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(49)魔法使いの弟子

もちろん、ジョンには相談した。


「僕の祖父ヘンリー・タウンシェンドは、国父エドワード・ランカスター1世と盟友でね、南北内戦の時はここ、ヨルヴィン攻城戦で活躍したんだ」


密談を受けたと伝えると、ジョンは再び打撃を受けた顔をした。「ああクソ、七家か!」「盲点だった」と苦悶の表情で繰り返し、私がこの誘いに乗ることを止めた。


「だから内戦終結後の復興も、ノースウォッチの配備も、祖父の手で行われた。それは素晴らしい功績だった。彼が亡くなった今でも、新生ヨルヴィンは存在して、こうして僕を迎えてくれる」


しかし私は「行くな」「罠だ」と言うジョンを振り切って、ここに来た。ジョンの警戒は十二分に理解していたが、私は動かずにはいられなかった。


動くことで、何かと対峙することで、私は一時の間、自分がもうすぐ死ぬという事実を横に置いておきたかったのだ。


「僕は子供の頃から、そんなお祖父様の姿に憧れていた。平時に生まれたのを呪うほどに…………はは、君には理解できないかもね、サマセット嬢、いや」


もとよりこの男とは、いつかは戦わなければならないんだーーーそう思うことで、私は死への恐怖を内へ押し込めた。


「〈まれびと〉さん?」


私は今、近衛騎士団・現騎士長ジョフリー・タウンシェンドの部屋にいた。

宿屋の、上等な部屋に2人きり。

その、光を跳ね返すプラチナブロンドと端正な顔立ちの男は、備え付けのテーブルセットに腰をかけていた。

暖炉の火がパチパチと音を立てて燃え、立ち上る暖気で窓が白く曇らせている。


「座りなよ」とジョフリーはテーブルの対面に暗いヘーゼルの視線を投げかけた。そこには赤いベルベットの椅子があり、肘掛け部分は驚くほど綺麗に磨かれていた。

〈まれびと〉という先制攻撃は私に衝撃を与え、体をその場に縛りつけた。それが狙った通りの反応だったのか、ジョフリーは垂れ目がちの顔を微笑ませた。


「驚いているのかな?君がサマセット嬢じゃないことを、何故知っているのかって」

「……いや」


私に体はまず喉から動いた。


「七家の子供はみな、モガーナ・ネヴィルに魔術を習う……だから、降霊術を知っている可能性は少なからずある……」

「……と、あの狼くんから聞いたのかな?」


狼ーーおそらくジョンのことだろう。

私は頷く代わりに、ジョン自身も疑問に思ったことを口にした。


「だが降霊術は禁忌のはず……!!本来知り得るものじゃない……それに〈まれびと〉、何故その呼び名を知っている?!それは……!」

「モガーナ先生は、君をそう呼んだのだろう?この世界の外から来た、君のことを」


ジョフリーは明瞭な笑みをはためかせた。

それからテーブル上のインク瓶から羽ペンを引き抜いて、私の前に横向きに差し出した。

私が「何だ…?」と思って羽ペンを見ていると、ジョフリーは指をごくわずかに動かして、羽ペンを折ることなく粘土のように曲げた。

私は息を飲んだ。

明らかに異様な光景だった。

鳥が空を軽やかに飛ぶのに使っていたであろう羽が、ジョフリーに指の中でU字型に変形してしまっているのだ。真下を向いたペン先から、ぽたりぽたりとインクが落下する。その黒い雫がテーブルの上に染みを作るごとに、私の心臓も跳ね返るように鼓動した。

