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七月のトロイメライ  作者: 結木さんと
人知れぬ部活と友人達について
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人知れぬ部活と友人達について




 願いが何でも一つだけ叶うのだという。


 この土地に伝わるお祭の話だ。

 願い事を書いた札を祭の最後に燃やすと、その内容が現実になるのだと。

 選ばれる願いは毎年一つだけ。

 たった一人の望みを、星灯祭の夜に神様が聞き届ける――。


 もちろん迷信だ。

 他愛ない子供騙しである。

 神様がお願いを叶えてくれるだなんて、今どき小学生だって信じちゃいない。

 この無情な世界に神などいないことを、運動の苦手な少年少女は、たとえばマラソン大会の当日に知る。

 かわいそうなてるてる坊主をいくつ逆さ吊りにしても雨は降らない。鼻にやさしい高級ティッシュを贅沢に使用したところで意味はなかった。母の雷が落ちただけだった。


 けれど……もし、本当に願いが叶うなら。


 そんな奇特な神様が現実に存在するというのなら――――ぼくの願う事は一つだ。



     ◇



 学校生活を快適に過ごす方法がある。

 それは、危機を誰よりも先に見極めることだ。

 諍いの予兆をいち早く察知し、厄介事の匂いを嗅ぎわけ、喧騒のある場所は迂回する。

 人混みは基本的に避ける。体育祭や文化祭の進行に口を出すなどもってのほか。授業中は教師に指示されるまで口を閉ざし、スマホは電源を切って鞄の中へ。生活指導に選ばれるタイプの教員に目をつけられるような行動はできる限り慎むこと。

 間違っても他人の色恋沙汰に関わってはいけない。

 彼氏持ちの女子に声をかけるなど論外である。

 ましてその女子のお相手が同じ学校のアレな先輩だったりした場合、地雷原でカバディするぐらいの危険が付随することを留意しなければならない。


 とにかく目立たない。余計なことをしない。

 見ない、言わない、聞かない。

〈君子でなくとも危険を察知したら即回避〉を信条に、高校生活のスタートから一年間を乗りきったぼく、遠原一路(とおはらかずみち)は――――――現在、前代未聞の危機に直面していた。





「そういえばもうじき廃部になるそうよ、ここ」


 ぽつりと、まるで朝の情報番組の星占いみたいな気軽さで、衝撃の発表はもたらされた。

 薄暗い部室が真冬の夜みたいに静まり返る。

 発信源の伊瀬美沙緒(いせみさお)さんは、それだけ言うと再び手の中の文庫本に戻っていった。

 ぼくの位置からは彼女の横顔しか伺えないが、何ら普段と変わった様子はない。

 端整な顔立ちである。背中までまっすぐ伸びた黒髪や、磁器のごとく白い肌、涼しげな切れ長の目が、幽玄とすら形容できそうな精緻なバランスで華奢な身体に収まっている。

 清楚より美麗という言葉がよく似合う伊瀬さんは、今日もお手本みたいな正しい姿勢で本を読む。

 きっと彼女の背骨と精神には頑丈な鉄の棒でも貫通しているに違いない。

 それどころではなかった。


「……おい、今何つった?」


 静寂を打ち破ってヤンキーめいた男の尖った声があがる。

 ヤンキーめいたというか、そのものである。とくに見ためが。

 浅上桐次郎(あさがみとうじろう)という、時代劇の俳優か老練の彫刻家でも彷彿とさせる名前の彼は、その古めかしく厳格な印象の響きとはうらはらに、尖ったナイフみたいな出で立ちをしていた。

