枝の上
世界はとてもきらきらしている。
物心ついた頃から、わたしの目に映る世界はいつもとてもうつくしくて、わたしはぼんやりとそれに見惚れている事が多かった。
お母様が生きていらっしゃった頃は、周りのみんなも誰も彼も優しくて、そんなわたしを笑って優しくたしなめてくれた。
お母様も、とてもうつくしいお声でころころと鈴を転がすように笑って、わたしの頭を撫でてくれた。その細く白い指をわたしは今も覚えている。
お母様は栗色の髪のとてもうつくしいお方で、お母様がお元気な頃はお父様もよくお顔を見せてくださった。
お2人ならんでお庭でお茶をしていると、お母様はとても幸せそうで、そんなお母様を見るお父様もとても幸せそうで、世界はいつもよりもさらに輝いて見えて、わたしは本当に嬉しくて、そしてとても幸せだった。
お2人をただ笑って眺めるわたしに、周りのみんなは、お歌を歌ってはいかがですか、とか、お父様のおそばには行かれないのですか、と話したが、わたしはそれにいつも首を振って答えた。
お父様とお母様は本当に幸せそうだったから、わたしはそれを見ているだけで幸せだった。
きらきら、きらきら。
胸が暖かくなる。
喜びが溢れる。
世界は、とてもうつくしかった。
ユーグラシスの王子であるアルトゥル・アイン・ユーグラシスは、外交のためコラール王国へ来ていた。
今年13才になる彼は、まだ婚約者がいない。
早世した先王の息子であり、現王の甥という立場だが、若く美しく、そして才能にも多く恵まれた彼の目にとまりたいという娘は大勢いる。
その全てに心のうちの窺い知れない笑みを向けて、王子は距離を置いていた。
王位争いを避けるため、結婚するつもりなどなかったからだ。
アルトゥル王子はコラールの城に滞在する最後の日、早朝に目覚めて数人の供を連れて庭園へと散歩に出かけた。
空気はしっとりと湿り気を帯びて、柔らかく雲の向こうから世界を温める太陽もまだ光を届けてはいない。
朝露というより夜露と言ったほうがしっくりとくるような、そんな明け方の庭園で。
王子は楽しげに木々を見つめる小さな子供と出会った。
5、6才くらいだろうか。
叔父のユーグラシス国王と正妃との間に生まれた従弟と同い年のように見える。
アルトゥルはやんちゃ盛りの従弟を思い出して微笑みを浮かべた。
「やあ、妖精さん。こんなところで何をしているのかな?」
すると子供は振り返ってにっこりと邪気のない笑顔で答える。
「あの木を見ているのよ」
子供が示した先には、なんの変哲もない木があった。
花も咲いておらず、特別な形に刈り込まれたわけでもない、他の木々と何ひとつ変わらない木。
そもそも花が咲く種類の木ではなかったはずだ。
王子に付き従っていた護衛の兵士は、表情を変えないまま不思議に感じた。
一緒にいる侍女や侍従を見れば、そちらも顔には出さないものの、子供に対してなんの興味を感じた様子もない。
城の庭園にこんな朝早くからいる子供なら王族に違いないのだろうが、なぜ1人なのかと奇妙に思えた。
「なるほど、あの木か。君はあの木がお気に入りなのかな?」
「今はそうなの」
「今は?」
「あの木が1番きれいだから」
「きれい?」
「きらきらしてるの、ほら」
子供が指差すと、紫の雲の間から光が差し込んだ。
今日の朝の光。
それが木のてっぺんの葉を輝かせながら庭園に広がった。
一瞬、護衛も、侍女も、侍従も、その輝きに見惚れて言葉を失う。
ただ王子だけが子供にいつもと同じように微笑みながら言葉を返した。
「うん、きれいだね」
その後、アルトゥル王子が帰国したユーグラシス王国から、庭園で出会った子供、コラール王女フェリキタスに、ユーグラシス国王と正妃の間のたった1人の王子、今年6才になるシュトラ・ツヴァイ・ユーグラシスの婚約者に、との打診があった。
シュトラ王子はこの婚約を機に王位継承権第2位から第1位へと繰り上がり、シュトラ・アイン・ユーグラシスへと名前を変える予定だという。
コラール王国は当初この縁談に難色を示した。
フェリキタス王女の母親は、コラール王国の中でも力の弱い海辺の小さな部族の出身だったからだ。
同じ年頃の王女であれば、他にも有力貴族の出身の母を持つ姫もいる。
島国のコラールと比べ、大陸でも長い歴史を持つ豊かな王国へ次代の国王の妃として嫁がせるならそうした姫でもいい。
だがユーグラシスからはフェリキタス王女を、との一点張りで、他の姫であればこの話は無かったことに、と流れかけたところでようやく父王が話をまとめた。
こうして、コラールの王女フェリキタスは、いずれ大国ユーグラシスへと嫁ぐことが決まったのだった。
コラール国王は、最近儚くなってしまった側室の1人、フロースとの間に生まれたたった1人の娘を外へ出すつもりはなかった。
しかしユーグラシスの使者が譲らない姿勢を見せたため、仕方なくこれを承諾する。
だがフェリキタスはまだ5才。
国外へ出すにはあまりにも幼く、また母を亡くしたばかりという事もあり、せめてユーグラシスの学院へ通う年齢になるまでは、と手元に置く事を条件とした。
王はフェリキタスの母フロースを心から愛していた。
彼女と過ごす時間がなによりも大切であったし、他のどんなときより心穏やかに過ごせる時間であった。
その娘のフェリキタスは、いつも笑っているが行動の真意が読めず、フロースに与えた白砂宮に訪ねて行っても、近寄ってくることも話しかけてくることもなく、ただ国王と母親を見て機嫌良くしている、掴めない子供だった。
だからだろう、つい国王はその後フェリキタスを放置するままにしてしまった。
母親への愛情ほどには可愛いと思えない子供。
国王にとってフェリキタスはそんな子供であった。
全4話で完結。
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