(51)誰が為の力③
「な、なんだってええええ?!?」
私は驚愕のあまり声を張り上げた。
両手両足を縛られていなければ横転でもしていたことだろう。私を昏倒させた、急所への二撃よりも多い、三つの真実が頭をガンと殴打したのだ。
「……お、おまっ…おまえ……」
一つは髪の短さや粗雑な態度から、少年だと思っていた子供が、実は少女であったこと。
二つはその少女が、北部遠征の最重要目的、私たち近衞騎士が『捕獲のち王都へ連れ帰る』べき対象、キャンベル家の遺児その子であったこと。
そして三つは……。
「きょ、協力要請だああああ?!?」
そこまで言って、私は咽せた。
ゲホゲホと荒く咳をする私を、キャンベル家の遺児オードリー・キャンベルは「ギャハハ、ダッサ!」と指差して笑った。
私は目端に涙を溜めながら、納屋の入り口、光の下に立つオードリーを睨み上げる。オードリーは「おっと」と意地悪くニヤけて、肩をすくめた。
私の中に『キャンベル家の遺児はこういう子』という確かな像があったわけではないが、何というか……こういうイメージではなかった。
「貴様が……キャンベル家の、生き残りだと……?」
カムデンが言った。
その声は疑惑と動揺で波のように抑揚していた。
「嘘をつくな……どこにその証拠がある……キャンベル家の人間が、ヨルヴィンにいるはずがない……!」
そうだ、と私は思い出す。
ヨルヴィンは王都からの駐留軍・ノースウォッチが占拠している街だ。ノースウォッチは文字通り旧北軍を監視する軍隊で、故にヨルヴィンは王都の飛地と言っても過言ではない。
対してキャンベル家は、先の内戦にて現王家率いる南軍と激闘した、北軍の将だ。南軍勝利後は賊として多くは処断された一方、北軍残党からは王家打倒、北軍再興の芽として求められる立場にある。
事実、千秋祭での北軍残党によるクーデター事件は、国王謀殺し、この『キャンベル家の遺児』を新王として擁立する目的で行われた。結果的にクーデターは失敗に終わったが、このアイディア自体は今も生きているだろう。だからこそ北は遺児を護り、南…王家は遺児を確保したいのだ。
つまりはーーーー王家寄りの街はヨルヴィンは、北の希望・キャンベル家の遺児にとって、むしろ敵の渦中というわけである。
……というか、私たちが聞いていた話ではキャンベル家の遺児は、これより北の街・エンフェルにいるはずじゃあなかったのか?!
カムデンの言葉に合わせて、私も疑いの目をこの少女に向けた。
疑惑の少女は口をへの字に曲げ、やれやれと首を振った。
「質問の多いハゲだなあ〜」
「ハッ…?!」
さすがのカムデンも、これには閉口したようだった。
確かに彼はスキンヘッドではあるが、何かとカムデンと衝突する私でさえ、この手の形容はしたことがなかった。
オードリーは憮然として腕を組んだ。
「あたしを捕まえに、近衞騎士がエンフェルに向かっていることは知ってた……知ってて、じっとしてるわけないじゃん?だから逃げたの」
「逃げたっておま……」
私は口を挟む。
「何でヨルヴィンに……?ヨルヴィンにはノースウォッチが……自分からわざわざ捕まりに来たようなもんだぞ?!それに……」
私の脳裏に、ヨルヴィン門前の光景が浮かぶ。
門兵たちは街への出入りを、それこそ穀物袋に紛れ込んだネズミ一匹至るまで、厳しく監視していた。その結果街に入れず、城壁外で野宿する羽目になった者たちも沢山いたはずだった。
「それに……お前がキャンベル家の者なら、ヨルヴィンに入る前にバレるはずだろ!」
だから『怪しい者』がいたならば、そもそも街に入る前に捕まるはずなのだ。
カムデンの言う通り、オードリー・キャンベルがヨルヴィンの中に、平然と存在していること自体、おかしいことなのである。
しかしそのような私たちの動揺など素知らぬ様子で、オードリーは「近衞騎士って、みんな質問攻めが好きなの?」と可笑しそうに笑った。
そして金褐色の髪を指に巻き付けると「ん〜まあ、閃いちゃったんだよね?」と毛先をカールさせて遊んだ。
「灯台下暗しってやつ?普通はお前みたいに考えるだろうから、ヨルヴィンって逆に安全かもって」
オードリーはピンと髪の毛を弾く。
「一応対策はしたよ。髪もバッサリ切ったし、顔も帽子で隠した。懇意の商人に頼んで『手伝いの子』ってことにしてもらった。もちろん入門の時点で一発アウトなパターンもあっただろうけど……」