原理はわからない……が、目の前で起こったのは魔術に他ならなかった。

私は少しばかり魔術を齧った身で、まだ相手の力量を正確に測ることはできない。

それでも直観的にわかった。ものを折ることなく曲げてしまえるほど、ジョフリーは力の使い方を深く知っている。

私は愕然とし、言葉を失った。ジョフリーと私の差は、歴然としていた。私はただ、その曲がった羽を凝視することしかできなかった。


「これでも僕は、魔術が得意な方でね」


ジョフリーは曲がった羽ペンを指に引っ掛けると、クルクルと回しながら言った。


「自分でもよく研究したんだよ。すると物事は、ある閾値から禁忌に触れ始めるんだ。可笑しいよね。やってはいけないことなのに、何故かその方法がある」


羽はあくまで軽やかに、宙を舞っていた。

しかし中心にある指からは逃れられず、どこにも行くことができずにいた。


「人智を超えた力への好奇心。つまりは先達の魔術師同様、僕もそれ駆られたってわけだ。まあ禁忌を知るだけだったら、特に問題はないのだろうけど……」


そこまで言って、ジョフリーは指を止めた。

羽はテーブルの上に落ちることなく、指と指の間にしっかり収まっていた。


「まさか、あの生真面目なサマセット嬢が禁忌を犯すとは思わなかった。その答えを得るまでに、随分時間がかかったよ……でも至ってしまえば簡単だ。きっとリアが絡んでいるのだろう」

「リア……?」


私がようやく発することができたのは、たったそれだけだった。

ジョフリーは「ああ、ごめんごめん」肩をすくめて、言った。


「リア……グロリア・ランカスター女王陛下。僕の、婚約者のことだよ」


私は反射的に唇を噛んだ。

そして今更ながら、何故降霊術のことを他言してはいけなかったかを思い出した。


ーーー『アリア』に前世の記憶が入っていることは、ここにいる3人の秘め事なのだから。


あの花咲き乱れる温室の中で、姫様がまだ『姫様』であった頃の約束。

日の落ちた寝室で、ジョンが私を謀殺し更には自害しようとしてまで守ろうとした秘事。

今や国の女王たるグロリア・ランカスターが、世界を変動、破壊しかねない『禁忌』に関わった……この事実を、私たちは隠さねばならなかったのである。


唇の傷が開き、舌の上にまた血の味が広がる。

痛みと苦味を糧に、「考えろ考えろ考えろ」と私は頭の中に警鐘を鳴らした。容易に口を開いてはいけない。少しでも油断すれば、秘事がバレた焦りと恐怖が素直に外に飛び出してしまうだろう。

違う、姫様は関係ない、と私が取り繕えば取り繕うほど、ジョフリーは己の正しさを享受するだろう。

ああ、頭が緊縛されたように痛い。

羽を曲げられた私は、どうすることもできない。逃げ場がない感情は次第に、私を縛り上げる者へ怒気へと変わった。そして熱が眉間へ過集中し、眼の採光機能を狂わせた。


「……ああ、やっぱり。君はサマセット嬢じゃないんだね」


視界が眩しく光る中で、ジョフリーは嬉しそうに言った。


「サマセット嬢にそんな殺気は出せないんだよ。人や動物を、殺そうともできない。だから彼女は、僕には勝てなかったんだ。情けないことに、己の運命がかかった、御前試合でさえ、ね」

