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王と魔術師の国  作者: 虎子
3/14

魔術師

世界設定の説明パートです。

アレク視点です。

 翌日。アレクは朝早く出かけていくラシェルを見送った。

 今日は市の手伝いらしい。支度をする彼女をよそに寝台の上に寝転び、皮の表紙の本を広げる。

 あくびをしながら、その実は一行も頭に入っていない。


「それじゃあ、行ってきます」

「ああ」


 重い扉が閉まる音を聞いて、そっと寝台を降りた。

 窓からラシェルが崖を降りていく姿を確認する。

 それからアレクは支度を始めた。

 手櫛で髪を整え、靴を履き、普段は着ないダブレットを引っ張り出す。上着を着たらその上にマントも羽織った。全部がおざなりではあるが、ひと通りの身支度をして屋敷をでた。


 向かったのはフェルラの中心地、王立大学である。黒いローブをまとった教授や学生ととすれ違うが、彼のことを知る者はいなかった。


 大学に併設された礼拝堂の扉を潜る。中では神官服を纏った男たちが数人回廊を行き交っていた。

 探している人物は見当たらず、適当な神官を見つくろい、名前を告げて相手を呼び出すように言付けた。

 しばらくして礼拝堂の中庭にやってきた男はアレクを見て顔をしかめた。

 精悍な顔をした背の高い男だ。黒い髪は短くざんばらに切られている。黒い神官服ががっしりとした身体を包んでいなければ、軍人だと思うだろう。以前はそうだった。身のこなしや目の配り方は常人と少し違う。アレクが頼りにしているのはそこだった。