そしてその無邪気な顔に、不敵な笑みをひらめかした。
「うまく行った。商人たちの中に通行証持ちがいたのがよかったね。ま〜ちょい賭けだったし、『親子にしては似てないな』って怪しまれたけど、男の子は母親に似る…なんて話もある。門兵も思う所があったのか、それを信じてくれた。バレたら逃げるしかなかったけど、ま、成功したしオッケー」
私は言葉を失った。
つまり彼女は、「まさかヨルヴィンに『キャンベル家の遺児』がいるわけない」という考えを逆手に取り、敵の懐が一番の隠れ家だと踏んで、自ら飛び込んで来たと言うのである。
「まじか…」と私は独語した。
もし失敗していたら、オードリーはどうするつもりだったのだろう。それこそ一発アウトだ。門兵かノースウォッチかに捕縛され、結局は近衞騎士に受け渡されていただろう。
「無茶苦茶だろ……」
私は嘆息した。
もし私がジョンであったなら、オードリーの無謀な行動に呆れて、頭を抱えていただろう。
失敗したらどうするつもりだったんだ?逃げればいい、と言っても限度がある。それこそ鹿が、高く鳴き声をあげて自ら居場所を猟師に教えるようなものだ。
なんて……考えなしなのだろう、と私は思った。
そう思ってオードリーを見上げた。
金褐色の短髪に美しいエメラルドの瞳を持つ少女には、根拠のない勇気が豊満していた。
その無鉄砲な度胸が、今の私には瑞々しく輝いて見えた。
私には、わかってしまった。
彼女にとって重要なのは行動であり、成功や失敗はただの副産物でしかないのだ。
「……それが、どうした……?」
そう怒気が僅かに孕む声で言ったのは、カムデンだった。
「今だ貴様が……キャンベル家の者だという証拠はない……!」
「証拠、ねえ……」
オードリーはまだ幼さを残す滑らかな顎に指を当てた。
「仮にあたしがここで血を流したとして、お前はその血の中にキャンベルの家紋でも見るの?アホくさ、証拠なんて何も……」
「オードリー様」
横から声がかかった。
オードリーの両脇に立つ、人形のような双子である。ユールだかソールだかどちらかわからないが、とにかく双子のうち黒目しかないほうは、腰を屈めてオードリーに話しかけた。
「シグネットリングをお見せしてはどうでしょう」
男にしては高く、女にしては低い、中性的な声だった。
黒目の提案にオードリーは「あ、そうか」と、首にかかっている細い銀の鎖へ指をかけた。そして「つい忘れちゃうんだよね~コレ」と、鎖を上へと引き出す。
それは長いネックレスのようだった。オードリーの手に合わせて、服の下に隠れていた鎖の先端が外気へと晒される。先端には何かがついていた。指輪だった。
オードリーはその金指輪を無造作につまむと、「ん」と台座部分を私たちに見せた。
「ひゅっ」とカムデンが息を飲む。
指輪の台座には、白い薔薇の紋様がついていた。
「純白の薔薇。キャンベル家の紋章でございます」
双子の、白目しかない方が恭しい調子で言った。
「白薔薇のシグネットリングを持つ者、それはキャンベル家の血を引く者以外はあり得ません」
「ま、待てッ!」
カムデンが焦った声で言った。
目の前に提示された紛れもない、だか承服できない証拠に対して、どこかに穴がないかと必死に探しているようでもあった。
「ぎ、偽造品という可能性がある……!」
しかし白目はゆっくりと首を振り、今度は黒目が口を開いた。黒目と白目は全く同じ声をしていた。
「指輪の材質は金でございます。容易には手に入りません」
「金など…裕福な商人であれば手に入る!」
「この白薔薇の装飾は、キャンベル家抱えの技師よって彫られています……残念ながらすでにこの世にはいらっしゃいませんが、それ故に偽造は不可能でございます」
「ぐッ…」とカムデンは短い唸り声を上げた。彼の中では今だ疑惑の念が渦巻いている様子だったが、双子の言葉があまりに滑らかなせいか、反論の余地を失ったらしい。カムデンは再度何か発しようと短く声を上げたが、それはついぞ言葉にはならなかった。
本物、なのかもしれない。
私は、判断に窮していた。
彼女は身分を偽ってまで、ヨルヴィンに入り込んだ子だ。指輪の偽造くらいはやってのけるかもしれない。
しかし同時にキャンベルあることを隠す傍ら、キャンベルであることの偽装工作を行うだろうか?
