(6)従士とか言ってましたが、襲ってきました
灰、金、銀、黒。
最早色のみが認識できる中で、それらは重力に懐柔し、私めがけて落ちてくる。
この足を持てて、本当によかった。
そう、思えた時にはすでに、私の体は横に転がり、落下物を避けていた。それらはベッドに深く突き刺さっている。
「お」
とそれが言った瞬間には、私の右足甲部は、それの頬に激突していた。ビリリと私の寝着が破る。そして「ガフッ」という声と共に、それらは横に吹き飛び、ベッドヘッド上部の壁にぶつかった。
懐かしいな、男の顔を蹴ったのだなんて、2番目の兄貴とアイスを食った食ってないで喧嘩した時以来だ。
ん?男?
男は頭を押さえながら、先ほどの続きを言った。
「お前、何故、気づいた」
何故?何故って、知らんがな。ただ、
「それだけ殺気だしてりゃ誰でも気づくわ、バカヤロウ!!」
「ふ、」
男、いや、ジョンは、ここに来て始めて笑った。
「はは、あれだけ慎重に、丹念に、滅却術をかけていたのに、くは、やはり姫様のことになるとどうも…」
「は?は?!姫様?!」
「まあいいか」
と言い終わらないうちに、ジョンはいつも間にかベッドから抜いていた刃物をこちらに向け、突進してきた。
ああ、本当に、この体になってよかった。
と感謝した時には、私はすでにベッドから退いていた。
そして近くにあったーこの際何でもいいと思ったー椅子の足を掴んで、ジョンの顔目がけて投げつけた。しかし今度はある程度反応できたようで、ジョンは顔と頭をガードした。
だがそれが狙いだった。
その隙、ガードの空いた鳩尾に鋭く蹴りを入れる。
「ガハッ!」と、ジョンは刃物を手放し、その場に倒れ込む。私は地面を蹴って、倒れたジョンの上に両足を落とし、その腕を掴んだ。これはいわゆる腕肘十字固めで、柔道の技であるが、兄貴と喧嘩しておくもんだなあ、と今や遠い昔を懐かしんだ。あの頃、私はやられる側だったが。
「ぐううう」
しかし、この体とジョンにはそれなりに体格差がある故、どれくらいもつかは懸念であった。
「う、あああ」
なので、今のうちにちゃんと会話をしておこうと思った。
「人の寝込みを襲うたぁ、どういう了見だ、言え!」
「ぐぐぐ」
「ああ?聞こえないんだが!?」
「うう」
「言え、て、言っているんだよ!」
ジョンはようやく口を割った。
「ひ、め様のためっ……だ……」
姫様のため?
と思った瞬間、どうやら私の力が緩んだようで、ジョンは技から抜け出てしまった。しかし、すぐさま立ち上がった私がステップを踏みながら戦闘体制に入ったので、刃物を失ったジョンはその場で躊躇した。
私は聞く。
「姫様が!!お前に!!私を殺せと!!そう、命じたのか?!」
「……違う。姫様はそのようなことは言わない。あの方は『アリア』様をとても大切にしておられる」
「いや、話の筋がよくわからんのだが?!」
「俺の判断だ」
ジョンは金色の瞳でこちらを睨みつけた。
「俺の判断で、『アリア』様を殺そうとした!」
そして、項垂れた。
「……そして自害しようとした」
「いやいや待て待て、何だあお前は!!情緒不安定か?!!どうした、話きこうか?!!」
「煩い!」
ジョンは再び顔をあげた。
「お前の存在は!!!姫様に災厄をもたらす!!!だから消すべきなんだ!!!!」
「お前の方が煩いわ!!落ち着けよ!!災厄ってなんなんだ!!!!」
「禁忌なんだ!」
ジョンは顔を顰めて、本当に、悔しそうに、言った。
「降霊術は……禁忌なんだ……!!」
コウレイジュツ。
「禁忌に姫様が関わったことが知れれば……!!……ッだから!!その証拠を……!!!」
キンキ。
「なんだ、それは……」
私は途方に暮れてしまった。
姫様の腹の内など、私はわかっていなかったのか。
「……いや、」
ならば、『知れ』ということか。
「『コウレイジュツ』とはなんだ」
私は足を止め、ジョンをまっすぐ見た。
「『キンキ』とは、なんだ!」
ジョンは口淀んだが、やがて観念したように口を開いた。
「降霊術は、魂を神域から降ろす術、だ」
「は?」
「その結果は、お前自身がよくわかっているだろ。『アリア』様の中にいる、お前だ」
「……あ」
前世の記憶!