 鋭い眼光、赤みの強いツンツンした黒髪、両の耳に並ぶ銀のピアス。ボタンを全開にした制服の胸元には、某アメリカ空軍少佐のようなごついドッグタグがぶら下がっている。

 そんな「いかにも」な浅上が、眦を吊り上げて伊瀬さんを凝視していた。

 あまりの迫力にぼくの脆弱な心臓がバクバク鳴る。

 けれど伊瀬さんは微塵も動じた様子はなく、顔をあげて平然と浅上に返した。


「だから、廃部になるのよ」

「どこの部の話だよ」

「ここ。葛山郷土文化研究会」


 伊瀬さんのあっさりとした言葉に、浅上が再び硬直する。

 どうやら本当に聞き取れていなかったらしい。

 淡々とした声が告げたのは、間違いなくこのマイナークラブの名前だった。

 葛山(かつらやま)郷土文化研究会。

 通称〈文研(ぶんけん)〉。

 正直、妥当かな? と一瞬思ってしまう程度には、知名度も実績も最低ランクの部活だ。

 郷土文化の研究なんて、一度たりともしたことがない。


『部活所属が必須だった時代に帰宅したい生徒が作った駆け込み寺』

『高校生活における私的時間を税とした時のタックスヘイブン』


 などと顧問が勧誘の謳い文句にするような部活だ。

 潰れるのも当然の流れといえる。

 しかし、ぼくと伊瀬さん以外の部員はどうもそう思わなかったらしい。


「え……ヤバイじゃん」


 ポッキーを摘まんだまま、ぽかんとした顔でこぼしたのは茅崎千里(かやさきちさと)さん。

 伊瀬さんとはまた別タイプの美人だ。

 伊瀬さんを「静」とすると、彼女は「動」というか。

 使い古された分類を持ち出すなら、茅崎さんは所謂ギャルっぽい女子だった。

 こなれた風に着崩した制服、下品にならない程度に短いスカート。好奇心旺盛な猫を思わせる吊りがちの目は長い睫毛に縁取られている。本人曰く生まれつきであるらしい栗色の髪は、彼女のその日の気分でアレンジが変わる。今日はざっくり編み込んだ髪を首筋の横でまとめてゆるくシュシュで結わえていた。

 文研一のオシャレガールな茅崎さんは、実直な感想をもらしたあと、思い出したようにポッキーをかりこり齧りはじめた。あまりヤバイと思っていなさそうに見える。


「ええ、やばいわね」

「どうしよ……あたし、ここ追い出されるの嫌なんだけど」


 伊瀬さんが溜め息をついて本を閉じた。


「入部してから一度も活動していないんじゃ、嘆願もできないわよ」

「じゃあ活動しよ。うっかり提出し忘れてたってことにしてさ。前の部員が書いたレポートちゃちゃっと適当に内容変えて出しちゃおうよ」


 茅崎さんがなかなか悪どい提案をする。

 おもむろに立ち上がった伊瀬さんは、壁際のラックに移動して、そこから書類を一枚抜き取って戻ってきた。

 お世辞にも保存状態が良いとは言い難いしわくちゃの再生紙をテーブルに置く。


「これ、その前の部員とやらが作ったレポート」


 紙面には『郷土文化調査記録』と銘打たれていた。

 内容はこうだ。


 こんにちは。

 今回はみんなに人気の星灯祭(せいとうさい)について調べてみました。

 星灯祭はとても古いお祭りみたいです。

 百年以上昔からあったのかも?

 星灯祭ではお願いを神様が叶えてくれるそうです。

 お札に願いを書いて燃やすと叶うといわれています。

 いかがでしたか?

 神様の詳細は調べてみましたがわかりませんでした。

 よければ皆さんも調べてみてください。


「――世の中には再利用できるゴミと、どうにもならないゴミがあるのよ」


 辛辣に吐き捨てる伊瀬さん。

 よほど腹に据えかねたのかして、だいぶと刺激的な物言いだ。

 気持ちはわからないでもない。一応ぼくも前に参考資料として目を通したが、文研の先輩達が残したレポートは一事が万事この調子である。

 去年ぼくが入部するまで廃部状態だったのも頷ける話だ。こんな部活に存在意義があるとは到底思えない。……真面目に活動していなかったぼくも人のことは言えないが。


「なにこれ!? もー、ちゃんとしときなさいよ!」


 投げたブーメランが加速して戻ってきそうな発言だなと思うものの、口には出さない。

 余計なことは言わないほうが良いのだ。


「あの……」


 細く澄んだ声がする。

 声の主は茅崎さんの隣に座る奥森咲子(おくもりさきこ)さんだった。

 現在の文研では唯一の一年生である。だからというわけでもないだろうが小柄な体格で、春先に花開かんとする蕾めいた雰囲気をまとっている。肩のあたりで揃えたやわらかそうな髪にたれ気味のくりりと大きな瞳が印象的な、可憐という表現がしっくりくる子だ。もはや当然のように美人である。彼女の場合、美少女というほうが正しい気がするが。

