私の名はマルカ
2021.1.8 この度『私の名はマルカ』が第8回アイリスNEOファンタジー大賞にて銀賞を受賞しました!
詳しくは活動報告をご覧ください。
今回はこちらのご報告のみで本文は変わっていません。
2020.9.10に「私の名はマルカ」の連載版を書き始めました。
この短編を元に加筆したものになっています。
読んでみて面白ければそちらもぜひ。
私の名はマルカ・レイナード。
半年前からレイナード伯爵家の長女である。
半年前まで、私は家名も持たないただの平民―――しかも孤児院にお世話になっているような孤児だった。
私の唯一の家族であった母様が幼い頃に他界し、行く当てのなかった私は孤児院に入ることになった。
この国はさほど大きくはないものの、その分国の隅々まで支援の手が行き届いており、私のようなものでもそこまで不自由することなく成長することが出来た。
また、この国の民は多かれ少なかれ魔力を保持しており、平民でも簡単な生活魔法なら使える程度には魔法というものが浸透していた。貴族ともなればその魔力量は平民の比ではなく高いということが常識でもあった。
ただ、ごくたまに平民の中でも高い魔力を保持するものが出ることがあり、そういった者を見落とさないためにも民は15歳になると魔力測定を行わなければならず、高かった場合には制御などを覚えるため王立学園に通うことが法で定められていた。
そうして私も15歳になった時に魔力測定を行ったのだが、お察しの通り私には貴族にも負けない魔力があった。
正直なところ気位の高い貴族たちの通う学校になど行きたくはなかったが、法を破るわけにもいかないし、学園に通えて勉強させてもらえるならば将来的な就職口も広がりむしろ一石二鳥ではないかと思うようになった。
学園に入るのは翌年の春からだったので、それまでに少しでも貴族社会の中で粗相しないようにマナーを身につけなければと考えていたところに、さらに驚きの展開が待っていた。
なんと私を引き取りたいという貴族が現れたのだ。
その人物こそレイナード伯爵である。
なぜ私を、と不思議に思っていると孤児院の先生がそっと教えてくれた。ただの善意である場合と魔力の高い子はいずれ国のために働くことが多いので、自分の権力のために私のように魔力が高い者を引き取ろうとすることがある場合。
そして魔力測定が終わったタイミングで声がかかる場合はそのほとんどが後者であると。
しかも貴族に平民が逆らうことなどできるはずもなく、私の意思に関係なく数日後にはレイナード伯爵家に引き取られることとなった。
孤児院まで迎えに来た馬車に乗って私は伯爵家に行った。初めてレイナード伯爵に会った時、伯爵は驚くべき言葉を口にした。
「ああ、マルカ。我が愛しの娘よ。今まで会いに行けなくて済まなかった」
そう言って抱きしめてくる伯爵に嫌悪感を抱きながら、私は初めて自分が伯爵家の娘として引き取られたことを知ったのだ。
そして一番初めに思ったことは、この人は何を言っているのだろうということだけだった。
伯爵が言うには、母様はもともと伯爵の愛人で私を身ごもった時に伯爵夫人に申し訳ないと言って姿をくらませた。伯爵は私をずっと探していたが今まで見つけられず、ずっと会いたかったと言われた。
レイナード伯爵家には奥様であるアメリア様とご子息のヘイガン様がいた。二人は伯爵とは違い、私を汚いものを見るような目で見ていた。
それはそうだろう。
だって伯爵の言っていることは全て嘘なのだから。
私は朧気ではあるが父様のことを覚えていた。
私の容姿は完全に母様似である。顔立ちも、ふわふわとしたミルクティー色をした髪も母様から譲り受けたものだ。ただその中でも少し金色が混じっている鳶色の瞳だけは父様からもらったもので、私のお気に入りでもある。そう、決して伯爵のような腐った眼をした人ではない。
しかもそんな人の愛人などと母様を馬鹿にして、許すまじ。
伯爵夫人からは「お前のようなものを我が家に入れるなんて・・・私はお前をレイナード家の娘だなんて思いませんからね」と言われた。
伯爵子息からは「勘違いするなよ。お前は魔力と娘がいない我が伯爵家の政略のためだけに連れてこられたんだ。いずれどこかの貴族に嫁に出されるだろう」と言われた。
