(5)気合いで薔薇騎士になれると思いましたが、割と政治的でした
「ヴァージン…クイーン……」
私が言われたままの言葉を繰り返すと、姫様は強く頷いた。
「私は誰とも婚姻を結ばず、誰の後ろ盾も必要としない。私は私で、私のままで、女王としてこの国に君臨し、統治する……これが、私の宿願であり、宿命よ」
まさに、黄金。
「姫様は…」
私は愚問と知りながら訊いた。
「ご結婚、されないのですか。子を産み、育てたいなど……」
「それって、私に、必要?」
わからない。
それは、染みついた社会通念を機械的に述べたまで、
「いや…」
前世においても、なんとなく以上、深く考えたことはなかった。
姫様は、この人生を左右するほどの事象に対して、ずっと前から宿命的に向き合う必要があったのだ。
「それは自分自身に対しても……わかりません」
そう思うと、私はずっと幼いように感じた。
「ふふ、素直ね」
姫様は柔らかく微笑むと、すっと私から手を離す。しかし急に何か思い出したように「ま」と漏らすと、腕を組んで目線を斜めに上に向けた。
「それとは別に、単純に後継の問題はあるけれどね。ただ私は血には固執しないわ。有能な者を選んで、ランカスターにしてしまえばいい。それも私が決める。とにかく、私以外の何かに、私のことを決められるのは嫌なのよ」
その我儘な子供みたいな言い分に、私は思わず「ぶはっ」と吹き出して、「あははははは」と腹を抱えて笑ってしまった。
すると姫様は珍しく困惑し「な、何」と眉根を寄せた。
「いや……はは、なんか姫様らしいなって」
「らしい、って、あなた、私にあって少ししか会ってないじゃない」
姫様は何か腹落ちしない顔をしていたが、私が笑い続けているので、次第にやがて諦めたように、やれやれと首を振った。
私は姫様の腹の中が、信頼できるほどにはわかった、気がした。
「それで話をだいぶ前に戻すけど」
ひとしきり私が笑い終わったのを見て、姫様は言った。
「私もあなたも、大志を胸に抱いているだけでは、現状は何も変わらないわ。対策が必要よ」
「対策と言われても、正直な話、私には何も…」
「そう、だからまずあなたがすることは『知る』ことよ。そういう意味ではこれまでの話もその一環だけど、まずは何よりあなたの目標である、御前試合について」
「ええと、だから、薔薇騎士を決める試合でしょう?あ!薔薇騎士は近衛騎士長のことです!」
姫様は呆れたように眉を寄せた。
「それで?それだけでは落第」
「だってそれ以上は知らないですし…」
「だから『知りなさい』。飽くなく貪欲に。まず、御前試合は1年に1回、1年で1番日の長い日に行われる」
「おお、なんだか催し物みたいですね?」
「まあ、元々御前試合は、太陽の力が1番強くなる日を祝う、お祭りの一部だからね。本来聖なる決闘のはずなのだけど、今では政治利用されているということね。よくあることよ」
私は反射的に首を傾げたが、言われてみれば、私がかつて目指していたオリンピックも、元は神々を讃える競技祭であったというのを、どこかで聞いたことがある気がする。
「ということは」
私はぐいと体を乗り出す。
「御前試合に出るにはなにか資格がいるということですね?」
「あら?察しがいいわね。そう、資格がいる」
そう言うと、姫様は私の顔の前で3本の指を立てた。
「3人!近衛騎士、小隊長らの中から3人の!推薦がいる!その3人の推薦を持って初めて、あなたは御前試合にて現・薔薇騎士に挑める!」
