同郷
投稿時間をうっかり忘れていました。次回から予約投稿に戻しますね。
宴が明けて数日。それまで見えていなかったことがわかってきた。
「ラシェル様、またオルラム家のご長男からお手紙が届きましたわ」
ゲルダの言葉にラシェルは頭を抱えた。目の前に置かれたチェストにはすでに別の送り主からの手紙や贈り物で溢れかえっている。
日が経っても止む様子のない贈り物と手紙に、ラシェルは戸惑いしかない。最初のうちは手紙をゲルダに読んでもらうくらいはしていたのだが、その数の多さとあまりの浮華虚飾に頭痛がしてやめてしまった。
「『嗚呼麗しのラシェル嬢。言葉を交わさずとも貴女の溢れ出る魅力はお姿から隠しきれません。話せば僕は卒倒していたでしょう。貴女はまるで――』」
封筒から取り出した手紙を読み上げる手を止め、ゲルダは微妙な顔をした。
「イマイチな文才ですわね」
「確か、最初の手紙も全く同じ文面だったはず……」
「ああ、見覚えがあると思ったら……」
チェストの中から一つ、手紙を拾い上げた。どの送り主もラシェルが文字が読めないとは夢にも思っていないだろう。ラシェルの美しさ、ダンスの優雅さを讃えているが、彼らが本当に欲しいのはラシェルの心ではなく、カイル王子やアレクと最初のダンスを踊った女性というステータスだ。
「兄様が考えていた利は一つじゃなかったわけですね」
カイル王子の後ろ盾が強固なものだと知った貴族はオーウェンにおもねる。また宮廷での地位を強固にするためにラシェルという婚姻を結ぶ道具があることも示した。同時に身内のラシェルを危険に晒すことにはなるが、宮廷に身を置くうえでは仕方のないことだ。
「オーウェン様は賢いお方です。いくつも先を読みながら動いておられます」
「カイル殿下も」
「そうですわね。オーウェン様も一目置かれていますわ」
ゲルダは鏡台の抽斗からブラシを取り出し、ラシェルの髪を梳る。少女の手に身を委ねながら、宴の翌朝の兄を思い出した。ラシェルが清い身ではないと知った兄は、未だにどこかぎこちない態度だ。
「お前をどう扱えばいいのか、私にはわからなくなった。このことはカイル殿下には話すな、いいか?」
彼は一体何を考えているのだろうか。
意識を現実に戻し、ラシェルは一つ息を吐いた。
「仕方ない。ゲルダ、今後は手紙も贈り物も一切受け取らないでください」
「あら、気にせずお受け取りになればよろしいのに」
「そうはいきませんよ。たとえ心がこもっていなくても、私は受け取れない」
ゲルダはもったいないと言いたげだが、新しく届いた手紙の山に目を留め、妙な顔をした。ひとつの封筒を拾い上げる。封には赤い蝋が捺されていた。
「これは……」
差し出された封筒には金の封蝋が捺されている。もちろん宛名は読めない。ラシェルは首を傾げた。
「それは?」
「カイル殿下からですわ!」
「カイル殿下から?」
「ラシェル様、いくらなんでもこれはお読みになってください! 送り返しなどしたら不敬を問われますわ……!」
恐れ多いと慌てる彼女に急かされる。カイル王子は兄オーウェンのの主君だ。仕方ない。ため息をこらえながら、ペーパーナイフで封を切る。
中から出てきた手紙をゲルダに読み上げてもらい、思わず半目になった。
冒頭から長ったらしい美辞麗句が並び、宴でのラシェルの姿をべた褒めしている。目を細めあわよくば寝たふりをしたい気分になるのも仕方ないことだろう。なんとかやり過ごして主旨を読み取るが、装飾詞が手紙の大半を占めていた。
「宴で大層気に入られたのですね」
ゲルダが感心したような声をあげる。
宴に参加したことへの礼と、意外にもベリンダ嬢の魔力についてを尋ねる内容だった。
ラシェルが見聞きしたことはオーウェンを通して伝えたはずだが、ただの確認にしても、彼はベリンダ嬢のことを気にかけているようだ。
「意外です」
