(57)御前試合前ですが、まだやることがあります!
【御前試合】
一年で最も日が長い日に行われる、近衛騎士vs近衛騎士の真っ向対決!
その名の通り、騎士たちは王の御前にて闘う!
しかし!
闘いは全ての民にも開かれている!
当日闘技場は、貴族平民などの階級関係なく大勢の人でごった返す!
まさに年に一度の一大イベント!!
この闘いに勝利した者は、王より近衛騎士団騎士長の任と薔薇騎士の称号を賜る!
御前試合とは、騎士にキャリアと名誉を賭けた、真剣勝負なのである!!
*
「御前試合は三点先取制だ」
ジョンは言った。
私はこういう時に定位置、ベッドの上に胡座をかいていた。
そして、前方に立ったままでいるジョンを見上げる。
私たちは近衛騎士団兵舎の自室にいた。
ここは『小隊長用の私室』である。
本来ならば、先日女王陛下の命によって平騎士へと降格処分された私は、この部屋から出ていかねばならないはずだった。
しかし第七小隊の小隊長として新任した、イーサン・バーナードが気を利かせてくれたようで、私は一時この部屋に留まれることになった。
「あなたはじき騎士長になるでしょうから、それまでそのままで良いです」
……だそうだ。
全くイーサンという奴は、身に余るほどの期待を寄せてくれるものである。
私としては平騎士用の大部屋に移ってもよかったのだが、こうしてジョンと開けっぴろげに話すことを考えると、確かに個室の方がありがたかった。
私はジョンから、ジョフリー・タウンシェンドとの最終決戦である御前試合のレクチャーを受けていた。
これまで最大の目標としてきた『御前試合』だが、私は意外とその内容を把握していなかったのだ。
案の定、私の頭には疑問が浮かび、「はい、先生」と手を挙げて、ジョンに訊いた。
「前にやった『決闘裁判』とはルールが違うんか?」
今は昔。
まだこの世界が夏であった頃。
私は元第七小隊の部下(通称クソA)と『決闘裁判』なるものをした。
私がクソAら数人を私刑に処した事が問題になったからである。
しかし私は何も趣味で奴らをリンチをしたわけではなく、クソAらによる『アリア』への暴行が発覚し、それに対する復讐として暴力処置にでたのだった。
確かに全員蹴り倒したのは不味かった。だが私は、イーサンの助けにも借りつつ、正義は我にありと主張した。
双方の主張がぶつかり合った結果、騎士長ジョフリー・タウンシェンド監督下にて、どちらが正しいかを決める決闘が行われたのである。
あの時は『どちらかが降参するまで』が勝負であった。
実際には私がクソAを殺そうとしたため、審判であるジョフリーが割って入り、『私の勝利』として強制終了したわけだが。
私の眉間はぎゅうを狭まった。不意に当時の記憶が蘇ったからである。
けして、いい思い出ではない。
私の意志が健全ではないものであったにせよ、しれが途中で呆気なく止められてしまったのも大層ムカつくし、何より気持ちが悪かった。
クソAへの刃を無にされて当惑する私に、ジョフリーはこう言ったのだ。
ーーーー僕は、君が勝つって思ってたし、願ってたよ。
今なら少しわかる。あれはきっと本心だ。
だが、『私が勝ったから生まれた』感情であろう。
もしクソAが勝利していたら、ジョフリーは同じことを彼に言ったに違いなかった。
そのようにしてジョフリーは、状況に応じて都合のいい形に、自他ともに切り替えていく。
その心根や魂が一体どこにあるのかわからないのが、私には本当に気持ち悪かった。
そんな顔を顰める私を無視して、ジョンは「違う」と端的に答えた。
私の注意は、再びジョンの冷静な面持ちへと引き寄せられた。
「決闘と試合は違う」
「ほう…………えっ何が?」
「決闘は『解決法』。決闘裁判の場合、『対立意見の解決』のために行われた。まあ……決闘裁判自体は過去の異物に等しいが……」
そういえばジョンは当時も、同じことを言っていた気がする。
決闘裁判なんて文献でしか見たことがない。ジョフリーが大衆へのアピールのために引っ張り出してきた。
「対して」とジョンは続ける。
「試合は『競技』だ。技量などを競う。御前試合の場合、『騎士としての実力を争い、どちらが騎士長として相応しいかを競う』」
