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(53)波のゆきさき・中編

一晩中、休むことなく馬を走らせた。

北部商人に借りた馬は騎馬ではない分スピードには欠けたが、走り続ける持久力があった。馬たちには、あの毛むくじゃらのオヤジたちのような、過酷な環境でもガハハと笑い退ける力強さがあった。

聞いていた通り、ヨルヴィン〜フルヘル港間の道はよく舗装されていた。なので余計な障害もなく安定して走ることもできた。


そうして私たちがフルヘルに辿り着いたのは、日の出から数時間経った頃だった。

フルヘルは北から流れ込む大河の入江に位置する港街である。

街は遠くから眺めると、赤いキューブのような物体が整然と並び、蜘蛛の巣が張ったような棒がゆらゆら揺れている印象だったが、近づいて見ると、それらはレンガ倉庫と、帆をたたんだ船のマストだった。

塩の香りに乗って、朝早くから働く船員たちの威勢の良い掛け声が聞こえてくる。


「小隊長。そっちは港です」


ピーターが言った。

彼はすでに地面に降りていて、馬上の私を見上げていた。


「私はまず街に行かねばなりません。あの『作戦』のために…!」


午前中の眩い光の中、ピーターの目は煌めく水面のように燃えていた。

それは騎士としてというよりかは、元仕立て屋としての熱情のようだった。


「おい傷顔、お前……マジでやるのか?」


と馬上で、私の前に座っているオードリーが、やや不安な顔を私に向けた。

私は「トーゼン」と胸を叩いた。


「私は今から『ミステリアスな御令嬢』になる……この作戦でオードリーを逃すッ!」



アリア・サマセット。

男装の近衛騎士でしたが、交易貴族の令嬢に『女装』しました作戦。

ピーター考案のこの陽動作戦は、聞こえはアレだが理に適っていた。

というのも、港は労働者や商人、船乗りなどいわば平民階級の場所であり、(まあ騎士団もそうだが)男社会であった。

そんなところに貴族の、しかも御令嬢が現れたとなれば、かなり目立つ。当然、港にいる警備隊も目を光らせるだろう。


御令嬢はピーターの言うところの『灯台』になるわけだ。


最もらしい名前、最もらしい護衛、そして最もらしい格好で、貴族の御令嬢として『変装』する。

そして『交易に関わる貴族』として、「父の仕事に興味があるの」という素振りで商船に近づく。

商人や船乗りたちは急に来た謎の女だとしても『御令嬢』を無下にはできない。もしかしたら、手を擦り合わせて、接待してくれるかもしれない。


『灯台』はさらに輝きを増すだろう。


そのようにして何重にも作り出された隙に、オードリーが商船に密航できれば、作戦成功なのである。



この作戦を行う上で、私たちにはいくつか必要なものがあった。

それらは主に私の変装道具であったが、もう一つ重要なのが、情報であった。


「貴族の御令嬢になりきるのに、流石に架空の名前じゃ説得力がありませんね……」


そう不安の影を目元に下すピーターに、馬から地上へと降り立った私は首を傾げた。


「サマセットの名前を使えばいいんじゃないか?実際私サマセットだし」

「いや……七家の名は広く知られていますから、小隊長の身元が割れてしまいます…!」

「ぐぬぬ、確かに…」


私は腕を組んで顔を顰めた。

確かに、国を統べる七家の一つ、(本物の)サマセットが現れたとなれば、悪い意味で目立ちすぎてしまう。

そのため船乗りの印象にも残りやすく、後々になってサマセットの名から、オードリーの行き先を調べられる危険性があった。

『御令嬢』はミステリアスでなければならない。


「つまり実在するけど、偽っても問題ない名前かァ……」


私は腕を組んだまま、首を限界まで捻り上げた。

が、頭を傾けたところでいいアイディアが振り落ちてくるわけでもなかった。


「じゃあ、それらしい交易貴族がいないかは、俺が調べよう」


と言ったのは、ジョンだった。

私は「マジか!」と期待を膨らませて、首をジョンの方へと回転させた。

うってつけであった。

ジョンはこれまでにも、こういった諜報活動を得意としてきた。私自身、何度もそれに助けられてきたのである。

漆黒のローブを纏ったジョンは、フードの下で金色の瞳をひらめかせて、「だが」言った。


「それも生かすか殺すかは……お前次第だぞ」


私の心臓は、一段高く跳ね上がった。

そうだ、この『御令嬢に女装作戦』は、ピーターがいかに上手にコーディネートしたとしても、ジョンがいかに使える情報を手に入れたとしても、最終的には私が上手く『御令嬢』を演じられるかにかかっている。


上手く、できるだろうか……?


