(2)貴族に転生しましたが、人生が壮絶でした
「あなた、やっぱり前世の記憶が入っているのね!!」
(おそらく)お姫様は私の顔を掴み、そう叫んだ。
彼女のサファイアブルーの瞳が、強い光で閃く。
その眩しい眼光の表面に、私ーー『私』の顔が映る。
今更ながら、私は『私』の顔をここで初めて目撃した。
ああ『私』ってこういう顔しているんだな。
ほとんど包帯で隠れているけど、よく見れば『お嬢様』とう顔立ちをしている。
そりゃあこの顔にデカい傷がついたら、ひどく落胆する人もいるだろうなあーーーー。
「あなた、アリアよね…?」
お姫様の瞳が疑惑の念で細くなった。
同時に『私』の姿は歪んで消える。
私は「あっ」と思ったが、
「アリア?」
というお姫様の追撃を喰らって、逃げ場を失ってしまった。
『アリア』と、この世界のみんなは私はそう呼ぶ。
ーーーーならば私は、多分『アリア』なのだろう。
私は口を開く。
「はい」
しかしそう実際口にしてみると、なんだかそれは嘘のようにも思えた。
「……いえ、違うと、思います……私は……」
「やはりッッ!」
お姫様の声で、私の声は遮られる。
「ああ、なんて、なんてタイミングで前世の記憶が入ってしまったの!これでは何の意味も……!」
彼女は独り言にしては芝居がかりすぎたでかい声を出し、立ち上がって頭を抱えていた。
が、
「いや」
という否定を皮切りに、急に静かに、今度は本当に独語レベルで呟いた。
「いや、意味は……ある。確実性にはかける、が、あるいは、今回は十分に準備が……」
「あ、あの、ちょっと?」
流石の私も不安になり、ひっくり返す返っている持ち上げて、ツッコミを入れた。
「意味がわからないんですケド」
すると、
「ああ、ごめんなさい」
お姫様はサファイアブルーの瞳を、上半身だけ起こした私に向けた。
「少し、考え事。でも、先に状況を明らかにしたほうがいいわね。改めて聞くけど、あなた、前世の記憶が入っているのよね?」
私は少しだけ戸惑いながらも「……はい」と頷く。
「うん。おそらくだけど、御前試合の時に記憶が入ってきたのよね?」
「そもそも御前試合というものが何かはわかりませんが、この」
私は自分の顔を指差す。
「顔を斬られた時に『そう』思いました」
「記憶が入ったと?」
「……おそらく」
お姫様は嘆息し、首を横に振った。
「ああ、本当、なんてタイミング……だけど中々上手くいかなかったのは、最後のピースがそれだったからなのかもしれないわね。皮肉なことだけど」
「……?つまり?」
お姫様は傲岸不遜な表情で、私を見下ろして言った。
「あなたに前世の記憶を入れたのは、私、ってことよ」
は?
「……は?」
「私がやらせた、と言った方が正しいわね。いずれにせよ、あなたが今その状況にいるのは、この国の王女たる私が原因よ。一応立場を持ってここに示しておくわ」
そのまさにあっけらかんとした態度に、私は腹の底から声を出してしまった。
「はあああああああ?!?!?」
するとやはりお姫様であったその人は、今度は何故だか可笑しそうに
「ふふ、その反応。以前のあなたなら考えられないわね」
と笑った。
い、いや……。
「意味がわからないんですケド?!」
「そうね、だから状況明示の続きよ」
お姫様は言った。
「あなたには前世の記憶が入っている。でも『アリア』としての記憶はほとんど忘れてる、そうじゃない?」
アリアとはーー私のことだ。
正確には、私が転生した『先』ーーが『アリア』だ。
「うむむ」と私は小さく唸る。
確かに。
私は急に、この世界ですでに数十年生きている『アリア』になった。
「……はい。というか『アリア』どころか、この世界のこと自体何もわかりません」
「やはり。まあ予想はしていたけどね。やはり人の器には限界があると言うことか……」
私は不意に昔(前世)、兄たちと見たオカルト番組を思い出した。
前世の記憶特集、という企画をやっていた。
そこでも、お姫様の説明と同じ事が言われていたような気がする。
時々、前世の記憶を持って生まれてくる子供がいる。
そういった子たちは総じて、大人になるにつれ、前世の記憶をなくしていく。