「ええ。カイル殿下なら引く手数多ですのに」
手紙には詳細は語られていないが、二人は幼馴染だったそうだ。ラシェルの知らない歴史がそこにはあるのだろう。
「ところでラシェル様」
こほん、とゲルダは一つわざとらしく咳払いをする。そわそわと落ち着きなさげに身体をゆすりながらラシェルをうかがった。
「どうしたんですか?」
「オーウェン様から、お邸を出てもいいとのお許しが出ました」
思わず首を傾げた。これからは貴族の娘のように扱われるのかと諦めていたのだが、兄も考えていた計画に変更を加えているようだ。
「外出してもいいと?」
「はい!」
顎に手を添えて、考えるそぶりを見せる。そうは言っても、ラシェルは王都については不案内だ。どこか行きたい場所があると言うわけでもない。
「ラシェル様、もしよろしければ、あたしの買い出しに付き合っていただけませんか?」
「買い出し?」
顔を上げると、ゲルダは興奮に頬を赤らめてこちらを見ていた。円らな目はキラキラと輝いている。
「はい! ドレスの生地を買い付けたいのです! せっかくですからお肌の色や髪の色、目の色と直に合わせて作ればもっと素晴らしいお衣装が出来ますわ!」
思わずそういうことか、と苦笑した。
「いいですよ。じゃあ、私からもお願いがあります」
「お願い?」
小鳥のように首を傾げた彼女に頼んだのは、マルクの服を借りることだった。
わざわざ男の格好をする必要はありませんのに、と不思議そうにする彼女には、こっちの方が落ち着くからと答えた。
久しぶりにダブレットに袖を通すと、落ち着いた心地がする。フェルラでいたころ、男装をするのには性別を隠す意味があった。今は、人の中へ紛れ込むためのもの。
生地の買い付けのため、商店や市場の賑わう地区へと入る。門兵とは顔見知りらしい、気軽に挨拶をする青年にゲルダは澄ました顔で通り過ぎた。
「やあ、お疲れ様。休暇かい?」
「違いますわ」
ツンと顎を逸らして目も合わさずに答える姿にぎょっとした。彼女とは短い付き合いだが、こういうことをする女の子には思えない。
「彼は、あなたに何か失礼なことをしたんですか?」
こっそりと訊ねると、幼いながらも愛らしい顔立ちの少女はきょとんとした後、ああと得心がいったように肩を下ろす。
「いいえ。でも侍女は愛想が悪いくらいでいいんです。ああいう輩はあたしのような娘が好きなわけではなく、あたしのお仕えする大切な方――ラシェル様のような女性がお目当てなんですもの」
「そう、なんですか……?」
彼女の言い分はもっともな気がしたが、門兵の態度はそうは見えなかった。
顔に出ていたのだろう、ゲルダはくすりと笑う。
「そうは思えないってお顔をされてますわね」
「ああ、いや、ゲルダを信用してないわけではないんです」
「わかってますわ。あの人はいい人かもしれません。あたしはただの町娘で、あの門兵さんはいい嫁ぎ先かもしれませんけど、今はお仕事が楽しいんです! それを邪魔する殿方はあたしにとってはただの障害物ですわ!」
早く仕立て屋へ行きましょう! と声を弾ませて歩き出す。その後ろ姿にラシェルは目を細めた。
兄は彼女のこういうところを買っているのだろう。賢さを気取らせず、明るく快活で、彼の元で働くことが自分の天職だと定めて頑張っている。今まで以上に彼女が好ましく思えた。
大通りを歩くと、ラシェルたちのいる貴族の区画よりも人や物で溢れている。
フェルラも街の様子は賑やかだったが、あちらは貿易の盛んな港町だったせいか、服装や言葉、肌の色や屋台の店先に並ぶ品も様々だった。王都はそれに比べると品物やすれ違う人の姿形は似ているし、大人しい。大声で客を呼び込む声にも異国の訛りは無い。