「ジョフリー・タウンシェンド!!!」


私の唇は、ついに決壊してしまった。


「お前は何がしたいんだ!何のために……ッ私は呼びつけたんだ……ッッ!!」

「君に興味がある」


ジョフリーは言った。

彼の手の中にあった、曲がった羽ペンはいつのまにかテーブルの上にあった。

私は子供のように言い返した。


「嘘つくなよ!!」

「嘘じゃないさ」

「じゃあ何でベルミナで第七を足切りしようとした!何で……何で!!残党掃討に第七を囮に使ったんだよ……ッッ!!」

「前者は確証を得てなかったから。後者は確証を得た上での……試し行為かな?」


私は再び言うべき言葉を見失った。

ジョフリーは、いわば水のようだった。私がどんなに感情を込めようとも、私に乗ることも合わせることもせず、ただ受け流して、更には背後へと忍び寄る。

ジョフリーは屈託にない笑みを浮かべると、赤いベルベットに空席に向け、手を差し出した。


「座りなよ。『サマセット嬢』じゃない、僕は君に価値を感じるんだ。〈まれびと〉さん」


びくり、と体が震えた。

私の心音は早鐘の如く鳴り響き、血液が全身を循環して、四肢を熱くさせた。

私は奥歯を噛み締めると、自分の表情を隠すように手で顔を覆った。そうして、指の間から前を見る。そこにはジョフリーの優しげな顔と、赤い椅子だけが映っていた。

ちくしょう。

私は顔から手を剥がすと、その用意された柔らかい椅子に腰を下ろした。私の心中を彩っていたのは、確かに大部分は屈辱感であったが、裏にひっそりと評価に湧く気持ちが張り付いていた。