なるほど。娘としておいたほうが利用価値が出ると。
怒りで腸が煮えくり返りそうだった。そんな馬鹿げた理由で母様を馬鹿にするとは許せない。
大体、身ごもって申し訳ないと思うような女は初めから愛人になんてなるわけないだろう。母様は父様を愛していたし、父様が亡くなった後も父様以外に心を向けることはなかった。
それに同じ国内に、しかも10年も同じ孤児院にいたのに私を見つけられないとは探していたというのが本当なら相当な能無しである。
設定が色々雑過ぎて呆れる。これからこんな人たちと同じ家で過ごさなければならないのかと思うと溜息しか出ない。
しかし相手は貴族。
逆らうことも出来ず、かといって馴れ合う気にはもちろんならず、私の日々は淡々と過ぎていった。
そして翌年の春、私は予定通り王立学園に入学した。
幸い伯爵家に入ってからマナーの授業を受けさせてもらっていたおかげでそこまで周囲から浮くことはなかったが、時々「平民上がり」と言う陰口を頂戴することがあった。
実際その通りなので気にすることも無かったが。
驚いたのは伯爵子息の態度だった。伯爵家の中では夫人と一緒に顔を合わせれば嫌味を言われるばかりだったが、学園に入ると「私の可愛い妹です」と鳥肌の立つような言葉と共に学友に紹介され、「お兄様」と呼ぶことを強要された。
その学友の中にはこの国の王の息子であるバージェス殿下も含まれており、まさかの側近候補だということに、こんなのがこの国の未来を担っていくのかと思ったら不安しかなかった。
私は入学後も淡々と毎日を過ごし真面目に授業を受け、少ないが友人も出来た。真面目に学んでいるせいか成績もぐんぐん伸び、魔法も座学も常にトップ集団にいるようになっていた。学ぶことが楽しかった。
思っていたよりも平和な毎日を送っていたのだが、ひとつだけどうしても嫌なことがあった。
伯爵子息がバージェス殿下のお傍に行く際、なぜか私を帯同させるのだ。
止めてほしい。一人で行けば良いではないか。
そして、厄介なことに初めはただの学友の妹だった私に向ける視線がだんだんと熱を帯びたものに変わってきたように感じていた。
会うたびに「君は奥ゆかしい女性だね」「貴族社会で慣れないことがあったらいつでも私を頼って」「今日も君に会えたことが嬉しいよ」「君が私と同じ気持ちでいてくれたら」「可愛らしい君に似合いの花だ」などと砂を吐くような言葉をかけられる。
なぜだ。私が一体何をしたというのだ。そんな要素どこにも無かっただろう。本当に勘弁してほしい。
たしかに殿下は眉目秀麗、文武両道で人望もあり立太子も近いのではと噂されており、多くの視線を集める方ではある。見た目も実際も王子様なのである。言い寄られれば女性は皆喜ぶのだろう。
ただね、あなた婚約者がいるでしょうよ。
幼き頃に王家と公爵家の間で結ばれた婚約。この学園に通うものなら誰もがその存在を知っている美しき公爵令嬢クリスティナ様。
彼女もまたその美しさ気品と知性を持ち合わせた完璧令嬢だった。そんな婚約者がいながら私に愛を囁くなどクズの極み。本当にもう関わりたくない。
ただ少し不思議なのが殿下は私に一切触れてこない。私に手を伸ばしかけたかと思うと急にぎぎっと身体の動きが硬くなるような素振りを見せ手を引っ込めるのだ。いや、触れてほしいわけではなく、なんなら一生触れてほしくないので構わないのだが。
問題にならない程度に友人に愚痴を吐いていると、まさかのクリスティナ様から声を掛けられた。
「ごきげんよう、マルカ様」
「ご、ごきげんよう」
「なぜ私が貴女に声を掛けたか・・・理由はおわかりかしら」
「・・・バージェス殿下の事でしょうか?」
「ええ。貴女も知っているとは思うけれど、私は殿下の婚約者です。殿下は将来この国を背負って立つお方です。そんな殿下の人望に綻びを作るわけにはいかないの。貴女どういうおつもりなのかしら」
スッと冷えた視線を向けられる。美人が怒ると怖いって言いますよね。ただ私は濡れ衣を着させられたくはないんですよ。
