異母姉妹
フェリキタスの日常は、母親が死んで以降けして恵まれたものではなかった。
もともと、身分の低い側室の1人でしかないフロースが王の寵愛を受けていることに不満を抱える者も多かった。
そこへ来て、母親の死後、国王の足が遠のき存在を忘れられかけていたところへの縁談である。
しかも相手はコラール王国より格の高いユーグラシス王家。
そこの王位継承権第1位の王子である。
喜んで受け入れられるはずもなかった。
白砂宮の使用人は減らされ、入れ替えられ、残った使用人達は好き勝手に振る舞い始める。
もともとの性質の良くない者達を多く送り込んでいた事もあり、フェリキタスの生活はみるみるひどいものになっていった。
食事は減らされ、身の回りのことは自分でするように言われ、それでも王女に与えられた予算はと言えば、しっかりと使われた。
高い布や宝飾品、豪勢な食事に質の良い海の魔石。
だがフェリキタスはそれらの宝石で身を飾る事もなく、ドレスも数着、片手で数えられるほどしか持たず、成長期に十分とは言えない量の食事しかしないため背も伸びず細いままで、魔石など使う事もなく毎日を過ごした。
家庭教師などいない。
国王がいずれ嫁ぐのだからとつけたユーグラシス語の家庭教師さえ、王女の姿を見る事もなく辞めていった。
フェリキタスは家庭教師が自分についた事すら知らない。
使用人達が彼女を放置し、昼間は遊びに行けと外へと追いやり、やってきた家庭教師は全て追い払ったのだ。
「王女殿下は勉強などしたくないと仰っている」
そう言って。
それはフェリキタスに取っては良かったのだろう。
ぼんやりと一点を見て笑っている彼女のことを、使用人達はみな薄気味悪いと思っていたし、頭が弱いのだろうとも噂していた。
家庭教師にも同じような人間ばかりが雇われていて、使用人たちに蔑まれながら授業を受けるよりは、彼女は花や植物、自然を感じて過ごしていたかったのだ。
母親が死んで以来、彼女の住む美しい家は無くなってしまった。
人の心の醜さ、冷たさばかりが目について、彼女はますます自然の中へと引きこもってしまったのだった。
ある日、フェリキタスが庭園で1人過ごしていると、そこへ王妃達がやってきた。
使用人だけでなく、側室や貴族の夫人達も一緒にいる。
そして彼女達の子供達も大勢いた。
普段、彼女達はそれぞれ与えられた宮の庭園で茶会を開く。
王城の庭園は城を訪れる誰もに開かれているため、そこで茶会が開かれるのは王家の催しがあるときくらいだ。
フェリキタスも、城内の情報に疎いとはいえ、城で催し物があるかどうかくらいは教えられている。
今日は特に何も聞かされてはいなかったため、王城庭園でゆっくりしても端のほうなら問題ないだろうと油断していた。
しかし、王妃達は彼女を探すかのように庭園の目立たない隅のほうまでやってきて、フェリキタスを見つけて茶会へ引っ張り出した。
「まあ、なんてみすぼらしい」
「王女にあるまじき格好ですわ」
「ドレスもあんなに汚れて。土までついておいでですわね」
「手もずいぶんと汚らしくてよ。あなたたち誰かハンカチで拭いて差し上げて。汚れたハンカチは捨ててしまいなさいね。後でわたくしがお詫びに新しいものをプレゼントしますわ」
「マナーもご存知でないの? 仕方ありませんわね。エリセラ、あなたの姉のフェリキタスですよ。教えて差し上げなさい」
「はい、お母様」
「エリセラ様のマナーは本当に素晴らしくていらっしゃいますわね」
「やはりお血筋かしら」
「おほほ」
「これではユーグラシスへ嫁がれたらコラールの恥となってしまいますわ」
「せめてお茶会のマナー程度はおできにならないと。マーシュレーヌ様やエリセラ様のように優雅で気品のある王女でないと彼の国へは行かせられませんわ。ねえ皆様?」
「ええ、王太子妃、いずれは王妃となるのですから」
「そんな皆様、言い過ぎですわ」
「ほほほ」
「言わなければ分からないなら言い過ぎでもよろしいんじゃないかしら」
「そうですわねえ」
「ええほんとに」
