(12)我慢しろと言われていましたが、言うことは聞けませんでした
ゴリラ
私は『アリア』に起こった、何か、を知らなければならない。
第七小隊をまとめようとしていた『アリア』を諦めさせた、その何かを。
そのためにはひとまず日記に書かれていた、比較的良好な態度をとってくれるイーサンバーナードとコンタクトを取ろうと思った。
もちろん誰がイーサンバーナードなのかわからないのだが、どうしたものか考えた末、「おお、普通に呼び出せばいいのか、我、小隊長ぞ」ということで、「イーサンバーナードをアリアサマセットの自室に呼んでくんない?」とその辺にいる兵士を捕まえて、半ば無理矢理ことづけた。
そして私は自室の、椅子に座って足を組み、組んだ腕の指先を仕切りに動かしている。
……遅くないか?
ことづけをしてから、体感でゆうに2時間は過ぎ去ったような気がする。だが以降に、私の部屋を訪ねるものは誰もいなかった。窓の外から差し込む光が少しずつ照らす位置を変えていく。昨日寝ていないのもあり、瞼も重くなっていく…….。
「ええい!暇!!!」
と流石に辛抱たまらなくなり、ガタッと椅子を倒す勢いで立ち上がった、その時だった。
自室のドアを控えめに叩く音がした。その音は、私が実際に倒した椅子が、地面にぶつかる音よりも小さかった。
来たーーー!!!と言わんばかりに、私は走り、ドアを開けた。すると、酷くびっくりした様子の、短い黒髪にメガネの青年が、そこに立っていた。
「しょ、小隊長?!」
急に現れた私に、青年は目を丸くする。
あ、勢い余って自ら戸を開けてしまったけど、こういう時って、向こうから部屋に入ってきてもらうもんか(ジョンの時そうだったもんな)、と、いうか……
「君がイーサンか!」
と私は思わず青年、イーサンを指差してしまう。
昨日私が内務室を開けて、崩壊学級を目の当たりにした時、唯一私に挨拶してくれた青年が、『アリア』の日記に登場した、イーサンバーナードだったのだ。
イーサンは声にまでは出さないまでも「は?」という顔で私を見た。私は「ははは」とわざと大きめな声を出して笑って誤魔化し、イーサンを中へと通した。イーサンはボソッと「まさか本当に自室で待っているとは…」と漏らした。
部屋の中にはデスクの他に、簡素なテーブルがある。テーブルには同じくらいの簡素なイスが一対ついている。とりあえずイーサンをそこに座らせると、私はもう一つのイスに座って卓に着いた。
が、どうやって話を切り出そう。初手から脊髄反射で不審行動をしてしまったからには、これ以上やらかすといよいよ怪しまれるに違いない。ああ、しまったな。とにかく!イーサンとやらと!話を!と先走っていたせいで、その先どうするかはあまり考えていなかった。
私は2時間の間、一体何をやっていたのだろう…と自分の無策を後悔していると、なんとイーサンの方から口を開いてくれた。
「なぜ、自室などに呼び出したのですか?」
私は、は?、と思う。そして実際、声に出してしまう。
「は?」
「だから…!執務室じゃなくて、何で自室の方に呼び出したのですか」
しつむしつ?
私は頭の中の辞書を引っ張り出す。
執務、室。
そして内心頭を掻きむしる。
あ、あ〜〜!そういう場所があるのね!知らね〜〜〜!確かに、なんかミーティングルームじゃなくて、ホテルの部屋に呼び出されたら、警戒するよな!な?!あ〜!また不審カウンターが回る〜〜!