「前世の記憶!!」
「……記憶は魂、その者自身。それを、この世界の器に降ろす。それが降霊術……だが、これは禁忌の術だ……神域は、人が関わっていい場所ではない」
なら何でそんな術があるんだ。
というか、
「何で姫様はそんな術を知っているんだ!」
「俺が教えた!!」
ジョンは抑えられない感情を吐き捨てるように、床に向かって叫んだ。
「俺が、教えてしまったんだ!!迂闊だった……侮っていた!!やるとは思わなかった!!姫様も!!『アリア』様も!!」
そして私、いや『私』を睨み返した。
「本当にやるとは思わなかった!!!」
私は、思った。
そりゃ、お前、侮りすぎだろう。
姫様も、『私』も、それほどまでに追い込まれていたんだ。
「だから上手くいかなかった時、正直ほっとした。やはりあってはならないことなのだと……なのに、今さになってお前が!お前が現れた!!だから、俺は!!お前を殺すほかなくなった!!」
姫様のために。
「……だが『アリア』様は姫様の大切な…大切なご友人だ。この手を持って、その方を殺すならば、その後の始末は自らつけようと思った……」
降霊術を教えてしまった責任をとって。
私は何だか腑抜けてしまった。
殺すだの自害するだの、とんだ飛躍理論だけど、コイツ……ジョンは、ある種の純粋無垢で、根はむしろいい奴なんじゃないかと、そう思った。
だから、
「わかった。じゃあ、私がそれを言わなきゃいいんだな」
するとジョンも、腑抜けてしまったような、気の抜けた声を出した。
「は…?」
「だから、私がぜーーーーったい、だれにも!降霊術のこととか…前世のこととか!言わなきゃ……バレなきゃいいんでしょ?それならオールオーケー。姫様も安泰だ、はっはっは」
「お前…舐めてるのか!!」
ジョンはまた激昂した。この数分の間でわかったことだが、この男は割と感情的になのだ。
ジョンはもう一段、怒りのギアを上げる。
「どんなことがあっても!!たとえ死よりも辛い拷問を受けたとしても!!言わない確約ができるのか?!できないだろう!『アリア』様ならともかくも、お前などに!!」
そしてこれは私の、悪癖と言っても過言ではないのだが、男に上からがなり立てられると、どうしても、どうしても、同じテンションになって言い返してしまう。
「ああ?!お前こそ、私を舐めてんだろコラ!!ああ、じゃあここでやってみろよ!!私に拷問でもかけてみろよ!!ひとっことっも発しないで、今晩中耐え抜いてやるわ!!」
これは私が、屈強な兄二人の圧政の下で育ち、揉まれ、取っ組み合って生き抜いてきたという、ある種の証なのだ。
「そんで朝になりゃ、うちのメイドに見つかって、お前なんて即刻姫様の元に送り返しだ、バーーーカ!師範代がお役御免だなあ?ざまあないわ、ハッハッハッ!」
多分、ジョンの知る、所謂『アリア』様とはだいぶ異なる態度なのだろう。
ジョンは、信じられない、と言った具合に、目を見開いて、というか若干引いて、黙ってしまった。
私は正直に、やりすぎたな、と思い、深呼吸をしてから、ゆっくりジョンに話しかけた。
「誓うよ。言わない。何があっても。姫様と、ジョンと、『私』…私たちの秘め事だ」
そして、あ、と思いついてこう付け足す。
「ついでに、ジョンが私を襲ったことも、姫様には秘密にするよ。独断なんでしょ?これ。はは、バレたらお前、本当に更迭されっかのしれないしな」
私がカラカラと笑うと、ジョンはまだ何かあるかのように「ぐぐ」と唸った。私はふう、と肩を下げる。
「信頼できないのはわかる。ていうか、まあ、正体不明の存在だよな、前世の魂?とか。私もよくわからんし」
「いや、」
ジョンが思わず、と言った具合に口を挟む。
「お前の性質は、神域を視る占いで、ある程度わかっている」
「ああ、姫様もそんなこと言っていたな」
「……確かに、お前は、野蛮で粗暴で能天気だが、意志も意地も強い……お前が『言わない』というのなら……言わないのだろうな」
やはり、ジョンはいい奴なのだ。
「はは、前半部分はさておき、褒め言葉として受け取っておくよ」
「ただし!俺がいる限りは監視はさせてもらうからな!お前の場合、『言わない』かもしれないが、『言ってしまった』はありうる!」
「ははは……自由にしてくれ」
と、いうわけで。
ジョン襲撃事件(秘匿)はひとまずなんとか幕を閉じた。
私はジョンを返し、散らかしたものを片付け、一応別の寝着に着替えて、軽くストレッチをしてから、再度眠りについた。
そして夜が明けた!