いくら無謀な子供とはいえ、その行動は明らかに論理性に欠いていた。
私はゴクリと唾を飲み込んでから、少女に尋ねた。
「じゃあお前は…本当に……キャンベル家の遺児…なんだな……?」
オードリーは翠玉色の瞳をひらめかせ、「この状況で嘘をつくわけないでしょ」と、指輪共に胸を張った。
「あたしはオードリー・キャンベル。紛れもなく、お前たち近衛騎士が探しているキャンベル家の生き残りだ。そしてここは交渉の場。あたしはお前たちに協力を要請したい!」
四肢を縛られている私は、最早その妙な説得力のある自信に満ちた瞳を、信じる他なかった。
協力要請。
その言葉は私の心中に少なからず波紋を呼んだ。
昨今やたらと耳にする言葉だ。
なんせ私は、ジョフリー・タウンシェンドより様々な褒賞をちらつかせられながら、協力を請われたところだった。
カムデンが、同じくジョフリーからの望みで『カムデン・レノックス』となったという話を、今しがた聞いたばかりだった。
そして今度は、オードリー・キャンベルからの協力要請である。
もうそれは聞き飽きた、とでも言いたいところだったが、オードリーの要請は、ジョフリーやもしくは姫様などのそれとは根本的に異なる点があった。
「きょ、協力って言っても……」
その点において、私は狼狽を隠しきれなかった。
「私たちは近衞騎士だ!姫さ…女王陛下から、お前を王都へと連れ帰る命を受けている!お前にとっちゃ……敵みたいなもんだぞ!?」
そして最悪の状況を想起させた。
「ま、まさか旧北軍に寝返れってコトなのか?!」
オードリーが知ってか知らぬか、私とカムデンは互いに小隊長である。兵を指揮する立場にあり、部下を連れて寝返れば旧北軍残党に少なからず利益を与えるだろう。
そういう意味で私たちを捕らえたなら納得いくし、ちょうど旧北軍残党は近衛騎士団(主に第一、第二小隊にだが)に掃討されたタイミングであった。オードリーは自身を護る兵が欲しいのだろうか……?