 男はアレクが挨拶をする前に厳しい顔で口を開いた。先手必勝というやつだ。


「礼拝にも見えず、一体何をなさっているのか」

「説教するなら帰らせてもらう」


 言い返すと、深いため息が返ってくる。かわして肩をすくめる。いつもの攻防だった。


「……何の用です? 神に許しを乞いにきたわけではありませんね」

「ここいらで魔術が出来そうな人間を探してる。……金次第で子供を呪い殺せるようなやつだ」


 太い腕を組み、男は少し考えるそぶりを見せた。


「一体何に首を突っ込んでおられるのか。お教えするのは貴方が全てを話してからです」

「相変わらずお硬いやつだな。そんなだから女に逃げられて出家する羽目になるんだ」

「結果的にこれで良かったのです。全て神のお導き。私は殺生の苦しみから逃れられた。妻は私のようなつまらぬ男から逃げられた」


 軍人上がりの睨みのきいた顔で言われては仕方がない。肩をすくめて、アレクは事情を話した。


「エマ・オリキュレール……また、火種になりそうなものに関わりましたな」

「オリキュレール家は第二王子を支持する貴族だな。王妃の家格が低い王子の後ろ盾を削るのは常套手段だ」


 男は頷きながら呻いた。


「呪いの主を突き止めて、どうなさるおつもりか。深入りはよくないように思います」

「深入りしても危険、知らなくても危険。なら突っ込めるとこまで首突っ込んだ方がマシだろ」


 アレクの挑戦的な笑みに男はまたため息を吐いた。今度は諦めも混じっている。


「……異教徒の動きは出来る限り把握してはおります。オーウェン・ローザスがフェルラにいない今、残っているのは二流三流の魔術師ばかり」

「どのくらいいる?」

「三十人ほど」


 アレクは目を見張った。


「多いな」

「サンクティ・グレイルから流れてきた者がフェルラの人間に教えるようになったのです……由々しきことだ」


 むすっとした顔で男は歩き出す。振り返って付いて来いという仕草をしたので、アレクも後を追った。中庭に面した回廊は陽の光が差し込み、柱の影が地面に長く伸びる。


「三十人の中でも、金次第で何でもやる良心なき者は限られましょう」

「もう予測はついてるんじゃないのか?」

「五人までには絞れますから、あとはご自分でお調べなさい」


 きっぱりと切り捨てられ、アレクは唇を曲げた。


 神官からもらった情報を元に、五人の魔術師もどきを探し歩く。

 大学の裏手の怪しげな道具街を住処にしている者が三人。残り二人は下町に住んでいた。

 道具街の連中は特別羽振りが良くなったという噂もない。

 直接聞き出すのは後回しにして、下町へ向かう。一人の男があちこちの酒場や市で羽振り良くしているらしい


「何でも、家を引き払って王都に行くらしいよ。雇い主が見つかったって」


 あたしも都に行ってみたいねえ、とパン売りの女将が笑う。紙袋に入った楕円形のパンを受け取って礼を言った。


 聞き出したその男の家へ足を運び、扉を叩く。中から返事はない。強引に開けるべきか悩んでいると、通りすがりの老人が話しかけてきた。


「ロニーはおらんぞ」

「どこに行った?」


 老人は垂れ下がったまぶたの下から訝しげにアレクを睨んだ。


「どこにも行っとらん。死んだよ」

「死んだ……」

「家の中で死んでおるところを見つけたんじゃよ。仕立てた服を届けにきた娘さんが見つけて、大騒ぎじゃったわ」


 口元に手を当て、アレクは一瞬考えた。


「……俺の親父が、あいつに金貸してたんだ。せめて質草になりそうなもん持って帰りたいんだが、家の中に入ってもいいか?」

「死んだもんから物を取るなんぞ……」

「頼むよ。俺の親父おっかねえんだ。何か持って帰らなきゃ殴られるかもしれねえ」


 両手を合わせて拝むと老人も納得したらしい。ひとつ大きな溜息を吐き、鍵のない家の扉を押し開けた。

 仕立て屋の娘が死体を発見したのは昨日の夕方ごろらしい。さりげなく話を聞き出しながら、家の中を捜索する。

 テーブルの上に空の皮袋が放り出されている。口から匂いを嗅いだ。この辺りでは手に入らない上等なものだ。毒入りのワインか何かを差し入れて殺したのだろう。客人が訪れていた様子はないから、どこか外で落ち合っていたのかもしれない。