「発言よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「ありがとうございます。お言葉ですが、私のほうから殿下に声を掛けたことなどただの一度もございません。私は自分の分も弁えております故、クリスティナ様と敵対する気など毛頭ないということだけはお伝えしたく思います。もちろん殿下にはこの国の王子殿下であらせられるという感情以外は持ち合わせておりません」
一気に言い切るとクリスティナ様は少し驚いた表情で目をぱちくりさせていた。
「クリスティナ様?」
「・・・ごめんなさいね。聞いていた噂とずいぶん違うものだから」
「噂は噂。そこには少なからず伝えるものの意思が介入いたしますので」
「そうね。貴女見た目と印象がだいぶ違うのね」
「?そうでしょうか?」
「ええ。まあいいわ。とりあえず今は貴女の言葉を完全ではないけれど信じることにします。もし他の方に何か言われたら私の名前をお出しなさい。お時間取らせてごめんなさいね。それでは」
そう言ってクリスティナ様は颯爽と行ってしまった。
「わざわざこのためにお一人で来られたのでしょうか」
「きっとそうね。格好良いわよね」
本当にこんな素晴らしい女性を放ったらかして殿下は何を考えているのだと憤りを感じずにはいられない。
そして私は私と同じように殿下の態度に納得がいかない者、もしくはクリスティナ様の取り巻き(友人ではなく勝手に周りに侍っている権力目当ての者)たちによる嫌がらせを受け始めていた。元平民の私が殿下の周りにいたり、中には成績で私に負けてやっかんでいるものもいたようだが。
初めは足を引っかけられたりペンを壊されたりといった些細なものだったが、私が特に反応することなく過ごすことに苛立ちを覚えたのだろう。最近では外を歩いていると上から植木鉢を落とされたり、階段の上でわざとぶつかられたりといった傷害罪とも思えるような行動に出る者までいた。
しかし面倒なことに特に目撃者もおらず、誰かに伝えたところで殿下が出てきても面倒なのでこれも放置することにした。ただし私もケガをしたくはないので、自らにシールドの魔法をかけ自身を守ることにした。
この魔法、実に便利で一見するとシールドが張ってあるとはわからないようになっているのだが実際は身体全体を強固な膜が覆っている状態なのだ。授業で習うレベルを超えた魔法ではあるが、全校生徒に開放されている学園の図書室には応用編としてその魔法が載っている本があった。高い魔力を有し、伯爵家に戻っても何も楽しいこともないので図書室に入り浸っている私にとってはこの程度の魔法は簡単なものである。
おかげで私は今日も無傷である。悔しがる者たちの顔が浮かばなくもないが、そんな暇があるなら勉強しろと思わずにはいられない。
そんなある時私が伯爵家に戻ると、伯爵と伯爵子息の聞き捨てならない会話を耳にした。
「首尾はどうだ。計画通り行きそうなのか?」
「ええ。今のところ父上の思惑通りに事が進んでいますよ」
「そうかそうか。これであの娘を引き取った甲斐があるというものよ」
「平民の娘を我が家に入れるなど初めは何を考えているのかと思いましたが・・・父上も随分と大それたことをなさる」
「ふん。利益が無ければわざわざ平民の娘など拾ってくるものか。しかし無事殿下の目に留まったようでなによりだ」
「まあそう仕向けていますからね。ただ思ったよりも魔法が効いていないようなのが気掛かりです」
「上手くいっているのではなかったのか?」
「上手くはいっていますよ。ただ決定打に欠けるというか、殿下もさっさとあの娘に手を出してくれれば良いものを」
「女遊びを知らぬ殿下では致し方あるまい。もう少し効果を強めてはどうだ」
「今以上にして魔法に気付くものが出てきても困ります。焦らずじっくりいきますよ」
「期待しているぞ。上手くすれば王家と繋がりができ、あの娘が殿下との間に子をもうければ私の孫として扱うことも出来る。そして側近にはお前がいる。権力が我がレイナード家に転がり込んでくるのだ」
なんということだ。
まさかそんな謀をしていたとは。そしてこんな誰が聞いているかもわからない廊下でこんな話をしているなんて、救いようのない愚か者たちなのか。
そして今の話から察するに殿下には何かしら魔法がかけられており、そのせいで私に近寄ってきている?もしかしてたまに動きがおかしいのは自分の意思と反することをさせられそうなのを必死で抵抗しているからなのでは?