しかしオードリーは顔を顰めると、「そんなんじゃないって!」と、望んでいた菓子を与えられなかったような調子で言った。
「お前たちの力で、あたしを逃して欲しいんだ」
「にが、逃がす…?」
私はオードリーの言葉を繰り返した。
「逃がすって……ヨルヴィンからか?自分で入ってきたくせに?」
「違う!」
オードリーは一層不機嫌になって、声を張り上げた。
「この状況、この島……この国からだよ!!」
「は?この国?!?」
私も呼応するように叫んだ。
オードリーの発想は、私の想像を優に一足飛び超えていた。
「……まあ、『自分でこの国に帰ってきたくせに』って話、ではあるだろうね」
オードリーは俯くと、やや自嘲気味に言った。
しかしすぐに顔を上げると、「でもでも!」と反論した。そこには先ほどのような、煌々とした自信は残念ながらなかった。
「あたしって元々、大陸で生まれたんだよ?それを…大人たちが勝手に、この国に連れて帰ってきたんだ!」
それは、レイ・ハミルトン小隊長からの手紙にも書いてあったのを、私は記憶している。
なるほど、南北内乱から脱出したキャンベル家の人間が、国外で産んだ子供。
それがオードリーだ。
そして国外で暮らしていた彼女を、旧北軍残党が、王家打倒と北軍復興の御旗にすべくこの国へと連れ戻した……というわけだ。
「それで……ランカスターを倒して、あたしが王になれって?意味わかんないよ!」
皮肉にも、これまでで一番その歳の、おそらく14、5歳の少女らしい主張だった。
それは同情を禁じ得ない吐露であった。
「でも」
同時に私の中には、嗜虐心も芽生えていた。
「でもこの国に戻ると決めたのは、お前自身だろ」
オードリーはびくりと肩を震わせた。
勇敢な光は鳴り潜め、代わりに口端は不安定に揺れ動いた。
「だって…だって!みんなに、あんなに頼まれたら……断れるわけないじゃん!」
「だけど最終的に決めたのは、お前だろ。オードリー・キャンベル」
私は言った。
「……なのに、今更逃げ出すのか?」
私はこの瞳で、血に浮かぶ数々に理不尽を目にしてきた。
中には毒を煽った者もいた。中には断首された者もいた。中には眼窩を抉られた者いて、中には……いや、私が知る以上に、彼女の足元には途方のない血の沼ができているはずだった。
だと、いうのに。
「お前は逃げるのか…?お前にために傷ついた……死んだ者もいるのにッ!なのにお前は……お前1人は全部投げ出して逃げ出すって言うのかッッ!!」
「うるさい!うるさい!うるさい!!わかってるよッッッ!!」
オードリーは怒号した。
「あたしに期待して、みんな戦ったんだろ?!わかってるよ!だから、だからこそ……もうこんなことは、終わりにするんだよッッ!!あたしじゃないと、終わりにできないんだ……だから……だから!お前たち近衛騎士の頼んでるんだよ!!」
「なんでだよ!関係ないだろ、私たちは!!」
「関係あるッッ!!」
オードリーの体は、言葉よりも半歩遅れて反応した。紅潮した少女の頬に一筋の涙が伝った。
透明な雫は丸みのある顎から滴り、彼女の足元へとパタパタ落下した。
私はたじろいだ。
だがそれは、彼女の足元を濡らす涙にではない。
オードリーの宝石のような瞳が深く強く、なおも煌々として燃え盛っていることに、私の心は酷く動揺した。
私の膨れ上がった嗜虐心は、その美しい炎に一瞬にして焼き尽くされた。後には静寂のみが残されていた。
オードリーは言った。
「あたしは……キャンベルを手放す。ただのオードリーになって、世界を流れるんだ」
「馬鹿な!!」
そう焦りの色彩を帯びた声で割って入ったのは、カムデンだった。
オードリーへの猜疑心からか、それまでずっと慎重に黙していたのだが、遂に、といった具合に感情がコントロール外に吹き出してしまったかのようだった。
「キャンベルを手放す?!貴族の位を捨てるのか!何も知らない子供が!理解して言っているのか?!」
「わかっている!」
「わかっていないッッ!!今までと同じ暮らしはできなくなる!その日食べるパンにも困ることになる!命の保障も……」
「それでもいいッッ!!!!」
オードリーの絶叫が納屋の中に響いた。