 ベッド脇の荷物入れから金貨が入った麻袋が出てくる。背後で老人が驚きの声をあげた。

 さらに手を突っ込んで中を探ると、手帳が出てくる。ぼろぼろの表紙をめくる。日記とメモを合わせたようなものだった。新しいページに、名前らしいものが書かれていた。


『モーの訛り、ハンカチに水仙の印章、雇い主は羊の血の呪いをご所望』


 読んだ途端、アレクは険しい表情になった。


「金貨がありゃ十分じゃないのかい?」


 老人がいよいよ疑い始め、アレクをじろじろと見る。


「こんなにはもらいすぎだ。二枚ありゃ十分。あとはじいさんにやるよ」


 麻袋から金貨を取り出し、袋を老人の手に押し付ける。


「わ、わしもこんなにはいらん!」


 あたふたと慌てながらも、袋を手放さない老人に苦笑する。

 金貨の持つ魔力は、水晶や羊の血よりある意味厄介だ。


 アレクは昼過ぎにこっそりと屋敷に戻った。ラシェルには昨日のことを調べまわっていると気取られたくなかった。

 外でのことがなかったようにだらだらと過ごしていると、スルトが少女を連れてやってきた。

 柔らかな栗色の髪に大きな茶色の目をした、リスのような少女だ。エマ・オリキュレール。一緒にいるスルトの表情は明るかった。エマは無事に元気になった。

 札の文字を書き換えたその日の夜にはベッドから出られるようになり、今日はもう屋敷を抜け出してスルトと遊んでいる。


「わざわざ知らせに来たのか。ご苦労なこって」


 アレクは邪魔だと言わんばかりに憎まれ口を叩く。台所のテーブルの前で、本を片手にスツールに座っていた。向かいには少女と少年が仲良く並んで彼を見つめている。


「もう一人のにいちゃんは?」


 邪険な態度も気にせずスルトはきょろきょろと辺りを探した。


「いつもの人助けだ」

「お前も少しは手伝ったら?」

「適材適所っていうだろ」

「てき……? お前なあ、男は女を守って養うもんだろ!」

「お前が養いたけりゃそうすりゃいい。あいつはやりたくて俺を養ってる。そういやあいつが女だってちゃんと知ってて呼んでるのか」


 ページの角を丸めながら茶化すと、少年の頰にカッと血がのぼる。

 ラシェルは服装から少年めいた印象を受けるが、よく見れば顔立ちや身体つきは華奢で儚げだ。春に萌える緑の木々を思わせる色の瞳に、紅を塗らずとも赤く染まった唇。

 男だと思うはずがない外見なのだが、大抵の人間は女が男の服装をしているはずがないと思い込むのだろうか。それかスルトのように気付いても黙っている人間か。

 テーブルの上を物珍しげに眺めていた少女が感心したように頷く。


「ラシェルは貴方のことがすごく好きなのね」


 アレクは皮肉っぽく肩を竦めた。


「そうらしい。俺はその好意を利用してる悪い男だよ」


 エマはくすくすと笑った。何がおかしいのか、この年頃でも女の考えることはアレクにはわからない。


「お前たちに言っとかなきゃならんことがある」

「何だ?」

「なあに?」


 首を傾げる子どもたちを前に、アレクは意識して脅すような態度をとった。手の中の本を乱暴にテーブルに放り、脚を組み替える。目つきを鋭くしてじとりと二人を睨み付けた。


「あいつと俺があの日したことは誰にも言うな」


 エマとスルトは顔を見合わせた。


「どうして?」


 アレクはテーブルの上へ目を落とした。醸造酒を蒸留する装置が並べられている。何を作っているのか、この子ども達や下町の連中でわかる者はいないだろう。幼いうちの無知は新しい経験を乾いた土のようにただ吸収するが、長じて世の中を全て知った風に生きている馬鹿が未知のものを見るとろくな反応をしない。


「この国の人間は、長い間『魔術師』に会ってない」


 スルトはその言葉に首を傾げた。


「魔術師ならいるじゃん。ここはフェルラなんだから」


 アレクは鼻で笑った。


「あいつらは魔術なんて出来やしない。あそこにいるのはせいぜい良くて『学者』か『学生』だ。王の補佐には伝統的に『魔術師』が立ち会うが、今はただの役職名だ」


 港町の背後に栄える大学都市は、この国が誇る知識の宝庫だ。だがそこに蓄えられた書物や技能にも魔術は何ひとつ残されていない。


「お前たち、この国が三日月の形をしているって言うのは知ってるか?」

少年は馬鹿にするなと言いたげに腰に手を当てて胸を張った。

「知ってるよ! 俺たちのご先祖様の古い言葉で三日月って意味だから、この国はクレスケンスって言うんだろ?」

「そうだ」


 アレクはテーブルの空いたところにチョークで図を描き始めた。三日月を描き、欠けた部分に鍵穴をはめ込むような線を描いた。


「クレスケンスは一方は海に面し、一方は山に面している。月の欠けた部分から南に伸びるこの部分は、海に繋がっている。北端が俺たちのいるフェルラ。南半分のちょうど中央あたりに、王都グラジオ。フェルラは杖、グラジオは剣という意味だ」


 それぞれの場所に器用に絵を描き込んで、アレクは流暢に説いて聞かせた。


「なぜ王都が冠ではなく剣か、」

「知ってる! 大昔の王様が戦った剣がこの国を守っているのよね?」

「そうだ。賢いな」


 アレクはにやりと笑った。お世辞にも教師には向いていない笑い顔だ。それでもエマは嬉しそうに頷いた。


「クレスケンスの背を守る山脈をポプルムマニュムと呼んでいる。その山から国土を南北に裂くように流れる川がジェマ川。この山が北からの風を防ぎ、川の水脈が恵みをもたらしてくれる。この国ができる以前は周辺諸国が奪い合い、戦が絶えない土地だった。ここまではわかるか?」


 ざっくりと三日月を半分に線で割った。滔々と語る言葉にエマは目を輝かせ、スルトは眉間にしわを寄せて覚えようと苦しんでいる。無視して続ける。


「そこに暮らしていた者たちが度重なる戦と領主が変わるたびに搾取される暮らしに耐えかねて団結した。自分たちで自分たちの王を選んで押し立てて王にした。当然諸国は認めるわけにいかない。激しい戦になった。王は戦上手だったらしいが、四方の一方は海でも、残りの三方は敵に囲まれている。