「な、なるほど」と、私は肘を叩いた。
遠き前世にて、私がやっていたテコンドーももれなく競技である。
フルコンタクトなので戦闘感があるが、基本的には『型を繰り出す技量の競い合い』だ。
「……ルールが違う、というより、御前試合には『ルールがある』。技量を競う上で、尺度が必要ということだな!」
私が確認も意味も込めてそう言うと、ジョンは一寸目を見開いた後、「……そうとも言えるな」と腕を組んだ。
「なんだその『意外』みたいな態度は」と私は思ったが、ジョンが再び口を開き始めたので、私はツッコむ機会を失った。
「御前試合における一点は『血を流した数』……つまり、剣で傷をつけたら、それが一点になる」
「ええっ?剣必須!?」と私は前のめりになる。
しかしジョンは至極冷静に「当たり前だろ」と切り捨てる。
「どちらかが試合続行不可となれば、三点に至らずとも勝敗が着くが……基本は、先に相手を三回、剣で傷つけた方が勝者となる」
「け、剣か……」
私は思わず天井を仰ぎ見た。
剣……私は相変わらず、剣が得意ではなかった。
合間を見つけては一人で、またはジョンを相手に一緒に練習は続けている。しかし武芸というものはやはり、一朝一夕で身につくものではなかった。
というか、どうしても意識が慣れた戦い方へと流れてしまうのだ。
相手を圧したい。そう思えば思うほど、手よりも先にハイキックが出てしまうのである。
どうやらテコンドーによる戦いは、私の魂にまで染み付いてしまっているらしい。
それだけ長く、真剣にやっていたのを思うと、ある種当たり前なのだが。
「……やっぱ蹴りで攻撃とかではダメなのかね」
私が天井の染みを見上げたまま言うと、ジョンは大きくため息をついた。
「御前試合は騎士の戦いだぞ?剣を使わずしてどうする?」
「……ですよねー」
「それに可能性がゼロではないが、肉弾戦で切創や裂傷を作るのは難しい」
「わかっておりますー……」
ジョンはもう一度、盛大に嘆息した。
「アリ。正直な話、お前がジョフリーに剣で勝つのは相当難しい」
私はジョンへと視線を戻す。
そして指を指す。
「……て、オイッ!お前どっちの味方なんだよ!」
「もちろんッ!」
ジョンは語気を強める。
「お前に勝ってほしい……というか勝ってくれないと状況はさらに悪化する!『アリア』様は去年一度御前試合に負けている、上に、お前は小隊長から降格され、評判も最悪だ」
「うぐ…」
「今回の御前試合を逃せば、次の機会がいつ来るかわからない!」
「だったら……」
「だからこそッ無策では挑めない!!」
ジョンの声はさらにエスカレーションした。
が、意図的ではなかったのか、ジョンは一瞬頬を紅潮させた後、仕切り直しのための咳払いを漏らした。
「とにかく……策が必要なんだ。ジョフリー・タウンシェンドを凌駕するような、何らかの策が」
「な、何らか、っておま…」と私は呆れ半分に零したが、ジョンがこのような曖昧なことを言うのは大変珍しかった。おそらくジョンの中で、私がジョフリーに勝つヴィジョンが見えていないのだろう。
当然の如く、私にも見えていない。
私はジョフリーと直接戦ったことがないどころか、ジョフリーが戦っている姿でさえ見たことがない。
とはいえ決闘裁判の際、ジョフリーは私の(当時)全力の剣撃をいとも簡単に止めてみせたのだ。
この一件だけでも、ジョフリーが私よりも剣に優れていることは明白だった。
私はジョンと同じように腕を組み、首を傾げた。
「うーーーむ」
私はこれまで、御前試合に出ることを目標にしてきた。
しかし当の試合に勝てなければ、何の意味もない。
騎士長になるという『アリア』の目的も果たせないし、女王陛下ーー姫様の宿願、ヴァージンクイーンによる国政安定も御破算である。
あのジョフリー・タウンシェンドが、近衛騎士団騎士長として力を保持している、その限りーーーー。
「策……策ねえ」
私の脳裏に、様々な奇策が浮かんでは、消えていく。
その閃光のように現れては消えていく様を見やりながら、私は余ったスペースにて別のことを考えてもいた。
多分、私が『アリア』の体に留まれるのも、これで最期だろうしな。
「恐怖はない」とまではいえないが、それ以上に焦りの感情が私を支配した。
