(11)小隊長のはずが、実情は違いました
「俺は反対だ」
私は兵舎自室のベッドの上で胡座をかいており、その正面にはジョンが椅子に座っていて、腕を組んでいた。
「お前の目的は、何より御前試合への出場権利を得ること。つまり近衞騎士小隊長3人から推薦を貰うことだろ」
陽はすでに落ちていた。
第七小隊という名の崩壊学級を前をして、「そういや教職の授業とかとってなかったな…」と思い出しつつ、私はなすすべがなかった。あのメガネの青年が、色々と『アリア』がいない期間の話をしてくれていたような気もするが、それが機械的な口調だったのもあってか、言葉を言葉と認識できず、情報は私の右耳から左耳へと通過していくのみだった。
結局、復帰初日というのもあり、私は早々とこの部屋に押し込まれてしまった。
そして今、である。
私はジョンに、第七小隊のあの状態は何とかしたほうがいいんじゃないか、と相談した。流石に崩壊した瓦礫の上で、小隊長をやっていくのは自分がキツイと判断したからだ。
ジョンはどこからか取り出した(おそらく魔術の)本を読んでいたが、私の言葉に顔を上げると、本を閉じ、近くにあったテーブルの上においた。
そして返答した内容が、「反対」である。
「正直は話をすれば」
ジョンは足を組む。
「アリの意見は最もだと思う。第七小隊の内情が、あれほどまでに酷いとは、俺も予想していなかった。適切な手順を踏むのであれば、まずは自分の小隊を整えることが先決だろうな」
「なら…」
「だが物事には優先度がある」
ジョンは私の言葉を遮るように言った。
「繰り返しになるが、お前の目的は小隊内にはない、むしろ外にある!そちらに目を向けて、集中すべきだ」
私も腕を組み、首を傾げて、ううん、と唸った。
「ジョンの言い分もわかる。ヒジョーにわかるよ。でも、次の御前試合までは1年弱はあるわけじゃん?……まあこの世界の1年がどれくらいかはわからんが……それなりに時間があるわけだし、地固めという意味でも…」
「アリ、お前、何か勘違いしてないか?」
また、ジョンは言葉を遮る。
「確かにアリの言う通り、次の御前試合は1年後だ。だが、その時が推薦をもらえる時じゃない。推薦する、または推薦しようと考えることは、いつからだってできるんだ」
「あ…」と私は思わず、小さく漏らす。
ジョンは息を吐き、ややいからせていた肩を落ち着かせると、私を諭すように言った。
「結局、これは、推薦の奪い合いなんだ。近衞騎士の小隊は7つあるが、内一つお前自身が小隊長だ。そして自分で自分は推薦できない。故に実質、6人の中から3つ推薦をもぎ取らなくてはならない。もちろん、小隊長の中には、誰も推薦しない、という者もいるだろう」
「誰も推薦しないって……そんなのできるの?」
「できる。考えてみろ。誰も御前試合に推薦しないということは、近衛騎士長は今のままでいい、ということだ」
「な、なるほど…」
つまり、小隊長の中に、俗な言い方をすればジョフリー派閥がいれば、その人から推薦を貰える可能性はほぼゼロに等しいということだ。
「いるだろうなあ……」
と私は項垂れる。
噂に聞いていたジョフリータウンシェンドと実際に対峙して、私的にはキッショ・オブ・ザ・イヤーに認定したけれども、何も知らない状態で、あの整った顔で、柔和な態度で、上手い口で攻められたら、まあ転んでしまうだろうな、と容易に想像できた。
仮に姫様が、獅子が如き威厳と自信と咆哮で、他を圧倒できる力を持っているのだとしたら、ジョフリーは蛇のように静か這い寄り、神経に毒を送って丸呑みし、腹の中でゆっくりと溶かすような、そういう力を持っていた。
んだよ、組めばドリームカップルじゃねーか!と組めないのだからしかたがない。
「そういうわけだ」
私の考えを読んだのか否か、ジョンはそう言った。
「だからあまり悠長にはしていられない。ヨソ事にはかまけていられないんだ」
「……『アリア』も、そう、だったのかな」
私は疑問に思う。
『アリア』が自分の小隊の、あの状態を、黙って見過ごすだろうか。第七小隊がいつからああなのかはわからないが、あの、周りに気を回してばかりいそうな『アリア』が、小隊長としてあれを放置するだろうか?
