盛装
春分の宴とは、春分の日に貴族が王に謁見を賜る行事の後、開かれる宴のことだ。歌に踊りに食事にと華やかな夜を過ごす。
未婚の貴族の娘が参加できる数少ない行事の一つで、若く美しい娘を見るために貴族たちがこぞって参加したがる。娘の方も良い縁談を取り付けるためにこの行事にはかなりの意気込みでやって来る。
王子とラシェルの兄オーウェンの言っていたのはこの宴で、そこにラシェルを参加させるつもりらしい。
春分の宴に初めて参加する娘は白いドレスを着る慣習がある。
髪や胸元、腕に花のコサージュを飾り、春の精に扮するというのが未婚の娘でも参加が許されている理由の一つだ。
「素敵ですわ〜! 春の精そのものですわ!」
「お、大袈裟ですよ……」
ゲルダが両手を握り合わせてくるくると小躍りする。
ラシェルの部屋の中にはいくつものハイヒールやアクセサリーが寝台の上、スツールの上とあちこちに並べられていた。
姿見には白いドレスを纏った自分が立っている。
ラシェルはじっくりとそれを眺めた。
台形に開いたデコルテはここ最近のこまめな手入れで輝かんばかりの白い肌を晒している。コルセットとマッサージのおかげで、胸元には控えめながら丸い二つの丘が出来ていた。
ただの白い布地ではなく、色合いの違う白い糸を織り込んだ優雅な花模様の生地を基調に、肩から垂れ下がる飾り袖が特徴的なドレスだ。
垂れ袖の内側からは絹糸で織り上げた柔らかく薄い生地がスラッシュから肌色を透かして上品に映える。袖は同じ絹糸で繊細なレースがあしらわれていた。
デザインももちろんだが、合わせる生地からレースの模様まで全てゲルダが仕立て屋に指示したものだ。ラシェルはしみじみと彼女を称賛した。
「ゲルダは本当に手際がいい」
「あら、素材が良いからですわ! あたしもラシェル様だからやり甲斐がありました」
うふふ、と笑いながら小さな手はせっせと動く。ラシェルの黒い髪を巻き、いくつか房を取って編み込む。半分は結い上げて、首回りの半分はふわりと垂らした。
「オーウェン様は宮廷ではまだ新参者ですから、宝石を飾りすぎるのはよろしくないかもしれませんね」
「そういうものですか?」
「そういうものなのです。リボンとコサージュを華やかなお色にしましょう。リボンはどれになさいますか?」
ゲルダは化粧台の上のリボンを指差した。金糸銀糸、刺繍やレースさまざまな色や素材のリボンが並べられている。
どれにするか眺めていると、ふとその中の一つが目に留まった。
「これがいい」
薄青色のリボンを指差した。光沢がある生地は、ツヤツヤと手触りよさそうに照り光っている。
アレクの瞳の色に似ている。それだけの理由だが、心惹かれるには十分な理由だった。
「いいですわね!」
何の疑問も持たずゲルダは楽しげにラシェルの髪にリボンを編み込んだ。庭のアーモンドの花で作ったコサージュを髪に差し、揃いで腕にも付ける。そして仕上げに白粉をはたいて薄く化粧も施した。
「完璧! ですわ!」
自分よりも楽しそうに声を弾ませるゲルダにラシェルも微笑んだ。
部屋を出て二階の広間へ下りると、珍しくローブを脱いだ姿のオーウェンが立っていた。
淡いすみれ色のダブレットは、普段はわからない細身の体の線を引き立てるようにぴったりと作られている。
「きちんとすればどこからどう見ても貴公子なのに……」
「何だ? 私は魔術をおさめるものだ。社交に外見を利用することはあっても、常に貴族の真似事をするつもりはない」
兄は言いながらラシェルを頭からつま先まで眺め下ろし、素直に感心した。
「素晴らしい出来だ。よくやってくれた、ゲルダ」
「ラシェル様のお美しさがあってこそですわ」
ゲルダは嬉しそうに微笑み、胸を張った。直接綺麗だと褒めないところが兄が兄である所以だろう。
「では、行こうか」
このまま兄の手を取れば、以前のフェルラとは違う世界へ入ることになるだろう。
ほんの少しためらった。アレクがいないならどこも同じだと投げやりな自分が心の内側で叫ぶ。
今夜何が起こるのか予想もつかないまま、差し出された手を取った。