「つまりあなたの記憶が入ってきたせいで、『アリア』の記憶が消えた、と言うことね」
お姫様は平坦な口調で言った。
「まあ思い出せない、と言うのがより正しいかもしれない。記憶は消えない、引き出せないだけで……」
私の中に一つの疑念が走った。
「あの質問いいですか」
私は手を挙げる。
「そもそも何で、前世の記憶を『アリア』に入れようとしたんですか?」
お姫様は黙って私を見下ろした。
サファイアブルーの瞳は、無感情だった。
それは彼女の美しい容姿も相まり、まさに征服者の如く人を圧する雰囲気があった。
人に有無を言わせぬ空気感があった。
私にはそれを、腹立たしく思った。
「なんでッッ!!」
私は立ち上がり、お姫様と正対する。
「『私』……『アリア』の!記憶が消える可能性を知っていながら、なんで!!このようなことをしたんですか!!」
事情は全く何も知らない。
だが私は、腹立たしく思った。
私のことはさておくにしても、『私』は何故、生きてきた証を消される羽目になったのか。
私はそれを、理不尽だと感じた。
私は今、『私』であるからこそ、そう思うのかもしれなかった。
「……」
お姫様は口を閉ざしたままだった。
多分『この世界』の人間なら、ここで目を逸らすなり、謝罪を入れるなりするだろう。
だが残念ながら、私は違う世界からきた人間だ。
少なくとも私は、相対する者からはけして目を逸らしてはならないと、そう教えられてきた人間だった。
「……ふ、あなたって本当に『アリア』じゃないのね」
結果、先に折れたのはお姫様の方だった。
お姫様は「ふう」と諦めたように俯き、
「話せば、長くなるのだけど」
と溢してから、再び顔を上げた。
「『アリア』は優秀な近衛騎士だった。女性でありながら、御前試合に挑めるほどに……ね」
「あの……そもそも、御前試合、というのは……?」
「近衛騎士団の騎士長を決める試合のことよ。各家にも私設兵はいるけれど、近衛騎士団は王直属軍なの。その騎士長になれば、栄誉ある薔薇騎士の称号を得るーーだけでなく、この国の軍事的指揮権を大きく握る。政治権力にも関わるーーーーというのは、それはさておき」
お姫様は腕を組む。
「それができうるまでに、『アリア』は優秀だった。目指していた。だけど……だからこそ、精神的には危うい部分があった。私と『あの子』は元々は学友だったの」
「学友?!同級生……ってことですか!」
「そ、パブリックスクールのね。その時すでに『彼女』は男装をしていたわ。王族が各家の事情に深入りするのも良くないから、事情を詳しくは聞いてないけど」
彼女はやや伏せ目がちになった。
彼女のサファイアブルーの瞳は、ほとんどまつ毛の隠れてしまった。
「でも想像には固くない。『アリア』はサマセット家の一人娘だったもの。だから『彼女』は成らなければならなかった。サマセット家の、優秀な、男子にね」
私は心中で、マジかよ、と思った。
やはり私が今来ている服は、明確に男装だったのだ。
そして男装は、単なるファッションである以上に、その者の生き方を決定づけるものだった。
つまり『アリア』は、女でありながら、男として生きていたのだ。
「重圧、重積の中で、『アリア』は悲痛なほど必死だったわ。それが、『彼女』を擦り減らしていたことを、『彼女自身』がよくわかっていた。ふふ、だからこんな、前世の記憶を入れるなんて荒唐無稽な私の提案にも、『彼女』は賛成したのよね」
「待ってください!」
私は思わず口を挟んだ。
「それって……それで記憶を失うかもしれないって、『アリア』自身わかっていて受け入れたのですか?!」
「ええ、勿論説明したわ。でも『彼女』はこう言った。『問題ございません。やりましょう。それで姫様の宿願と私の役が果たせるならば』……とね」
そこでお姫様は一息ついた。
それから顔をあげ、両手を広げた。
「の、結果がこれというわけ」
これ?
「これ?」
と、私が私を指差すと、お姫様は呆れたように眉を下げた。
「そう、それ。あなたの性格は占いである程度わかってたけど、それなりに当たっていたわね」
い、一体どんな占いだったんだ……?