そんな考えが浮かんだ私はそっとその場を離れ自室へと戻る。そしてすぐに机へと向かうと同じ内容の手紙を何通かしたためた。その手紙を一纏めにすると封をして魔法をかけた。
翌日、私はいつもより早い時間に教室へと向かった。そこには予想していた通りクリスティナ様がすでにいた。
「おはようございます」
「おはよう。貴女から声を掛けてくるなんて珍しいわね。ああ、そんなに身構えなくても大丈夫よ。貴女を見ていたら殿下に心を向けていないことはよくわかったから」
「ご理解いただけてなによりです。ですがそのことについてなのですが―――これを」
私はすっと昨日したためた手紙をクリスティナ様に差し出した。
クリスティナ様はその手紙を一瞥すると、再び私のほうに視線を向けた。
「これは何かしら」
「殿下の今の状況に関係しているのではないかということが書かれております」
「なんですって」
「・・・これ以上のことはここでお話しすることは控えさせていただきたいのです。代わりにこちらに全て書かせていただいております。どうかクリスティナ様の信用できる場所で信頼のおける方と目を通していただきたいと思っております」
「・・・わかりました。あとで目を通させていただきます」
このやりとりから数か月後。
私は今日も殿下の隣にいる。学園主催の卒業記念パーティーのこの日に、だ。
畏れ多くも殿下自らが私を迎えに来て王家の馬車で会場に向かう。もちろん着ているドレスも殿下からのプレゼントだ。
エスコートは殿下がしてくださると伝えた時の伯爵の顔ときたら、ニヤニヤして本当に気持ちが悪かった。本来なら婚約者のいる殿下にエスコートをされるなど理由を聞いてきても良いはずなのだが、全てが自分の思い通りに事が運んでいると信じ切っているこの家の者たちはそんなことまで考えが及ぶはずもない。今日ですら殿下に手を取られて家を出ていく私の背中に向けられた視線は笑いが堪えられないといったものだった。
本日をもって笑顔など浮かべられなくなることなど知らずに。
馬車に乗った私は殿下の指示で防音魔法をかける。しっかりとかかったことが確認できるとおもむろに殿下が話し始めた。
「首尾は?」
「上々にございます。先ほどの伯爵の様子を見ればおわかりかと思いますが」
「そうか。君には迷惑をかけたな。あと少しの辛抱だからもう少し我慢してくれ」
「我慢など・・・元々の元凶は伯爵家にありますので。私も名ばかりではありますがレイナード伯爵家の者ですのに、私の言葉を信じて下さって感謝いたします」
「いや、君が動いてくれなければ取り返しのつかないことになっていたかもしれない。感謝する」
「もったいないお言葉にございます」
「クリスティナも君には感謝しているぞ。あれはなかなか感情を表に出すことがないからわかり辛いかもしれないが知っておいてほしい」
殿下はそう言うと今まで私に向けてきた笑みとは違う心からの笑みを浮かべていた。
そう、これが本来の殿下なのだ。殿下は婚約者のクリスティナ様を本当に愛しているのだから。
「―――ああ、もう着くようだな。では最後の仕上げといこうか」
会場に私が殿下と共に入ると周りからは驚きの視線が向けられる。それもそのはず、婚約者がいる身でそれ以外の令嬢をエスコートするなど通常なら考えられないことだ。しかもその相手が元平民で、学園内では婚約者の公爵令嬢を差し置いて殿下に気に入られていると噂される娘なのだから。
今この場で笑顔でいられるのは愚かなレイナード家の者と、公爵家を良く思っていないものくらいだろう。
ここ数か月の間、私と殿下は二人でいる時間を多くとった。そして殿下とクリスティナ様は敢えて関係が冷めているかのように振る舞った。
全てはこの日のために―――
この卒業記念パーティーには卒業生、その婚約者、そして彼らの親である者たちが参加していた。王立学園ということもありこの国の重鎮も数多く出席していた。
そんなパーティーが佳境に入った頃、卒業生代表として殿下が挨拶をする時がやってきた。
殿下とその側近候補他たちが殿下を守るように周りに立つ。殿下は壇上に立つと良く通る声で話し始めた。