私に残された時間は、そう多くない。
少ない時間の内で、私にできる最大の仕事は間違いなく『御前試合での勝利』だ。
それ自体は何としてでも達成したい目的だが、それのみに固執するのもどこかズレているような気がする。
「何だか前にも似たようなことを考えたな」と、私はこめかみに滲んだ汗の気配を拭いとる。
春になったせいか、室内の温度は少しずつ上がってきている。
残された時間で、私に、できること……。
「あ、わかった」
そして私ははっと思い出した。
「あれだ、私が第七を何とかしたいって言った時だ。はは、もうめっちゃ前じゃん」
ジョンは片眉を上げ、無言で私を睨みつけた。
その怪訝そうな顔つきからは明らかに「こんな時に何言ってんだコイツ?」という感情がありありと感じられた。
しかし私は、それも含めて思い出し笑いをした。
そうだ、まだここに来て間もない頃、第七小隊内がクソどもで崩壊していた時、ジョンは言った。
「御前試合への推薦獲得に集中しろ」
しかし私は言うことを聞かず、第七小隊の(ある種野蛮な)立て直しを敢行したのだった。
そしてその行動が、今の私を作っている事は間違いなかった。
その確信は、私にもう一つ、重要なことを思い出させた。
「…………やべ、そうだった。あぶね〜忘れかけてたわ」
私は頭を掻き、怖い顔をしているジョンに言った。
「風が吹けば桶屋が儲かるとは言い得て妙だ。御前試合以外にも、私にはやるべきことがあったというわけだ」
「は?」
私は両膝を勢いよく叩いた。
「街のみんなに飯を奢るぞ!」
「というわけで、お集まりの皆様〜〜〜!!」
王都商業区、メインストリートの一角にある酒場『ゴールデンクロス・タヴァーン』。
「大変長らくお待たせしましたが〜〜〜千秋祭における皆様の多大なるご尽力に感謝して〜〜〜今宵は私、アリア・サマセットのす、べ、て奢りだ〜〜〜!!」
二階席まで吹き抜けている開放的なフロアに、さまざまな顔が集まっている。
私はその中央に立ち、銀色に光る金属製のマグを頭上高く掲げた。
「みんな!思う存分、楽しんでくれ!!」
そして地鳴りのような雄叫びが、呼応して響き渡った。
「うおおおおおおお!!!」
「待ちくたびれたぞコラァァァ!!!」
「飲むぞォォォォォ!!!」
マグ同士がぶつかる甲高い音が上がる。
ついで美味そうに喉を鳴らす音。満足と共に吐き出される、アルコールのため息。
点在するテーブルの上には、さまざま料理が所狭しと乗っていた。
ローストミート。ミートパイ。
ウナギやニシンの燻製に、ごろごろ野菜が入ったポタージュ。
どれも出来上がったばかりのようで、内臓を刺激する香しい白い湯気を燻らせていた。
イーストエンドの桶屋マーク・クーパーは、早速肉を口に詰め込めるだけ詰め込んだらしい。案の定お約束のように喉を詰まらせると、マークは慌てて手元のエールをぐいと煽り、全てを一気に胃の中へと押し込んだ。一命を取り留めたようである。
「おいおい、もっと味わって食べてくれよ」と私が言うと、マークは「味わってる!味わってる!しょっぱくて美味い!!」と服の袖で口元を乱暴に拭った。
「待たされた甲斐があったモンだぜ!なあ、エアリアル!」
マークは頬に拭いきれなかった肉片をつけたまま、弾けるような笑みを浮かべた。
それに思わず笑ってしまいながら、私もエールの苦くも爽やかな味を口に含んだ。
今は昔、秋の千秋祭の時。
私は街のみんなに「第七小隊と一緒に街の警備をしてくれ」と協力を請うた。
祭で混雑する街を護るのに第七小隊だけでは人手が足りず、街に住むその人たちの手を借りたのだった。
その際協力報酬として、私は「王都で一番美味い飯を奢ってやる」と豪語した。
のだが、その後に爆発事件調査やら北部遠征やらと矢継ぎ早にイベントが発生し、結果、千秋祭から半年以上経った今の今まで後手に回してしまっていたのである。
一度「やる」と言ったことを反故にするわけにはいかない。
……というか単純に、千秋祭に限らず、私は私に協力してくれたみんなに、御礼がしたかった。
御前試合の日。つまり一年で最も日が長い日は、まだ1ヶ月以上先だった。
みんなとの約束を果たすには、今しかないと思った。