それは地や壁や屋根に跳ね返って、何度も私の耳を、眠りから覚ますかのように叩いた。
カムデンがまた、何かを言おうとした。が、それよりも先に「それでもいいんだ」とオードリーは強い口調で制した。
「それでも、あたしは自由に生きたい。何も持たず、持たされず、世界中を旅して……それで自由の中で死にたいんだ」
キャンベル家の遺児としてではなく、ただのオードリーとして。
オードリーはそこまでは口にしなかったが、確かに彼女がそう思っているように、私は感じた。
今だ、おそらく彼女の意志とは関係なく流れ続ける涙が、それを代弁しているかのように、私には見えた。
「オードリー」
私は言った。
自分でも驚くほど、私の声色は落ち着いており、そして優しかった。
そんな経験はないはずだが、まるで迷子になっていた我が子を遂に見つけ出し、固く抱きしめる母親のような気分だった。
抱きしめた我が子の感触は、なんだか酷く懐かしいものだった。
「さっき言っていたな。『だから近衛騎士に頼む』って。どうしてだ?なんで、お前の逃亡を近衛騎士に頼む?」
オードリーはようやく自分が泣いていることに気がついたのか、服の袖で乱暴に顔を拭うと、「……これでも、最後の役目は果たそうと思うんだよ」と鼻声で言った。
「北のみんなとは、もう話はつけたんだ。みんなの意見を嘆願書にまとめて、キャンベル家のサインも入れた。それをこのシグネットリングと一緒に、王都にいる女王に届けてほしい」
オードリーは首から下がる、金の指輪を握りしめた。
「あたしは自由になりたい。でもみんなの思いは、ちゃんと届けたい。だから近衛騎士に頼むんだ。お前たちの手であたしを逃し、お前たちの手で嘆願書とリングを届けてほしいんだ」
そして涙でぐしゃぐしゃになった顔で、オードリーは屈託なく笑った。
「これが、あたしの、キャンベルとしての最後の役目なんだ」
私はヨルヴィンの繁華街に、一人でいた。
手足を縛っていた縄すでに解かれ、私は晴れて自由の身となっていた。
街は日常的な情景を広げていた。
人々が忙しなく往来し、会話して、生活している。太陽はわずかに色を残して白く輝き、石畳の凹凸を照らしている。多分今は……まだ午前の内なのだろう。
私はそこで、少しぼんやりとしていた。
つい先ほどまで閉じ込められていた、あの黴臭い納屋とはまるで別世界にいるようだった。
空に浮かぶ雲は少しずつ動き、それを軽々追い越すようにして鳥たちが飛んで行った。
察するにほぼ丸1日、私たちはオードリーたちに捕まって、納屋の中に閉じ込められていたようだった。
そして今、解放された。私、一人だけ。
私とカムデンが捉えられていた納屋は、一応ヨルヴィン管轄内にあるといった具合の、街中からは大きく離れた外苑部にあった。陽当たりの悪い、いわゆる貧民窟だった。
いかに『整備』の行き届いたヨルヴィンとはいえ、そのような影の部分はできてしまう。そもそもオードリー・キャンベルを中に入れて、しかも現段階で発覚してない時点で、何事も完全に完璧にとはいかないのだろう。
灯台下暗し、とはよく言ったものである。
オードリーはカムデンを人質として捕らえたまま、私だけ手足の縄を解き、納屋から解放してくれた。
もちろんカムデンは大いに反発した。カムデンがオードリーに協力する気があるのかは定かではないが、少なくとも自分が人質で、私が解放されることに納得がいかなかったらしい。
しかしオードリーは「傷顔女とハゲ男、どっちが信頼に足るかと言うと…」と随分な呼び名と共に人差し指を立てて言った。
「僅かに傷顔女に分があった。それだけ。コイツはベルミナで、あたしの友達に誠実な態度をとってくれたんだ。お前らからしたら、理不尽な対応だったにも関わらずね」
私はここにきて初めて、あの『ベルミナで食料を売ってくれなかった父娘』がオードリーと繋がっていることに気がついた。
オードリーは私を見て、不敵に片目瞑ってみせた。
「……かと言って、完全に信用してるわけじゃない。だから傷顔にはソールを、ハゲにはユールをそれぞれつける。2人は繋がっている。もし、傷顔があたしを裏切ったとソールが察知したら、ユールは即座にハゲを殺す」
オードリーは何気なくそう言ったが、おそらく本気であろうことは確認せずとも明白だった。
