(10)兵舎に入りましたが、早速イヤな奴に会いました
私は城下へと向かう馬車にで揺られていた。
向かい側にはジョンが座り、膝の上で拳を作って目を閉じ、静かにしている。コイツいつもこうなのか?
このようにして、馬車の中では、ジョンが始めてサマセット家にきた時と同じような光景が繰り広げられているのだが、あの時とは違うこともある。
私はちゃんと馬車の椅子に座れるようになったのだ!
結局、魔術の、魔の力の流れについては、掴むことはまだできていないのだが、物事には、流れがあるのは、少しわかってきた。そう、馬車には馬車の、流れがある。この場合は馬車が揺れるリズムがそれであるが、このリズムに体を合わせていくことで、私は馬車の流れの一部となり、必要以上にケツを打たなくて済むようになった(もちろん石などを踏んで、予期せぬ転調があった際は対処しきれないのだが)。
私は馬車の揺れに身を預けながら、自室で発見した『アリアの日記』について、考えていた。
そう、あの紙束の表紙にはこう書かれていたのいたのだ。
『前世の私へ
これは私、アリアサマセットの日記の抜粋です』
その後にはこう続けられていた。
『王女グロリア様より、降霊術について説明を受けました。そして成功した暁には、前世の記憶が入る代わりに、今の私の記憶は失われる可能性についても説明を受けました。そうなった時、一番当惑するのは、前世のあなたなのではないかと思いました。なので、私の日記を残しておきます。日記は、そう言う意図で書いていなかったものも多いので、読まれてしまうのは少し恥ずかしいけれど、何が役立つかわからないので、色々入れておきます。無駄な事などがあったら、ごめんなさい。ただ、内容が禁忌に触れてしまっているので、日記自体は隠しておいておきます』
そして最後はこう締められている。
『願わくば、この日記をあなたが見つけてくれますように。そしてこの日記が、あなたの助けになりますように。
アリアサマセット』
日記の中身は、その後すぐにエブリンに呼ばれてしまったので読むことはできなかったが、この表紙の文章だけでも、『アリア』がどんな人物か、改めて垣間見ることができた。
『アリア』、あなたってホント、人のことばかり考えてるんだな。
馬車の中には(目を閉じているとはいえ)ジョンもいたので、ここで『アリアの日記』を大っぴらに読むのは何となく気が引けた。なのでずっと、あの表紙の文だけを、頭の中で何度も反芻した。
そうしているうちに、私の心はひと所に帰結していた。
なら私が、『アリア』のことを考えよう。
この素晴らしい体を貸してくれている、彼女のことを考えよう。
その思いが打たれた鉄のように固くなった頃、車窓に城下が見えてきた。
近衛騎士団の兵舎だなんて、また摩訶不思議アドベンチャラスな所に入って行かなければならないわけだが、こんな手厚いサポートも受けているんだ。何が来ようともドーンと来い、なのだ。
と、思っていた時期も私にはありました。
城下に到着し、ジョンの案内で目的地へと行くすがら、サマセット家と言うのが、如何に護られたサンクチュアリであったか、私は五感を持って、実感する。
忘れていた。
『アリア』にとって城下は気の休まる所ではない。
好奇の目、哀れみの目、侮蔑の目、畏敬の目。
特に顔面を左右に割るように走る、顔の傷については大いに人の目を惹きつけた。
内戦が終結して20年が経ち、当時果敢に戦った猛者たちはすでに壮年期を超えている。故に街を見る限り、焼夷兵が全くいないわけではないのだが、『アリア』のように若く、しかも女性がこのような傷を抱えるのは、酷く珍しく見えるようだった。
そのような、何やかんやの視線はむしろ近衞騎士のテリトリーに近づくほど強くなり、兵舎敷地内に入った頃には、割と大きな音声として、私の耳に届くまでになっていた。
「見ろよ、お嬢様騎士のお帰りだ」
「はは、今度はお供なんかつれてやがるぜ。やっぱり1人じゃ何もできねんだな」
「ハ〜神経図太〜あんな負け方しちゃあ、俺だったら恥ずかしくて戻ってこれねーよ」
「顔だけは良かったのにな。あれじゃあ痛々しくて、萎えちまってだめだな」
思わず、
てめえら言いたいことあんなら面と向かって言えや、コラ!ボケカス!!