「まず報奨の話をしようか」


ジョフリーは言った。


「この北部遠征を『無事』完遂できたら、君に御前試合への推薦をあげるよ」

「………………え?」


私から出たのは、そんな気の抜けた声だった。

この場で出てくると思わなかった話題に、脳の処理回路が追いつけなかったのである。

そしてこだまの如く「御前試合……」と漏らすと、ジョフリーはすかさず「……への推薦をあげるよ」と付け加えた。


「ええええええええええええ?!?!?」


私は思わず椅子から立ち上がり、ジョフリーを指差した。


「な、な、なんで……騎士長のお前が………御前試合の推薦をくれるんだよ!!!!」

「何でって、制度上できるからかなあ……?」


ジョフリーはシャープな顎に右手の第一関節をつけると、真面目な顔で首を傾げた。


「もちろん遠征を『君の助力と共に』無事完遂したら…だけどね。まあでも、それで君への推薦は3つになる。晴れて御前試合に出場というわけだ」


いや意味がわからん、と私は更に混乱した。

御前試合とは、年に一度、日照時間が一番長い日に行われる、いわば近衛騎士団騎士長決定戦である。

この日までに騎士団小隊長から3つ推薦を受けた者は、現騎士長への挑戦権を獲得する。そしてその試合に勝った方が騎士長となり、薔薇騎士の称号を得るのだ。

それは『アリア』が、サマセット家の子として己を証明する、手段だった。

姫様が、友と共に国を治めるとした、願いだった。

そして私が、傷だらけの母を目の前にして父に啖呵した、誓いであった。


そこへの道を、現騎士長であるジョフリー・タウンシェンド自ら、作ってくれると言うのである。


「座りなよ、〈まれびと〉さん」


ジョフリーは顎から指を離して、言った。


「別に前例がないわけじゃない。なんせ去年、『サマセット嬢』に推薦をあげたのも、この僕だからね」


私は目を見開いた。

高速に、しかも急激に降りかかる情報の渦が、私の頭を白く霞ませる。

私はその霧の中で、前後不覚になりつつも「ああ、そうだった」と、過去の記憶を慎重に振り返った。

そうだ、去年『アリア』が誰から推薦を貰ったのか、わからなかったのだ。国を統べる姫様でも、諜報に長けたジョンでも、詳細を知らなかった。

『アリア』が私に残してくれた日記にでさえ、それは記されていなかった。

そうだ、まるで……『アリア』が意図的に言及を避けたかのように……。


「……な、んで……」


次に浮かんだのは、疑問だった。

ジョフリーの不可解な行動への疑問であり、またこれを隠していた『アリア』に対しての疑惑だった。


「座りなよ」


ジョフリーは関節でこつり、とテーブルの上を叩いた。


「教えてあげるよ。君はこの世界のことを、何も知らないだろうから」


私には、座る以外の道は残されていなかった。

どういうことだ…どうしてジョフリーは……『アリア』は……!と、いくつもの疑念が頭の中に浮かんでは弾け、消えていった。

私には結局、目の前の若き秀麗な騎士長に答えを乞う道しか残されていないのだ。

飼い慣らされた私の体は再び落下し、柔らかな赤いベルベットがそれを受け止めた。物事は振り出しへと簡単に戻った。

ジョフリーはそれを見届けてから「さて、どこから話そうか」とヘーゼルの目を怪しく光らせた。


「去年の春の時点で、『サマセット嬢』は推薦を1つしか持っていなかった。ラッセルの老紳士があげたようだけど、ああいう人は『真面目な若者』というのが好きだからねえ……それはさておき、『サマセット嬢』は焦っていた。このままで騎士長はおろか、御前試合さえ出れないからだ。だから提案したんだ。「サマセット嬢、僕が君を推薦しようか」とね」

「……だからなんでッ!」


私にはまだ、テーブルを叩く力くらいは残っていた。


「なんでお前が推薦をするんだよッ!」

「『サマセット嬢』は、リアと繋がっていたからだよ」


ジョフリーはあくまで平静な表情をしていたが、「リア」と口にする時だけは、何故かその顔に高揚感が宿った。


「リアは『サマセット嬢』と手を取り、国を動かそうとしていた。僕ではなく、『彼女』とね。心外だったよ。共に手を取るのに相応しいのは誰か、リアに見せてあげる必要があった。だから『サマセット嬢』を御前試合に引きずり出したんだ」


「あ、でも僕だけじゃ推薦が足りなかったから、カムデンにも協力してもらったけどね〜」と、ジョフリーは朗らかに付け加えたが、私は背筋に冷ややかなものが伝うのを感じた。

じゃあなんだ……?

つまりジョフリーは、わざわざ姫様の眼前で『アリア』を斬り裂くために、御前試合に推薦したってことなのか…?

そんなことを……『アリア』は了承したというのか……?!


「『サマセット嬢』は了承したよ。万が一の可能性に賭けたのじゃないかな」


ジョフリーは見透かしたようにそう言うと、両手を広げて見せた。


「でも結果はこの通りだ。と、いうか『サマセット嬢』は君に伝えていなかったんだ?ふふ、『彼女』も潔癖だからね。分不相応な取引だったと己を恥じていたんだね?」


私はテーブルの上の拳を握りしめた。インクの瓶がカタカタと小刻みに音を立てる。

そのままジョフリーに顔を向けると、彼は「そう睨まないでよ」と笑いながら両手を上げた。

私はもう一度テーブルを叩いた。


「じゃあ……じゃあお前は……!私でもまた……そんな悪趣味なことすんのかよ!!」


テーブルが大きく揺れて、瓶が倒れた。瓶の口からはインクが流れ出て、テーブルの上に黒く広がっていった。ジョフリーはその様子を気にすることなく、にっこりと笑った。


「君には違うよ。〈まれびと〉さん。僕は君に、近衛騎士団騎士長になってほしいと思っている」


私はそこで、完全にこの会話の、この男の向かう先が、わからなくなった。

焦りや怒りからくる炎も燃料を失い、燻って煙のように流れていった。テーブル上に広がるインクが私の手を少しずつ侵食していったが、私は呆然とし、最早それにさえもどう対処すべきかわからなくなっていた。


「体裁のために一応、御前試合では接戦の末負け……と言うシナリオに乗ってもらうけど、それでも君を騎士長にしてあげるし、薔薇騎士の称号も授けるよ」

「……いや……でも……それでは…………」

「君の目的は騎士長になることで、御前試合は手段に過ぎない。言ってしまえば、僕に勝つ必要ないんじゃないかな、違うかい?」

「……………違う……それでは……」


それでは私の、『アリア』の力を示す証明に、ならないんじゃないか……?