これをジョンに話した時、ジョンはやはり予定調和的に「そんなことをしている場合か」と眉間に深い溝を作って、私を咎めた。
正直私自身、命運をかけた試合を前にして、宴会を開いている場合ではないとわかっていた。これでも私は、前世でも国際試合に出るような競技選手だった。それくらい、ちゃんと理解していた。
それでも私は、ジョンと自分自身を納得させるために、こう言ったのだった。
「御前試合だけじゃない。やれることは、やっておきたいんだ。私がまだ『アリア・サマセット』であるうちに」
ジョンは眉間の皺を浅くした。
それから黄金の瞳を持って私をじっと見つめると「……勝手にしろ」と小さく首を振った。
私は自分で言い出して、そして認められたにも関わらず、何となく寂しくなって「うん…わかった」と呟いた。
するとジョンは何故か大きなため息をついてから、私に向かって無遠慮に指を差した。
「剣の練習は怠るな。やらないよりマシだ。ジョフリー対策は、何かこちらで考えておく」
私は急速に心中が明るくなるのを感じた。
「うん……うん、うん!!」と私は何度も頷き、「私も…!練習はするし、対策も考えるよ!」と、ジョンに感謝をした。
思えば私は、感謝してもしきれぬほど、たくさんの助けを借りて、ここまで辿り着いたのだ。
助けといえば、この『ゴールデンクロス・タヴァーン』を貸し切るにも、幾人かの手を借りた。
なんせ「王都で一番美味い飯を奢る」と言ってしまった手前、それなりの店に皆を招待する必要があった。
しかしながら私は、街のグルメに全く明るくなかった。
そこで私は第七小隊にいる、商業区出身の者たちに情報提供を頼んだ。
やはりボブ(元肉屋)やピーター(元仕立て屋)がその辺りに詳しかった。
彼らは腕まくりをし、自ら各種オススメ酒場と交渉を始めた。そしてあれよあれよといういう間に、この『ゴールデンクロス・タヴァーン』の貸切予約と取り付けてしまったのである。
後から聞けばここの店主も、千秋祭の時は私たちに協力してくれたらしい。
事はほとんど、私が後方で腕組みをしているだけで進んだ。
開催日時や街の人への告知、当日出す料理の相談まで…………段取りは全て、第七小隊のみんなが通常任務の傍ら、嬉々として進めてくれた。
この辺りどうしても無知な私にとっては誠ありがたい限りなのだが、その一方で「街の人は本当に喜んでくれるだろうか?」という懸念が胸中に生じていた。
今回、私自身はあまり動かなかった。やったことといえば、店に前金を払ったくらいである。
それが故に、私には直接的な手応えが薄かったのかもしれなかった。
だがそれも、杞憂に終わった。
みんな、笑っている。
肉を食べ、酒を飲み、赤らんだ顔を突き合わせて、笑っている。
ここにいるのは(一部の第七メンバーを除けば)皆平民で、階級の差こそないにせよ、生活圏は異なっていた。おそらく日常生活では、五年に一度偶然顔を見るか見ないかの間柄であろう同士も、今は皆一堂に会し、垣根を超えて、騒ぎあっていた。
アンドリュー・スミスたちが、フロアの中央で『エールの早飲み対決』を始めた。
空になったマグが次々とテーブルの上に叩きつけられ、小気味のいい連弾を響かせていく。
負けた者が勝った者に野次を飛ばし、両者の間には一触即発な空気が流れたが、次の瞬間には肩を組み、共に音の外れた歌を披露していた。
その姿は子犬同士が戯れあっているかのようだった。
アンドリューといえば、北部遠征中のベルミナにて、薪や炭の補給に成功させてくれた。確かその時もビールの飲み比べ対決を、彼はやっていたような気がする。
それ以外にもイーストエンド民との橋渡しにも、アンドリューは大いに貢献してくれた。彼の真っ直ぐで剛気な性格は、いつも隊を明るく、力強く元気づけてくれた。
ピーター・テイラーは、『フルヘム港にて令嬢に扮した私がいかに美しかったか』を滔々と語っていた。ピーターの周りには、今も仕立て屋を営む彼の父やご婦人、子供たちが集まっていて、皆深そうに彼の話を聞いていた。
私としては正直恥ずかしいからやめて欲しかったが、ピーターは私と言うよりほとんど服や装飾にしか言及していなかった。