私の脳内に、これまでの素行が蘇る。

色々あって『アリア』に入っている私ではあるが、結局私は私のまま、ここまできてしまった。

今更、いわゆる『御令嬢』など、演じられるのだろうか……?


だが、やるしかない、と私は拳を強く握りしめた。やってやる、やってやるのだ。


「任せとけ」


私は拳を、前に差し出した。

ジョンは頷いて、私の拳を軽く殴った。


こうして、私たちは変装道具を、ジョンは情報を手に入れるために、街へと向かった。

そしてお互い準備が整ったら、街と港の境目にある白亜の海神殿ーーザ・ディープに集合しようと約束し、別れた。



御令嬢変装道具調達組は、私、ピーター、オードリー、そしていまだ人質として連れ回れるカムデンという、なんだかんだの大所帯となった(ソールは私の、ユールはカムデンの影の中に入った。どうやら双子は引き続き、私らを監視するようだ)。

この側から見たら妙な取り合わせの四人組が、フルヘルの街に着き、最初に訪れたのは庶民的な衣類店だった。そこでは旅人や行商人向けの実用品が扱われていた。

店内に入ると、ピーターは慣れた様子で歩き回り、商品を物色し始めた。

その様子を怪訝に眺めながら、


「ここで何を買うつもりなんだ?」


と尋ねると、ピーターは商品棚から目を離さずに


「ローブを二着買います」


と答えた。


「私と、レノックス小隊長用の変装道具です。私たちは『御令嬢』の護衛役をやるわけですからね」

「……それならもっと、兵士だとか執事みたいな格好がいいんじゃないか?」


するとピーターは「いえッ!」とらしくないほど強めの否定をした。


「そこは節約します。小隊長の御令嬢化に全振りしたいので」


使える路銀は余っていた。

というのも、ベルミナで狩猟をした際に獲った雄鹿の角が、市場でいい値で売れたからである。

ピーターとしては私を飾り立てるのに、できるだけ金をぶっ込みたいようであった。


「従士殿のローブはちょうど都合がいいので、真似させてもらいましょう」


私は、従士殿ーージョンが着ている漆黒のローブを思い出す。


「ちょうど都合のいいって……アレが?」


ピーターは「ええ」と商品同士を見比べながら、言った。


「私たちは姿を覆い隠せますし、なにぶんのモノトーンですから、『御令嬢』のいい引き立て役になります」


港に現れた黒いローブの男たち。

彼らに護られ、その中央を歩く、華美でミステリアスな『御令嬢』ーーーー。

「確かにそれは……目立つだろうな」と、私は頭の中で想像の羽を広げながら言った。

「こういうのは、やりすぎなくらいがハッタリが効きます」とピーターが鼻息を荒くして応えた。


幸い、ちょうど都合のいい感じのローブはすぐに見繕われた。ピーターはそれらを購入すると、早速その場でローブを羽織った。

人質カムデンはいまだ両手を縛られたままだったので、私がローブを着せてやった。

カムデンは頭をすっと下げ、やけに素直に従ったので、私は眉根を寄せた。そしてフードの被さったスキンヘッドが上がる時、はたと私とカムデンの目が合った。カムデンの黒い瞳は一度大きく揺れたように見えたが、すぐに平静に戻った。