「おはようございます、アリアお嬢様」
翌朝。
私を着替えさせるために、エブリンと2人のメイドが私の部屋にやってきた。私は何食わぬ顔で「おはよう、今日もよろしくね」というと、いつも通りされるがままになった。慣れたものだ。最初のうちこそ、着替えくらい自分でできるんだけどな…などと思っていたのだけれど、この世界の服のセットーー私が着る服は本来男性が着る服らしいーーは存外複雑な構造をしていて、これらの着方を覚えることを放棄し、素直にメイドたちに任せることにした。
「アリアお嬢様」
髪を結われている私に、エブリンが一礼をして、話しかけてきた。
「本日はどのように」
私は「あ〜…」と考えるようなポーズをしつつも、最初から決めていたことを口にした。
「ジョンと話してもいい?今後のこととか、色々話しておきたいの」
するとエブリンは若干眉間に皺を寄せたが、すぐに元に戻して、言った。
「承知いたしました。それでは後で、ジョンをこちらに寄越しましょう。声をかけておきます」
「うん、ありがとう」
そうして、一通り身支度を終えると、私は立ち上がった。
朝食の時間だ。
昨晩、なんやかんやで暴れ倒したせいか、今朝は一層お腹がすいた。
おお、今日の朝食はいつも以上に楽しみだ、と思いつつ、ふと思い立って「エブリン」と声をかけた。
「お母様の容態は、どうかな」
あの、父がこの屋敷に襲来した日の翌日から、母は体を壊し、部屋に篭りがちになっていた。家付の医者を呼び、様子を見てもらったが、今はとにかく療養とし、栄養をつけないとだめだ、とのことらしい。
いろいろ、ありすぎたのだ。
長い間、ずっと。
それがその夜で頂点に達し、決壊したのだ。
ある意味でその背中を押してしまった者として、私は少なからず自責を感じていた。
「奥様は…」
エブリンは言った。
「全部、とまではいきませんでしたが、今朝は、よく朝食を召し上がられていましたよ」
「…!そう、それは…よかった」
そう、安堵した私に対して、エブリンは少し威圧感のある笑みを浮かべた。
「昨晩の、お嬢様たちのお元気な様子に。触発されたのかもしれないですね」
ははは。
バレテーラ。
内容までは漏れてないことを祈る。
朝食後。
私が自室でストレッチをしていると、部屋のドアからコンコンコンという音が響いた。
「アリア様」
ジョンである。
「入ってきて」
というと、ジョンは扉を開け、無言で中に入ってきた。昨日、あれだけ感情的に喚き散らしておいて、ジョンは今だクールキャラに徹したいようだ。
姫様が関わらなければ、普段は、そうなのだろう。おそらく。
「して、用とは?」
「いやいや、自分の役割を忘れないでよ」
私は前屈していた体を持ち上げ、立ち上がった。
「教えて欲しいことがある!いろいろ聞き出したいことは山ほどあるけど、とりあえず最初にこれを聞いておきたい!」
ジョンは黙って、私を見た。
至極わかりにくいが、おそらく了承の合図だった。
私は続けた。
「この世界、魔法!あるよな?!」