苦しい戦いを越えて国を守り抜けたのは、『魔術師』が助けたからだと言われている」

「だからクレスケンスは『魔術師』と関わりが深いんだろ?」

「……ところで、お前たちは食前に祈りを捧げるか?」


 アレクの意図が掴めず、スルトが顔を顰めて腕を組む。


「当たり前だろ」


 エマも不思議そうな顔で頷く。


「祈りの文句はこうか? 『今日のこの糧を与え給うた神に感謝します』うんぬん……後は地方による」


 子供たちはそろって首を縦に振る。アレクは皮肉げに唇を歪め、二人に向かってチョークを振った。細かい粉が宙に舞う。


「魔術師がいた時代にはこう祈っていた。『美し糧よ。我の血肉となり、我を生かし給え』」

「……お前の言い方だと、魔術師はもういないって言ってるみたいだ」


 少年は鼻の付け根にしわを寄せる。今まで知らなかった文化に触れた戸惑いがそこに現れていた。素直で幼い反応に片頬を上げる。


「いないんだよ。お前たちの食前の祈り文句、あれはオミニス教のものだ。魔術師たちは崇拝する大地の女神を迫害され、フェルラを出てポプルマニュムを越え、クレスケンスを去った」

「うっそだあ。それじゃあ魔術師は異教徒ってことになるじゃないか」

「嘘じゃない。魔術師と同じ信仰がこの国には昔から根付いていた。ハナハッカとニガハッカを花輪にして頭に載せる春祭があるな? あれはその名残だ。女神の使者である春の精たちが地上に訪れると言われている」

「どうせデタラメだろ?」

「……うちのおじい様、食前のお祈りは『美し糧よ』から始まるわ。その後は、私たちと一緒だけど」

「エマ、こいつの話信じるのかよ」


 可愛い友達が興味津々で面白くないらしい。スルトは肩を怒らせてエマに詰め寄った。その迫力に動じたところもなく、少女はのほほんと笑う。


「だって、気になるもの。ねえ、それじゃあ今フェルラにいる魔術師は一体何なの? 一体何を学んでるの?」


 アレクは猫のように目を細めて笑った。スツールの上で脚を組み直し、正面の装置を指差す。


「俺がやってるこれ、お前たちには魔術に見えるか?」


 ビーカーの中の液体が煮え立ち、真上に置かれたフラスコの内側は蒸気で汗をかいて曇っている。子供たちは首を傾げた。


「魔術じゃねえの?」

「これは魔術師がいなくなってから、フェルラに残された学者が始めた真似事だ」

「真似事?」

「真似事さ、こんなもの。酒を蒸留してさらに強い酒を作る。薬草で匂いをつけて薬効のある酒を作る。酒は酒でしかない」


 アレクはテーブルの真ん中を指差した。エマを助けた時の儀式がまだそこに残っている。


「魔術っていうのはあれだ。あれは無効化したわけじゃない。殺すための呪いを護りの呪いに書き換えたんだ。無から有を生み出す、白を黒にする、裏を表にする。単純に言えば、ひっくり返してしまうのが魔術だ」


 エマとスルトは蒸留装置と水晶の粉でぐるりと囲まれた札を見比べる。少女は思慮深げな面をゆっくりと朱金の髪の男へ向け、静かに訊ねた。


「……あなたとラシェルがやったことは、魔術?」


 視線を受けたアレクは答えず、水晶で光る円を眺めた。人知の及ばぬ不思議なもののように、窓から差し込む光でキラキラといくつもの色がきらめいている。


「魔術師のいないこの国で、学者たちは自分こそが『魔術師』だと思っている。そんなやつらがこれを見たら、顔を真っ赤にして怒るだろうよ。――だから黙ってろって言ってるんだ」

「何でだよ。真似するほど魔術を知りたがってたんだろ?」

「わかったわ」


 スルトの声を遮って、エマは頷いた。不満そうな少年とは反対に、さっぱりとした表情だ。


「何でだよ、エマ」

「何となくわかるから。一生懸命やってきたのに、自分が出来なかったことが出来る人に会ったとき、妬きもち妬いちゃうもの。スルトはそうじゃない?」


 少年はおし黙る。エマに言われたことを頭の中で反芻しているようだ。しばらく経って、悔しそうに肯定する。


「わかった。だれにも、言わない」


 アレクはスツールから立ち上がり、礼の代わりにしゅんと落とされたスルトの肩に手を置いた。


「助かる。約束してくれなけりゃ口を封じる魔術をかけるところだった」

「そ、そんなのあるのか?」

「真実を言った途端口が縫い合わされる」


 少年は目を見開いた。小さな喉がゴクリと鳴って喉仏が上下する。


「じょ、冗談だろ?」

「さあ、どうだろうな?」


 アレクの意地悪な笑みに恐ろしくなったのだろう、スルトはエマを連れて慌てて出て行った。


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