思い立ったことは実行する。それが彼女の基本思想であることは、彼女がここに存在することですでに証明されていた。
「それじゃ、傷顔。協力の準備ができたら、ソールに伝えて。そしたら次のことを教えるよ」
という言葉と共に、オードリーは私を納屋から追い出した。
オードリーは私に向かって手を振り、歯を見せて笑っていた。内にある不安を押し切って、頬を上げたような笑顔だった。
オードリーの後ろ、納屋の中には、まだ四肢を縛られたままのカムデンの姿があった。暗闇の中、カムデンは歯軋りをしながら血走った目で、私を睨みつけていた。その視線は矢となって私へ胸へと突き刺さり、彼の感情を痛みと共に伝えた。
私は俯いた。俯いたまま、暗闇に背を向けて、納屋を後にした。
私へのお目付け役として同行する、双子の片割れ・白目のソールはまた不思議な存在だった。
納屋を後にして、しばらく外を歩いていると、アイスクリームのように溶けて私の影の中に隠れた。
急に溶けたソールを見て、こ、これも魔術なのか…?と私は思ったが、ソールは私に対しては無口だったので、知りようがなかった。
こうして、正体不明の付き人を引き連れつつ、私は一人、ヨルヴィンの日常的な繁華街へと戻ってきたのである。降り注ぐ陽の光が、暗闇に慣れた私の目にはまだ眩しい。
「……ひ、ひとまず…帰ろう……」
そう独語して、私は近衛騎士が宿泊している宿へと歩き始めた。必要に駆られて、というより、そこにしか行き場がなかったからだ。
足を動かすと、血液が体の中を巡るとともに、さまざまな思いが私の中で交差し始める。あれやこれや逡巡しつつも、やはり主題はこれであった。
オードリーに本当に協力するのか?
正直なところ、まだ明瞭な答えは得られないでいる。
そもそも我々には、オードリーを王都に連れ帰るという、女王陛下から賜った至上命令がある。
オードリーに協力する、それ即ち、女王陛下……姫様の命に反することになる。
姫様を害することは……なるべくしたくない。あの夜、あの花々が葬列する温室で「納得のいく世界を授ける」と私は姫様に、誓いを立てたのだ。
しかし同時に、納屋の中「自由に生きてそして死にたい」と涙したオードリーが、私の中の萎んでいた何かを強く刺激したのも、また確かであった。
自由に生きて、そして死にたい。
おそらく王都では、オードリーの願いが叶うことはないだろう。
ジョフリーが言っていた。「リアは彼女を人質として、飼い殺しにするつもりだ」。
ジョフリー。
私は足を止めた。
急に立ち止まった私に、周囲の人々は迷惑そうに眉を顰めたが、それ気にする余裕が私にはなかった。
私の思考の最前列には、強大な野心を柔和な顔つきで隠す、ジョフリー・タウンシェンドが躍り出ていた。
そうだ、ジョフリー。
ジョフリーはオードリーを、国外に流す考えを持っていなかったか?
判断に迷う私の、脳内の、白濁色の霧に黒いインクが一滴垂らされる。
オードリーのことをジョフリーに話せば、自ずとオードリーの願いは、叶うのではないだろうか?オードリーは望み通り、この国から脱出できるし、それに……。
そうすれば私も、この世界で生き延びられるのではないか……?
私は依然、繁華街の道中で立ち止まっていた。
川が岩を避けて流れるように、周囲の人は私を避けて、何事もなく過ぎ去って行った。
しかし私はそれも気にせず、思考の渦の中に留まっていた。
脳内に垂れる黒いインクは、甘美な蜜だった。
分厚く、遮光性を持っていて、ドロドロと私の中へ広がっていく。黒い蜜は痺れるほど甘く、様々な瑣末事を麻薬的な快楽の中に覆い隠していく。
わかっている。
オードリーがジョフリーの手によって国外に逃げられたとしても、いつかは戦争の道具にされるであろう。彼女は自由の翼は容易に捻じ曲げられ、今度こそ本当に国を滅ぼさんとする賊軍として、国防に団結する憎悪を一身に受けることになるだろう。
わかっている。
私がジョフリーと手を組んで、この体を持って生き延びれたとしても、生涯私は都合のいい人形とされるだろう。手も足も頭でさえも見えない糸を巻きつけられ、彼が望むように踊り狂う、意志のない傀儡と成り果てるだろう。
それでも……それでも!
