邪眼
POVラシェル
視点が切り替わる度に前書きに入れた方がいいですよね、すみません。
ダンスはいつの間にか群舞へと変わっていた。
次々と相手が入れ替わり、少しステップを踏んでは目まぐるしく立ち位置も相手も変わっていく。
くるくる回り過ぎたせいかもしれない、めまいを感じてラシェルは人の輪から何とか離れた。
楽しそうに踊る若者たちを遠巻きに囲み、宮廷に馴染んでいるだろう貴族や夫人たちが談笑という名目の社交に勤しんでいる。
その中に兄の姿を見つけ、近くまで行こうとすると誰かに遮られた。
金色の髪に菫色の瞳。白いドレス。アナトリー卿の娘ベリンダ嬢だ。
ラシェルはとっさにお辞儀をした。王子付きの兄からすれば地位を考慮する必要はないかもしれないが、まだ新参者だ。礼を尽くして敵を作らずにおいた方が得策なのは明白だった。
「魔術師オーウェンの妹だそうね?」
「はい」
「兄譲りなのかしら?」
「……何がでしょうか?」
鈴を転がすような声に不穏さを感じて、ちらりと上目遣いにベリンダ嬢を仰ぎ見る。菫色の瞳には怒りの色が浮かんでいた。ラシェルは眉根が寄りそうになるのをすんででこらえる。
王子たちの前でもこの目に嫌な気配を感じていた。
悪意。それも魔術師に近い力がある。
ベリンダ嬢は腰に手を当てて胸を張り、ラシェルを威嚇する。
「王家に取り入るお上手さのことよ。ぜひご教授いただきたいものだわ」
「とんでもありません」
「まあ! しらを切るおつもり?」
つり上がったまなじりできっと睨まれ、ラシェルは細く長く息を吸った。
癇癪を起こした子猫のような娘の怒りなど、酒場で理性をなくした漁師の男に比べれば可愛いものだ。
「喪が明ければ王太子になられるカイル殿下には、然るべきお相手が選ばれるはず。選定無くして他家の娘を軽々しくお相手になれば揉め事の種になる。だからこそ取るに足りない魔術師の妹を選ばれた。全ては聡明なカイル殿下のご配慮です。……ベリンダ様ももちろんお察しのこととは思いますが」
長台詞を噛まずに言えたことに内心で安心する。駄目押しのように微笑むと、ベリンダは気勢を削がれたようだった。怒りに染まっていた顔は一変し、取り繕うように口元に微笑みを浮かべる。こほんとひとつ咳払いした。
「そ、そうよ! 貴女のような異教徒の小娘、本来ならばカイル様のお傍に侍ることもかなわぬ身よ。重々わきまえなさい!」
「はい、もちろんです」
もう一度お辞儀をすれば溜飲が下がったらしい。くるりと背を向けて去っていく。
今日は次から次へと事が起こる日だ。ひっそりと溜息を吐いた。
「うまく切り抜けたようだな」
「兄様」
振り返ると、オーウェンがゴブレットを片手に立っていた。
給仕にゴブレットを預け、着いてくるように言われる。そろそろ抜け出してもいい刻限になっていた。
広間を出て、廊下を歩いていく。
「見てないで助けてくださいよ」
「お前ならわかるかと思ってな。ベリンダ嬢は邪眼の持ち主かどうか」
平然とした顔の兄をまじまじと見た。
「……それは、兄様のほうがわかるのでは?」
ラシェルの言葉に兄は苦笑した。
「お前の探知力は並外れている」
「……そんなはずありませんよ」
「現にお前はベリンダ嬢の力に気付いた」
城の侍従から外套を受け取り、馬車を待つ間に身につける。
外はとっぷりと日が暮れていた。
春が訪れたとはいえ、風はまだ冷たい。自分の身体を抱きしめるようにしていると、兄がラシェルのほつれた髪を耳へとかけた。
「かつてクレスケンスの貴族は、私達魔術師の祖先と婚姻をしてきた。魔術を使えるものが生まれやすい家系だ」
「ベリンダ嬢もそうだと?」
「おそらく。魔術を教えるものがいなくなったせいで、力を持った貴族の子どもは自覚がない」
蹄の音とともにやってきた馬車へ乗り込む。風のない内部はほんのりと暖かく感じる。
「アナトリー卿の妻、ベリンダの母親も、若い頃は妙な噂があった。彼女の目には逆らえない、彼女に睨まれたものは何かが起こる、と」
「何か……」
ラシェルは口元に手を添えて考え込んだ。
確かに、ベリンダ嬢から悪意の匂いを感じた。
エマを呪った札の魔術に比べれば弱いが、普通の嫉妬や恨みよりは強い。
育ちのおかげかラシェルには通じなかったというわけだ。
「つまり、そうやって親から子へ力は受け継がれたものの、知識がないために無意識で相手に害意を飛ばして小さな不幸を撒き散らしているということですね」
「そうだ」
「それは……それはつまり、制御出来ない力の使い手が宮廷内には存在していると? ベリンダ嬢だけでなく?」
面倒そうな事実に辿り着いた。
どうやって本人にやめさせればいいのか方法がわからないだけにタチが悪い。