ご婦人たちは「今大陸ではそのような帽子が流行っているのね」と感心し、ピーター父は「うちでも扱ってみようか」としげしげ頷いていた。
同席していたパトリシア・ビーチャムだけが何故か少し怒った表情をしており、「ど〜〜して肖像画家を雇わなかったのです!!」と謎の文句でピーターを責め立てていた。
ピーターやパトリシアにも、ずいぶん助けられた。
彼らが持つ専門知識はもちろん、ピーターの丁寧さは確実な成果をもたらし、パトリシアのたおやかさは心を奮い立たせてくれた。
彼らに「ありがとう、助かった」と言えるのも、あと少しなのだと思うと、暖かくて柔らかい痛みがじんわりと心の中に広がっていった。
「……あれ?そういえば……」
と、私は飽和する喧騒の中、静かに目線を巡らせて、もう一人の元・分隊長の姿を探した。
礼を言うならば、私は真っ先に彼に言わねばならなかった。
直近で第七小隊小隊長へと昇進し、一躍時の人であるはずのその男は、盛り上がるフロアの端っこで、マグを片手に壁の花と化していた。
私は小走りで彼に近づき、声をかけた。
「イーサン!」
イーサン・バーナードは右目に大きく黒い眼帯をした顔を私に向け、小さく微笑んだ。
「小隊長」
「おいおい」と私も笑みを浮かべた。
「小隊長は今やお前だろう。イーサン・バーナード小隊長」
すると「あ、いや…」とイーサンはバツが悪そうに短い黒髪の後頭部を摩る。
「すいません、つい癖で……というかまだ、オレが小隊長だっていう実感が薄くて……」
小隊長の革張り椅子は、まだちょっとイーサンにとって居心地の悪いもののようだった。
私は肩をすくめると、イーサンの隣へと背を預けた。
イーサンの顔色は、フロア端の光が届ききらない陰の中でもわかるほど、まだ悪そうであった。
「まだ怪我治りきってないだろ?大丈夫か?」と私が聞くと、イーサンは「なので蜂蜜湯を飲んでます」とイーサンは手元のマグを持ち上げた。
私も自分のマグを持ち上げて、イーサンのそれに軽くぶつける。マグ同士はカチリと音を立てて、中身の液体を共に揺らした。
それからしばらくはお互い黙って、マグをちびちびとやっていた。
フロア中央では肉に飽きたのか、もしくは新たな肉への腹ごしらえか、踊り始めた者たちもいた。
合わせて、小粋な口笛まで奏でられる。
私とイーサンは壁に寄りかかり、喧騒を遠くから眺めて笑い合っていたが、私は浮かび上がる気恥ずかしさを押し込め壁から背を離すと、イーサンの方へと向き直った。
「あの……その、ありがとう、イーサン。私を……御前試合に推薦してくれて。まさかイーサンが小隊長になるとは思ってなかったけど、でも本当に助けられた。ありがとう」
イーサンは短く「いや」と答えると、蜂蜜湯の入ったマグを傾けた。そしてそれをゆっくり飲み込んでから、目を細めた。
「オレだけの成果じゃないですよ。ビーチャム分隊長だって協力してくれたし、何よりラッセル小隊長がオレを支持してくれたのが大きかったです」
「あーエドね〜…」
私は先日、第六小隊小隊長のエドワード・ラッセルから直々にその話を聞いた。わざわざ私のところまでやってきたのだった。
エドワードは「小隊長になるよう、おれがメガネ君を説得したんだよ〜〜」と言うと、自慢げに胸を張ったのであった。
つまるところエドワードは「褒め称えよ」と自ら出頭したわけだが、イーサンの件だけでなく、彼自身からも推薦をもらっているので、実際エドワードの功績は大きい。
なので私が素直に「色々動いてくれてありがとう、エド」と返したのだったが、エドワードの方は何故か面食らった顔になった。
そして柔らかくカールした赤毛を掻きむしり、地面を軽く蹴り上げたのち、私に向かってこう宣言したのだった。
「アリアちゃんが騎士長になったら、次はおれと御前試合だかんね!」
「まあ、エドもよく気を回してくれたよ」
と、私は手の中でマグを揺らした。
気が回りすぎて、奴の中でもすでに私が騎士長になることが決定しているらしい。
私は「次の御前試合はおれと」と啖呵を切ったあの紅潮顔を思い出して、少し笑った。
しかし同時に、それは『叶えてやれない』ことを申し訳なくも思った。
「……それでも!」
胸に広がりつづける、しんみりとした雰囲気を打ち消すため、私はエールを一気に煽った。