「……いやに静かじゃないか」


私は言った。


「少しは抵抗するかと思ったぞ」


カムデンは私を見下ろすと、少し間を持たせてから、淡々とした声で言った。


「ワタシは…………『今』できる最善を尽くしてる」

「じゃあ今の所は……私たち、味方ってことだな?」


カムデンの背後には、常にユールの監視がついている。私か、カムデン本人が反抗したら、即座に殺せるように、オードリーの側近がついている。

それは背後にソールが控えている、私も同じ状況であった。

しかし私の問いに、カムデンは答えなかった。

私は肩を竦めると、カムデンを見上げた。


「いいじゃないか。呉越同舟、乗り掛かった船だ。お互いにため、共にオードリーを逃してやろう」


私は思わずカムデンに、握手の手を差し出したが、カムデンの手は縛られたままなのであった。

まあ、だからこそカムデンは、今素直なわけだが……と、私は行き場をなくした右手を、宙でにぎにぎとした。

そしてと元の位置へと戻した。


「なあー、あたしは変装しなくていーの?」


そんな気まずい空気を一掃するような、好奇心に満ちた声が脇から上がった。

カムデンから目線を下げて横を向くと、オードリーがわくわくとした表情をしていた。

オードリーは再び目深く帽子をかぶっていたが、その奥で瞳を煌つかせていること間違いなかった。

私は少し気が抜け、嘆息した。


「オードリーまで目立ってどうする。むしろそのままでいーんだよ。その辺にいそうな子供のままで」


するとオードリーは口を尖らせて「ちぇ、つまんなー」と床を軽く蹴った。私は「大陸に行ったら好きなだけやれ」と手を振り上げて言った。


「小隊長!」


黒いフードを纏ったピーターが言った。


「我々の準備は済みました。次は小隊長の番……行きましょう、婦人衣類店に!!」


ピーターの顔は最早紅潮していた。

彼にとってはここからが最高潮なのだろう。

私はそれに「応よ」を押され気味に頷いた。

一体私はどうなってしまうのだろう、と、私自身いささか緊張していたが、今は素直に勇足で先へ行くピーターの後に続くことにした。







その白い大理石の円形神殿は、街の終わり、港の始まりに荘厳かつ静謐に鎮座していた。

周囲には柱が均等に並んで円を作り、上のバルコニーを支えて、下に薄い陰を作っていた。バルコニーのさらに上にドームが被さっているようだが、いかんせんデカい建築なので、青いのがわかるだけで全容は見えなかった。

ザ・ディープと呼ばれるこの神殿は、海の神を祀っているらしい。

そのせいだろうか。中に入ると外界の音は分厚い壁に遮断され、しんとしていたが、不思議と波がざわめくのだけは耳に届いた。

今は昼まで皆仕事中であるためか、神殿への来訪者が皆無だった。

それもまた、この異質な雰囲気の一員を担っているのかもしれなかった。

天井付近の小さな窓からは、内壁へと太陽光が差していた。内壁は軽く凹凸しており、神殿内へ進むたびに異なる光の形を見せた。その様子はまるで海の中にいるような錯覚を、私に与えた。


「……ジョンはまだ、来てないのか」


約束の集合場所に、ジョンの姿はまだなかった。

こちら側の準備にはやはりそれなりの時間がかかったし、ジョンのことだから手早く情報収集を済ませてくるものだと思っていたが、どうやら私たちの方がいくらか早かったらしい。

私は手持ち無沙汰になり、神殿奥の壁面に彫り刻まれた、海神らしきレリーフを見上げていた。

すると、


「…………アリ?」


という、間の抜けた声が静寂な神殿内に響いた。

私は思わず、小さく笑ってしまった。

この世界において、私をそう呼ぶのはただ一人しかいない。しかし通常、周りに人がいる時にはけしてその名を使うことはなかった。

故にその者の気が、今いかに動転しているのか、私はそれだけで手に取るようにわかった。

さあ、奴の驚いた顔を見てやろう。


「ジョン、遅かったな」


私が振り返ると、そこには思った通り、いや思った以上に驚愕しているジョンの姿があった。

私を見つめるジョンの瞳は満月のように丸くなり、唇は弛緩して半開きになっていた。


「どうですッッ従士殿!」


言葉を失って突っ立っているジョンの代わりに、ピーターが躍り出て、語り出した。


「引き締まった腰、軽やかに広がるシルクスカート!小隊長にはやはり、ライトブルーのドレスが似合うと思いました!」


ピーターは自分の作品を解説するかの如く、長細い指先で私の胸元を指し示す。


「ネックラインはハート型にしっかり広げて、ボディス部分は濃紺のリボンで上品に結び上げて!袖は流行りのスラッシュド・スリーブでしょう!」


興奮と恍惚の表情で、ピーターはうっとりと私の上腕を眺めた。


「切れ込みから覗く白いレースがまた美しい……」


その傍ら、私は内心苦笑していた。

コルセットによるキツい締め上げが、ピーターの語る優美さからは酷くかけ離れていたからだった。

鴨の水かきとは良く言ったもので、なるほどコレはなかなかに息苦しい。

同時に前世でもこの世界でも、このように胸を出して着飾ったことがないせいか、背中に走るむず痒さが心臓を圧迫していた。

単純に言えば、少し恥ずかしかった。


「あ、ああ……」


と、ジョンも何か息ができないかにように口淀みながら、


「髪型も……変えたんだな。あと帽子も……」


と、シンプルな事実だけを述べた。

「そうッ!よくお気づきでッッ!」とピーターは手に先をジョンに向けて、作品解説を再開し始めた。


「お髪は両脇に下ろしてカールを施し、当世風に仕上げましたとも!そして最後に、ほんの少しのスパイス……ベール付きのボンネット帽です!これは外来品のようで、この国では珍しいものですが、お顔を隠すのにちょうどよいですし、何より港で目立つことこの上ないでしょう!」

