(23)仲間
瞬間、音が消える。
あたりは急に薄暗くなり、木片や石や、あの色鮮やかだった布が、燻った視界の向こうで地面に降り注いでいる。
誰も、何が起きているかわからない。
ドォン……
とまた、どこかで地面に響く音がした。それに続いて、ドォン…ドォン…ドォン……と連鎖するように、何度も揺れる。
「……ッ姫様!」
聞いたことがないくらい焦ったジョンの声がした。振り返ると、すでにそこにはジョンの姿は煙幕の中へと消え、代わりにガラガラと崩れていく建物が見えた。え?と思った瞬間、右横から「小隊長!!!」と右から衝撃を受け、私の体は横へと吹っ飛ぶ。
なんとなく、デジャヴ。
ガチャン!と鎧が地面に叩きつけられる音と共に、私の側頭部も殴打され、視界が揺らぐ。
あれ、コレまた死んだ?
しかし「小隊長!」という耳元の大声で、揺らいでいた視界はすぐに焦点が定まり、今回はまだ生きていることわかる。
そして同時に、つい数秒前まで私がいたところに石塊が落下しているのが見えた。
「大丈夫か!小隊長!」
アンドリューは私を地面に押し倒したまま、血相を変えた表情で私にそう叫んだ。
「あ、いや……」
私はまだ状況が把握できていない。ただ狂ったように絶叫しながら、忙しなく動く人々の足だけが見えた。
「何が…」
「爆発した!!!!」
アンドリューは叫ぶ。
「建物が爆発したんだ!!!!」
は?
「全然!何もわからんが、中から、急に……!!」
は?
私は覆い被さるアンドリューをどかして、立ち上がり、しっかり自分の目で辺りを見回した。
そこは阿鼻叫喚だった。
われ先にとこの場から逃げようとする人々、押し倒された屋台、散らばって踏み潰された果物、最早形を変えたイーストエンドの姿。
「何が…起きて…」と溢していると、後ろから「小隊長!!!」とまた叫ばれ、私は振り向いた。
「なんとか…しねえと……!」
ああ、そうだ。
呆けている場合ではない。
私はまだ死んでおらず、アリアサマセットで、第七小隊の小隊長だ。
「まずは知らねば!!!」
私は咆哮する。
「私が今から、離れてる君の分隊員を呼び戻しに行く!!君はここで状況を集めろ!!」
それから、屯所に駐在していた者たちに向かって、怒号する。
「すでにこの場にいる者は人命救助だ!!怪我人の有無を確認!!ここを救護所にしろ!!また、二次被害が出ないよう、民を安全な場所に誘導しろ!!」
正直、自分でも何を言っているのかわからない。ただ今はこの状況を何とかしなければならない。
幸い、隊員たちは私の要求を理解し、すぐに行動を始めてくれた。
私は再度アンドリューの方を向く。
「この場は任せたぞ。アンドリュースミス分隊長!!」
「わかりました!」と言う言葉を聞いたか否かのタイミングで、私は走り始めた。
イーストエンドは突如発生した爆発で大混乱だ。元々人が多くて走りづらかった所が、より一層動きづらくなる。私はなるべく人を避けながら進んでいたが、それでも逃げ惑う人々が次々にぶつかってくる。ああ、くそッ!これじゃ思うように動けんッ!!と私の血潮は煮えたぎり、頭が沸騰する。
だがそれが、トリガーになって、ある記憶が蘇ってきた。
ーー内務室は都合が良かった。長いデスクが多いため、擬似的な路地ができるのだ。
ーーもちろんデスクを超えてこられたら終わりなのだが……
さらに、先ほどのジョンの言葉を思い出す。
ーー意識してるか?
ーー足への意識はお前の得意分野だろう。
そして、点と点が繋がる。
道は人がいっぱいで通れない?
なら、
「飛び越えればいい!!!」
私はグイッと膝を曲げ、力の流れが足に向かうのを感じると、飛ぶッッッ!!と力強く思って、地面を蹴った。すると私の体はブワッと宙に跳ね上がり、狙い通り、崩壊を逃れた建物の上に上がる。
「ははっ」
目の前には誰もいない、屋上という名の『道』が続く。崩れたところもあるが、十分に足場はある!
私はその『道』を走り始めた。こんな時だと言うのに、私の顔には笑みが思わず笑みが溢れる。
「忍者!忍者!」
私は建物と建物の間を飛び越える。はは、ニンニン!
