怖がりな女の子
六月二十三日。日曜。天気はうんざりするぐらいの快晴。
頭上を仰いだぼくは駅の案内板の前で立ち尽くす。
手持無沙汰にロータリーの真ん中の時計を見る。
時刻は十時十五分。茅崎さんの姿はまだない。
どうしてこんなことになったのだろう? 昨日から何度も考えた。
答えが出ないまま、気付けば待ち合わせの時間が目前だった。
まともに友達もいないぼくが、同級生の女子とデート。
どんな冗談だ。
もちろん女子高生の使うデートという語句が広い意味を持つことは理解している。彼女達は同性の友人と出かけることもデートと呼ぶ。そこらへんの情報はきちんとネットで得ている。そんなことで勘違いするほど浅はかではないつもりだ。
断じて言うが、ちっとも楽しみではない。このドキドキは意味が違う。
断頭台にあがる囚人のような気分で、ゆっくりと進む時計の針を眺めていた。
ぼくは、茅崎さんが苦手だった。
部員の中で最も警戒していると言い換えてもいい。
物理的には浅上だって要注意人物だが、茅崎さんには危機的要素が複数存在している。
まず所謂ギャルと呼ばれるカテゴリーの人種は、行動と感情が直結している場合が多い。
つまり自制が利かない。機嫌の良し悪しが露骨に出るし、ストレス発散のためなら平気で他者を傷つける。そういう「感情を隠さない強い自分」を格好いいと思っている節すらある。
もちろん全員がそんな性悪ではないということもわかっているが、踏み躙られるサイドの陣営としてはどうしても警戒してしまう。
次に、彼女達が選ぶ恋人は、似たような不良系である可能性が高い。
そしてやはりヤンキーというのも直情型なので、暴力を振るうことに躊躇がない。
彼らは自分のつがいに他の雄が近付くことに非常に敏感で、もし街中を仲良く並んで歩いている場面など目撃、ないし群れの仲間から内通があろうものなら、たやすく牙を剥き出して怒り狂う。
図鑑で読んだ記憶では、雄のチンパンジー同士は交尾相手を巡って殺し合うらしい。
そういう生物が近くにいると認識して関わらなければ危険だ。
というか関わりたくなかった。
この三ヶ月弱の間で、茅崎さんはたぶん悪い人じゃないのだろうとは感じている。
しかしその印象が付き合っている人間の内面まで保証するわけではない。
さらに彼女が気軽にデートなどと嘯くものだから、誤解されると本格的に命が危うい。
油断はできない。なんとしても、今日を無難に乗り越えなければ。
「お待たせ。早いねー、遠原」
「うわあああああああああああ!?」
耳元で聞こえた声に飛び上がる。
ぎくしゃくと隣を見ると、いつの間にか茅崎さんがすぐ近くに立っていた。
「うわあーって。驚きすぎ。ウケる」
硬直するぼくを指差して茅崎さんがけらけら笑う。
ウケている場合じゃない。心臓が口からはみ出るかと思った。
だいたい茅崎さんは距離が近いのだ。毎回ぼくが驚くのを見て笑っているあたり、狙ってやっているのだろう。足音と気配を消して、一歩間違えばうっかり触れてしまいそうな距離まで近付いて、得体の知れない柔軟剤だかアウトバストリートメントだかの爽やかな甘い匂いをふわりと香らせて、非モテ男子をからかって愉悦に浸っているのだ。おそらく過去に勘違いした男も大勢いるだろう。断じて許されざる行いだ。日の本に生まれた男児として、卑劣な罠には断固として抗戦せねばならぬ。ぼくは茅崎さんに対する警戒レベルをさらに引き上げた。
ちなみにぼくは、根性論や精神論という前時代の遺物は、休日にチャイムを鳴らす宗教の勧誘と同じくらい嫌いだった。失敗するのは気合いが足りないからって、それ、問題に対する具体的な解決策を思索することを諦めてますよね?