と、叫んでしまいそうになり、実際「てッ」とまでは振り返って発生したが、すぐにジョンに取り押さえられ、革のグローブで強制的に口を閉ざされてしまった。
ジョンは私の耳元で言う。
「ここで騒ぎを起こすな」
私はジョンを振り切り、ジョンに向かい直る。
「でもッ…!」
「『アリア』様が!」
ジョンは顔を歪ませながら言った。
「『アリア』様それでも我慢されて、築き上げてきたことを、お前は台無しにするつもりか」
そして、俯く。
「……騎士団に内部事情を、わからない俺が口を出すのもなんだが……」
どさくさに紛れた告白に、私はこれまでの憤怒が冷め、むしろキョトンとしてしまった。
「え…?知らんの…?」
「外面的なことは知っている。しかし姫様も言っておられただろう。内部の詳しいことはわからない。姫様がわからないことは、俺もわからない」
「はあ、とんだ師範代だぜ。ま、姫様流門下だから仕方がないちゃ、そうなんか」
と、私が肩をすくめると、ジョンは反射的に「なッ…!」と毛を逆立てたが、喉と一回鳴らすと、すぐに襟を正して、言った。
「……だか今ので、内部事情が、『アリア』様がどうであったかは、少しは察せるだろ」
それは、そうだ。
私も雑音は無視できるように、深く息を吸った後、モヤモヤした気持ちを追い出すように、息を吐いた。
すると酸素が取り込まれたおかげか、心の中に火が灯った。
「うん、行こう。ジョン」
そうして、先へと進むジョンの後を追ったが、全て吐き出したはずの腹の中には、一つの疑念が残っていた。
本当に、我慢する必要があるのか?
兵舎に入ると、すでに私が来るタイミングをわかっていたのか、すぐさま「第一小隊の者です」と名乗る、少年と言っても差し支えないような者が近づいてきて、「まずはお荷物を自室に」を自動的に私が泊まる部屋へと案内された。これには、その辺のニヤついた顔を隠さない兵士にそれとなく聞き出す必要が省けたので、助かった。少年はいたって冷静に、無表情で案内してくれた。
兵舎、と聞いていたので、何となく少なくとも2人部屋を想像していたが、『アリア』も使っていたらしいその部屋は個室であった。うーむ、これは『アリア』は女性であることが考慮された結果なのか?この兵舎の『この雰囲気』?でと僅かに疑問を抱きつつ、荷をほどいていると、最低限終わるや否や「では、次はこちらへ」と少年はそそくさと次の目的地らしき方へを足を進めてしまった。何の質問も受ける気はなさそうな早さだったので、私もただただそれについて行く他なかった。
少し歩いて、また別の個室に通されると、その部屋の中央にある長いテーブルの右側に座らせられた。少年は「少々お待ちください」と言い残して、部屋から出て行ってしまった。
一体何を、待つんだ…?
私は横にいるジョンを見たが、ジョンは何も言わず、警戒しているような雰囲気だ。そもそも近衛騎士団内部に関してはブラックボックスかのように言っていたジョンだが、この展開も予想していたものではないのだろう。
ジョンにつられるように、肩を強張らせていると、部屋の外から「ジョフリー様、こちらです」と言う少年の声だけが聞こえてきた。
そして、部屋の中に入ってきたのは、少年ではない、別の男だった。
「待たせてしまってすまないね、サマセット嬢」
その、やけに物腰の柔らかい男は、私の向かい側に腰を下ろした。
そして、私を、ここにいる誰よりも慈愛に満ちた目で見つめる。
「僕が言うのも何だけど、怪我の具合はどうだい。まだ痛んだりするのかな?」
その男は、姫様と同じようなブロンドの髪、暗いヘーゼルの大きな瞳で、すっと綺麗に通った鼻筋を持つ、精巧な顔立ちをしていたが、やや垂れ目であるからか、もしくはこの場にきてからずっと、にこかやな表情でいるからか、姫様のような威圧感はなかった。
隣にいるジョンが小声でーしかしどこか刺々しい雰囲気でー「タウンシェンド公…」と呟く。
するとそれを耳ざとく聞いた男は、「あはは」と笑った。
「まだ僕は家を継いでいないよ〜……ただ、恐れ多くも近衛騎士長を拝命しているから」
ああ、コイツが、
「ちゃんと君を出迎えようと思ってね、サマセット嬢」
現近衛騎士長・ジョフリータウンシェンド!