これに関してはジョンも思うところがあるようで、黙って顔を顰めていたが、やがて「それは俺にもわからない」と言った。
「1つわかるのは、結果的に第七小隊はあのような惨状で、それでも『アリア』様は御前試合に出た、ということだ」
「でも…」
「これ以上は推測の域を出ない」
三度、ジョンは私の言葉を遮る。
「だからこれ以上は話しても意味がない」
こう、何度も言葉を遮られると、さすがの私もなんだかムカムカとしてきて、「わかった!もういい!もう寝る!」とベッドの中に潜り込んでしまった。ジョンめ!アイツぜってー友達いない!と、寝具を頭まで被って、うずくまっていると、やがて部屋を照らしていた蝋燭の火が消された。
そういえばアイツ、何処で寝るんだろう、この部屋にはベッドは1つしかないけど…と思ったが、先ほどのやりとりを思い出し、人の言葉遮り野郎など知らんわ、床で寝ろ、と私は目を閉じた。
が、眠れなかった。
環境が変わったからだろうか、はたまた寝る前のやるとりのせいか、部屋の中は暗く、ジョンが何処で寝ているのかわからないほどに静かであったが、私の内側は神経を覚醒させるほどに喧しかった。
やはり、納得いかないのだ。
この際、私が第七小隊をどうにかするか否か以前に、『アリア』があのままにしたのが、どうしても腹落ちしない。『アリア』は私が思う以上に冷淡だったのか、ともよぎるが、どうしてもそうは思えない。なぜならば……
「あ、日記」
私はそこでようやく、『アリアの日記』の存在を思い出した。兵舎に来てからの色々ですっかり頭の隅に追いやられていたが、『アリア』はちゃんと、日記を残しておいてくれたのだ。
今なら(多分)ジョンも寝ている。日記を読むにはベストタイミングだ。
私はなるべく音を立てずにベッドから抜け出すと、端に追いやっていた荷物の中から、あの紙束を取り出した。そして素早くベッドの中に戻る。しかしベッドの中では暗すぎてまったく文字が読めなかったので、何とか月明かりが照らしている場所を探しだし、青白い光の元、私は日記を読み始めた。
集められた紙片の最初の方は、もう随分を昔のもののようで、父に虐げられる母の為、『アリア』が男装をし、剣術を習い始めた頃の日記だった。もちろん、この頃は前世のことなど意識していないので、『アリア』の思いが時折痛々しいほど赤裸々に綴られている。元々、アリアには弟が生まれる予定だったようだ。というか、生まれた。しかし、その子は泣くことなく、そのまま亡くなってしまったという。これに激昂した父は、母を激しく罵り、殴打し、以降2人の仲は以前のようには戻らなかったという。毎日泣いて暮らす母に、『アリア』はこう言ったようだ。「ならばこれより私がサマセット家の、お母様の息子となりましょう」そして、この頃の『アリア』はよくこう書いている。
男の子だったら、どう振る舞うのだろう。
どう言葉を発し、何を話すのだろう。
男の子だったら、やはり力強くなければならない。
男の子だったら、怖がってはいけない。エブリンの木剣が目の前に来ても、目を瞑ってはいけない。
男の子だったら、我慢しなければならない。何を言われても、何をされても。
はは、私、男だったら…とか考えたことないや、と思った。
私の家は父母兄兄私の5人家族だったが、いかに兄たちが文武両道にいい成績を収めようとも、いかに私がようやく生まれた女の子であったとしても、お父さんとお母さんは私たちを完全に平等に扱った。何かで賞状を貰えば同じように褒めてくれたし、悪さをすれば皆同じように家から締め出された。結果、クロスカウンターをする兄妹というものが生まれてしまったわけだが、これまでは私は、なりたいものになりたいと思ったことはあっても、なるべきものになろうとしたことはなかった。
ぱた、ぱたぱた、と紙の上に水滴が落ちる。
それは同情や寂しさがごちゃ混ぜになって溢れ出たものだった。