益体もない戯れ言の羅列で脳を冷却して、ようやく落ち着いてきた。
改めて笑い転げる茅崎さんに向き直る。
彼女の服装は、ショート丈のデニムパンツにオフショルダーの白いブラウス、フェイクレザーストラップのウェッジソールサンダルと小振りのアクセサリー。そして本日の髪型は毛先にゆるく動きをつけただけのナチュラルスタイルだった。
ギャルと聞いて想像するよりシンプルな装いだが、スタイルが良い茅崎さんはモデルみたいに大人っぽく着こなしていた。
ファッションの趣味が姉とやや似ているかもしれない。
とはいっても、ぼくは通販サイトの注文を代わりにさせられていただけで、それほど女性の服装に詳しくもないのだけど。
弟と奴隷を同義語だと認識している節のある姉は、今は東京で独り暮らししながら大学に通っている。
こちらに引っ越してよかったと思うメリットの一つだ。
やがてひとしきり笑い終えた茅崎さんが目尻を指で拭いながら顔をあげる。
「あー、おもしろかった。それじゃあ行こっか」
などと仕切り直しながらも、時折思い出したように肩が揺れている。
そこまで楽しんでもらえたのなら無様を晒した甲斐もあったというものだ。
……この人、たまによくわからないポイントでツボに入るんだよな。
笑い上戸なのだろうか?
文研に来る前に見かけた時は、どちらかといえばクールな感じの印象だったのだけど。
よくわからない変化に戸惑いつつ、歩きはじめた茅崎さんの後に慌てて続いた。
◇
「ねぇ」
ゆるやかな坂道の途中、振り向いた茅崎さんが言う。
「――なんでそんな離れて歩いてんの?」
声が少し遠い。
ぼくらは、およそ三メートルの距離を挟んで向かい合った。
さてどう説明したものか。
あまり正直に話すのは危険な気がする。恋愛に関する話題というのは往々にして面倒くさいものだ。ここで彼女の機嫌を損ねては元も子もない。
仕方なく、小難しい理屈を並べて煙に巻くことにした。
「このセーフティゾーンの有用性を解説するには、まずチンパンジーの生態から説明する必要があるんだけど……」
「二十文字以内で説明して」
「…………茅崎さんの彼氏に誤解されないためです」
無表情の圧に負けて正直に話してしまった。
目が大きいから睨まれると怖いのだ。
「……いないし、そんなの」
「え」
「だから、彼氏なんかいないっての!」
茅崎さんが大きな声をあげる。
そしてハッとしたように周囲を見回すと、誰もいないことを確認して安堵したのか小さく息を吐き、すぐに恨めしげな半眼をぼくに向けてきた。
心なしか頬が赤いように見える。……ああ、意図せず大きな声を出した時って恥ずかしいよね。
わかるよ。ぼくもよく叫ばされるから。誰にとはいわないけど。
危機回避のためとはいえ、申し訳ないことをしてしまった。
「……もういいでしょ、こっち来なって。離れてたらしゃべりにくいし」
「はい……」
さすがにもう逆らうことはできない。
それにしても意外だな。彼氏がいないなんて。
茅崎さんはいつも早く帰るから、てっきり大学生とでも付き合ってるのかと思っていた。
その前は浅上が恋人なんじゃないかと踏んでいたのだけど、二人の様子を見ているとどうもそういう関係ではないらしい。
なんというか……互いにいがみ合っているというか。
喧嘩するほど仲がいいというパターンもあるが、それも何か違う。
観察した限り二人の関係は、天敵、あるいは犬猿の仲と呼ぶのが正しい気がする。
お互いに何らかの遺恨を抱えているような、そんな印象を受けた。
詳しくは知らないし、知りたいとも思わない。
二人に地雷があることだけ留意しておけばいいだろう。
「そういえばさ、あんたって高校から葛山に引っ越して来たんでしょ?」
「うん、そうだけど」
「こっちにはもう慣れた?」
「まあ慣れたといえば慣れたけど、まだどこに何があるかよくわからないというか…………ほとんど知らないというか……」
「あー。引きこもりっぽいもんね、遠原」
くっ……正しい評価が胸にまっすぐ突き刺さる。
まったくもってその通り、ぼくはこちらに引っ越して以来、ほぼ外を出歩いていない。
せいぜいコンビニか、国道沿いのホームセンターに行ったくらいだ。
いや、待てよ?
コンビニは家から歩いて二十分の距離にあり、ホームセンターには市営バスを使うか車でもなければ到底辿り着けないので、片道平均三十分の通学時間を加算すれば、引きこもりではないと主張しても嘘にはならないのではなかろうか?
