牛にひかれて前後10マイル封鎖中♪タラッタラッタッタ
「部長、大変です。事故です」
俺が慌てて部屋に駆け込むと、部長に冷たい目で睨まれた。
「この交通事故処理課に緊急の知らせが来る場合は基本交通事故だ。落ち着きなさい」
「そりゃそうでした」
俺は机の上にあった急須に湯沸かしポットからお湯を入れた。さらに机からどら焼きを取り出し、急須から湯飲みにお茶を注いで椅子に座った。そしてどら焼きの包装を破り「ハア」とため息をつく。その間5分、部長が怒鳴った。
「落ち着きすぎだ、ボケナス!報告しろ」
「ボケナスという言葉は実家の死んだ爺さんから10数年前に聞いて以来ですが、それはともかく交通事故です」
「わかっている。この交通事故処理課に緊急の…このくだりはさっきやった!さっさと報告しろ」
俺は手元のメモに視線を落としながら報告を始めようとしてちょっと戸惑った。
「どうした。なぜ報告しない。はよせんか、ウスノロ」
「ウスノロという言葉は以下同文。…えっと報告を聞いて怒ったりしないと約束してください」
部長が目を瞬いて言う。
「ありのままに事実を報告して私が怒るわけはないだろう。早く出動して現場を見なくてはいけない。事故現場に向かいながら、聞くことにしよう。急げ」
「はっ」
俺と部長は早足で廊下を歩きながら話すこととなった。
「本日のお昼前、だいたい11時30分頃です。牛を運搬していたトラックが高速道路で後方から来た別のトラックに衝突されて横転しました」
「ほう、けが人はいるのか」
「いません。どちらの運転手も無事です。ピンピンしてます」
「ふむ、それは良かった。牛か、牛はどうなった」
「15匹の最高級黒毛和牛が全頭死亡しました」
黒毛和牛と聞いて『食いしん坊刑事』の異名をとる部長の眉毛がピクリと動いた。
「なんと痛ましい。事故処理の方は現在どうなっている」
「はい、現在付近は全面通行止めとなっています…が、大渋滞が起こっています。近場の署員が交通整理に当たっているようですが、全員錯乱状態だそうです。あっ、部長、車が回ってきました。乗ってください」
部長は部下Aが運転する車の後部座席に乗り、俺が後に続いた。
「錯乱状態?何を言っておるのか」
「和牛トラックに衝突したのは備長炭を山のように積んだ運搬車でした」
「備長炭…」
「知りませんか。最高級の木炭で紀州…」
「知っとるわい!話の先がよく見えんだけだ」
後部座席で部長が怒鳴り、運転手の部下Aがビクリとする。
「す、すみません!」
そして何を思ったのか、たぶん空気を和ませようとしてかラジオのスイッチを入れた。ラジオから流れてきたのはなぜか『♪スキヤキうまいよ 焼肉も~』などという脳天気な歌だった。
「何をやっておるのだ。ラジオなどつけなくてもよい!このウスラボケ!」
俺は部下Aが気の毒で助け船を出す。
「部長、ウスラボケについては以下同文ですが、これは『牛ちゃんマンボ』ですね。*知らない読者は調べてみよう。名曲だ!」
「お前は誰に話しているのか。まあ、いい。消せ」
「はい」
ラジオの歌声が消えたので、再び俺は報告を再開する。
「とにかく最高級黒毛和牛と紀州備長炭のトラックが追突して炎上しました」
「…」
俺は一拍溜めてから言う。
「現場はものすごくいい匂いです」
「それで渋滞が…?」
「それから…」
「むっ、まだ何かあるのか?」
「はい、そこに醤油醸造会社の軽トラックが玉突き事故をおこしました」
「それは…」
俺はニヤリと笑った。
「はい、お昼時の事故現場にはとんでもなく香ばしくていい匂いが立ちこめています」
「不謹慎な!」
部長はいきり立って叫ぶ。
「急げ!現場に一刻も早く到着するのだ!」
俺は報告を続ける。
「部長、先があります。まだ玉突きはあと3台のトラックが巻き込まれています」
「大事故ではないか」
「運転手は全員無事でピンピンしています」
「それは何よりだ」
「残り3台は赤ワイン、次にチーズ、最後にマヨネーズです」
「意味がわからん」
「はっ、和牛が備長炭でじっくり遠赤で炙られ旨みを増しているところにミディアムレアくらいでいい感じに醤油がかかりました」
部長はいてもたってもいられないようだ。座席の下で足踏みを始めている。
「醤油がかすかに焦げる香りがする頃、赤ワインがまるで隠し味のようにじみました」
「にじんだって…お前」
「すかさずそこにスライスされたチーズが被さり、いい具合にとろけた模様です」
運転手の部下Aまで唾を飲む音をさせた。
「最後にごくごく控えめにお好みでマヨネーズを使ってみました」
部長がまた怒鳴った。