しかし私はそれを声に出すことができなかった。

甘美な蜜が、どろりとすでに私の喉元を絡めとっていた。


「………ッお前は……」


私がなんとか口にできたのは、否定ではなく、やはり疑問であった。


「どうするんだ……私を騎士長にして……お前は、何になる気なんだ……?」


ジョフリーの、深く底の見えない榛色の瞳が、底冷えする美しさで光を帯びた。


「僕は軍務総督になる」


グンム、ソウトク。

その瞬間、私の理解はまだ追いついていなかったが、ジョフリーは構わず話を続けた。


「現軍務官である父上には御勇退していただくとして、僕がその職務を継ぐにしても、そのままじゃあ芸がない。だから名をより広義的に一新する。軍務総督。騎士団だけじゃない…この国全ての兵力が、僕の力となる。女王陛下の夫としては、似合いの椅子だろう?」


女王陛下ーー姫様は、ジョフリーが王直属近衛騎士団のトップであることを不安視していた。

ジョフリーが結婚した後、もし戦争が起きたら、戦時特例で騎士長の彼が代表となり、国の全権を奪い取る可能性があると危惧していた。


姫様の予測は当たっていた。

ジョフリーを否定しつつも、己と同類と自負するだけあって、姫様はジョフリーとほぼ同じことを考えていた。

だが、軍務総督、この点において、ジョフリーは姫様の想像を凌駕していた。

軍事総督ーーつまりその影響力は、近衛騎士団だけに留まらない。ヨルヴィンにいるノースウォッチなどを含む国内全ての兵力を、ジョフリーは掌握しようとしているのである。


「本当はもっと時間がかけるつもりだったけど、リアが女王になってしまったからね。僕もそれ相応に立場でいなくてはならないんだ……ふふ、それもこれも、〈まれびと〉さんの影響だと思うと、興奮を禁じ得ないね」


私は肩をびくりと震わせた。

私の……〈まれびと〉の影響で、『姫様が女王になった』というジョフリーの言説を、私は否定できなかった。

女王誕生に至る経緯に、私の存在は確かにあった。

アルバン・ライトは、追い詰めてきた私をきっかけに、自死をした。

レイ・ハミルトン小隊長は、亡友の意志を継ぎ、私に願いを託して、国王を謀殺した。

その結果、王位は姫様へと引き継がれ、グロリア・ランカスターが女王に即位した。


影響は、このジョフリーにまで及ぶというのか……?


脳裏が急激に、様々な色彩、匂い、血、血で埋め尽くされる。

私はインクの汚れも気にせずに、手で口を押さえた。胃から吐き気が込み上げてくる。口内に苦々しい鉄分の味が、酸味へと変わった。

また、「私がこの世界にいるせいで」という考えが浮かび、目端に熱い水滴が滲んだ。


いや、そうだとしても……。


私は目を硬く瞑り、頭を振る。


決めただろ!どんな変化が起きたとしても、それでも納得のいく世界にするんだと……!


「ジョフリー、お前は本当に、本当に……」


私は口元から手を離すと、息を整えてからジョフリーを見た。


「……本当に、戦争を起こすつもりなんだな!自分が、戦争の英雄になるために!」


ジョフリーは酷く満足気に唇を歪めた。


「そうだよ。それがずっと夢だった」

「戦争なんて、そんな簡単に、起こせるわけがない!」

「それはどうかな。例えば、僕たちが探しているキャンベル家の遺児だけど、無事王都に連れて帰ったとしよう。リアは彼女を人質として、飼い殺しにするつもりだ。賊軍残党への牽制のためにね。でも、僕だったらもっと上手く使う」


不意にジョフリーが人差し指を立てた。そして魔法使いのようにそれをクルクル回すと、矛先を明後日の方向へと向けた。


「僕だったら、彼女を隣国に流す。そして裏で支援しつつ、時期を見て噂を流す。『賊軍キャンベル家の遺児が王位簒奪を狙っている。隣国はこれを支持し、我が国に攻め入ってくる!』。するとどうだろう。国内は『隣国憎し!祖国を護れ!』と湧き立つだろう。そこで……」


ジョフリーは両手を合わせる。


「軍を挙兵し、隣国へと進行する。ほら『防衛戦争』の完成だ。我が国も今より1つにまとまるだろう」


勢いがあったせいか、重なり合った手はパンと小気味のいい音を閉鎖的な室内に響かせた。


そんなこと、うまくいくはずがない!思い通りできるわけがない……!