虚言以外の何物でもなかった。
「それじゃあ巌吉神社は? もう行った?」
「巌吉神社って、伊瀬さんの実家だっけ。有名な所なの?」
「有名っていうか……星灯祭の神楽舞とかそこでやるんですけど」
じとっとした目を向けられる。
ですよね。部活でお祭りについて調べるというのに、基本的な情報すら知らない部長とか、ありえないですよね。
ぼくも外の世界に出る時が来たということかな。不本意ながらも。
もはやぼくの知識不足は誤魔化しようもないので、話題を変えることにした。
「聞いてなかったけど、どこに向かってるの?」
傾斜のゆるやかな上り坂の先には何も見つからなかった。
左手は苔の生した高いコンクリート塀で、上から伸び放題の枝がはみ出している。反対側にはガードレール越しに広い道と空き地、たまに古民家やスーパーなどの店舗がぽつぽつ建っているくらいで、進むにつれそれさえも姿を消しつつあった。
どうも山に向かっているらしいのだが、そこに何があるのかはわからなかった。
「あれ、言わなかったっけ?」
きょとんとして茅崎さんが言う。
「星灯祭のこと調べるでしょ? 調べものっていったら――図書館じゃん」
あるのか。こんな場所に図書館が。
道の先に聳える山の稜線を見上げる。
強くなりはじめた陽射しが、緑の木々とアスファルトを照らしていた。
◇
本当に図書館はあった。
場所はちょうど山麓のあたり。
欝蒼とした小楢や椚の茂みのせいで館の周りは妙に薄暗い。
背後の雑木林は長らく手入れされていないらしい。駐車スペースを侵略するかのごとく背の高い野草が蔓延っている。
そんな緑の洪水に周辺を囲まれた図書館は、時代がかった洋館のような外観をしていた。
「これは、すごいな」
「そうでしょう、そうでしょう」
何故か茅崎さんが自慢げにしていた。
「よく来るの?」
「ううん、あんまり。小学校の時はよく来てたんだけどね」
そう言うと昔を懐かしむような、どこか複雑な表情になる。
本が好きだったのか。こう言ってはなんだが、彼女の華やかなイメージと図書館で静かに読書する姿がうまく一致しない。まあ図書館って漫画も置いてあったりするけど。
なんというか、今日は茅崎さんの意外な一面をよく見るな。
風変わりな図書館をぼんやり眺めていると、駐車場からトラックが近付いていた。
咄嗟に茅崎さんと車道の間に身体を入れる。
何事もなく通り過ぎた車両は、怪獣みたいなエンジン音を響かせて走り去っていった。
歩道が広いのでたいして意味はないのだけど、幼少期に刷り込まれた癖は抜けないものだ。
「……ふーん?」
「な、なんだよ」
「なかなか紳士じゃん」
やめてそういうの。
思春期男子の繊細さをご存知ないのだろうか?
姉が悪いんです。動かないと殴られたんです。当時まだ保育園児だったというのに!
もうこうなるとレディファーストというより反射だ。
薬缶に触れた手を引っ込めるとか、そんな感じ。
なおもニヤニヤ笑う茅崎さんから目を逸らしていると、駐車場にうずくまる人影が見えた。
ぽっちゃりした男の人と小柄な女性だった。どちらも地面に手をついてぜえぜえと肩で息をしている。首から社員証のような札がぶらさがっているけど、ここの職員さんだろうか。
奇妙な二人組に気を取られていると背中を叩かれた。
「行こ。このへん虫多いから。遠原って虫に刺されただけでも熱出しそうだし」
楽しそうですね。
そんな優しいフリには騙されないぞ。ていうか軽く馬鹿にしたよね?