それでも私だって、自分が生き残れる、勝ち筋のある賭けに出たっていいじゃないか!!
ドン、と何かが私の背中にぶつかった。
私はどろついた思考の渦から急激に引き上げられ、ヨルヴィンの繁華街へと呼び戻される。そして神経反射的に後ろを振り返ると、そこには私の胸ほど背丈しかない少年が立っていた。少年はボロを纏い、ぶつかった驚きで目を見開く顔は、泥で浅黒く汚れていた。
「突っ立てんなよ!」と少年は言い、すぐに走り去ってしまった。
私はおそらくもう少年には聞こえないであろう声で「ああ」と呟き、そして思った。
カムデンはどうなる?
オードリーたちに捕まったままのカムデン。
光の中に解放された私とは反対に、闇の中に囚われたままでいるカムデン。
もし私が、オードリーのことをジョフリーに話したら、私の影に潜むソールは、私がオードリーを裏切ったとみなすのだろうか?
私の邪な気持ちを感じ取って、ユールはカムデンを殺すのだろうか……?
ふと、最後の見たカムデンの顔が浮かんでくる。
カムデンの顔には怒気が溢れていた。目は充血し、漆黒の瞳は赤く囲まれていた。生殺与奪の権を私なんぞに握られるのが、よほど我慢ならないのだろう。
しかしその感情の起源を、私は既に知っていた。
ーーーー生きるために、より生き残るための道を選んだ。
カムデンも生き延びたいのだ。過去をかなぐり捨ててまで勝ち取った命を、失いたくない。ただそれだけなのだ。
ーーーーおれの本当の名前はカマウ。母がつけた。だが捨てた。この国風に変えた。そしてワタシは騎士長の指示の下、カムデン・レノックスになった
だからどうしたっていうんだよ!!!
私は目を固く瞑り、記憶の露を払うように頭を降った。
だからってカムデンが死んだとしても、私に責任はないだろ!私には関係ない!
アイツは……カムデンは私の仲間を利用したんだぞ!
イーサンもパトリシアも、他の第七のみんなも大勢、アイツに利用されたせいで私の元から去ってしまった!
それに……それにカムデン自身、生きるために母親を犠牲にしたじゃないか!
もし今、私とカムデンの立場が逆だったら、アイツは迷わず私を犠牲にしたに違いない!絶対にそうだ!
それなら……それだったら!
私だって、私が生き残るために、カムデンを見殺しする権利が……!!
パシン、と何かが私の頬を叩いた。
割と痛かった。
今度は何だ!と私は瞼をこじ開け、辺りを見回した。しかし誰もいなかった。正確には先ほど同様、人々は私を避けて行き交いしていた。
じん、と右掌が熱い。チリチリとした痛みもある。
私ははっと気がついた。
私の頬を叩いたのは私自身だった。
「なんっ…」と口に出した時、私の頭の中には既に思い当たる人物がいた。
思えばずっといる。私が何か決定的な事を考える時、それを止めに入る人物。
「『アリア』……なのか……?」
その問いに、『アリア』は応えなかった。
「『アリア』、なんだろ?」
『アリア』は応えない。
私は自分の右掌を見下ろし、指を閉じたり開いたりした。そうしていると、急に怒りが湧いてきて、私は拳を握った。
「なんだよ……なんなんだよ、なんなんだよ!なんなんだよッッ!!!」
私は臆面もなく、その場で怒号した。
「汚いってか?!なあ、『アリア』!!汚いか?!?ふざけんなよ!!アンタだって、ジョフリーから推薦貰ったくせに!しかもそれを隠してたくせにさあッッ!!」
右手の指の隙間から、血が滲み出てくる。
「どうして私はだめなんだよ!!どうして……どうしてッッ!!」
『アリア』からの返答はない。
私は右手をだらりと垂らし、項垂れた。
「……私だって……生きたいのに……」
しかし同時に、すでにわかってもいた。
私はアリア・サマセットだから、『アリア』が多分それを後悔していることをわかっていた。
そして私は、『アリア・サマセット』ではないから、このままでは生きていけないことを、わかっていた。
『他人を犠牲にした』後悔を随伴して、苦痛と共に今日を眠る人生を、歩むことはできないとわかっていた。