「うらやましい!いや、間違った。不謹慎だぞ、このヒョーロクダマ!」
部下Aはまたビクリとして『牛ちゃんマンボ』をかけてしまう。
『♪シャブシャブうまいよ ステーキも…』
部長も今度は消せとは怒鳴らず、俺に報告の先を促すので脳天気なメロディの中、俺は続ける。
「ヒョーロクダマについてはもういいですか。そんなこんなで現場はグルメ天国です。警官隊がいくら迂回するよう誘導しても、みんな現場に行こうとして動きません。中には車をほおっておいて、事故現場を目指す者も出ています。さらに無関係な近所の住民が箸と茶碗を持って駆けつけたり、対向車線から入ってこようとする無謀な者もいて混乱を極めています」
「何と。そういえば渋滞し始めたな」
俺は部長の腹が地獄の釜の底のような音を響かせ始めたのを確認して誘う。
「部長、どうします。ここでパトカーを捨てて我々も歩いて現場を目指しますか。このままだと食いそびれる…いや現場検証が遅れてしまいます」
「うむむむ。やむを得ん。これも任務だ。あと数㎞あるが、歩こう。そうやって腹を空かせよう。…いや、間違った。現場に急ごう」
「ですよね。空腹は最高の調味料ですし。間違えました。刑事は歩いてナンボですしね」
部下Aが悲痛な声を出す。
「殺生な」
部長は冷たく突き放した。
「お前はゆっくりでいいから現場へ来い。腹一杯になった我々が署へ戻るのに必要だからな」
「鬼!」
部下Aは泣き出したが、まったく無視した。
俺たちは渋滞の列を歩いて先に進む。部長が俺の背中の荷物を見て怪訝そうな顔をする。
「その荷物は何だ。重そうだが」
「炊きたての飯を保温釜ごと持ってきました」
「…お前は次期署長でもいいな。あくまで私の個人的な意見だが」
「ハヒハヒ、しかし重いです。あっ、匂いが漂ってきましたよ。これはたまらん」
「むむむ、すごいいい香りだ。たまらん」
俺たちは涎をたらしながら、ようやく現場近くにたどり着いた。もはや付近はカオス状態である。多くの人々が箸や皿やフォークを持って右往左往している。バーベキュー世界大会のようだ。そんなもの見たことはないが。対向車線も完全にストップして事故現場一帯が狂騒的な賑わいを見せている。
どこから出てきたのか路側帯には数件の出店まで出ている。『豚串』とか書いてあるが売れ行きは大丈夫なのか。
「部長、こっちです。いい感じに焼けて、しかもワインと醤油のバランスも絶妙です」
「不謹慎だっちゅうに、お前は」
「グズグズしてるとウェルダンになりますよ」
「おう、そうだ。こら、そこの一般市民、警察だ。現場検証するからどかんか。わっ、公務執行妨害だ、逮捕するぞ」
俺は部長のかわりに謝罪する。
「すいませんねえ。この人、腹減って気が立ってて、それから貧しいもんだから普段こんないい肉たべてなくて、舞い上がってるんです。はい、ごめんなさいね。みんなで楽しくいただきましょう」
ひとしきり肉を食べていたが、さすが牛15頭、結構な量だ。
「おい、何かおかしくないか。変な音がする」
「本当だ。部長、高速道路が揺れてます」
「事故でダメージを受けた場所に車と人が集まりすぎたのだ。いかん。危ない。これは傾くぞ」
「部長、まだご飯食べてないです」
「意地汚いことを言うな。お前は降格だ。ドテカボチャ!」
「ドテカボチャという言葉は以下同文。さっき署長でもいいって言ったくせに。わあ、落ちる」
「わあ、落ちる」
「わあ。落ちる」
俺たちは付近の野次馬、赤ワインと醤油で味付けられたミディアム焼きの大量牛肉、トロリとしたチーズ、いい感じのマヨネーズとともに地上に落下する。
だが奇跡的に俺たちは助かった。下を走っていたのは荷台に山のようなパンを積んでいた大型トラックだった。道路側面の落下でこれまた横転したトラックからこぼれた大量のふわふわパンが俺たちを救ったのだ。
「こんなことがあるのか。奇跡のようだ!」
部長がふわふわパンの上を転がりながら叫んだ。俺もこの都合のよすぎる展開に呆れながらも胸をなで下ろす。
「いかに何でも無茶苦茶ですが助かりましたね」
そこにまた予想通りトラックが突っ込み、予想通り横転した。*当然読者の皆さんはもうわかっているだろうが、すべての運転手は無事でピンピンしている。
「部長、大変です。このトラックの中身があふれてきました」
「今度は何だ。どういう話だ、これは」
「部長、大量のレタスです!パンと肉、チーズそしてレタス」
「つまりどういうことだ」
「現場がハンバーガー、ゲンバーガー・ハンバーガー!」
*読者は怒ってはいけない。こういう終わり方を落語的終末文学というのである。
どうもオチが上手くつきませんでした。