(39)信頼
レイモンド・ハミルトンの、御前試合への推薦。
それはイーサンのみならず、近衛騎士団全体、ひいては一部貴族(つまり『あの日あの場』いた者たち)の間に大きな波紋を呼んだ。
現国王が突然死んだ、というだけでも大騒ぎだというのに、その原因が王直属軍である近衛騎士団の小隊長なのだから、最早狂乱状態である。
即座に強い箝口令がしかれたのち、近衛騎士団は責任追及された。
私、アリア・サマセットへの“尋問”も、その一環であったと言える。
その自浄作用的行為も、王族自らの命により中断されたわけだが……その命に乗っかる形で、騎士団側は、『王謀殺はレイモンド・ハミルトン個人で行われた』と強調し、騎士団とハミルトンの切り離しに尽力していた。
その中で判明したのが、レイモンド・ハミルトンから、アリア・サマセットへの、御前試合の推薦、である。
「全く、彼はとんでもないものを残していったね」
上記のことを一通り説明すると、ジョフリーは「困った困った」と、付け加えた。
“尋問”から解放された翌日、私はジョフリーに呼び出され、2人きり、会議室にいた。
いつも小隊長会議に使用する部屋である。この通常であればもっと人数の入る広い部屋、長いテーブルに、ジョフリー・タウンシェンドと2人きりというには、逆に圧迫感がある。
加えて正直、私はジョフリーの顔を見るだけで吐き気を催す状態でもあった。
ジョフリーが、レイ・ハミルトン小隊長を断罪した。
その行為が、王謀殺犯への即時判断として、この上なく優れていたことは頭ではわかっていた。しかし食べた物が逆流するように、感情的には全くの逆方向を向いていた。
ジョフリーが、レイを殺した。
その事実だけが、憎悪や悲哀や後悔の念と共に濁流となって、私の中で渦巻いている。
ジョフリーはそんな私の心中を知ってか知ってまいか、私の目を見つめながら、ニコリと笑った。
「この頃の僕といえば、四方八方に謝り通しでね。まあこれでも責任者だから仕方がないのだけど、これでは僕の方が首がもげてしまいそうだ……おっと、これは良くない冗談だった」
絶対に、わざとだろ、クソ野郎。
私は殴りかかりそうなる右手に、左手の爪を食い込ませながら、
『私の存在や行動は、世界に予測不可能な影響をもたらす』
と頭の中で繰り返す。
すると今度は胸が刺されたように痛み、私の体は震え、椅子をカタカタと鳴らした。
ジョフリーは続ける。
「推薦は、例の日の前晩に提出されていたみたいでね。兵務局も気を効かせたのか、僕たちへの連絡は翌朝の謁見後しようとしていたらしい。だけど、あのサプライズが起きたものだから、兵務局も右往左往してね。それで今更になってこの不発の爆弾が明るみにでた」
「参った参った」と、ジョフリーは本当はそんなこと一欠片も思っていなさそうな表情で言った。
次々と投下される悪趣味な表現。
それらに反応しまいと、私は懸命に口を結んでいた。おそらく一度でも緩めれば、私はもう自分の中の嵐を止められなくなる。
「……で、この大罪人からの推薦を受理するか、棄却するか、長い長い議論が行われてね。これがまあ大変だったのだけど、最終的には騎士長である僕の判断に委ねられた」
私は喉を潰すように、ぐっと下を向き、目を瞑って『私の存在と行動は…』を繰り返す。
「だから僕は、サマセット嬢がこの推薦を受ける気があるか、で決めようと思う」
………………え?
私は思わず顔を上げた。
しかし直前まで喉を潰していたせいで、上手く声が出せなかった。
ジョフリーはそんな私を、珍しい動物を眺めるように、テーブルの上に頬杖をつく。
「有難い事に、僕の首はまだこうして繋がっている。だから、君がどちらを選択しても、僕はどうにでも処理できるし、大した問題じゃない」
そして、傷一つない麗しい笑みを浮かべた。
「ただサマセット嬢。もし推薦を受けるなら、君には多少、覚悟はしてもらわないとね。なんせこれは、国賊レイモンド・ハミルトンからの、推薦なのだから」
私は、どうすれば、いいんだよ。
私は、何一つ答えられなかった。
ジョフリーはしばらく私を観察していたが、やがて「じゃあ、決まったら教えてね」と腰をあげると、私を残して会議室から出て行ってしまった。
私は椅子の上で放心し、ああ、私も出ていかなければ、と席を立ち、会議室を後にした。
でも、どこに行けばいいのだろう。
第七の内務室?
いや、今は、他のみんなと話すこともきっと、ままならない。
執務室?
いや、今は、あの小隊長の革張りの椅子に腰をかける気にならない。
では、どこへ?