そう脳内にこそジョフリーへの反論が浮かび上がったが、実際に声にできたのは「そんなこと…うまくいくはずが……」とまでだった。

自信と確信で飾られた饒舌な演説の前にて、頭では否定しつつも、心が暗い期待感で満たされてしまうのである。

私は思ってしまう。

ああもしかしたら、この男ならもしかしたら、本当に戦争を作り出せてしまうのかもしれない。


「できるよ。その時の僕は、軍務総督だ。そして美しきグロリア女王を護る、英雄になるんだ……」


ジョフリーは恍惚の表情に高揚した声を弾ませた。

ヘーゼルの目が美しいまでに煌めいた。


「………ッ私は!」


私はそれを直視することができず、テーブルに視線を落とした。


「私はお前になどに協力しない……ッ!!」


テーブルの上はすでに、インクの海が広がっていた。私の両手から放たれる波紋が、その黒い水面に走っていく。

ジョフリーは「君がそう言っても」と続けた。


「〈まれびと〉さんは既に、僕のアイディアに加担しているんだよ?隣国と戦争するとなれば、今まで以上に人員が必要になる。通例通り貴族階級から募集だけでは足りない。しかし君は、『平民からでも兵になれる』実績を作ってくれた」


私は腹の底が急激に冷えるのを感じた。

第七小隊。

それは私が作りあげた小隊だった。

力のある者は貴族だけではなく、平民にもいるはず。誰にだって、国防に誇りと誉があるはず。そう思って分け隔てなく受け入れた、仲間たちだった。

心の中に、みんなの笑顔や勇姿や次々と浮かんでくる。


それさえも、間違えだった、のか……?