しかし高い所へと上がり、遠くの方まで見渡せるようになったおかげで、私の場違いな浮かれ気分は急速冷凍された。
変わり果てた、祭の様に愕然愕然とする。
イーストエンドだけでも2、3本。
さらにはメインストリートの方にも黒煙が何本も上がっている。
「これって……同時に、他でも……」
倒壊に巻き込まれた人が悲鳴をあげているが、逃げ惑う人にはそれに気がつく余裕もない。逃げながら転んで、立ち上がれず泣き叫ぶ母子もいる……。
狼狽を振り切ろうと、私は頭を振って、再度足を進める。しかし少しでも集中力を欠くと、力のコントロールが上手くいかなくなり、危うい足場から転げ落ちそうになる。
くそッ!落ち着け!しっかりしろ!と自分を叱咤しつつ、混乱する街路の中に甲冑姿を見つけ次第「一度屯所に戻れ!それから分隊長の指示に従え!」と屋根の上から声をかけて回る。だが、内心では不安が膨れ上がる。この、道の入り組んだイーストエンドで、どれだけの被害が出ているかわからない……。
そのような焦りの中を、群衆とは逆方向に進む、よく見知った普段着姿の男の姿を発見した。私は希望を見出して叫んだ!「マーク!おい!マークおい!!」桶屋マークは自分の名が何処から呼ばれているかわからずキョロキョロしている。
「上だ!!上を見ろ、マーククーパー!」
マークは言われた通りに上を向き、「は?!え、エアリアル!?」と目を丸くした。
「なんでそんなとこいんだよ!!」
「お前!仲間集めて路地回ってくれ!!逃げ遅れた人や巻き込まれた人を助けろ!!地元の道がわかる、お前らにしかできない!!」
すると、マークの目の色が変わったのが、ここからでもわかった。
「私は北に行く!イーストエンドはお前らが護るんだ!」
「応!任せろッッ!!」
その姿に、むしろ私の方が勇気が湧いた。
私は強く頷き、建物の屋上へ伝って、メインストリート北の屯所へと文字通り、飛んで向かった。
本当に、屯所案は素晴らしい。
『こんな時』何処に行けば仲間と合流できるかがすぐにわかる。
事実、私が北の屯所にたどり着いた時には、すでにピーターらによる救助活動が始まっていたようで、避難民の介抱が行われていた。ピーターの父など、無事だった市民も加わり、懸命に対処をしている。私は少しばかり安堵する。
「こっちはどうなってる!!」と突如上から現れた私に、ピーターはギョッとしたが、すぐに近況報告をしてくれた。
やはりこちらでも、建物数ヶ所が内部から同時に爆発したようだ。美しく飾られていた祭りの看板は地に落ち、仮説の足場はバキバキに崩れている。
メインストリートはパレード客でより混雑していた分、パニックの程は東の比ではなく、この場から脱出しようとする者ですし詰め状態だった。足がすくんでうずくまる老人を、懸命に立たせようとする若者。だがその者も、後ろから押されて倒れ込んでしまう。
これは最早人災の域だった。
「不幸中の幸いと言いますか、こちらは物資過剰でしたので救急処置はできています!……が、それでも救助の手が足りません!!」
ピーターは悲痛に叫ぶ。しかしその声が掻き消されるほどに、周囲では悲鳴怒声絶叫が絶え間なく響いている。
私は甲冑の中、背中に汗が流れるのを感じ、何か考えなければならないのに、その気持ち悪さが頭の中を支配していく。何か、ああ暑い、何かを、脱ぎたい、考えなければ……。
そこへ、
「アリア様!」
と場に似つかわないほど可憐な声が、私の名を呼んだ。
「アリア様、よくぞご無事で……!」
私に駆け寄り、心配と安堵の表情を浮かべるパトリシアの真っ白な肌は、煤で黒く汚れ、細かい傷がいくつもできていた。
「パティ……君こそ無事で、いや…顔に傷が……」
パトリシアは今それに気づいたのか、自分の顔を拭って指先を見ていたが、「……こんなの、いえ」とすぐに笑みを浮かべて顔を上げた。
「これで!僅かながらですが、アリア様とご一緒です!」
ああ、なんて。
君たちは、なんて、私に力を与えてくれるのだろう。
鼻の奥がツンとし、目の端がじわじわと熱くなる。
だが、ここで私が、泣いてはいけない。
私は右手で思いっきり、自分の頬を叩く。めっちゃ痛い。痛みで正直ちょっとだけ涙が出たが、それで満足した。
私の奇行にパトリシアは驚愕していたが、さらに私が「失礼」と急にパトリシアを横抱きにしたことで、彼女は「ア、アリア様ァ?!」と動転した。私はニッと笑って言う。
「少し怖い思いをさせる。しっかり捕まっていてくれ」
そして私はパトリシアを抱いたまま、また足に力を先ほどよりも強く流し、地面を思いっきり蹴った。
その瞬間、私たちは宙を飛ぶ。
混乱、喧騒、全てを飛び越えて、上へ。
「キャアアアアアアア!!!」というパトリシアの悲鳴が終わる頃には、私たちは爆発を逃れた建物の上にいた。
私は今だ怖がって首に抱きついているパトリシアを背中を叩き、屋上に降ろす。それから下に見える群衆を指差した。
「パティ、ここからみんなに声をかけてやってくれ。できれば街の協力者にも応援も。何を言ってもいい。とにかくみんなを落ち着かせて、誘導してほしい」
「でも、わたくしに、そんな…」と彼女は不安そうに俯いたが、私は彼女の肩を抱いて、言った。
「君が、心からそう思って、そう信じて、そう呼び掛ければ、それはみんなにも必ず通じる。君にはそういう力がある。パティ、君にならできる」
眼下でパニックを起こす群衆を見て、小刻みに震えていたが、パトリシアはそれ打ち消すようにグッと両手を握りしめると、
「わたくし、やりますわ……!」
と力強く言った。
私は頷き、この頼もしい部下の肩を叩く。
その時、下から誰かの野太い悲鳴が届いた。
「火事だ!!!!!向こうで火事が起こっているぞ!!!!!!」
ああ、もう、次から次へと!