と、いう脳内てんてこ舞い祭りを、心の中のジョンを召喚し、落ち着け、と滅してもらいつつ、何とかそれっぽい理由を捻り出した。
「なんというか〜…イーサンとは一度、友人的な感じで?話してみたいと思って、さあ〜」
「あはは」とまた私が誤魔化すように笑うと、イーサンは意外にも「そうですか」とそれ以上の追求はしてこなかった。
「小隊長とオレが、友人として、ね」
「そう!友人としてね!ほら、まあ結局仕事の話になっちゃうけどさ、私がいない間どうだったかな〜とか」
「それは、昨日一通り報告したはずですが」
そうでした。
「スマン!あまり聞けてなかった!」
私は慌てて 頭を下げる。
「あの時はなんというか…隊の様子にびっくりして、あまり頭に入ってこなかったというか……」
「隊の様子に……びっくりして……?」
顔を上げると、それまでも割と堅苦しかったイーサンの顔が、よりい一層険しくなっていた。
「前から、ああだったのに…?」
「いや!それは……そうなんだろうけどさ」
「あなたが!」
イーサンはテーブルを拳で叩く。
ガンッと鈍い音を立てて、テーブルが揺れる。
「ああになるまで、のさばらせたのに?!」
それは、そうなのだろう。
「そんなに騎士長になりたかったんですか!自分の小隊を放棄してまで……そんなに権力が欲しかったんですか!?」
それは、
「違う。……多分。いや、騎士長になりたかったんだろうけど、権力が欲しかったわけじゃない。と思う。ただ、ただ、『私』は……」
「オレは!!」
イーサンは一際大きな声で、言った。
「あなたに嫉妬していた!!!」
そして、次の言葉は絞り出すように言った。
「でも同時に、尊敬していた」
そう言うと、イーサンは項垂れるように頭を垂れた。
私は間を埋める言葉を言おうとしたが、喉の部分で止めて、イーサンが何か続きを吐露するのを待った。
すると、イーサンは沈黙に観念したかのように、口を開いた。
「あなたが小隊長に任命された時、家柄さえ良ければ、オレが小隊長になれたと思った」
イーサンの声は、体の奥から出てきているようだった。
「自信があった!オレの方が上手くやれると思った!あなたにはすでに地位があるんだから、小隊長職くらい、オレにくれよとも思った!…だけど、あなたはいつも、オレ以上に努力し鍛錬し、反発する奴らにだって押し負けずに、根気よく隊を取りまとめようとしていた!だから、だから……本当は、オレは、あなたのようにはなれないと、そうも思っていた……」
「イーサン……」
「なのになんで、途中で見捨てたのですか!」
イーサンは顔を上げた。その表情は怒っているような、でも泣き出してしまいそうな、その奥にまだ違う感情があるような、結局どんな顔をしていいかわからないような、混乱したものだった。
「あなたは途中で、全て放り投げた!誰ともろくに話さず、任務だけ淡々とこなした後は自室に篭りっきりで……はは、オレと友人?笑わせる。あなたはオレのことも避けていたじゃないか。そうやって、小隊長の責任を放棄して、いつの間にか御前試合に出ることになっていて、なんだ、結局、それかよ…って」
それには、『アリア』には『アリア』のなんらかの事情があったことを、私は知っている。彼女の内心たる日記を読んでいるから。
でもそんなこと、他人であるイーサンにはわかるはずもない。
イーサンからすれば、途中で急に、意味もわからず放棄されたような気持ちだったのだろう。
「ごめんなさい」
私は心から頭を下げた。
「あなたの期待を裏切り、不安にさせてしまった。申し訳ない。ごめんなさい」
すると、イーサンは「…違う、違う」を両手で頭を抱えた。
「違う、オレは、あなたに、謝ってほしかったわけじゃない、違う、結局、あなたがいようが、いまいが、オレには小隊をまとめることなんてできなかった…中途半端に、両方にいい顔をして、結局、結局、何もできなかった。あなたも見たでしょう、第七小隊はあのままだ。だから、今日、自室なんかに呼び出された時、正直震え上がった」
だから、部屋に来るのに、あんなに時間が掛かっていたのか。
それが、断罪の時であるかのように。
私は下げ続けていた頭をあげ、イーサンを見た。
イーサンは頭を抱えたまま、本当に震えていた。
『アリア』のことはあれど、私の考えなしの言動も、彼を混乱させたよなあ、と思い、この後何を言うべきか迷った。
今度は私が、口を開く番だった。
「私は」
私は結局、その時思ったことを言うことにした。
「私は薔薇騎士に…近衛騎士長になる」
イーサンは頭から手を離して、「は?」という顔をした。
私は構わず続けた。
「第七小隊の小隊長として、近衛騎士長になる!」
「そ、れは……」
「だからイーサン、協力してくれないか?同僚として、友人として、近衛騎士長は出すに値する、小隊を作る!それに、協力してほしい」
イーサンは言葉を失っていた。
再び、2人の間に沈黙が流れる。
どうにも私は、こう言う時、「はは」と笑ってしまうようだ。
「というか、これは君にしか頼めないんだ」
それは単純に、私が第七小隊でイーサンのことしか知らないからなのだが、思いの外イーサンにはパンチが効いたようで、イーサンは見開いた目で私を見つめていた。
「と言うわけでさ、ちょっと教えて欲しいことがあるんだよ
これ幸いと、私は私のしたい話を始める。
「まあその、やっぱり『私』が部屋に篭りがちになった時?って心神喪失状態だったんだ。つまるとこ、あんま、あの時のこと覚えてないんだよね。はは、お恥ずかしい話で、それこそイーサンには多大な迷惑をおかけしたわけなんだけど…」
イーサンは引き続き、呆然と私をみているので、さらに畳み掛ける。
「本当に申し訳ない!自分のことばかり考えてた!!だから、『私』が外からどう見えていたか、わからないんだ。よければ、教えてくれないか?今後のためにもさ」
私がそう、テーブルの上に乗り出すと、イーサンは依然、微動だ似せず、ただ私を見つめていた。
三度の沈黙。
私が内心「ぐ、やっぱ無理ある言い訳だったか…」と思い始めた頃、イーサンはようやく、小さく唇を動かし始めた。
「あの頃の小隊長は……先ほどの言いましたが、誰とも、できる限り関わらないようにしていました。それこそ、どうやって他の小隊長から、御前試合への推薦をもらったのかわからないくらい……」
アイヤ〜そこはイーサンにもわからないのか〜と、思いながら、私は黙って続きを聞く。
「あと、おそらく、怪我をされていました…よね?なるべく隠されていたようですが、オレには……」
「怪我?なんだ…?訓練でできたのかな?」
「あなたがそういうなら…そうなのかもしれません。でも、オレには……オレから見たら、あれは暴行された跡、でした……!」
暴、行?