結局、私が行けるところなど、自分の自室しかなかった。
また、全てが揺らめき、ぼやけている。
私は霞がかった重い頭を、ふらつく足でなんとか運んで自室までたどり着くと、その扉を開けた。
「アリ」
すると、そこには、灰色がかった髪に黄金の目、雪原に在り、変わらぬ態度で私を見る、
「頼みがある」
狼のような、ジョンが立っていた。
「姫様に会ってくれ」
急に現れて、
何言ってんだ、コイツ。
ぼんやりとした私の頭の中に、赤い亀裂は走る。
が、すぐに、ああ、そうだよな、と思い直し、押さえていたものがほつれていく。
ジョンは、姫様の味方だもんな。
他の、誰でもなく。
「もういやだ」
ぱた、ぱたぱた、と水滴が床に落ちていく。
「何もしたくない」
それは静かに私の頬をつたい、顎で一瞬止まるが、重力に負けて落下していく。
「私はもう、何もしたくない」
私はもうこれ以上、私がこの世界に溢れ出ないように、自分の顔を覆った。
「『アリア』のほうがいい」
すると、目の前が真っ暗になった。
「私は何もできない」
ねえ、『アリア』。
私は自分の中に呼びかける。
泣きじゃくる私を受け止めてくれたのは、『アリア』、だよね?
もし本当にあれが『アリア』で、私の中に『アリア』がちゃんと存在しているなら、もう私は、いなくなった方がいい、よね?
私は手の中の暗闇に、そう、問いかける。
やる事全部めちゃくちゃになるなら、
好きだった人を失わせ、失うくらいなら、
もう全てを『アリア』に返して、私はいなくなった方がいい、よね?
その方がいい。
「そんなことはない」
私の自省行為の中に、ジョンの、平静な声が差し込んでいた、
そしてジョンは私の右手首を掴むと、強引に顔から剥がさせる。
手のひらの暗闇は瓦解し、私の目の前にジョンの顔が現れる。
「そんなことはない」
私は思わず反発し、ジョンの手を振り払おうとした。
「うるさい!うるさい!!うるさい!!」
しかしジョンの手は硬く強く、私の手首を握り、離そうとしなかった。
それはまるで、けして私をこの場から逃さまいとしているかのようにも感じた。
私は吐き捨てるように、叫んだ。
「ジョンだってッ!『アリア』だったら、もっと自分の言うこと聞いたって思ってるくせにッッッ!!」
「それは…ッ、そう、思うがッ…!」
「思うのかよ?!ああ、もう、いい、たくさんだ、私はもうッ…!」
「それでもッッッ!!!」
ジョンは、もしかしたら初めて会った時以来の、強烈な感情の籠った声で、私の言葉を封じた。
「それでも、お前にしかできないことがある!できなかったことがあるッッ!!俺はそれをずっと見てきた!俺は……自分で見たものしか信じないッッッ!!」
その激高する声を聞いて、ああ、そうだ、と私は思い出す。
そうやって、ジョンは燃える金色の瞳で、姫様のためにと、私を殺そうとしてきたのだ。
自らの命も、断つつもりで。
「アリ、だから……お前に頼むんだ」
それが今、私に真っ直ぐに向いている。
「今の……姫様と話してくれ…………俺にこそ、それはできないんだ」
私は、半顔を覆っていた左手を下ろした。
そうして開けた視界で見たジョンは、哀しそうで、淋しそうだった。
今にも泣き出しそうな、小さな子供のような顔だった。
そんな顔、しないでくれよ。
「ジョン」
私は空いた左手で、ジョンの手を握る。
「それは、誰の為の願い?」
私の手の中で、ジョン指がびくりと震えた。
ジョンは反射的に「ひ」と口にしたが、思い直したように一度唇を閉じ、私の手を握り返してから、言った。
「俺の為の、願いだ」
正直な話をすれば。
正義とか、悪とか、希望とか、期待とか。
そういう目に見えないものを、問われて、迫られて、込められて。
それで散々な結果になって、何がなんだかわからなくなって。
もう私に、何もさせないでくれと、思っていた。
でも、
それでも、
もし、目の前の人を「助けたい」と思ってしまったら、結局私は何も考えず、動いてしまう。
この与えられた力を持ってして。
何度でも。きっと、何度でも。
それが、私にしかできないこと、私の魂なのかもしれない。
その方が、気持ちいいもんな。
私はジョンの手を、もう一度強く握った。
「わかった」
私は言った。
「姫様に会って、話すよ」
私の言葉を聞いて、ジョンは頷く。
「ありがとう」
ジョンにそんなふうに礼を言われるのは、もしかしたらこれが初めてかもしれなかった。
その真摯な態度に、けして悪い気分はしなかった。
そこには嵐が過ぎ去った後に萌芽した草木の如く、小さくとも確かな息吹があった。
一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます
https://t.co/YrR7qkmi8z
コメント、ブクマ、評価等いただけるとめちゃくちゃHAPPYです!