騒ぎの方向に目を向けると、爆発の炎が少しずつ引火して大きくなったのか、人の背を優に超えた火柱が上がっていた。
さらに大きくなる叫び声、鳴き声。パキパキと木が燃えていく音。
人が、人が足りない……!!
私の顔は意識しないうちに歪んでいたようで、パトリシアが不安げに私の名を呼ぶ。
だめだ!ここで彼女の心に影を落としてはいけない!それは彼女の『力に影響してしまう』!
私は決断をしなくてはならなかった。
「パティ、私は大丈夫だ。君はここで君の役目を果たしてほしい」
そして私はなんとか口角を上げる。
「私はレッドローズサーカスに向かう!」
そして、私は屋根伝いに一目散に走り始めた。
レッドローズサーカスは、それまで一般人を締め切っていたのもあってか、驚くほどに無傷だった。爆発の形跡もなく、まるで何事もなかったかのように、薔薇が美しく咲き誇っていた。
イーサンたちはいない。おそらく爆発を聞いて、他分隊の援護に行ったのだろう。
だが、私がここに来た目的は第七小隊の仲間ではない。
「ああ、アリアちゃん。なんだ、来たんだ」
そいつはそこにいた。
数日前と変わらず、ヘラヘラと笑いながら。
「なんかパレードは中止になったみたいだね。王宮にしては判断早〜誰か助言でもしたのかな」
エドワードラッセルは、街のカオティックな状況など見えないかのように、穏やかな物腰で、この何も起きていない場所に立っていた。
「エドワード…ラッセル……小隊長……」
私は頭も体も疲れきり、足をふらつかせながら、彼に近づく。そして、頭を彼の顔が見えなくなるまで下げた。
「助けてくれ!!!人が、人が足りないんだ…!どこもかしこも混乱してて、向こうでは火事まで起きている!!頼む!!!第六小隊も一緒に、皆の人命救助にあたってくれないか!!!」
「……なんで?」
え?と思って、私は目線だけ上に上げる。するとそこには驚くほど冷たく深いの瞳で、私を見下ろすエドワードの姿があった。
「これで死ぬくらい弱い奴なら、死なせておけば?」
その言葉に、私は思わず彼に掴みかかる。だがエドワードは一つも動じず、ただ感情のない目で私を見ていた。
「それよりもコレの犯人探しの方が先じゃない?こんなん、明らかに王族狙いのクーデターでしょ?おれたちは『近衛騎士』だよ?わかってんの?」
「だからって、言っていいことと悪いことがあるだろ…!」
「……ああ、弱い奴は死なせておけばいいって話?はは、ホントのことじゃん」
「エドワードラッセルッッッ!!!」
私の頭の中にいろんな人の顔が浮かぶ。
「本気でそう思ってるのかッッッッ!!!!」
すると、何もなかったエドワードの瞳が薄暗く光った。
「じゃあ何、ここでひと勝負でもする?はっきりさせようよ、どっちが強いか」
「……は?」
「君が勝ったら、おれは君の言うこと聞くよ。でもおれが勝ったら、おれの言うことを聞け」
そう言って、エドワードは私を突き飛ばすと、剣を抜き、その切先をよろめく私に向けた。
「強者は弱者を好きにしていい。この世で最もシンプルな話だよね?」
「おれはずっとそうだった」と言うエドワードに、「そんなことをしている場合じゃ…!」と私は反論する。
しかし「勝負を放棄するなら、そもそもおれは協力なんてしないよ」と突き返される。
私は、どう転んでも、戦うしかないところに追い込まれる。
だがやらねば、街の混乱は止められない。
多くの人が命を落とすかもしれない。
私は自分の剣に手をかけて、鞘から抜いた。
エドワードはそれを見て満足そうに笑う。ああ、ようやく自分の舞台に乗ってきた、と言うかのように。
私たちはお互い睨み合い、そして同時に動き出した。