないか」

「それは…!当時が内乱の時代だったからで……今はそんな時代じゃない!ウィンデイルの街を思い出して!この国には今でもああいう場所がたくさん……!」



グロリアは唇に歯を立てて、言葉を噛み殺した。


聡明な彼女は、すでに察してしまったのだ。


二人の間にはいつの間にか、途方もない差異ができていた。


共有したはずの苦い経験。

重ねてきた対話。

そういったものが、すでにもうどこからかズレていた事実に、グロリアは目を伏せた。

それでも感情だけは抑えきれなかった。



「どうして……ねえ、どうして!!そんなことを言うの!」

「君こそどうしてそんなことを言うんだ、リア?」



ジョフリーはそのような感情の波の一切を打ち消すような、凪いた声色で淡々と続けた。



「君自身が昔言っていたじゃないか。歴史は原因、経過、結果、影響で成り立つと。そして南北内戦の影響いる僕たちが、歴史の価値を決定する。それはいい。でも同時に、僕たちは別の歴史の原因でもある。歴史は繋がっている。そして人が作っている。影響である僕たちが、その価値を拡大するために、新たな原因ーー戦争を始める。それは可笑しいことかな?」



グロリアは俯き、何も言えなくなってしまった。

口は半開きになり、サファイヤブルーの瞳には光が入らなくなっていた。

ジョフリーは少し彼女が心配になり、近づいて、だらりと垂れ下がった手をとった。



その手はいつかのように、ひどく冷たかった。



ジョフリーはもう一つの手でその冷たい手を包み込み、愛おしげに指の関節を撫でた。



「大丈夫だよ、リア。君のことはずっとずっと、僕が護るよ。君はそのままクルクル光り輝いていて。僕が護る。全部手に入れてくる。『庭』も『竜』も、君に似合うものはーーー全て」



グロリアの手は冷たいままだった。


しかしジョフリーは、それを気にしていなかった。


彼女の手をすぐに温められると思っていた。

国を巻き込む大戦争の、燃え立つ火炎を持ってして、彼女の手は温まると信じていた。






長々と読んでいただき、ありがとうございました。

大丈夫です。安心してください。

次は現在に戻って、話を進めます(覚悟)


一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます

https://t.co/YrR7qkmi8z


(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)


コメント、ブクマ、評価等いただけるとめちゃくちゃHAPPYです!

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