それは私にとって『納得のいく、得られる世界』ではないのだ。
「………そうだな、『アリア』……知ってるよ……」
そして私は苦笑する。
「はは、そういや私も、『アリア』にこの体を返したくないって、掌返してジョンに泣きついちゃったしな……無様だな、お互い」
『アリア』からの返答はない。
代わりに、暖かく柔らかな追い風が全てを洗い流すように吹いて行った。
風は私をふわりと浮かし、自然と一歩前に進ませた。
ついで顔を上げると、往来の人々が私から少し距離をとっている光景が目に映った。中には眉を顰め、ヒソヒソ耳打ちするご婦人方もいて、皆一様に奇異な目を私に向けていた。
私はなんだか、可笑しく思えてきてしまった。
外から見たら、私は奇怪な一人芝居をしている、変な女だっただろう。
だが私は元々この世界に対して、変な存在なのだ。
色々と変なことを言ってきたし、変なこともたくさんしてきた。
それでも私は、けして一人きりではなかった。
いろんな人がいた。たくさんの仲間がいた。
『アリア』がいた。
私は笑いながら、もう一歩、もう一歩と足を進めた。その足は自分1人で動かしているとは思えないほど、軽やかだった。
ふと、こんな風に歩き回れるのも、後どれくらいだろうと思った。そう思うとやはり恐怖がもたげ、甘く黒い誘惑に足を絡め取られそうになる。ずっとずっと、こうやって動き回っていたいと、そう思ってしまう。
しかし私は、ぶんと足を蹴り上げた。頭上高く蹴り上がった足には、何ものもついては来れなかった。やっぱカッコいいよな、上段蹴り、と肌で感じながら、私はもう一度、今度は空中回転蹴りをしてみせる。
周囲は相変わらず好奇の目で私を見ていたが、どこからか「すげー!」という純粋な賞賛の声が聞こえた。
私は嬉しくなった。
そして、
「行こうか『アリア』」
と無言の相棒に語りかけながら、そのまま飛び上がるように走り始めた。
「みんな助けて、気持ちよく眠ろう!」
宿屋に帰ると、私は真っ先に自分の部屋へと向かった。
そこには予想した通り、ジョンがいた。しかしある種の予想とは反して、ジョンはテーブルの上で項垂れていた。そして急に帰還した私を見るなり、椅子を倒して弾かれたように立ち上がった。
「アリ!!」
ジョンは血相を変えて、私の元まで来ると、また私の両肩を掴んだ。
「お前……お前、今までどこに……一晩中……一晩中!俺はお前を探していたんだぞ!!」
よく見るとジョンの元々青白い顔には、薄く隈ができていた。
それは悪いことをした、と思ったが、私も好き好んで失踪していたわけではない。
どこから、何から話せばいいだろう、と少し迷っていると、ジョンの眉が警戒心を刺激されたように釣り上がった。
「……アリ、お前……『何を連れてきた』?」
さすが魔術の天才。私の影に潜む、オードリーからの使者・ソールの存在に気がついたらしい。
私はジョンの手を離して両手で挙げながら「待て待て」と、この灰色の狼を制する。
「マジで色々話べきことがたくさんありすぎて正直困ってるんだけど、総括して言うと…………キャンベル家の遺児を見つけた」
ジョンの金色の瞳が丸くなり、色素の薄い髪の毛が逆立つ。
「は…?!お前何を……どういう……!?」
「まあ待て、少し待て。いいか、ジョン。私は多分、今から変なことを言うぞ」
私はジョンの目をまっすぐに見つめると、不敵に笑ったこう言った。
「私は彼女を、この国から逃そうと思う」
一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます
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(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)
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