でも、たしかに藪蚊が出そうだ。
もののけか妖精でも棲んでいそうな深い森を眺めつつ、素直に図書館の玄関口へ向かった。
木製の扉を押して開くと、古い建物特有の湿気たようなにおいがした。
一階はエントランスホールになっているらしく、チラシを差したラックや、奥に職員専用の部屋のドアだけがある。節電のためか電灯は点いていなかった。
もしかするとここは本当にお金持ちの邸宅だったのかもしれない。
公共施設というより、住居として建てられた屋敷を後から改装したような印象を受ける。
目につく場所に油絵の静物画や磁器の花瓶が飾られている。
古い壁時計やくすんだ漆喰の壁が、建物の過ごした歳月を物語っているようだ。
ただそれより気になったのは、
「いぃぃやあああああああああああああ!」
扉を開けた時から聞こえていた甲高い悲鳴だった。
子供が泣いているのだろう。それ自体はよくあることなのだが、どうもその切迫したような声音が気にかかる。
わがままを言っているというよりは、何かに怯えているように感じられた。
やがて小さな子供を抱えた女性が階段をおりてきた。
全身を使って泣きじゃくる女の子はたぶん五歳にもならない程度で、母親らしき女性は三十歳前後といったところ。その表情にはどこか困惑したような色合いが滲んでいる。
慣れているのか足取りは確かだが、それでも見ていてハラハラする。
もしうっかり転びでもしたら大惨事だ。
そんな懸念をよそに階段を無事におりきった女性は、慌てたような急ぎ足でぼくらの前を通り過ぎていく。
ほっと息を吐いたのも束の間――――――今度は隣にいた茅崎さんが走りだした。
「えぇ……」
なんだ、いったいどうした。
突拍子のない行動の原因がわからず困惑する。
女子高生がいきなり図書館の階段を駆けあがる理由なんて何かあるだろうか。
しかし放っておくわけにもいかない。
何より厚底のサンダルで二段飛ばしを実行する茅崎さんが本当に危ない。
躍動する剥き出しの太腿から微妙に視線を逸らしつつ、急いで後を追いかける。
一足先に二階へと辿り着いた彼女は、手すりを掴んで華麗なターンを披露すると、左手の図書室へと突撃していった。
「あの!」
遅れて追いつくと、茅崎さんは受付のカウンターにかぶりついていた。
図書室の扉は取り外されていて、勢いあまって激突! という惨事は避けられたようだ。
ただあまりの勢いに受付の司書さんが身体を仰け反らせて驚いていたけれど。
「あら、貴方……もしかして千里ちゃん?」
固まっていた初老の司書さんが眼鏡を動かしながらそう尋ねた。
知り合いだろうか。
尋ねられた茅崎さんは、珍しく動揺したように見えた。
「……お、覚えてたんですか……佐伯さん」
「ああやっぱり! まあまあ、すっかり綺麗になって。昔はしょっちゅう絵本に鼻水たら」
「わーっ!? ちょ、ちょっ!」
「こら千里ちゃん、図書館ではお静かに」
いや、あなたが叫ばせたのでは。
数ある思い出の中から鼻水に関するものをチョイスする必要はありましたか?
なんだか茅崎さんのルーツを見た気がする。
そういえば小学生の時によく来ていたと言ってたな。
赤い顔でこちらを見た茅崎さんは、仕切り直すように咳払いをして、佐伯さんというらしい司書に向き直った。
「あの、さっきの親子連れですけど……お母さん、何かあったんですか?」
質問の意味が理解できなかった。
お母さん? ……泣いていた子供ではなく?
記憶を探ってみるが、不審な点はあっただろうか。
しかし司書さんはすぐに思い至ったらしい。
「いいえ、大丈夫よ。千里ちゃんが心配するようなことはなかったわ」
いくぶんか凪いだ口調で佐伯さんはそう言った。
その眼差しは慈しむようでもあり、嘆きを含んでいるようでもあった。
まだ理解には及ばないが、推察するくらいはできた。
つまり――あの若い母親が何か厭がらせの被害を受けたのではないかと。
例えば、子連れの母親が見ず知らずの男から罵声を浴びせられたという案件は、ネットニュースでもよく見かける。
そんな人間が世の中には存在するのだ。
おそらく茅崎さんはそのことを案じたのだろう。
それは部外者であるぼくの推測でしかなかったけれど。
「少し前から、小さな子供のいるお母さんが利用しやすいように館内を変えていっているの。価値観が近い若い子達の主導でね。居心地が悪くなったのか、だんだんとそういう迷惑な人は減ってきているのよ。……でも、心配してくれたのね。ありがとう」
お礼を言われると、茅崎さんは唇を引き結んで難しい表情をする。
頬が赤かったので彼女が照れているのだとわかった。
ぼくはその様子を黙って眺めていた。
二人の過去に何があったのかは知らない。そもそも茅崎さん個人について詳しく知ろうとは思っていなかった。
今の郷土文化研究会は張りぼての城だ。
誰か一人でも真実に気付けば、この人形劇の幕は下りる。
人為的、あるいは得体の知れない存在によって強制された関係性は、舞台の灯が落ちると同時に消えてなくなるだろう。
ぼくが彼女達と正しく友達になることは決してない。
けれど、
――――――本当に、このままでいいのだろうか?