「まあ、あなただけじゃなく、この状況自体が結果ね。術は成功した。成功したのが、御前試合に負けた後だったというだけでね」
「……あの、もう一つ質問いいですか」
「どうぞ」
「あ、いや、姫様の宿願ってなんですか?」
姫様の眉尻が上がった。
「……どうして、それが気になるの?」
「上手く言えないんですけど」
私は頭を掻いた。
「『私』ーー『アリア』の役ってなんだろうって感じて……いや、薔薇騎士?っていうか騎士長?になることだとは思うんですけど……『姫様の宿願』とセットでもあるんですよね?って、引っ掛かりがあって……」
姫様は目を細めて、また少しの間、沈黙していた。
今度の沈黙は先ほどとは異なっていたが、彼女が何を考えているかは
そして何か言おうと、姫様が口を開きかけた。
その時、私と姫様の間に何か大きな影が割って入ってきた。
「姫様、そろそろお時間が……」
それは、人間の背中だった。
声からして男だった。
その人物は漆黒のローブを着ていたため、一瞬影のように見えた。
ん、待て。
今までこの部屋に私と姫様の他に誰かいたか?
まるで気配がなかった。
「ああ、うん。そうね、これ以上アリアを引き留めておくのはこれくらいが限界ね」
しかし当の姫様に特に驚いた様子はなかった。
むしろ最初から、この男が同席しているのを知っていたかのような態度であった。
影の男は私には背を向けたまま、まるで姫様を隠すかのように立っている。
「アリア」
姫様はその影の脇から顔だけだして、私に言った。
「さあ、お父様に会いに行きなさい。謁見の間には私もいると思うけど、今の話は内密に。それと……」
「それと?」
「もしーーあなたのやるべきことがわかったら、もう一度私に会いにきなさい。その時唯一力になれるのは、この私でしょう」
それに返事する間もなく、私は黒ローブの男に押されるようにして部屋の外に出されてしまった。
バタン、と扉が閉められた。
私は王宮の廊下で、一人途方に暮れてしまう。
なん、なんだ……?
私は、もう二度と開かないであろう扉を見つめる。
なんなんだ、あの予言めいた言葉は……!!
「アリア様!」
廊下に突っ立っている私を、ちょうど先ほどの従者が見つけ、近寄ってくる。
「ああ、こんなところに。困りますよアリア様!ちゃんと着いてきてくださらねば!」
私はハッと従者の方へと顔を向ける。
「す、すいません」
とは言ったものの、微かな違和感が私の頭を掠めた。
『ちゃんと着いてきてくださらねば』?
「あの……」
私は従者に聞いた。
「私のこと、どれくらい探してましたか?」
従者は一瞬キョトンとした顔をしたが、姿勢を正して答えた。
「どれくらいって……ほんの2、3分ほどですかね?……あ、あ!」
そして顔を急速に青ざめさせた。
「すいません、すいません!それくらいの時間なら許せと言うことですよね?!すいません」
「あああ違います違います!」
私も慌てて否定する。
「1分だろうが30秒だろうが、ご迷惑をおかけしました」
そうしてひとしきり互いに謝りあい、一旦ほっこりした後「じゃあ、行きましょうか」と私たちは謁見の間なるものへと足を運んだ。
姫様の話、そんなに短くなかったよな?と思いながら。
国王夫妻ならびにその王女との謁見は、極々簡素なものだった。
あの傲岸不遜の姫様のことだ、その両親はさぞかし……と思っていたが、予想に反して国王夫妻は2人ともかなり物腰が柔らかく、有り体に言えばいい人たちだった。
私の顔の傷についても、ありがたい慰めの言葉を頂いた。
「姫が大層心配していてな。卿を王宮に呼べと何度もせがんできたのだよ」
と、国王陛下は人の良さそうな笑みを浮かべて仰られたが、当の姫様は
「息災で何よりです」
と台本じみた台詞を読み上げただけだった。
明らかに心ここにあらずといった様子で、なにか考察モードに入っているようだった。
おそらくだが姫様の用事は、ついさっき終わってしまったのだろう。
そのため謁見自体は、かなり形式的なものとなった。
これのために、私は家から半日もかかる王都に呼び出されたのか?
と思いつつ、『アリア』・サマセットの家に再三出頭命令を出してきたのは、どうやら裏で姫様が動いていたようでもあるから、本懐は謁見前の密談だったのだろう。
国王自体は「まあ姫がそんなに言うなら」くらいの気持ちしかなかったに違いない。
ーーーーあなたが、やるべきことがわかったら、もう一度私に会いにきなさい
ーーーーその時唯一力になれるのは、この私でしょう
ふと、姫様の言葉を思い出す。
とにかく外に出たい。
体を動かして、この世界を見てみたい。
そんな思いで、私は王宮までやってきた。
だが逆に宿題を出されて、突き返されたような気分だ。
私がやるべきことーーーーとは?