「そ、それって……めっちゃ政治的じゃあないすか〜〜〜」
「当たり前じゃない、これは政治の話なんだから」
「ええ、できるかなあ〜…」
私はしおしおとテーブルの上に頬を沈めた。テーブルはこの蒸し暑い温室の中で、救いのように冷たかった。
「まあでも、これに関しては単なる政治の話ではないかもしれないわね」
「ええ?」と私は姫様を見上げる。
「近衛騎士なら誰もが一度は薔薇騎士を夢見る。言わば皆、同じ隊の仲間であると同時に、ライバルと言うこと。そのような中で、『自分を差し置いて、他の者に薔薇騎士になってほしい』と思わせるには?この、暴力装置たる集団の中で」
「そうか!」
私は勢いよく起き上がった。
「力を見せる!ことですね」
姫様は微笑むと、茶を一口含んだ。
「勿論、その『力』の中には色んな意味合いが含まれるでしょうけど」
「でも!力比べならなんかできそうな気がします!」
「そう、期待しているわ」
と、胸の内に希望が芽生えた所で、「あ、」と、甘美な考えも浮かんでしまった。
「あの…『アリア』は一度御前試合に出たわけですよね?」
「?そうね」
「つまり、すでに3人の推薦を貰ったことがありということですよね?」
「そうね」
「じゃあまたその3人から推薦貰えばいいってわけですよね!姫様その3人が誰だか知ってますか!」
「知らないわ」
「え!ええ〜え〜…」
私は再びテーブルの上へ。
「なぁんで知らないんですかあ〜〜〜」
「任せていたからよ。『あの子』も詳しいことは言ってこなかったわ」
私が「ぐえー」と轢かれたカエルのような声を出すと、姫様は「言っていくけど」とため息混じりに言った。
「仮にその3人が誰かわかったとしても、その人たちがまた推薦してくれるとは限らないわよ。あなた、御前試合に負けたのだから」
「そうだったあ〜〜」
と思えば、それ自体は私のせいではないのだけど、私はぎゅうと目を瞑った後、ぱっと目を開けて、体を起こした。
「わかりました。自分で何とかします」
そうだ、私は『私』も抱えて、やってやるのだ。
「うん、任せたわ」と、姫様は満足そうに頷いた。
「そんなあなたに一つプレゼントよ」
「はい?プレゼント?」
「ジョン」そう呼ぶと、姫様の背後にまた、あの大きな影が現れた。
私は目を見開いて、思わず身を退ける。
それはすでに、黒いローブであることは知っていたはずなのに、いかんせん、今まで全く気配がなかったところから急に現れたので、やはり影のように思えた。
影は姫様のそばで膝を折ると、頭を垂れた。
「お呼びですか、姫様」
「ええ、ジョン。あなた、アリアの従士になりなさい」
「従士」「ジュウシ?!」
影と私はほぼ同時に同じ言葉を発した。
「って何ですか?!」
と私はついでに付け足した。
通例通り姫様が説明してくれる。
「仕事内容的には従者とほぼ同義、ただ従士の方がより武力的な意味合いが強いかしらね」
「しかしながら姫様」
私が何かを口にする前に、影が先制をとって、姫様に詰め寄った。
「俺の主人はあくまで姫様であって、他には…」
すると姫様は「いい、ジョン」と黒いローブの頭を撫でて、言った。
「周りに怪しまれないよう、表向きはアリアの従士として過ごしなさい。だけど本当の目的は、私の代わりに、アリアにこの世界のことをあげること。師範代、と言うとこかしら」
そして私の方に目線だけ向けて、続ける。
「アリアに前世の記憶が入っていることは、ここにいる3人の秘め事なのだから」
「なっ…」
なんだってーーーーーーーー!!!?!?!!!