「皆の者。卒業おめでとう。学園を卒業した私たちはもう立派な成人としてみられる。貴族としての自覚を持ち、私と共にこの国をより良くしていってほしい」
わぁっと拍手が起きる。殿下はそれを右手を上げてすっと収めると、あと一つ――と話し始めた。
「今この場を借りて重大なことを発表したいと思う。マルカ・レイナード伯爵令嬢ここに」
「はい」
殿下の横に立った私を見て場内はざわつきだす。そして同時にクリスティナ様にも視線が集まり、彼女の周りの人々が空気を感じて一歩下がった。
私に向けられた皆の視線はとても居心地の良いものとは言えない。困惑と、どちらかといえば非難めいたものばかりだ。この状況で笑っていられるのは殿下の後ろにいる伯爵子息と壁際でこちらの様子を窺っている伯爵くらいだろう。
今夜、殿下が婚約者のクリスティナ様ではなく私を伴ってパーティーに出たことにより彼らの頭の中では計画通り私と殿下が恋仲になり、未来の王妃と言われていたクリスティナ様を蹴落としたと思っていることだろう。そして今この場で彼女との婚約解消を発表し、新たに私との婚約を結ぶことを宣言するとでも思っているのだろう。
なんとめでたい頭の持ち主か。愚かを通り越して頭の中にお花畑でも広がっているのではないだろうか。
殿下は発表の前にひとつやらなければならないことを忘れていたと言って声を発した。
「衛兵!レイナード伯爵とその子息ヘイガン・レイナードを捕らえよ!」
殿下の指示により待機していた兵が一斉に動き出しあっと言う間に伯爵と伯爵子息を捕らえ殿下の前に引っ立てる。伯爵を含め、この場にいるほとんどの者たちはいったい何が起きたのか理解できず狼狽している。
「殿下!これは一体どういうことですか!」
「私たちが何をしたというのです?!」
「もしや、我が娘が殿下に何か失礼なことをしたのでしょうか?!」
やはりこの人たちは本物の馬鹿であった。私は改めてそう感じる。
もしも私に何か非があったとすれば同じように私も捕らえられているだろうに。そんなこともわからないほどに混乱しているのかもしれないが。
「マルカ嬢はむしろ今回の件での功労者だ。そうであろう?クリスティナ」
「ええ、本当に」
クリスティナ様がゆっくりと隣に寄ってくると、殿下は彼女の腰に手を回しぐっと自分の傍に引き寄せた。そこが元々の居場所であるようにクリスティナ様は微笑みながら殿下に寄り添っている。
「クリスティナにもだいぶ我慢をさせた。それも今日で終わりだがな」
「とんでもないことです。すべては悪の芽を確実に潰すため」
二人の仲睦まじい様子を見て伯爵と伯爵子息は呆然としている。他の生徒たちもまだ状況が理解できていないようだ。
「な、なぜ・・・」
「殿下はっ!殿下はマルカを好いてくださっているのではないのですか?!」
声を荒げる彼らを冷ややかな目で一瞥する。
「それは貴様らが仕向けたことだろう。私が伴侶に望むのは今までもこれから先もクリスティナだけだ。ああ、私はマルカ嬢の能力は買っているからそういった意味では気に入っているというのは間違いないが」
「そんな、なぜ・・・」
周りからはどういうことだ、何が起きているのかという声が上がっている。
殿下は周囲に視線を向けると説明を始めた。
「この者たちはマルカ嬢を私に近づけ、私の寵愛を受けるように魔法で私の意思を誘導し、王家との繋がりを持とうとしたのだ。そしてあわよくばマルカ嬢を私の妃とし、子を産ませ権力を手にするという実に愚かな計画を立てていた」
この殿下の言葉に騒がしさは一層増した。
臣下であるはずの伯爵家が何と愚かな、過ぎた夢を見たのか。しかも殿下の意思を操るような魔法を使うなど。
「むろん私が愛しているのはクリスティナだけであったが、このヘイガンの魔法によって私の意識はマルカ嬢へと誘導されていた。皆が知っている学園内での私の愚行もこれによるものだが、私自身思うようにならない自分に苛立っていたのだがマルカ嬢が適度な距離を保ってくれていたおかげでそれ以上の過ちを起こすことなく済んだ。ヘイガン以外の友人たちも私の行動を諫めてくれていた」