「あ、でも、出迎える…と言うのは違うか!結局君にはここまで来てもらってるしね。あはは、ごめんごめん。ここに来るまで何か不備とかなかったかな?うちの部隊の者が案内したと思うけど、まあ何か言ったらいつでも言ってね」
この男は確かに、柔和な口調、雰囲気で、一見優男のように見えるけれど、
「そうだ、もしかしたら心配しているかもしれないけれど、第七小隊の隊長席は君のために空けたままにしてあるからね。あれからすぐに、王宮の方にも行っていたみたいだし、すぐに戻って来ると、僕も信じてたからね」
同じ空間にいると、ジワジワを皮膚から侵入してくるような、得体の知れない寒気があった。
「また、第七小隊隊長として、その力を貸してほしい!」
私はただ「あ、はい…」と承服することしかできなかった。
ジョンは無言で、依然、むしろ、先ほどよりも強くジョフリーへの警戒していた。
しかしそれにも目ざとく気がついたようで、ジョフリーはジョンを一瞥だけすると、すぐに私の方へを向き直った。
「従者…いや、従士、かな?を連れてきたんだね。うん!あまり例はないけれど、サマセット嬢には従士の帯同を許そう」
ジョフリーは少しだけ、私の心に寄り添おうとするように、体を少し前に乗り出した。
「僕はね、君を心配しているんだ。アリアサマセット嬢。前から、君の境遇は知っているからね。それになりより、その、可憐な顔に傷をつけたのは、他の誰でもない。この僕だからね」
ジョフリーは、本当に私を心配しているように、本当に「そう」思っているように、優しい声で言った。
「ああ、可哀想に。僕がその責任を取るよ」
キッショ。
と私は思った。
と、言うか、実際すでに、口に出していた。
それは、ジョフリーに集中していたジョンが止める間もなく、私の口から滑り落ち、その勢いのまま、どんどん吹き出してくる。
「キッッッショ!!!!どいつも!こいつも!!私がそんな風に見えたか?弱く儚く惨めに、そう見えたか?うるっせえんだよ!!私は五体満足だ!!すごぶる元気だ!!顔の傷?いいじゃないか、死をも恐れず戦った、名誉の傷だ!!どうだ、かっこいいだろ!!」
それまで絶えず微笑ませていた顔を、ジョフリーは収めて言った。
「だが君は女性だろう?」
「名誉に男も女もあるかよ!」
私はそれに「バ〜〜〜〜〜カ」と付け加えようとした。
が、「バッ」と言いかけた瞬間、ものすごい力でドガンッッ!!と私の頭はテーブルに押し付けられた。その力の主は言わずと知れた、ジョンだった。
「申し訳ございません、ジョフリー様。アリア様はその、怪我をされてから少し、感情的になってしまうことが多くて」
私は「ググギギギ」を歯を食いしばっていると、私の頭にはより一層強い力が加えられる。
「主人の代わり、になるかはわかりませんが、代わりに非礼を詫びます。お見苦しいところをお見せして、大変申し訳ございませんでした」
するとジョフリーは居住まいを正し、また顔に笑みを戻した。
「いいよ。サマセット嬢も、あの後じゃ色々と困ったこともあったのだろう。心が不安定になってしまうのも無理はない……何か力になれることがあれば、言って欲しい。その筋の医者を紹介しよう」
私はジョンに押さえつけられたまま、「ギギ」と返した。
それに対して、ジョフリーは「ふふ」と笑うと、席を立った。
「さて、慌ただしくてすまないが、僕は別所に出向かねばならない。これでも騎士長だからね。割と忙しいんだ。今日はありがとう、サマセット嬢。小隊長として、もちろん君の活躍には期待しているが、くれぐれも、お大事に」
そうして、ジョフリーは部屋から出て行った。
外で待っていたのだろう、おそらく先ほどの少年が、ジョフリーの軽い足取りについていくようにして、コツコツと足音が遠ざかっていく。
