(32)〈まれびと〉
「ジョン!!貴様!!!禁忌を犯したなッッッッ!!!!」
モガーナネヴィルの飛び蹴りが、ジョンの頭部に炸裂する。
ジョンの体はその勢いに従ってのけぞり、座っていたソファーも後ろへと倒れる。私はそれに釣られる前に「うおッ!」と飛び退き、難を逃れる。が、ジョンの苦難はまだ続く。起きあがろうとうつ伏せになっていたジョンの後頭部に、モガーナのストンプが何度も振り落とされる。
バキィッ!
「あれほど」
ドカッ!
「神域には」
ガゴォ!
「手を出すなと言いつけただろう!!」
その踏みつけは苛烈であった。
が、ジョンを受け入れているように見えた。ジョンはうつ伏せになってはいたが、頭を手で護ることはせずに、床の上で硬く握られていた。
「降霊術なぞ使って……!」
降霊術。
その言葉を耳にして、私は最初に、ジョンが私を殺そうとした時のことを思い出すーーー
ーーー降霊術は、魂を神域から降ろす術
ーーー降霊術は禁忌
ーーー俺が教えた
ーーー本当にやるとは思わなかった、姫様も、『アリア』様も
「ちょ、ちょっと待って……ください!!」
私はジョンを痛め続けるモガーナ向かって言った。
「ジョンは悪くないんです!!降霊術はひ……」
その瞬間、俯いていたジョンが、凄まじい殺気と共に私を睨み上げた。
『言うな』
ジョンの目はそう言っていた。私の首元を噛み切らんばかりの気迫であった。
私は思わず口をつぐむ。
……そうだった。姫様に名誉を護るために、ジョンは私を殺そうとし、自害しようしていたのだ。
私はそれ以上、何も言えなくなってしまったが、私の呼びかけは功を奏したようで、モガーナは足を止めると、私の方をぐるりと向いた。
「……〈まれびと〉よ」
その黒目がちな瞳に射抜かれた瞬間、私の体はガチリと固まった。
姫様とは異なる、深く暗い森のような威圧感。自然と足先が震え、日陰にいる冷たさを感じる。
「何故、降霊術が禁忌なのか、わかるか?」
にも関わらず、背中に一筋の汗が伝った。
私は慎重に、ジョンの言葉を思い出しながら、答えた。
「神域に……関わるからです……」
「では何故、人が神域に関わってはいけないか」
私は呼吸を忘れて、息を飲む。
「わかるか」
会話の相手がジョンだったのなら、私はいくらでも己の臆測を展開できただろう。
だがこの、モガーナネヴィルの前では、外した答えを言う、勇気が湧かなかった。
「わかるか、〈まれびと〉よ」
モガーナはジョンの頭から足を下ろすと、私に正対した。
そして私は全身で、彼女の意志と感情を受け取り、わかる。
「……わかりません」
この人の前で、誑かしてはいけない。
「素直だな」
意外にもモガーナは微笑みを浮かべた。
が、すぐに厳しい顔つきに戻した。
「『何が起こるかわからない』からだ」
そう言うと、モガーナは倒れたものと対になっているソファーに移動し、腰を沈める。
そして、倒れているソファに手を向けて、顎で『座れ』を促した。
私は戸惑いながらも頷くと、ソファを戻して、そこに座った。ジョンはすでに床から起き上がっていたが、立ったままだった。
「『神』とは何か」
モガーナは間にあるテーブルに手を伸ばすと、小皿の上から白い葉を摘む。
「この世界だ。そして世界の運行原則が魔法。それ自体を神とも定義できる」
そして同じ皿に立つ蝋燭の火で葉を炙る。葉は赤く発火し、くぐもった匂いが立ち込める。
「わからないか。そうだ、テコンドーにも、ルールだろう?同じだよ。競技選手である以上、ルールは神聖不可侵」
それは、そうだ。
私は頷く。
競技選手は定められたルールの下で戦い、選手個人がルールを変えることはない。ルールブレイクは単純に、違反行為だ。
……いや待て、何故モガーナが、テコンドーについて知っている?