この右も左もわからない異世界の中で。
確かに、自由に動かせる体を、もう一度手にすることができた。
それはあまりの幸福で、高揚のあまり血液が沸騰する思いだ。
しかし私が身を捧げてきたテコンドーという競技は、おそらくこの世界にはないだろう。それ自体はとても残念だ。
私はやはり、テコンドーで足をぶん回すのが好きだった。
ならばテコンドーを広めるのが、私のやるべきことだろうか?
それは何か、違う気がした。
答えはもっと、シンプルな気がする。
謁見終了後。
私は先ほどの同じ王宮の従者に、我が家たるサマセット家の馬車まで案内された。
私は従者に礼を言って、馬車に乗り込む。
馬車の扉がバタムと閉じられる。
実は王室側から、王宮かもしくは王都で一泊することを勧められていた。
これから帰るのも疲れるだろうと、怪我明けの私を気遣った申し出だった。
しかし私は少し考えた後、丁重にお断りすることにした。
謁見の時間自体短かったので、今から帰れば夜には家に着くだろうという算段もあったが、何よりこの場所は『アリア』にとって気の休まる所ではない気がした。
王都や王宮に着いてから、それらはずっとヒシヒシと感じていた。
好奇の目。
畏敬の目。
哀れみの目。
侮蔑の目。
時には言葉さえも。
私は『アリア』ではない。
だから、これらに対して真に傷つくわけではない。
だが『アリア』のことを考えると、悲痛な気持ちになった。
これらを骨の髄まで受けていた『彼女』を思うと、怒りさえも湧き上がる。
私には『アリア』の記憶がない。
だからほとんど、何も知らない。
けれど、『彼女』のことは他人事には思えなかった。
自由に動く体をくれた、恩があるからだろうか?
ーーーーといった考えは、また来たよ⭐︎半日耐久スクワットの前では、見事に霞んでしまった。
諸君、これが馬車である!!
まだ大学生だった頃、知り合いに乗馬をしている子がいた。
その子はよく、
「初めのうちは下半身の筋肉痛で大変だった〜」
と朗らかに笑っていたが、これって後で笑い飛ばせる話なのだろうか?
道路鋪道の大切さを文字通り身に染みながら、私は帰路についた。
サマセット家が近くなった頃にはとうに日が落ち、出立前は色鮮やか木々も暗闇の中に沈んでいた。
そしてやはり、私は汗まみれになってしまった。
だが耐え抜くことはできたぞッ!!
この体は本当に鍛え抜かれている。
馬車は無事、ここから先はサマセット家の私有地ですよ、という境界になっている鉄門前に着いた。
が、私は何か妙な雰囲気を感じた。
昼間と違って薄暗いというだけではない。門脇に併設されている小屋も、どうやら無人のようであった。
「あれ?迎えがないですね?」
と首を傾げたのは、馬車の御者だった。
普通は迎えがあるんか……と思いつつ、さりとて御者は御者で、何か異変を嗅ぎ取ったようだった。
「いや、いい。自分で行こう」
私には、自由に歩ける足があるのだから。
私は馬車から降りる。
そしてちょっと唖然としている御者を置いて、門からそれなりの距離がある邸宅方面までズカズカと歩いていった。
すると、屋敷の方からこちらに、息を切らして走ってくるシルエットが見えた。
屋敷からのわずかな明かりで、逆光になっている。
誰だかはわからない。
が、その動きからは非常状態であることが見て取れた。
な、なんだ…?!
私もそのシルエットに向かって走った。
その者は目の前で、足をもつれさせて倒れ込んでしまったが、間一髪、私はそれを受け止めることができた。
サマセット家のメイドだった。
名前こそ知らないが、昼間エブリン率いるメイド集団の中にいた気がする。
「ア、ア……」
走ってきたせいか、彼女は息を切らしていた。
上手く言葉が出ないようだった。
「大丈夫、ゆっくりで」
と、私が背中をさすってやると、メイドは数回空咳をした後に、私の腕をぎゅうと掴んだ。
「アリア様!だ、旦那様がご帰宅なされて……」
私の目玉は一回転した。
だ、旦那だって?
『私』って……結婚してるの?!
「今回の、御前試合の件で、奥様を、叱咤されていて……」
あ、いや、この感じは違うな。
この感じは多分、『アリア』の、父だ。
「奥様がお怪我を……!!」
「……かッ」
家庭内暴力!!!!
私はそれ以上は考える間もなく、涙ぐむメイドを抱きかかえ、立ち上がった。
家庭内暴力だーーーーーーーーッッッ!!!!!
そのまま、屋敷の明かりに向かって、走り出していた。
一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます
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(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)
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(2025/6/17 改稿済)