ラシェルの名を呼んで荷下ろしの仕事を頼んでくる海の匂いをまとった船乗りもいないし、憚りに行きたくてそわそわと店番を頼んでくる物売りのおかみもいない。マルクの服を着て少年のふりをする自分に気付くものは、誰一人としていなかった。故郷では無いというのに、フェルラがとても恋しい。
郷愁にかられて脚が止まったせいで、すれ違った人と正面からまともにぶつかってしまった。
あやうく尻餅をついて転んでしまうところを、大きな手にぐいと腕を引かれる。力強い手だった。
「田舎者か? 街中で余所見はするな」
思わず顔を上げた。
何故そうしたのかは説明できないが、相手がどんな人間なのか記憶しておかなければいけない気がしたのだ。
後にしてみれば、それは自分を叱責した声のせいだったと思う。獣の唸りのようで、不思議に音楽的な響きを含んだ、耳障りのいい声。
魔術師は魔力を持つが、それは魅力としても現れる。容貌にしろ声にしろ、力のある魔術師は往々にして天からそういった才能を授かるとしか言い様がない。
「す、すみません……」
自分を見つめている男の顔は不機嫌そうだった。眉間には常に刻まれているのだろうシワが深い溝となり、濃茶のうねる髪が重たく額に垂れ下がる。肌は青白く蝋のようだ。太くまっすぐな眉の下には垂れた目が気だるげに細められていた。
美男子とは言い難いが、妙に雰囲気のある男だ。
一見して彼は魔術師だと直感した。身体の周囲に層のように纏い付く重い気配。兄と同じ空気を纏っている。
宴の夜に会ったベリンダ嬢のような、半端に魔力を持った人間ではない。己の意識下で魔術を行使する人間だ。
男はつと眉を吊り上げてラシェルの腕を掴む手に力を込めた。あまりの強さに指が腕に食い込み、うめき声をあげてしまう。
「北の訛りがあるな。どこから来た」
「は? あ、あの……?」
「サンティ・グレイルか。名前は?」
矢継ぎ早に質問され、戸惑う。訛りで生まれに気付かれるとは予期しなかった。
それに、彼もおそらく同郷の、それも魔術師だ。どう関わったものか測りかねていると、ラシェルが追いかけてこないせいで引き返してきたらしいゲルダが声をかけた。
「失礼。連れが何か失礼をしましたか?」
男は振り返り、ゲルダの姿を確かめると掴んでいたラシェルの腕から手を離した。
「いや……何でもない」
黒いマントの中へ両手を隠すように腕を下ろし、男は二人へ背を向けた。
「あ、あの!」
顔だけをこちらに向けた相手に何を問うたものか迷っていると、黒い瞳が興味を失ったように逸らされる。そのまま去って行った。
「お知り合いですか?」
「いや、違います……同郷のようでしたけど」
「まあ、サンティ・グレイルの?」
仕立て屋へ向かって並んで歩き出す。ゲルダはサンティ・グレイルへ行ったことはない。兄とラシェルの母国で、興味はあるようだ。
「魔術師かもしれません」
「最近は王都にもたまにいます。町の人間が神殿よりも安いからと、薬を買いに行ったり」
「じゃあ、サンティ・グレイルの人間がいても不思議ではないんですね」
「いいえ。この辺りは貴族や神官も出入りしますし、異教徒の魔術師は目の敵にされますから、滅多にいませんわ。あたしにはあの方が魔術師だとわかりませんでしたし」
「そういえば、ゲルダたちはどこで魔術師を見分けているんですか?」
「それは……」
小さな指を顎に添え、少し考える仕草をした後ゲルダは手鎚を打つ。
「ローブですわ! オーウェン様も、町の魔術師もみんなローブを着ていますわ。色は違いますが、皆型が同じです。先ほどの方はマントだったからわからなかったのですね」
「なるほど……」
魔力を感知しない人間は服装で見分けているのか。
「でも、なぜあのローブなんでしょう? 大分時代遅れのように見えますけれど……」
「あれは、私たちの国では魔術学院で魔術を修めた人間だけが着られるものなんです」
「一人前の従僕が与えられるお仕着せのようなものなのですね」
「まあ、そうですね」