 遠慮がちに手をあげた奥森さんは、おずおずと続きを口にした。


「本当に活動してみるというのはどうですか? わたし、みなさんといっしょに何かしてみたいです」


 控えめだが芯のある主張だった。

 つねづね考えるのだけど、彼女は何故こんな掃き溜めのような部に入ったのだろう?

 奥森さんのような人は、春の陽射しの中でキラキラ輝く場所にいるべきではないだろうか。

 こんな老朽化した特別棟の最果てまで追いやられた、ダメな人間がダメな人達のためにひり出したような部活ではなく。


「まあチェリ子がそこまで言うなら、活動すんのはかまわねぇけどよ。いったい何すりゃいいんだ?」


 フリーズ状態からようやく復活した浅上が言う。

 かまわないも何も、部活は活動するのが当たり前なのだけど。本来は。

 ちなみに、チェリ子とは浅上がつけた奥森さんのニックネームであるらしい。

 最初に聞いた時はいやがらせかと思ったが、どうも彼なりの親愛表現であるようだ。――たぶん。


「えっと……ちょっといいかな?」


 思いきって声をあげると、視線が集中する。

 余計なことは言わないほうがいい。充分に理解しているけれど、「これは放置するほうが危険だ」とぼくの中の危機感知センサーが告げていた。

 怯みそうになるのを堪えて言う。


「廃部の件に関しては、なんとかなりそうなんだ」


 みんなから驚いたような反応が返る。

 鋭い目つきを丸くした浅上が口を開いた。


「仕事はぇーな……預言者か?」

「いや神様じゃなくて、顧問の日比野先生からのお告げなんだけど」


 とりあえずつっこみつつ、訂正して続ける。


「一昨日の朝に言われたんだ。夏休みが明けてすぐ研究レポートをまとめて提出しろって。それがちゃんとした内容だったら、廃部を撤回してもらえるらしいよ」


 あとは、どこかに取材を申し込む時は必ず私に連絡するように、と申し渡されている。

 しかしそれは日比野先生にとってあまり歓迎したくない展開であるらしく、しきりに「図書館で調べられるレベルで大丈夫だから」と強調していた。

 あの人が教師という職業を選んだ謎を、葛山東高校の七不思議に加えてもいいと思う。


 いずれにせよ、廃部の件はさしたる危機ではないと判断した。

 夏休み明けまではまだ二ヶ月以上もある。

 期末試験や各教科の宿題を考慮しても、負担はたいしてかからない。図書館で調べられる程度でいいというなら片手間でそれなりに仕上げられるだろう。


 だから件の「夏休みの課題」は、ぼくが一人で片付けるつもりだった。

 伊瀬さんが知っていたのには驚いたけれど、それでも問題ない。

 みんなには普段通り、優雅に有閑部活動を楽しんでいてもらえれば、と考えていた。

 しかし、


「……あのなぁ、イチ公」


 呆れたような声が隣で漏れた。重い溜め息を含んだ声色だった。

 思わず周囲を見回すと、全員のじっとりとした視線が集中してギクッとする。


 ……まずい。何か間違えたか?