そして足音が完全に聞こえなくなった頃、私の頭は再度、さらに強い力で押さえつけられ、さらにはグリグリと机に押し付けられた。
「この鳥頭が〜〜〜〜〜!!!」
「痛い痛い痛い!!!わかった!わかったから、まじでごめんなさい!!」
「よりにもよって、あのジョフリータウンシェンドの前で〜〜〜〜〜〜!!!」
「ホントすいません!!我慢できなかったんです!!すいません!!!」
すると、頭を押さえつける力が緩んだので、私はこれ幸いと体を起こす。
そこでは「はあ」とジョンが頭を抱えていた。
「心身喪失として捉えられたか…?それならまだいいが、クソ、アイツの考えは相変わらず読みにくい」
確かに、ジョフリーは終始ー私がキレ散らかした時を除いてー笑顔で、表面上は私にとても気を遣っていた。
「しかしこれでお前も、ジョフリータウンシェンドについて、少しはわかっただろ」
その腹の内は全くわからない、ブラックボックスみたいだった。
まるで、この近衛騎士内部のように。
「とりあえず、キッショイ奴だとはわかった。けど」
私は思い出して言う。
「姫様が、ジョフリーがまるで他国と戦争を起こしたがっての確定みたいに言ってたのは、まだちょっとわからんな」
「姫様曰く、同類、だそうだ」
は?姫様と?
「力を手に入れるためならば、その手段は厭わない……そうか、そうだ、そうだなったな。ああ」
ジョンは両手で顔を覆い、謎に赤面した。
私は、なんだコイツ、と思ったが、ふとまた思い出して、「はは」と笑い声を漏らした。
「なら、本来的には、姫様とジョフリーはお似合いのカップルってわけだ」
「だが方向性が違う!」
ジョンは顔から手を離して、言った。
「お二人は互いに力がある!それも重要だ。だが、世界を決するのは、それ以上にその力をどう使うかだろ!」
姫様はこの国の確立に、ジョフリーはこの国の拡大に、私は……
「まずは、3つの推薦を手に入れるために」
私は椅子から立ちあがった。
「うぉし!行こうぜジョン!タナボタで、どうやら私は第七小隊?の隊長であることもわかったし、とりあえずはその第七小隊に行こうじゃないか!ははは、やったな、私にもわずかながらに力があるぞ!」
「……お前は本当に大丈夫なのか?」
ジョンがため息を吐く。
「あんなふうに、すぐに激高するな。怪しまれるし、敵も増える」
「ああ、まあ、いざと言う時はまたジョンが止めてくれ」
「お前……俺を頼るな。自分の感情は自分で制御しろ」
「はは、努力するよ」
そう、笑いながら私は席を立ち、部屋から出る。
ジョンは首を振りながらも、それについてくる。
小隊長クラスの推薦が必要との話だったが、『アリア』自身が小隊長とは嬉しい誤算だった。……いや、推薦の母数が減るからそうでもないのか?そうだとしても、騎士団内ですでにそれなりの地位を確立していると言うことは、他の小隊長にもコンタクトが取りやすいってことじゃないか?
はっはっはっ、こりゃ、思っていたよりも幸先いいかもしれないな!
そんな、余裕の構えで第七小隊の宿舎(この場所は今度こそそれとなく聞いた。結果私の個室のすぐ近くだった)へと向かい、現在隊員が集まっているという内務室のドアを開けた。
一瞬部屋を間違えたかと思った。
だが、外の看板を見ると、そこであっていた。
私はもう一度、内務室の中を見る。
そこでは、もちろん内務など行われておらず、あるものはテーブルに足をかけて寝、あるものたちは床に座って談話をし、あまつさえあるものは酒らしきものを飲んでいた。
そして、私が入ってきたことに気がつくと、すべからく全員私を睨みつけた。
ただ1人、メガネをかけた黒い短髪の青年が、他の隊員同様、私を忌々しそうには見ていたが、他の隊員よりかは、きちんとした格好、きちんとした態度で、私の前に立ち、敬礼した。
「お帰りなさいませ、小隊長殿」
崩壊学級かな?