モガーナは薄い煙のベール越しに、薄らと笑った。
「世界に属するなら、世界のルールを護らねばならない。死者不蘇生の原則。これを破るにが、『降霊術』だ」
「……でも私って、いわゆる『異世界に転生』したんですよね…?それってルール違反ですか?」
「君のは『転生』ではない。『降霊』だ。現に私には、君の体に2つの魂が重なって見える。まるで、『判ずれ』のようにな」
モガーナは指で輪っかを作り、それを介して私を見た。
彼女には、私『達』が印刷物のように見えているのだろうか…?
彼女は続ける。
「『降霊』は原則違反だ。〈まれびと〉よ。テコンドーの試合にサッカー選手が出たらどうなる?」
「……試合になりません」
「そうだな、最早形を成さない。君は世界原則外から来た〈まれびと〉だ。ルール無用。故に『何を起こすかわからない』。この世界自体を、破壊してしまうかもしれない」
私はここにきてようやく、少し感情を持つことができ、静かな怒りが湧いた。
「私が……この世界を破壊するかもしれない……?」
心臓が脈打つ音が聞こえ、これまでの、アリアサマセットとしての行いが、記憶のページを捲るように蘇る。
「……そんなこと、しません」
私は私に、大丈夫だ、と言い聞かせ、何も悪いことはしていない、と記憶の本を閉じる。
しかし、モガーナは「は」と軽く笑うだけで、私の確認作業を一蹴した。
「君の信念がどうであれ、君の存在や行動は、世界に予測不可能な影響をもたらす」
そうモガーナの唇は薄く横に引かれたが、それは私を穏やかにさせるものとは程遠い表情だった。
「……と言うか、すでにそうだろう。君は騎士団に平民を迎えたようじゃないか」
「それは……!」
その言葉に何故か、レイハミルトン小隊長の顔が頭に浮かんだ。
「悪いことじゃないでしょう!みんな、国のために、民を護るために、立ち上がりたいって思っただけだ!」
「世界は多面的で多層的だ。君たちにとってはいい事かもしれない。だが他は?今だけではない。10年後、100年後は?それはいい事か?」
「そんな事……そんな事言ってたら……!!」
気がつくと私はソファから立ち上がっていた。
「何もできなくなる……動けなくなるじゃないか!!」
頭が沸騰し、自分でも私の意志と感情が溢れ出ているのがわかった。
葉が燃え尽き、煙のベールが消え、モガーナの顔がはっきりと見える。
その表情は相変わらず厳しいものだったが、深淵のような瞳の中に、少しだけ光のようなものが差し込んだ気がした。
「その通りだな」
モガーナは言った。
「つまりは〈まれびと〉、その存在の影響を、力の使い方をよく考えろ、と言うことだ。私にはそう警告することしかできない。助けになれず、すまないな」
モガーナは指先で、すでに炭になっていた葉を丹念に潰していた。
急に謝られた私は、それまでの勢いが急激に萎み、ぽかんとしてしまう。あれ、これもしかして…なんか話噛み合ってなくね……?