 知ってたなら早く教えろよとか、あるいは部の一大事に部長がのんびりしやがってとか……とはいっても、ぼくにも生活というものがあるわけで、部の用事にばかりかまけられるほどの余裕はなく。たしかに部長らしくないとはよく言われるけど、それも別になりたくてなったわけじゃ――……。

 と、焦りを表に出さないようにしながら胸の中で言い訳をこねるぼくに、


「言えよ、知ってたんなら!」


 浅上が声を張り上げた。


「またわけわからん遠慮しやがって……なんでも一人で片づけようするんじゃねぇ!」


 そう、ぼくを叱った。

 思わずぽかんとしてしまう。

 浅上は不機嫌な顔をしてはいるけれど、感情任せに怒鳴ったのではない。

 ぼくの不義理を咎めるように、彼は鋭い目をさらに尖らせていた。


「ホント面倒くさい性格してるよねー、遠原はさ」

「前にもこんなことあったわね……そんなに信用がないのかしら? かえって傷つくわ」

「え……あ、いや、そんなつもりじゃ……」

「遠原先輩は基本的に水くさいんですよね」


 奥森さんまでふくれだして、いよいよぼくは口を噤むしかない。

 まさかみんながレポートをやりたがるなんて思わなかった。


 普通、そういう面倒くさい作業は忌避されるものではないだろうか? 少なくともぼくはやらなくていいなら進んで手間をかけたいとは思わない。

 しかし抗議の視線の圧力はどうしようもなく、困惑しながら「ご、ごめん」と謝ると、盛大な溜め息を返された。もうどうすればいいのかわからない。


「まあいいわ、遠原君に関しては今さらという気もするし。今後の課題ね」

「はい……」

「次にわけわからんことしたらノジマのカツサンドな」

「あたしタイヨーモールでクレープがいい。チョコプリンストロベリーデラックスね」

「なら俺はそこにさらに森澤屋のメンチカツをつける」

「……一回ごとの罰が重すぎない?」


 どう見積もっても支払いが千円を超えている。

 はたしてそれは本当にぼくを改心させるための罰則なのだろうか?

 どうも彼らは自分の欲望を優先しているようにしか見えない。「わけわからんこと」という基準も実に曖昧だ。

 なんて欲深い人達だろう。

 他人なら絶対に友達になりたくないタイプの人間だ。


「それよりレポート対策をしましょう。部員の活動意思の証明というなら、記事は複数あったほうが印象はいいわね。テーマもこだわって教師を納得させられる内容にしないと」


 ぼくらの不毛なやりとりを綺麗に無視した伊瀬さんが、ノートと筆記用具を取り出して即座に会議モードに入る。

 さすがは学年きっての才媛らしく切り替えが早い。


 噂では中学の時に剣道部の主将と生徒会長を兼任していたと聞く。それでいて成績もトップクラスを維持していたというのだから、彼女の才覚はもとより、弛みない努力と研鑽に畏怖するほかない。ぼくには生まれ変わったって無理だ。

 そんな彼女の取り仕切りを受けて、奥森さんがお行儀よく挙手する。


「あの、提出期限には随分と余裕があるようですから、先に広報紙を作りませんか?」

「部の宣伝ね。ええ、いいと思うわ。自主的な活動アピールはいい点数稼ぎになるでしょう」


 打算的な感想に、奥森さんはすこし困ったような笑みを浮かべる。

 たぶん、そういう意味で言ったのではないのだろう。

 奥森さんは漠然と部のみんなで何かをしたかっただけだ。

 しかし効率を重視する伊瀬さんにその意図は届かない。


 ちぐはぐな二人だが、本人達から聞いた話では幼なじみであるらしい。

 なんでも幼稚園に入る前からの付き合いだとか。そのせいか伊瀬さんは普段から一つ下の幼なじみのことをよく気にかけていた。


「とりあえず、なんか地元のこと調べりゃいいんだな? うし、やろうぜ。このメンバーなら教師どもの鼻明かすぐらい楽勝だろ」

「まあ、あんたはそーゆーの一番役に立たなさそうだけどね」

「うるせぇくされビッチが、おまえだってそんな頭よくねぇだろ!」

「ビッチじゃないから!! それに浅上より成績いいし!」


 いがみあう茅崎さんと浅上を後目に、伊瀬さんは立ち上がって黙々と資料を集め、奥森さんは向かいの席でおろおろしている。

 普段通りの光景だ。

 郷土文化研究会の放課後は、いつものようにたいした意味もなく、青春めいてきらびやかに過ぎていく。




 さて、ここで一つ問題がある。


 ぼくには――――彼らと仲間になった記憶がまったくないのだ。




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