「小隊長になると決心して、私に推薦をくれたのはイーサン自身だ!!ホント、ありがとうッッ!!」
そして私は、腰を深く曲げたお辞儀をした。日本国伝統の直角礼である。
イーサンの目には流石にそれは異様に映ったようで、「ちょ、ちょ、やめてください!小隊長!」とイーサンは慌てふためいた声を出した。
「本当にこれは…!オレが、あなたの力になりたくてやったことで……ッ!!」
私は頭を上げる。
「なんだよ〜〜私が『ありがとう』つってんだよ〜〜」
早速アルコールが体を巡回しはじめたらしく、頭がぐらりと揺れて、私は口調の制御が効かなくなる。
「素直に受け取れってんだ〜〜〜」
「いや、だからオレは……ッ!」と、イーサンは左目をあちこちに巡らせて汗をかいていたが、そこで一旦言葉を切ると、急に真剣な顔つきになって、佇まいを正した。
「…………では、代わりと言ってはなんですが、あなたに一つ『変なこと』を聞いてもいいでしょうか?」
「ん〜〜?なに〜どうぞ〜〜?」
と、私は再び壁に背を預けた。
イーサンは私を見たまま、言った。
「あなたは……本当は……『小隊長』ではない、ですよね……?」
私は目を見開いた。
急速に酔いが覚め、全身が冷え込んでいった。
私は無言で、イーサンを見た。
その顔があまりの形相だったのか、イーサンは肩をびくりと震わせると半歩、後ろに後ずさった。
「きゅ、急に変なこと言い出してすいません!」
イーサンは狼狽したように首を振った。
私の口内は砂漠のように乾いていて、うまく声が出せなかったが、なんとか
「……続けてくれ」
とイーサンを促した。
そうした後で私は、何故否定も誤魔化しもせず、促したのだろうと思った。
私が『アリア・サマセット』ではなく、別の世界から飛来した粗暴な魂であると、ジョフリー・タウンシェンドにバレた時とは異なる感情が、心の中に溢れ出していた。
イーサンは唇をもごもごとさせていたが、やがて決心したかのように半分下がらせた足を元の位置に戻し、口を開いた。
「あのオレ、右目を失くして……でもその代わりに見えるようになったものもあって……それで、その、わかったんです……感覚、的にですが……中にもう一人いる。この人は……『オレの知っていた小隊長』じゃないって」
フロア中央の方で、どっと大きな歓声が上がった。
金属のマグがガラガラと音を立てて床に落ち、誰かが野獣のような雄叫びを上げている。
私はイーサンの言葉を聞くために、彼の方へを体を寄せた。
イーサンの方でも、自然と足をもう一歩踏み出した。
「……でもこの人が、この人こそが、オレや皆、『小隊長』自身を、ここまで連れてきてくれた。導いてくれたんです!オレはまだ、本当の事はよくわかってないですけど、これだけは自信を持って言えます。あなたに出会えてよかった。あなたの力に、成れて本当によかった」
私は多分、イーサンにならバレてもいいと思ったのだ。
私はもちろん、『アリア』のことも、ずっと見てきたイーサンにならば、本当の事を知られても、それでも構わないと思ったのだ。
それはこの世界に紛れ込んだ、私、という存在を、見つけ出してもらえたような気分だった。
「はは」
私はツンとする鼻を押さえた。
「言ってくれるじゃんか。イーサン・バーナード」
「や、やっぱりオレ、変なこと言いましたよね……?」
「……そうだな。変なことを言うのは、いつも私の役目だ」
私は滲む視界を拭った。
そしてその、半分が黒い眼帯で覆われた厳つい顔にもかかわらず、狼狽えて情けない表情しているイーサンの、左目を覗き込んで訊いた。
「なあ、イーサン。お前の目に、『私』はどう映っている?私じゃない、『アリア』は、どう見えている?『お前のよく知っているアリア・サマセット』は、今どうしている?」
見える、というなら、私は訊いてみたかった。
ずっと、気になっていたのだ。
『アリア』は私を、どう思っているのだろう。
『アリア』は何度か、私を窮地から救ってくれた。しかし直接にも間接的にでも、会話を交わしたことはなかった。
だからこそ、この『アリア』をよく知る人物に、訊いてみたかった。
彼女は今、御前試合を目前とした今、一体何を思っている?