収めどころを失い、助けを求めて横を見ると、すでにジョンが一歩前に出ており、口を開いた。
「モガーナ様、あなたの助言が欲しいのは、そのことではありません……いや、そのことでも叱言があるとは覚悟していましたが……あなたにこれを見て欲しいのです」
ジョンは布の包みをテーブルの上に置き、封を解いた。中からはあの木片たちが現れる。
モガーナは怪訝そうな顔をしながら、その内の1つを取り上げると、木片を裏返して「なんだ」と拍子抜けしたような声を上げた。
「古代文字じゃないか。これがどうした」
するとジョンが「先日の……」ソファに座って、事の経緯を話し始めたので、私もタイミングを見計らって、そろそろと腰を下ろした。
「ーーーーなるほど」
一通りの説明が終わった後、モガーナはしげしげと木片を眺めながら言った。
「ジョンからの便りが『助言求ム』だけだった故、君達を見た瞬間に『降霊術』のことかと思ったが……いやはや早とちりだったな。すまんな〈まれびと〉」
いや開幕同時ドロップキックは、早とちりにも程があるだろう……
とも思ったが、そう言って私を見るモガーナの深淵に慈愛のような色が垣間見え、私は思わず「いえ…!とんでもないです!」と背筋を伸ばした。
それを見て微笑んだかと思うと、モガーナは「ジョン!」という鋭い声と共に、木片でジョンの方を指した。
「貴様は相変わらず言葉が下手だな!だから古代文字への造詣も浅い!!」
その厳しい言葉に、ジョンは素直に頭を垂れる。
「不出来な弟子で申し訳ありません。俺自身でも解読を試みたのですが……」
「では憶測でもよい。己の見解を述べよ」
「火に、関する文字だと考えます」
「よろしい。『灯火』の文字だ。だが……」
「他の文字がバインドされている」
「そうだ」
そこで私が「ちょ、ちょ、待ってください!」と間に入る。
「古代文字が文字そのものに意味があるってのは、ジョンから聞きました。ですがバインドってなんですか?!」
モガーナは手にしていた木片を布の上に置いて、言った。
「他の文字と重ね合わせ、相乗効果をもたらす」
それから別の木片を手に取り、その上に置く。
「君の世界でいう漢字と一緒だよ」
だから何故、漢字を知っている。
モガーナは静かに笑うと、さらに木片を重ね合わせた。
「ここには3つの文字がバインドされている。実に高度な技だ。扱うのも読むのも難しい。だが…」
モガーナは積み上げた木片を崩す。
「一つ一つは簡単な文字だ。ここにバインドされているのは『言葉』『与える』『灯火』」
「え、えと……つまり?」
「有り体に言えば、呪文を詠唱して火を起こす、ということだな」
「あ、ああ!なるほど!!」
私は合点する。
あれだ、ファンタジー系ゲームや漫画でよく見る、火の呪文ということだ!
それらしい魔術もあるのか!と感心している私をよそに、「とはいえ」とモガーナはため息混じりに言った。
「多少の面倒とはいえ、火など火打ち石さえ使えば誰でも起こせる。わざわざ古代文字を持ち出してバインドするなんて…全く、酔狂なことだな」
そこでふと、私は思いついて、尋ねる。
「あの、もし……そのバインド文字を数カ所に書いて詠唱すれば……別々のところに同時に火を起こすことは可能でしょうか……?」
モガーナは少し目を見開くと「使用者の練度にもよるが」とエクスキューズをつけて、答えた。
「不可能ではないだろう」
「やっぱC4爆弾じゃん!!!!!!!!」
天啓を得た!と言わんばかりに、私はまた思わず立ち上がってしまった。
横にいるジョンやモガーナでさえ、私を「なんだコイツ」という目で見上げていたが、「ぷっ」という意外と可愛らしい噴き出し音を皮切りに、モガーナが大笑いした。
「ははは、〈まれびと〉よ。流石の私でも、はは、君の世界のことを全部知っているわけではないんだ。あはは」
え、なぜ笑う…?
私は戸惑う。
これほどまでに笑うの姿は弟子とっても珍しいのか、ジョンも怪訝そうな顔をして、モガーナを見つめていた。
モガーナはひとしきり笑い終えると、独り言のように「面白いな、本当に世界は多層的だ」と呟いてから、私に言った。
「すまんが、君の考えを教えてくれないか?」
つまるところ、私の考えはこうだ。
①樽などの容器に火薬を詰め込む。
②容器にバインド古代文字を書き込む。
③詠唱して火をつける
④爆発する
なんてことはない、飽きるほど設置したタル爆弾である。
しかしここでのミソは、遠隔から複数同時に起爆できることで、それであればあの連続爆破事件に説明がつく。
モガーナは「なるほど、不可能ではない」と顎をさすった。
「火薬の知識はもちろんだが、先ほど言った通り、魔術への造詣が深ければ……というオマケ付きだがな」
「しかし実際それが起こった!のだとしたら!」
私は両膝を叩く。
「逆にそれは重要な手がかりになります!犯人は『魔術にとても詳しい』!」
先日のメインストリートでの調査で、犯人は『街の状況に詳しい』ことがすでにわかっている。それに加えて今、新たに『魔術に詳しい』という情報が加わった。
もちろん、この世界には魔術を使える人がたくさんいるだろうが、あの(一応)魔術の天才たるジョンでさえ(苦手分野とはいえ)解き明かせなかった古代文字を扱えるとなると、『魔術に「「とても」」詳しい』に違いない。
まだまだわからないこともあるけど、少しずつ真実の側面が見えてきたような気がする……!