ギャルだとか、彼氏だとか。
よく相手を知りもせず、自分の尺度で他者を測ってやり過ごす日々を……いつかぼくは、正しい選択だったと認められるだろうか。
わからない。
考えてもすぐに結論は出そうになかった。
「でも、だったら、あの子はどうして泣いてたんだろ?」
押し黙ったぼくの隣で茅崎さんがつぶやく。
司書の佐伯さんは、困ったような表情で答えた。
「それがねぇ……あの子、外に幽霊がいるって急に泣きだしたのよ。もちろん確認しても何も見つからないから、お母さんも私も困っちゃって。今までそんなこと一度も言ったことなかったんだけど……」
ふと図書室の入口に顔を向ける。
当然、そこには誰もいない。
薄闇と静寂が、ぼんやりと廊下を漂っていた。
◇
星灯祭の資料探しは順調とは言い難かった。
というのも、たいして有名でもない地方の祭を取りあげた書籍が少ないのだ。
郷土史や伝統文化の関連ですら名前も知らない出版社の本が数冊といった程度である。
読んでみたが星灯祭にまつわる記述はごく一部で、目新しい情報は得られなかった。
仕方なく、ぼくは自費出版のものを含めたエッセイを、茅崎さんは民話や神話のコーナーを手分けして探すことにした。
佐伯さんの言った通り、本のラインナップは小さな子供向けの絵本や、育児書の類が多いように感じられた。小説はもちろん雑誌や童話も結構な割合を締め、反面、実用書や歴史書などはひとつのコーナーに寄せ集められているような状態だ。
ここで資料を探すのは難しいかもしれない。
小さな子供に向けたものだろうか、天井からは犬やうさぎのバルーンアートが吊るされ、壁ではアニメのキャラクターがファンシーな色づかいの貼り絵になっていた。それで子供が喜ぶのかはわからないが、元々のインテリアらしき鹿の剥製やアンティークのウォールランプとあきらかに調和が取れていない。どうして装飾を足し続けるんだ。せめて剥製は外しませんか?
アンバランスな内装を眺めていると、いつのまにか背後にいた茅崎さんに気付いた。
綺麗なネイルの施された指先が無造作に本のページをめくっている。
ちなみにそこは料理関係の棚で、民話のコーナーはずっと向こうの棚の端だ。
その『失敗しない! 愛されおつまみ百選』に地方の祭の話はたぶん掲載されていない。
「あの」
「…………なに」
「いや、たぶんその棚に星灯祭関連の本はないかなって」
「お祭りの日に食べる特別なおつまみとかあるかもしんないじゃん」
「そんな伝統料理があるの?」
「……ないけど」
「……」
「……」
こちらを見ようともしない茅崎さんに溜め息をついて、ぼくが地域関連書籍の棚に移動することにした。ちょうどエッセイも空振りに終わったところだ。
歩きはじめると、後ろからついてくる気配がある。
振り返る。
茅崎さんが医療・福祉の棚を眺めていた。
「…………もしかして、怖い話が苦手なの?」
「はぁ〜〜〜〜? 全然苦手じゃないし。むしろイケてるかもしれないと思うくらいだし?」
怖いのか。
なんか支離滅裂な発言をしだした。
別に怪談が苦手でも悪いことはないと思うのだけど。
「大丈夫だよ。きっと廊下が暗いから何かと見間違えたんじゃない? そもそも昼間は幽霊も営業時間外だって」
「わっかんないでしょそんなの!? 働き者の幽霊がいるかもしれないじゃない!」
勤勉な幽霊というのはあんまり怖くないと思うのだけどいかがだろう。
死んでも社畜なんて、恐怖よりも哀れみのほうが強い。
ぼくはむしろ、棚から半分だけ顔を出してこっちを見ている佐伯さんのほうが怖いよ。
図書館では静かにですよね? わかってます。ごめんなさい。
でもできたら普通に注意してもらえるとありがたいです。
案の定ナーバスになっている茅崎さんが振り向いて悲鳴をあげたので。
本当に何がしたいんだあの人。
しかし困った。
このままだと茅崎さんが傍から離れなくなる。
そもそもぼくは女子が至近距離にいるという状況そのものに免疫がないのだ。
これでは調べものに集中できなくなる可能性が非常に高い。
今も震える茅崎さんに抱きつかれて、何か弾力性に富んだものが腕に接触した状態で、心臓がはちゃめちゃなビートを刻んでしまっている。刻一刻と寿命が削られている。人の鼓動は一生の間に打つ回数が決まっているという。
――考えるしかない。
茹だったような頭で思った。
可及的すみやかに探しださなくてはならない。
心と身体とぼくの世間体の安寧のために。
この危機を、なんとかして回避する方法を。