殿下は自分の周りを固めている宰相子息、騎士団長子息、魔術師長子息たちに感謝の視線を向ける。彼らはそれを受けて軽く頭を下げた。
「そしてこのマルカ嬢はあやつらの企みに気付き、クリスティナを介して私たちにこの事を教えてくれた人でもある」
そう、私が以前クリスティナ様に渡した手紙には彼らの企みが全て記されていた。
彼らの計画、殿下に良くない魔法がかけられている可能性、早急に殿下を城の魔術師長に見てもらったほうが良いということ、そして私自身はその計画とは無関係であり、敵対する意思はない。伯爵家の罪を暴くことに全面協力するという旨をしたためていた。
こんな内容の手紙をクリスティナ様に託し、同じ内容の手紙を何通か同封し彼女の信頼のおける相手にも渡してほしいという願いを書いたのだ。
後からクリスティナ様にはうっかり自分以外の者の手にこんな内容の手紙が渡ってしまう危険性についてお叱りを受けたが、私がクリスティナ様以外には開封できないように魔法を掛けてあったので大丈夫ですと答えるととても驚いた顔をされた。
「貴女って見た目に反してかなりしっかりしているのね。成績トップは伊達じゃないわね」
どうも私は見た目が儚く見えるらしく、ぽやっとしていて反抗などしなさそうに見えるらしい。なるほど。だから伯爵家でも従順に従っているように見えるのか。
実際は心の中だけではあるが結構な毒吐きだと思っているのだが。面倒なことが嫌いで感情の起伏をあまり表に出さないだけ。困った時は曖昧に微笑んでおけばどうにかなるだろうとか思っている。
とまあ、そんなことは置いておいて、この手紙はクリスティナ様を介して公爵家当主へ、宰相様へ、そして王家へと渡ることとなった。
そしてしばらくすると殿下の態度に変化があった。今までと同じように人目のあるところでは甘い言葉を吐くが、完全に二人きりになると「君のおかげで助かった」と言われた。もう大丈夫なのかと問えば人差し指を唇に当て微笑まれたのでそれ以上は詮索もしなかったがその後、城で内密に話し合いの場を持ちたいとの打診があった。
内密にとは言っても私には監視のように学園では伯爵子息が、伯爵家では伯爵の指示によりメイドたちの厳しい視線があり、こっそりと抜け出すことは不可能だった。
それならばいっそ堂々と行ってやろうと殿下に王宮でのお茶のお誘いを受けたがどうしたらよいかと伯爵に聞いてみた。伯爵はついに私が殿下のお手付きになるのではと喜び、わざわざ新しいドレスを用意して送り出した。
本物の馬鹿がここにいると思ったのは言うまでもない。
城に着くと、まさかの両陛下の御前に連れて行かれた。他にも手紙の内容を知る面々が揃っており、一生お目にかかることなど無いと思っていた国の重鎮たちを前にさすがにこの時ばかりはかなり緊張した。
「顔を上げよ。そなたがマルカ・レイナードで間違いないな」
「はい。お目にかかれて光栄に存じます」
陛下は手に私がしたためた手紙を持っており、それを私に見えるように広げてみせた。
「ここに書かれている内容に嘘偽りはないと誓えるか」
「もちろんでございます」
その後の言葉を貰えないでいる状況に、私は自分がそこまで疑われているのかと思った。考えてみれば元はただの平民である自分の言葉を信じろという方が難しいのかもしれない。
「・・・どうだ魔術師長」
「確かに嘘は申してないようです。その手紙の内容は信じて良いものかと思います」
どうやら私は魔術師長に嘘をついていないか魔法で調べられていたらしい。魔術師長の言葉の後、ピリピリとしていた部屋の空気が一変し柔らかいものに変わったように思えた。
「疑ってすまなかったね。君もレイナード家の一員だから簡単に信用するわけにはいかなかったのだよ。此度のことは今ここにいる者たちしか知らない。君のおかげで息子にかけられていた魔法も解除することが出来た。礼を言おう」
「もったいなきお言葉です」
「もうそんなに硬くならずとも良い。ここからは話し合いだからな」