兄も同じ感想らしい。深く溜息を吐いた。
「力自体は弱い。だがそれを利用してのさばっている」
「もしかして、兄様とカイル殿下はそれを探るために私を?」
「それもあるが……お前は、カイル殿下をどう思っている?」
青い色の目がこちらをうかがっている。
「彼は次期王太子です」
「そうだな。だが、魅力的な方だろう?」
兄の考えていることはわかる。
自分が何の苦労も知らず、アレクに出会う前であったなら、カイル王子に憧れただろう。
答えられずにいると、オーウェンは何を勘違いしたのか頷いた。
「お前はまだ若いからな」
「いえ、そうではなく…。王室の妻になる者が生娘でないのはまずいでしょう?」
ラシェルの答えにオーウェンは目を見開いた。兄が心の底から驚くのは珍しい。
「シェラ、お前……」
「兄様の想像しているような悪いことではありません。好きになった人に捧げたんです」
「そ、そうか」
幼い頃から魔術漬けだった兄には青天の霹靂だったらしい。
子供だとばかり思っていた妹の言葉はさぞ衝撃だろう。短く返事したきり、何も話さなくなった。
ラシェルとしてはそれは好都合だった。
互いに無言のまま館へ戻った。
もう夜も更けていたので、兄は素早く寝支度を済ませ、部屋へと下がった。
窮屈な靴やコルセットで締め付けられていた身体をほぐしたかった。
ゲルダに頼み大きな盥に湯を張ってもらう。清潔な布で身体を拭い、髪を洗うと、ようやく人心地がついた。
「宴はどうでしたか?」
ゲルダが好奇心をにじませ訊ねてきた。ラシェルは髪を梳きながら、今日のことを思い浮かべる。
「色々、ありましたよ」
「まあ、詳しく教えてください、ぜひ!」
「うん……」
身を乗り出してくる少女に微笑み、かいつまんで話した。
「カイル殿下、アスタム公とダンスを踊られるなんて……やっぱりラシェル様は隅に置けないお方ですわ」
ラシェルは曖昧に笑った。
周囲からは羨まれる状況も、背景には様々な思惑が交錯している。
ゲルダはほうとため息をつきながらラシェルの髪を拭っていた布を抱きしめた。
「あたし、ドレスを見るのが好きなんです……一度でいいから、宴でご婦人方が色とりどりのドレスを着ているところを見てみたいですわ」
「着るのじゃなくて、見るのが?」
「見るのがいいのです。あたし、元はお針子だったので、あの手仕事の素晴らしさを堪能したいのです」
「お針子だったんですか?」
「はい! ちょっとヘマをやってしまって、オーウェン様に拾っていただいたご縁でここにおります」
オーウェンがフェルラで過ごした一年を知らないように、ラシェルにも知り得ないオーウェンの一年間がある。
優しく髪を拭うゲルダの手に身を任せながら、ラシェルは今夜の自分の言動を省みた。
たまに自分の意思を無視するところはあっても、兄として妹を可愛がってくれているのに、馬車の中での言葉は突き放すようなやり方だったかもしれない。強引な兄にはああでも言わなければ、カイル王子の婚約者候補にされてしまうのではないかと思ったのだ。
異国の地であるクレスケンスにおいて、兄の家族は自分だけだ。
兄の出世のためにはラシェルの婚姻は手っ取り早い武器になると理解しているが、心が拒否する。
「素敵な殿方には出会いましたか? もちろん、カイル殿下も素晴らしいお方ですが」
「……うん」
アレクと再会したことを思い出す。自然と口角が上がっていたのか、ゲルダは目を輝かせて身を乗り出した。
「まあ、どんな方ですの!?」
「どんな……上品ではないけど、目が情熱的で……」
燃えるような冷たい色を頭に思い浮かべると、それだけで身体が熱くなる。
お互いを取り巻く状況は複雑になっても、もう二度と会えないと諦めていた頃より、心は晴れやかだった。
「ラシェル様は情熱的なお方がお好きなんですね?」
「ええ……はい」
情熱的な男がみんな好きだというわけではなく、フェルラでは猫のように気まぐれで素っ気なかったアレクが全身でラシェルを求めてくれるのが嬉しいのだ。でもそれは告げられず、また曖昧に微笑んでしまった。
手入れを終えてすっかり寝支度が済むと、ゲルダはおやすみなさいと言って枕元の明かりを吹き消した。
真っ暗闇の中、彼女の足音が遠ざかり、扉の閉まる音が聞こえる。
寝返りを打つと、窓から銀色の月明かりが差し込んでいた。
四角い光が寝台の上に長く伸びている。
ラシェルは枕の下に手を差し入れて、小さな革袋を取り出した。
口を縛った紐を緩めると、中から銀色の指輪が転がり出て来る。
ひんやりと冷たい感触を手のひらで転がし、つまんで明かりにかざした。月光にキラリと光る。
台座にはまったルビーの紋章は、未だに読み取ることができなかった。