『アリア』は誰からか、暴力を受けたって、そういうことか……?
「それは、間違い、ないか?」
「間違い、ないです」
イーサンははっきりと、ここにきて一番の明確さを持って言った。
「オレは、一度見たものは忘れません。言ったことあるかもしれませんが…生まれつき弱視で、魔術で補強してて……光景が目に、頭に焼きつくんです」
それは、いわゆる映像記憶と呼ばれるものだ。ほとんどは先天的なものだが、将棋のプロ棋士などは高い集中力と鍛錬で、それに近いものを得ているという。
ああ、イーサンは『私』のことを、本当によく見てくれていたんだな。
と、いうか…
「じゃあ誰にやられたんだよ…」
イーサンはびくりと肩を震わせた。
あ、やべ、また声に出てた、とはなりつつ、そうなったからには、そこを突く。
「知っているな?」
「し、知らない…!」
「言っただろ?心神喪失だったんだよ、覚えてないんだよ。気を使ってんなら使わんでいい。私は知らなきゃいけないんだよ!『私』に!何が起きたのかを!」
バン、と私はテーブルに両手をつき、立ち上がった。
多分私は、怒っているのだろう。
私を見上げるイーサンの、そのメガネの奥では、黒い瞳が細やかに震えていた。
「知らない!本当に知らないんです!本当に……」
イーサンは己の感情を隠すように俯くと、独り言のように言った。
「…………本当に、覚えてなくても……もう、わかるでしょう……」
「は!?わからんが?!」
「だから!!!」
イーサンもテーブルを叩いて、立ち上がる。
「あなたの!!近くで!!あなたに!!悪意を持っていて!!!それを実行しそうな奴らくらい!!!!知らなくても、もう見てわかるでしょう!!!」
は??
「オレは……ッ止められなかった…!わかっていたのに……ッ」
は????
「わかっているのに……ッそれを咎めることも……正すことも……できなかった……ッッ!!」
イーサンはそういう時、もう立っていられないかのように、イスの上に崩れ落ち、そのまままた、両手で頭を抱えて、言葉にならない声を繰り返した。
その、子供が泣くような唸り声を聞きながら、私はただただ、自分の頭の中の言葉を発することしかできなかった。
「は?」
この世界には、まだ電気なんてもんはないから、夜になると本当に真っ暗になる。何もかも、隠して、なかったことにしてしまえるくらいに。
私は1人、第七小隊に内務室にいた。
内務室の中のもちろん暗いが、床が汚いことはわかった。なんなら鉄製のビールジョッキみたいなもんまで転がっている。私はその上に足を乗せて、転がしながら、本当に荒れてるんだな、と再度実感する。
「おお〜と、誰かと思えば小隊長殿じゃあないですかあ」
内務室のドアが開き、そんな、見え透いたことを口にしながら、第七小隊の兵士が数人、中へと入ってくる。
1、2、3、4……
「こんなところで何やってるんですか〜?」
「お供もなしにお散歩ですか〜?」
5、6、7、8……
「ばっか、小隊長殿あろうお方が、まさかお守りなんて連れてるわけないだろ」
「ははは、おぼこいお嬢様じゃあ、ないもんなあ」
9、10。
「10人か」
私は数え終わって、口を開く。
「思ったより多いんだな。反サマセット派やらは」
兵士たちは暗闇の中、一瞬怪訝な顔をする。がすぐにまたヘラヘラとだらしがない笑みを浮かべた。
「俺たち〜話してたんですよ〜」
あれから、私はとにかく兵舎内を歩き回った。
「急にかまってくれなくなって寂しい〜って」
アリアサマセットは、お前らのエサは、ここにいるぞと大仰に、見せびらかすように、
「また遊んでくれないかな〜って、ちょ〜ど思ってたところだったんすよ〜」
そして内務室に入った。
エサに釣られて、奴らが袋小路に入ってくるのを。
笑けてくる。まさか、こんなに簡単に、誘いに乗ってきてくれるとは。ああ、ここは男所帯か。小隊長への不満以上に、単純に、たまっているんだな。
『アリア』きっと、本当に恐ろしい思いをしたんだろうな。
「はは、そうだな」
私はそいつらの顔を、一つ一つ確かめて、言った。
「私が小隊を離れていた間、随分と苦労させたことだろう。私もな、お前たちとはまた、『遊びたい』と思っていたんだよ。迷惑をかけたぶん分、たっぷりお前たちを労ってやらないとな」
誰かが「え〜楽しみだなあ」と言う。
しかしその声は、私が踏み潰したビールジョッキのけたたましい音にかき消された。
「さあ」
私の体は戦前の武者のように震え、顔からは後が待ちきれない笑みが溢れた。
「楽しい復讐の時間だ」