そう言って笑う陛下は最初の威圧感などまるで無かったかのように朗らかな方だった。
部屋に場所を移し、改めて手紙の内容を確認していく。
「この手紙を受け取ってすぐに魔術師長にみてもらい魔法を解除してもらったんだ」
「それでは、やはりこの間はすでに元の殿下に戻っていたのですね」
「ああ、ただ急に君から離れればヘイガンが気づくだろうからあの様な形になった」
頭の奥底ではなぜ自分がクリスティナ以外に愛を囁くのだという嫌悪感があったが止めることが出来ず、何とか触れることだけは阻止出来ていたとため息交じりに話されていた。
「マルカ嬢には本当に迷惑をかけたが、君が私に靡かなかったのが唯一の救いだった」
そりゃそうだろう。なんなら軽蔑の気持ちを持っていたくらいなのだから。
正直に言ってあんな素敵な婚約者がありながら私のようなものに構うなど、関わりたくないとすら思っていたと伝えると殿下はもちろん陛下や他の方たちまで肩を震わせて笑い出した。
「はっはっは。見た目と違ってずいぶんと気の強いお嬢さんだ」
「殿下の見た目に靡かない令嬢というのも珍しいですな」
「好かれていないとは思っていたがそこまでとは・・・いや、君にとっては笑い事ではないな、すまない」
「これでしたら例の計画を実行しても全く問題ないのでは?」
「計画、ですか?」
計画というのは今まで通り学園内では殿下と私が時間を共にするようにし、あたかも伯爵たちの計画が上手くいっているかのように見せかけるということだった。そしてその油断している間に証拠固めをすること、卒業パーティーで伯爵家の者が出払っている隙に屋敷を押さえ、本人たちを捕らえ罪を暴き、絶対に逃げられないようにするというものだった。
「もちろんクリスティナも了承している。彼女にはすでに誠心誠意謝罪済みだ」
「・・・殿下たちが良いのでしたら私もそれで構いません。あ、それでしたらその演技をしている最中に新たにわかったことなどがあったらお話ししますね」
「いや、学園内でその話をするのはマズイだろう。誰に聞かれるかもわからない」
「大丈夫ですよ。私が防音魔法をかけますから」
私の言葉で皆が驚いた顔をする。
何かまずいことでも言ったのだろうか。
「あ、あの?」
「君は防音魔法が使えるのか?範囲はどの程度だ?」
「え?使えます。範囲は自由自在です。例えば殿下と私だけ。陛下と公爵様と私と殿下。この部屋全体」
言った順番で防音魔法を展開していくと、先ほどと同じかそれ以上に皆驚いた顔をしていた。
「殿下、昨今の学園ではこのような魔法を教えられているのですか?」
「い、いや」
「では、マルカ嬢はどこでこのような魔法を覚えたのです?!」
魔術師長が私に向かって言う。
「え、えっと図書室にある役立つ魔法・応用編18巻に載っておりました」
「あの分厚い応用編を18巻まで読んだのですか?!」
「は、はい。というか今は22巻を読んでいます」
「なんと・・・」
「殿下、もしかしてあの本は読んではいけないものだったんですか?」
「いや問題無い。ただあの本は魔術師長の祖父がしたためたもので魔法マニアによるマニアのための魔法書と言われるくらい内容が濃いものになっているし、読めたところで実践するのが非常に難しいと言われているものなんだ」
そうだったのか。伯爵家に帰りたくなくて暇つぶし目的のために読んでいた本がそんなものだったなんて。読み進めてみたら面白くてどんどん読んでしまえたけど。
「なんという逸材・・私の部下に欲しい・・・」
ブツブツと呟く魔術師長をよそに今度は私の安全対策について話し合われた。殿下に近づきすぎるとそれをやっかむ者たちによって害される心配があるというのだ。
ただ今までもそれはあったし、自身に魔法を掛けシールドを纏っているので大丈夫だということを伝えると、また驚いた顔をされ肩に手を置かれ「君がこちら側の人間で良かった」と言われた。
斯くして私たちは計画通りことを進め、今日という日を迎えたのだ。
じつは意外と殿下と恋仲のフリをするというのが大変だった。考えたら今まで誰かを好きになったことが無かったので、愛を囁かれた時の対応がわからなかった。
