夢創小説
まだ一文字も進んでいない原稿用紙を睨みつける。原稿用紙のマス目が果てしない線路のように続いている。
その線路に万年筆で文字を刻み込む。それが私の職業なわけだが最近どうも職業病というものになったようだった。
私は日ごろから執筆活動の際は窓を開け、空に見下ろされながら筆を動かすわけだが度々窓の外に居るはずの無い大鷲や飛行艇、ひどい時は巨大な骨が浮かんでいるときがある。
窓の外なら良い方だ。これが自室の中で起きた場合は悲惨極まりない。漏れ出しても居ない水を拭き、居ない編集者をもてなし、鮭で茶を入れたりしていた。女房が居たものなら気でも触れたと思われるところだった。
そんな私だが執筆活動に集中している間はその症状も出なかった。気を抜くと手元に覚えのないお茶が湯気を立てていることもあったがその程度だった。
それでも私は今日も今日とて例によって筆を原稿用紙に切り込んでいた。そんな時だった、またお茶が手元で湯気を立てていたのだ。呆れた私は休憩がてら普段手を伸ばさない湯飲みに手を伸ばしてみた。そこには確かなぬくもりと陶器の質感があった。
不思議に思い口に運び、湯飲みを傾けた。舌に痺れた感覚があり、意識が遠のいた。目と鼻の先に落とした湯飲みから畳に鶯色のシミが出来た。
夫には私が見えていない。流石に小説家でも自宅に自分の世界を作ってそこから嫁を追い出すなんてひどいじゃない。
それでも夫の力になりたくて執筆の邪魔にならないようお茶くみだけでも手伝った。
しかし、ただの一回も夫は手に取らなかった。
私に関わるものは全て自分の世界から抹消したい。そう言われているようだった。私はそんな夫の姿勢に我慢できないほど腹が立った。
ある日から夫のお茶に毒を混ぜようと決心した。しかし不思議なことに毒を混ぜた一日目で夫はお茶を飲んだ。
最初は驚いたが不思議と納得は出来た。おそらく夫は無意識のうちに死にたくて幻想を見て、死にたくてそこに閉じこもり、死にたくて毒を飲み、死んでも寂しいと思わせないように私を現実に残したのだ。