「ついでながら」


私は恥ずかしさを抑えつつ、脇からある小道具を取り出して、顔の前でパッと開いて見せる。


「扇子も買ってみた。これで顔の傷も誤魔化せる。どうだ、ジョン?これで『ミステリアスな御令嬢』のガワは用意したぞ!」


ジョンは、口を半開きにしたまま、黙っていた。

束の間の静寂が私たちの間に流れ、波音だけが神殿の中に響いていた。

「……ジョン?」と私がもう一度言うと、その声はようやくジョンの鼓膜を刺激したようで、ジョンは目線をぐるぐる動かした後、最終的には伏せた。

そして口元に手を、ジョンは何かを呟いた。

しかし残念ながら、波の音にかき消され、私には聞こえなかった。


「おーい」


私は強制的に締め上げられた腰に、両手を当てる。


「私はお前が手に入れてきた、『御令嬢』の中身が気になるんだか?」


すると、ジョンは「ああ、うん……」と顔を上げた。


「……そうだな、お前、ガワは『アリア』様だからな……」

「は?」

「いや、それでいい」


ジョンは断定するように言い切り、いつもの顰めっ面を向けた。


「上出来だ。俺も、それに合う中身を持ってきた。それと同じくらい上手く使いこなしてくれ」


そう言って、ジョンは集めてきた情報を私たちに共有すべく、こちらに向かって足を進めた。


元から漆黒のローブを着ているジョンが輪に加わり、私たちは御令嬢モドキ+ローブの男三人+子供、という奇怪な一座となった。

現時点ですでに相当目立つ集団と化していたが、幸い神殿内はほぼ私たちしかいなかったので、掃除夫に微妙な目を向けられるに済んでいた。

ジョンは声を低めて言った。


「俺としては、ヴァーナム家の令嬢に扮するちょうどいいと思ってる」


私は「ほう」とわかったように顎に指をかけたが、実際は何も理解していないので、「で?」という目線をジョンに投げた。

ジョンはさもありなんという調子で首を振り、ヴァーナム家について話始めた。


そもそもヴァーナム家は、貴族ではない。正確には貴族に限りなく近い、豪商である。

先の内戦終結時、戦後の不安定な時期を商機と見たヴァーナム家先代当主は、国外に羊毛を、国内に塩を流通させ、一代で大きな財を成した。

また同時に大陸商人との繋がりで南方産のタバコを仕入れ、高級嗜好品として流行られたことから、貴族階級の間でも名が知れ渡るようになった。

『煙のヴァーナム』と、時には蔑んで、時には憧れて呼ばれるのは、それが所以である。


「ああ、『ヘイジィ・ヴァーナム』ね。その名前なら聞いたことあるよ」


と会話に入ってきたのは、意外にもオードリーだった。


「商人たちの間でも噂されてたね。正式な貴族の位はないけど、それくらいの財力と影響力があるって話」


「ま、そのうち娘でも送り込んで、位を手に入れるじゃない?」とオードリーはしたり顔で肩をすくめた。

今からその位を捨てる彼女が言うセリフとしては、なんとも皮肉が効いていた。


「……で、私はその『煙の娘』になればいいってわけね」


ジョンは「ああ」と頷いた。


「彼女が言った通り、ヴァーナム家は有力だが、正式には貴族ではない。だから娘らをデビュタントできていない」

「……デ、デビュ……?」

「……成人した女性として宮廷に赴き、王に謁見することだ。それができていない……つまり、娘らの顔が世間に知られていない」


私は「なるほど」手の上を扇子でパチンと叩いた。


「だから扮するのにちょうどいい!」

「もちろん公的な場所で『ヴァーナムの娘』を語るのは難しい。だがこれから行くのは、忙しない港だ。ついでだが俺も、いくらか『小道具』を用意した」


ジョンは揺るがない視線で、私を見つめた。


「あとは任せたぞ」


私も真っ直ぐジョンを見返して、頷いた。

それからピーターに対して頷き、オードリーに対して頷いた。

最後に私はカムデンを見た。カムデンはフード下の影の中で肯定とも否定とも取れない、無色彩な表情をしていた。

貴族の娘でありながら騎士をする『アリア』や、貴族の位を捨てるオードリーに向けていた、嫌悪に近い感情さえも最早ない。ただ在るのは二対の黒い瞳だけで、それは息を潜めて辺りを伺う野生動物にも似ていた。


『今』できる最善、か、と私は思った。

……カムデンが尽くす最善が、このまま無事に続けば良いが。


そのような一抹の不安を残しつつも、私はみんなに向けて「よしッ!準備完了だ」と扇子を握りしめた。


「行こう。『御令嬢、港に登場で注目の的』作戦ッ!」


そして、慣れないヒールで一歩前に進んだ。


「および、『オードリー、その影で商戦に密航』作戦の開始だッ!」






一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます

https://t.co/YrR7qkmi8z


(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)


コメント、ブクマ、評価等いただけるとめちゃくちゃHAPPYです!

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