いつも通り曖昧に微笑んでおけば良いかという私の考えが顔に出てしまっていたのか「演技とはいえここまで無反応なのは面白い」と殿下に言われ、面白がって次から次へと砂糖より甘い言葉を囁くものだから、周りから見れば熱に浮かされたバカップルに見えたことだろう。
時にはクリスティナ様にその場を目撃されることもあり、肩を震わせ俯く彼女を周りの令嬢が慰めているところを目にしたこともあった。
おそらくクリスティナ様は悲しみのあまり涙を堪えているのだと周りの令嬢は思ってただろうが、もちろんそんなことはありえない。
この計画を知っているクリスティナ様が殿下の甘い囁き作戦に私が内心げんなりしているということをわかっていて笑いを堪えていたということを私は知っている。
全てが終わったら同じ言葉を殿下からかけてもらえばいい。きっとクリスティナ様は顔を真っ赤にさせることだろう。本物の恋人同士である彼女たちならきっとそうなるに違いない。絶対にからかってやる、心の中でと思ったりもした。
回想に耽っていると私に向かって伯爵が声を荒げた。
「マルカ!これはどういうことだ!この父を嵌めたのか?!」
「嵌めただなんて人聞きの悪いこと言わないでください。あなたたちの謀の火の粉が自分にかからないように振り払っただけです」
「っ貴様!拾ってやった恩も忘れてこの私を裏切るというのか!」
「裏切るも何も、私はあなたたちの一味じゃない。そもそも私を娘などとよくそんな嘘をつけたものですね。私は父を覚えてる。私と同じ瞳の、優しい父だった。そんな父を愛していた母様を自分の愛人だったなどと・・・とんだ侮辱だわ!母様は貴方のような性根の腐った人間に入れ込むような愚か者なんかじゃないんだから!母様を馬鹿にするな!」
私は言いたいことを言いきって肩で息をする。
今まで一度も反抗したことの無かった私が急に牙を剥いたことに伯爵と伯爵子息は大層驚いて声も出ない様子だった。
「王家に対する反逆罪に私に対する傷害罪、そこに庶子でもないのにマルカ嬢を娘と偽って貴族社会を謀った詐欺罪も追加しておこう」
「そんなっ!これは何かの間違いです!そこの平民の娘が我々を嵌めたのです!殿下!」
「すでに証拠は揃っているし、マルカ嬢の身の潔白も王宮にて証明されている。処分内容は追って沙汰するが貴様らは二度とこの世界に戻ってこられないと思え。連れて行け!」
殿下の声で動き出した兵たちに引きずられるようにして二人は連れて行かれた。
やっと終わった。
私は今日この日をもってマルカ・レイナードからただのマルカに戻る。
レイナード伯爵家はおそらく取り潰しになるだろう。私はもともと娘などではないのだからただの平民に戻る。
この学園にはあと二年在籍することになるが、屋敷も押さえられて帰るところも無くなってしまったから、まずは家探しから始めよう。王都って家賃どのくらいなのかな。出世払いとか出来るのかしら。とりあえずはクリスティナ様とそのお父上である公爵様から「住むところが無かったら私たちの屋敷に来なさい。しばらく居てくれて構わないよ。使用人たちも久々の客人でやる気が出るだろう」とありがたい言葉を頂戴しているので厄介になろうかと思う。
この騒動が落ち着いた後、私は報奨金として平民には驚きの額を頂いたり、家探しを公爵家一丸となって邪魔されたり、クリスティナ様のお兄様に口説かれたり、魔術師長から卒業後の勧誘を受けたりと激動の人生を歩むことになるのだが、今の私はそんなこと知る由もない。
私の名はマルカ。
母様と父様からもらったこの名前が私の誇り。
読んでいただきありがとうございます。
急に思いつき、勢いで書き上げたので至らない点もあると思いますが書いていて楽しかったです。
もしよろしければ評価や感想などを頂けると嬉しいです。
評価&感想&ブクマありがとうございます!
まさかのジャンル別日間ランキングで一時的に1位に・・・!(2019.9.28)
こんなに多くの方々に読んでいただけるとは思ってもみませんでした。
本当にありがとうございます!