「あ…ええと……」
イーサンは言い淀んだ。困っているようだった。
私は少なからず期待していたのだが、やはり急には対応できないようであった。
「そりゃそうか」と、私は諦念と共に目を伏せる。
そもそもイーサンが、私、の存在に自ら気がついた自体、奇跡的なのだ。
それ以上を求めるのは、互いに酷だろう。
そうして、私が「すまん、忘れてくれ」と言いかけた時、イーサンが
「あの!」
と私の言葉を遮った。
私は再び、イーサンへと視線を戻す。
するとイーサンの顔つきは、先ほどとは打って変わって精悍なものになっていた。
「上手くは、言葉にできないかもしれないのですが……いいですか?」
私は「?」と眉を顰めたが、「頼む」と頷く。
「『小隊長』は……燃えています」
「もえ、燃えている……?」
「はい。天の灯火のように絶え間ない焔です」
「待て待て、詩的すぎてわからん!『アリア』はなんで燃えているんだ?」
イーサンは言った。
「闘志に、燃えているんです」
『アリア』は闘志に燃えている。
大宴会の後、気が早い太陽が昇りかけて朝方、私は近衛騎士団兵舎の自室へと戻った。
自室ではジョンが起きていた。テーブルの上には、本を乱雑に広げられている。夜なべしていたのだ。
ジョンは「ジョフリーに勝てる策を考える」と言って、近頃はずっとこの調子なのだった。
もちろん昨晩の宴にも参加せず、魔術やら剣術やらの本を、目を皿のようにしながら読み耽っていたようだった。
「ジョン」
と私が声をかけると、ジョンは隈のできた顔をこちらに向けた。
朝方の暗がりの中、二対の黄金の瞳だけが異様に爛々と煌めき、酒気を漂わせているであろう私をギロリと睨みつけた。
それは本当に、狼のような目だった。
「落ち着け、落ち着け。というか少し休め。酷い顔だぞ」
ジョンは目を本の上に戻して、憎々しげに「休んでなどいられるか」と吐き捨てた。
「コイツ味方じゃないんか?」と再度思ったが、それだけジョンも、私を勝たせようと真剣になのだろう。
ジョンだって、闘志に燃えている。
テーブルに上に灯る、短くなった蝋燭がそれを示していた。
私はベッドに向かい、その上に疲れた体をどかりと乗せると、テーブルに齧り付いているジョンの背中へと声をかけた。
「よおジョン、私多分思いついたぞ。ジョフリーに勝てるかもしれない策」
ガタリ、と椅子が大きな音を立てた。
ジョンがこちらへと、勢いよく振り返ったからである。
「は……?」
ジョンの顔は、最早怒っていた。
私はベッド上で胡座をかくと、真摯にジョンを受け止めて、言った。
「私は少し、思い知ったんだ。私じゃなくても『事』は動かせる。今私がここにいるのは、何も私一人が気張ってきたからじゃないんだ」
私は少し笑った。
「助けてくれた人がいた。力になってくれた人がいた。たとえ私が、力を失ったとしても、それらは消えない。むしろ背を押してくれる」
ジョンは怪訝そうに顔を顰める。
ジョンの言いたいことは、手に取るようにわかった。
どういうことだ?
意味がわからん。
ちゃんと説明しろ。
それらはよく、私がジョンに言ってきたことだった。
立場が逆転すると、案外気持ちいいものだ。
しかしジョンには、わかってもらわねばならなかった。
ジョンは私の従士で、この世界の、魔術の師範代だった。
私は自分の胸元を掴み、握りしめた。
「私たちで、ジョフリーに勝つんだ」
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