似たようなことが度々あり、そのうち王の耳にも会話の内容が入るようになったが、ユーグラシスは婚約者の変更を受け入れない。
大陸の言葉を全く使えない王女にこのままではと不安を覚えた王はフェリキタス王女をユーグラシスへと早めに送り出すことにした。
フェリキタス8才。
婚約から3年がたち、王は自分に懐かない評判の悪い姫の事などとうにどうでもよくなっていた。
だが諸所の手配のため、王女がユーグラシスへ行くのはそれから2年後の事となる。
ユーグラシス王国王位継承権第1位であるシュトラ・アイン・ユーグラシスは自身の婚約者が国内に住まいを移して来たと聞いてとても不機嫌になった。
そもそも、この婚約は彼の意思を無視して決められたものである。
それだけでも許し難いというのに、コラールから聞こえてくる婚約者の噂はと言えば、金遣いが荒い、勉強嫌いで頭の弱い、おかしい女だという話ばかりだった。
何がおかしいのかいつもあらぬ方を見てヘラヘラ笑っているのだという。
宝石や布を買い漁り、飽きてはすぐにどこかで失くしてしまう。
勉強もせずに城をうろうろしているため、落とすか捨てるかして新しいものを揃えるように言うのだとか。
好き嫌いが多く、高い食材を使ってたくさんの料理を用意させるのに、ほとんど口をつけずに少しずつ摘んであとは食べない。少食なのではなく、多くの種類がなければ癇癪を起こすのだそうだ。
シュトラの母は、前国王の王子である従兄のアルトゥルをあまり好いてはいない。
どころか、シュトラにもできる限り距離を置くように言ってくる。
シュトラは母と従兄の事を公平な目で見ようと思ってはいるが、この婚約を父王に強くすすめたのが彼だという事を考えると、やはり母や周囲の言う通り、王位を狙う意志のある人物のようにも思える。
だがそもそも、婚約が決まる前まではアルトゥルが第1位であったのだ。
婚約が決まる事で継承権が繰り上がるとは思っていなかったのか、それとも他の意図があってそうしたのか。
シュトラにはアルトゥルの考えが読めない。
それでも、フェリキタス王女が王妃には不適格な人物であることは間違いないようだと、彼はどうにかこの婚約を穏やかに解消できないかと考えていた。
そんな中だ。
ユーグラシスの王都にある学園に入学するため、フェリキタス王女の異母姉にあたるマーシュレーヌ王女が城へと挨拶にやってきたのは。
学園への入学は13才からだ。
シュトラと同い年のマーシュレーヌ王女の入学は来年からとなる。
ユーグラシスとコラールは言葉だけでなく文化にも大きな違いがある。
それらを学ぶため、1年早くやってきたのだと王女は言った。
「もう妹のフェリキタスにはお会いになりましたでしょうか」
「いや、まだだ。外交官のところにいるとは聞いたが、一度も城へ来てはいないし、挨拶に来るという話もない」
「まあ! 妹が大変な失礼をして申し訳ございません。その、人と会うのがあまり好きではない子なものですから、お許しいただけますと……。きっと悪気はないんだと思いますの」
「いや、僕は気にしていない」
むしろ会いたくないと思っていたほどだ。
「ありがとうございます。あの子もきっと、殿下と会えば気が変わりますわ。もっと早くにお会いしていれば、と、きっと……」
マーシュレーヌはそう言ってほんのりと頬を染めて微笑んだ。
マーシュレーヌの母はコラールの正妃である。
上品なのに情熱的な色香の漂う美女で有名な母親に似た彼女は、国内外を問わず多くの男性から縁談の申し込みがあり、幼少の頃からいずれは美しい女性へと成長するだろうと言われていた。
なのに、ユーグラシスの次期国王の婚約者になったのは身分の低い異母妹である。
何かが間違っている。
その間違いを正さねば、とずっと思っていた。
だからこうして、彼女はフェリキタスが王子と会うよりも先に顔を合わせ、仲を深めてしまおうとやってきたのだ。
初めて会ったシュトラ王子は、凛々しい顔立ちの感じの良い少年だった。
彼も、マーシュレーヌに好感を抱いたようだ。
わたくしたち、きっと仲良くなれる。
そう確信しながら、マーシュレーヌはゆったりと微笑んだ。