私は目を擦り、頭を振ってから、ページを捲っていく。
『アリア』の日記はこの調子で、他にもパブリックスクールでの姫様との出会い編などもあったのだが、そのあたりは、すまねえ後でちゃんと読む、として一旦読み飛ばした。いかんせん、『アリア』の性格を示すように日記は緻密(その日の天気までしっかり詳しく書いてある)かつ膨大なので、元々知りたかった情報に辿りくつのに、何日もかかってしまいそうだった。
そうしてページを捲り続けていると、第七小隊長、という単語を見つけた。おっと、この辺か、とそのページを開いて、中身を読んでみる。
第七小隊の小隊長を拝命された。
今の私の実力を考えれば、正直見合っていない。
おそらく他の、何か異なる力が働いたのだろう。
私が七家の1つ『サマセット』であることか、姫様が何か手を回したか、もしくは他の……
何が要因にしても、小隊長の職を得たこと自体は願ってもないこと。
まずは職に見合う働きができるよう、気を引き締めていこう。
ふむ、と私はページを捲っていく。
やはり第七小隊の中での、私の実質的な地位は低い。
誰もが内心、人によっては露骨に、私を小隊長とは認識していない。
私が家の名前でその立場を得たことを不平に思う者もいれば、
単に私が女性であることが気に食わない者もいるようだ。
結果的に小隊内の空気は悪い。
少なからずいる、私に対して良心的であろう者も肩身の狭い思いをしているだろう。
小隊長として、この状態には責任があるし、改善しなければと思う。
「やっぱり…」
やっぱり、そうじゃん。
『アリア』はあの惨状を、どうにかしようとしていたんじゃないか!
だが皮肉的な見方をすれば、土壌はあったのかもしれないものの、その種は『アリア』自身であったということだった。
その事に『アリア』自身もわかっているような節もある。
だからこそ、やはり『アリア』ならそれを放っておくことはしないはずなのだ。
私はページを捲っていく。
イーサンバーナードは、私に対し複雑な感情を抱えつつも、2人きりの時は比較的良心的な態度をとってくれている。
イーサンのような優秀な者が協力的なのはありがたい。
私がサマセットでなければ、彼が小隊長だったのかもしれない。
彼はそれを、否定するかもしれないが。
聞けば小隊内では、反サマセット派を集めて、裏の権力者を語る者がいるようだ。
イーサンはそれが誰なのかまでは語らなかった。
イーサンは、私と、その者の間で揺れ動いているようだった。
そのような、複雑な立場に追いやってしまっていることを、私は申し訳なく思う。
いや、『アリア』のせいではないでしょ!
と私は心の中で多いにツッコミを入れた。イーサンが誰か、裏の権力者とかいうクソダッサイ二つ名野郎が誰か、私には全くわからないけれど、とにかく『アリア』は周りで起きる悲惨な出来事の原因は、全て自分にあると考えがちだった。
違うでしょ!悪い奴が悪いでしょ!と私は声高らかに主張したい気持ちでいっぱいだった。
だけど同時に、わかっていた。事態はそんなに単純な話ではないことを。『アリア』がそう思ってしまう、その人生を。
私はなんとも言えない気持ちで、ページを捲る。
そして、目を丸くする。
そのページにはびっしりと、同じことが執拗に、繰り返し書かれていた。
我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければなならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければならない我慢しなければなならない我慢しなければならない…………
その筆跡は、後半になるにつれ、強くなり、形は崩れ、最後の方はなんと書いてあるかもわからない状態になって、グチャグチャと塗りつぶされていた。
私は息を飲んだ。
一体……一体アリアに、何が起きたというんだ?!