私はイスから立ち上がる。
「その男?も私のこと知ってるんですか?!!」
「ああ、あなたにはまだ伝えてなかったわね」
「ていうか姫様がこの世界のこと教えてくれるんじゃないんですかーーー!!」
「……少し落ち着きなさい」
姫様のサファイアブルーの目は私の顔を見上げてから、ふっと下に降ろした。
座れ、ということだ。
私はそれに素直に従い、イスに座りなおした。
それを見届けてから、姫様は体もこちらに向けて言った。
「知っての通り、私は忙しいの。それにあなただって、毎回私のところに来る時間はないはずよ。だから知りたいことはジョンに聞き、教えを乞いなさい」
姫様また、「ジョン」と声をかけると、たったそれだけで全てを理解したかのように、影の男はスッと立ち上がり、頭を覆っていた黒いフードをとった。
影から出てきたその男は、灰色の短い髪に金色の瞳をしていた。
ああ、この感じどこかで見たことがある。
「ジョンは必ず、あなたの力になるわ」
思い出した。
オオカミだ。
テレビで見た。雪原に立ち、カメラにガン飛ばす、媚びない姿。
姫様はにっこりと笑った。
「それじゃあ、2人とも仲良くね」
と、言われてもな……。
と、私は王宮から家へと帰る馬車の中、すでに陽が傾き始めた車窓を眺めながら、温室での出来事を反芻していた。
影の男、もといジョンは、私の反対側の席に腰を下ろし、目を瞑って静かにしていた。まるで仲良くする気もない、むしろ俺に話しかけるな、と言った具合である。
私としても、誰かと仲良くしろ、と言われたら、少なからずそうする努力をするものだが、そのような態度を取られてしまっては、とりつく島もなかった。
相変わらず馬車の中ではスクワット状態でいる私は、目を閉ざしているジョンに聞こえないように鼻から息を吐くと、外の豊かな緑地の中に、温室の植物たちを思い出していた。
「お父様はね、こういったものが好きなの」と、傘のように垂れる巨大な葉を眺めながら、姫様は言っていた。「優しいのよ、私にも、私を産んだ後、子を産めなくなったお母様にも。きっと、お祖父様を反面教師にしたのね」
姫様がそのような話を聞いたのは、温室を出る間に私が聞いたからだ。
「姫様はどう、お思いですか。王族で……一人娘で」
だから、「優しい」という答えを聞いて、『私』と比べ、少なからず安心したのだが、姫様はそれを喜ぶでも誇るでもない、複雑な表情をしていた。
「優しい、というのは王にとって必ずしも良い資質あるとは限らない。事実、その優しさが、私の立場を追い詰めている。ふふ、ままならないものね、この世界は」
私が何も言えずにいると、姫様はそこでようやく笑みを作った。
「私は大丈夫よ。私は、お祖父様似だから」
温室の花々に埋もれ、姫様はまだ「姫」として生きている。
姫様の剛腕ならきっと、まあなんとかやり遂げるのだろうけれども、そこに私が加われば、多少なりとも楽になるのだろうか。
自分の力を過信しすぎだろうか?
というか、私は大丈夫なのか!?
このディスコミニケーションの権化たる、オオカミのような男と上手くやっていけるのか?!
推薦人の件も、自分でなんとかできるのか?!
大丈夫なのか?!!
私は大丈夫なのか?!!!
などと考えているうちに、サマセット家の敷地が見えてきたのだった。
私と共に帰宅した(便宜上)従士・ジョンの存在に、サマセット家の住人ーーメイドたちは色めき立つ者もいれば、単純に突如現れた男性に狼狽する者もあった。
当然の反応だ。ここは以前エブリンが漏らしていたように、女所帯なのだ。
父襲来後、姫様との会合を取り付けるまでの数日間、私はこのサマセット家でストレッチと体操をしながら時間を潰していたのだが、その際にいくらかメイドたちと話をすることもできた。もちろんメイドたちは「なぜ今更そんなことを聞くのだろう」と怪訝そうな表情を浮かべていたが、大抵は快く答えてくれた。
聞くに、父や父の側近たちは、サマセットの領地ではなく、城下の別邸に住んでいるらしい。何せ父はサマセット家当主として中央で政治の一部を担っているため、そのような生活スタイルをとっているとのことだ。なるほど、それならばこの前の「帰る」発言にも頷ける。