「ありがとうございます!!モガーナ…様!」
私はモガーナに頭を下げ、感謝を述べる。
「とても参考になりました!早速王都に戻って、部下と調査を…」
「まあそう焦るな〈まれびと〉よ」
三度勢いよくソファから立ちあがろうとする私を、モガーナは手を挙げて止める。
「今日はもう遅い。これから王都に戻るのも大変だろう。ここに泊まっていきなさい」
私は中腰の状態で答える。
「い、いや…でも早く調査を進めないと……」
「泊まっていきなさい」
その声には有無を言わさぬ凄みがあった。
私は最初にモガーナネヴィルと対峙した時の感覚を思い出し、あの暗い冷たい森の中でそれ以上動けなくなる。
かつては馬車で無限空気椅子を経験した身としては、このまま中腰の状態でも耐えられそうではあったが、私は素直に重力従って、再びソファの柔らかさに尻を落ち着けた。
そうしないと生涯そのままになりそうだったらだ。
「……お世話になります」
「よろしい」
モガーナは柔らかく笑って、足を組んだ。
「いかなる存在にせよ〈まれびと〉は歓待する、そういう『習わし』なんだ。ぜひこの城でくつろいでいってくれ。『郷に入れば郷に従え』と言うだろう?」
私は否応無しに頷くしかなかった。
『郷に入れば郷に従え』という言葉が、この世界にもあるのかは最早わからなかった。
その後、
モガーナは席を立ち、「迎えが来るまでここで待っていてくれ」と部屋から出ていった。「今日はちょうど、他にも客がいるんだ」扉が大きな音を立てて閉じ、部屋にはモガーナ来訪前の静けさが戻ってくる。
隣で、低く長い息が吐かれる。
見ると、ジョンの頬に一筋も二筋も汗が流れ落ちていた。
「ジョン…」
「大丈夫だ、問題ない」
ジョンは私を見ずに言った。
その顔は、本当ならば倒れ込んで安堵したいところを、なんとかいつもの姿を保っているかのように見えた。
ジョンとは、意見を違えて喧嘩している途中であったけれど、私がそうであるよう、私の前でくらい肩の力を抜いてくれればいいのに、と少し寂しい気持ちにもなった。
少しくらい、信頼してくれてもいいのに。
そのままの状態で幾らかの時が立ち、太陽が城を囲む壁の向こう側に行ってしまった頃、ようやく部屋のドアがノックされ、使用人が「お食事の準備ができました」と案内に来た。
私はやっとこの空間から解放されたと思い、低く長い息を吐いた。
私たちは使用人に連れられ、蝋燭の小さな光にだけ照らされた薄暗い廊下に出ると、大広間を介して、中庭に面した、真っ白で天井の高い部屋に通された。豪華絢爛なシャンデリアや、実物よりも大きな肖像画にも目が惹かれたが、それ以上にこのダイニングルームの先客の顔に、私は目を丸くして驚愕した。
「やあ、こんばんは。アリアちゃん」
「エ、エド?!?!」
そこには軽薄な笑顔で私に手を振る、エドワードラッセルの姿があった。
「なんでこんなところにいんの?!?!」
一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます
https://t.co/YrR7qkmi8z
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