それまでの日記を、斜め読みも交えつつ、読んではきたが、こんなに感情的で、乱暴なページは初めてだった。
何が起きたのか、何もわからない。でも何かは起きたし、何かを語る前に『アリア』は感情を吐き出すことしかできず、それでも「我慢しなければならない」と自分を律しようとしていた。
だめだ、このページをこれ以上見ていると、私が吐きそうになる。
私は急いで、ページをめくった。
すると、次のページからはいつも通りの筆跡に戻っていた。
私は少し安心したが、今度は逆に『アリア』からは感情が抜け落ちてしまっていた。
私は私の役を果たさなければならない。
それ以外のことは、置いておく。
どちらにせよ、私にはもうどうにもできない。
私には、どうにもできない。
私は、私の役を果たす。
それだけ。
それだけ。
私はそこで、日記を読むのをやめた。
そして再びベッドの中に潜り込んだ。だが目を閉じると、『アリア』の吹き出した感情、抜け落ちた感情が、自分のものとして暗闇の中でグルグルと駆け巡り、耐えることができずに、また目を開けた。それを何回か以下繰り返した後、私は諦めて、結局眠ることを諦めた。
そのまま夜が明け、朝になった。
頃合いを見て、私がベッドから出ると、そこにはすでにジョンがいて、すぐにでも出かけられるような格好をしていた。
「おはようジョン」私は言うと、ジョンは「おはようアリ」と返した。
ジョンがいてくれて良かった、と私は思った。
「どこか行くの?」と私が聞くと、ジョンは「ああ」と手にしっかりとグローブを嵌めた。
「この際だ、兵舎の中を調べてくる」
「調べてくるって…そんな自由にウロウロできるもんなの?」
「滅却術を使うーーああ、滅却術というのは自ないし他の気配を隠す術だ。2方向から作用させる。1つは、もの自体の気配の流れを凪ぐようにする。もう1つは周囲の意識の流れを隠したいもの以外に向かわせる」
「すげーステルスじゃん……ん?待って、それ前に私にも使ったよね?ほら、私を殺そうとした時にさ」
「ああ、使ったな」
「で、失敗したよね。大丈夫なんか?」
「あれは……!」
ジョンは珍しく動揺し、顔を赤らめた。
「あれは姫様のことで昂って、うまく制御できなくて…!」
「はは、じゃあ大丈夫だな。ここには姫様はいないもんな」
「というかだな!それでも気がつくお前がおかしいんだよ!野生動物並みだぞ!」
「うるせえ、人を獣みたいに言うんじゃない!」
そう言うと、自分で自分の言葉に、私は笑ってしまった。
一度笑い出すとなかなか止めることができず、そのまま笑い続けた。それを見たジョンは顔の火照りを引っ込め、むしろ「何がそんなにおかしいんだ」的な表情をしていたが、最後には少しだけ、口角を上げていた。
ジョンがいてくれて、本当に良かった。
「それじゃあ」
ひとしきり笑った私は、背筋を伸ばした。
「私は私で、あの部隊をどうにかしようかな」
「お前、まだそれを……」
「待て待て、ストップ」
私は手のひらを前に出して、ジョンの言葉を遮る。
「ただの、役割分担だよ。ジョンが他の小隊を見てきてくれるんだろ?なら私は、第七小隊内で情報を集めるよ。というか今の私にはそれしかできんだろ」
「結果ゴミ情報しか集まらんかもだけどな」と私が肩をすくめると、ジョンも少し納得したようで「それもそうだな」と頷いた。
私は、ニヤリと笑った。
「と、いうことだ。今日も頑張っていこう。ほれ」
と、私はジョンに向かって拳を突き出す。しかしジョンはそれが何を示すのかわからず、ただ見ていた。私は「あ、そっか」と思い当たる。
「この世界、フィストバンプないんか」
「フィストバンプ…?」
「鬨みたいなもんだよ。やってやろうぜ!みたいなさ。お互いの拳を突き合わせるんだ。もちろん軽くだぞ、ほれほれ」
そう言って、私の拳をジョンに向かって動かすと、ジョンはよくわからないながらも、素直に自らの拳を、私の拳に合わせた。
ジョンの、やや冷たい体温が私に伝わってきて、少し安心感をくれた。
そうして、先にジョンが部屋から出ていくのを見届けると、私は自分の両頬を思いっきりビンタして、そして誓った。
『アリア』は確かに第七小隊をまとめようとしていた。
だけど、何かがあって、それを諦めた。
その、何か、を私は知らねばならない。