「ああ……そうか、あれだ」


眩暈で揺れる視界と思考の中、私の口からは独り言がこぼれ落ちる。


「……徴兵だ、ああ、徴兵制。富国強兵……日本史でやった……結局私は……」

「ほう?徴兵……」


ジョフリーはやや思案するように一時言葉を打ちとめたが、すぐに


「……なるほど君の世界では、平民から兵力を徴するんだ。税と一緒だ」


と嬉しそうな声を部屋の中に響かせた。


「ああ、やはり君はいいな。僕に新しいアイディアをくれる。だから僕は君に価値を感じる……共に手を取りたいと考えているんだ」

「やめてくれ……やめてくれ!!」


私は両手で顔を覆い、頭を振った。


「違う!そんなつもりじゃなかった!みんなを戦場に駆り立てたかったわけじゃない!!」


そう言いながらも、心中には先日の夜襲で傷ついた仲間たち、右目に矢を受けて倒れるイーサンの姿がこびりついて離れなかった。

「違う…」と呟きながら、私は顔から手を離し、掌を見下ろした。

掌はインクで真っ黒だった。

私が少し手を動かすだけで、何もかもが黒く汚れていく。


「ねえ、〈まれびと〉さん」


ジョフリーの声色は、酷く穏やかなものに一転して塗り変わった。


「もし僕の手を取ってくれるなら、君にはもう一つ褒賞がある……僕は君を、この世界に留まらせることができる」

「え……………?」


私は顔を上げた。

そこではジョフリーが目を細めて、私を見ていた。


「言ったじゃないか。僕は魔術が得意なんだ。君の魂が『サマセット嬢』からズレていることくらい観てわかる。降霊術が解けかけている……そうだろう?」


心の奥の間抜きが、粘土のようにぐにゃりと曲がった気がした。押し込めていた死への恐怖が、自由の身となって溢れ出してくる。

死にたくない。

それが一度放たれる地、後はもう止められなかった。

死にたくない、まだ生きていたい、という執着はあっと言う間に私の思惑を焼き尽くし、眼前にいる誘惑の悪魔の如き男を、慈悲深い微笑を讃える天使のように認知させた。


「死者蘇生術、というものがある」


ジョフリーは言った。


「体から離れた魂を、また体に戻す術……もちろん禁忌に触れる魔術だよ。自然法則に反しているからね。でも僕は、禁忌など気にしない」


ギイ、と椅子が軋む音がした。

重心を移動させ、ジョフリーは前へと体を少し傾けた。


「〈まれびと〉はこれまで通り、『ここ』に留まる。それは君にとっても、僕にとっても喜ばしいことだ。禁忌を犯す、価値がある。どうだろう、僕と協力してくれるかな?」


私の、最早平時の調子を忘れた鼓動は、不整脈のように波打った。頬が紅潮し、こめかみから汗が垂れて、顎を伝った。

協力すべきではない、と私は自分に言い聞かせる。

言い聞かせつつも、私はもう一度引き寄せられるように、ジョフリーを見た。彼は部屋中に拡散する光を一心に集めて、金色の髪を輝かせていた。

その手を払うべきだ、と私は再度強く念じた。


「…………か……考えさせて……ください………」


だが私の口から出たのはーーただの保留の言葉だった。






気がついたら、街中を歩いていた。


日がまだ高いため、馬車が1台だけしか通れないような狭い通りにも、太陽の光は過不足なく降り注いでいた。

道ゆく人は重装備の兵士も多かったが、中にはこの街で普通に暮らしていそうな人たちもいた。彼らは店先の商品を陳列窓越しに繁々と見つめたり、ドアについたベルを鳴らして店内へ入っていったりしていた。


なんで、ここにいるんだっけ。


私は俯き、荒く区切られた石畳の上に、少しずつ記憶を映し出していった。


あの暖かく閉鎖的な部屋で、私はジョフリーと対峙した。

そして大きな揺さぶりと引き換えに、甘美な提案を差し出された。

私はそれを跳ね除けることができず、返事を保留してしまった。

その足で、私は宿屋から出てきてしまった。

インクで汚れた手や顔が後ろめたく、ジョンの待つ自室に戻ることができなかった。


本当は、明確に断るべきだったのに。


当てもなくヨルヴィンを歩く私の中に、断れなかった後悔と「でも仕方ないじゃないか」という言い訳が、交互に顔を覗かせる。

体が動かなくなることが怖い、死ぬのが怖い。

両方とも一度経験している分、その恐怖は私の足に重い鎖を巻いていた。


これから、私はどうすればいいのだろう。


視線の行き場を失って、私はふと顔を上げた。

すると、ちょうど通りの右側にあるパティスリーのドアが、カラランと音を立てて開いた。そして中から屈強な兵士2人出てきた。

彼らの間には、もう1人子供がいた。

短い金褐色の頭に、目元まで隠すニット帽を被った少年は、2人の大人に両腕を掴まれ、ジタバタと暴れていた。


「やめろ、離せよ!ただ見てただけだろ!何も盗んでないよ!」


兵士の1人が太い眉を釣り上げて、少年へと容赦ない怒声を浴びせた。


「お前は前にもこの店からパンを盗んだだろう!店主が言っていたぞ」

「ふざけんな、人違いだ!ここに来たのも初めてだ!」

「見え透いた嘘をつくな!」

「嘘じゃない!本当に……」


少年はそこで言葉を止めた。

そして、すぐ側でぼんやり様子を見ていた私へと、顔を向けた。少年の両眼は帽子に隠れていたが、彼がその奥から私の姿をしっかりと捉えているのがわかった。


「お前!お前お前!!アレだ、アレだろ!!」


少年は破顔し、大声で言った。


「顔に傷のある、女の近衛騎士だろ!!」




一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます

https://t.co/YrR7qkmi8z


(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)


コメント、ブクマ、評価等いただけるとめちゃくちゃHAPPYです!

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