「とはいえ」とメイドは言いにくそうに続けた。「他家のことはよく知りませんが、普通であればもっと、頻繁にこちらに帰って来られるはずなのです。何よりこちらが、サマセット家の領地なのですから。それに…」と言い淀むメイドに、すぐそばにいた別のメイドが注意深く細くした。「あまりお嬢様のお耳に入れたくない話も聞きます」
あ〜……と、私は思った。
メイドたちはそれ以上言わなかったが、まあ、そういうことなのだろう。この世界において『そういうこと』がどれほど許されているかはわからないが、『娘』や母にはけして気持ちのいい話ではないだろう。
しかしそのようなこともあって、ここは当主が寄りつかない、女だけの住まいになっているようだった。
「ここは女所帯だというのに……」
と予想通り、ハウスキーパーたるエブリンは渋い顔をした。
エブリンは他のメイドと比べると屈強で、中年ながら、どうも鍛えているらしい体つきをしている。おそらく母を含めた女ばかりのこの家を、ハウスキーパーとして以上に、守ってきたのだろう。
そんな中に急に男、しかも若く素性の知れない男を連れ込んでこられたら、まあそういう顔もしたくなるだろう。
私は「あはは」とエブリンの叱咤を誤魔化すように笑いながら、魔法の言葉を口にした。
「姫様からのご命令で……」
すると、エブリンの額の皺はより一層深くなったが、これ以上ないくらいの、心の底からのため息を吐いた。
「お怪我をされたお嬢様への、ご配慮、ということですかね」
この世界に一つだけ確かなことがある。歴史もそれを証明している。
姫様には、逆らえない。
というわけで、
「この屋敷の如何なるものにも手を出してはならない」という厳しいエブリン法の下、ジョンには専用の部屋があてがわれた。幸い、主人のいないこの屋敷には割と空き部屋があった。一応、元々の使用者がいるはずだろうが、それでよしとなってしまうあたり、サマセット家の歪なパワーバランスが垣間見えた。
一つ屋根の下に、久しぶりに若い男がいる!ということで、やはりエブリン以外のメイドはどこか浮き足立っていた。しかし前世において、父母そして兄2人と、時には取っ組み合いをしながら過ごしていた私にとっては、むしろそれが普通…というか、逆にそわそわしているメイドたちの態度の方が、見ていて落ち着かなかった。
どうやらジョンは、オオカミのように物珍しく、触ると牙を剥かれそうな鋭い目をしていながら、むしろそれが凛々しく、ともすれば美しい、とのことだった。ジョンは「はい」「いいえ」以外の必要最低限の言葉しか発しなかったが、むしろそれがいい、らしい。美的感覚というものは複雑怪奇である。
そうして、
私は陽がどっぷり落ちた頃に床についた。
横になってみると、自分がいかに疲れているかを実感できる。
それは単純に馬車の中で長時間スクワットし続けていたのが主な理由なのだが、それ以上に姫様と会話するといつも、その情報量の多さに頭が疲れてしまう。
この世界のこと、国のこと、人のこと、『私』のこと、何も知らないところに一気に情報が流れ込んでくるのだから、ある種仕方がない。疲れる。前世でもここまでお勉強することがあったか…?
でも、充実感がある。
私には戦える体がある、機会も、目指すべき頂もある。
色々とごちゃついた状況はあれど、知り、理解し、腹落ちした上で、それらを凌駕する戦いができたら、どれほどまでに気持ちいいだろう。
私は目を閉じ、一応騎士である身ながら、大歓声もしくは大ブーイングの中、対戦相手を蹴り飛ばす自分を想像した。
ああ、それは、もしかしたら、前世以上にーーははは、あんなに不安があったのに、体を動かす、そんな想像だけで気持ちが高揚し、なんでもできるような気分にさえなる。
私はまた、温かく幸せな気分の中、眠りについた。
その時だった。
まず、悪寒。
それから、ベッドが沈む感覚。
そして、空気の震え。
そこで、私は目を開いた。
そこには、月明かりに照らされ、もはや透き通った灰色の髪。
そして、薄暗い中でも輝く金の瞳。
と、光を反射する鋭利な
刃物。
私が寝るすぐそばに浮かぶそれらは、私の上に、急激に、降りかかってきた。