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王と魔術師の国  作者: 虎子
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出会い

前回でキリがいいと思ってたんですが、読み返したらそうでも無かったのでもう二話投稿します。そうするとストックがなくなるわけですが……(やばい)

アレク視点です。

 ラシェルと出会ったのは、一年前の春、雨が降り続く日のことだった。

 まだ崖の上の屋敷に移る前のことだ。下町の宿屋の一室に彼女は間借りしていた。

 一階で食堂をやっている宿で、夜に集まる連中はあまり顔つきがよろしくない。昼間もそうだが。


 赤らんだ顔で昼間から酔いつぶれる客や、ニヤニヤと脂下がった顔の男に絡まれながら給仕を手伝っていたのが彼女だった。

 まだ女の服で暮らしていた頃で、こんな鄙びたところによくこれほどの美人がいたものだと目を見張ったのを覚えている。

 鎖骨や肩がむき出しになったドレスはよくある下町娘が着ているデザインだが、彼女が着ているとその肌の白さが目に毒に思えるほどだった。結い下げた黒髪が解れて頰に落ちかかって、他の女がやればいやらしく見えるのが、ラシェルのもつ清潔な空気がそうするのか、人の姿を借りた妖精と言われても信じただろう。

 とにかく、荒くれ男だらけのこの宿でよくも無事だったなと感心した。

 後になってみれば、手を出そうとする相手の腕をことごとく捻り上げていたのだから、無事だったのだが。


 エプロン姿の彼女に話しかけ、彼女の兄の名前を出したとき、彼女はまっすぐな鼻筋にしわを寄せて綺麗な顔をしかめた。

 自分の美しさを知っている貴族の淑女ならばまず男の前では見せない顔だ。感情を取り繕わないのが新鮮だった。


「兄はもう半年ほど留守です。王都に行くと言って、消えました」


 ツンと顎を反らして答える姿は幼い少女が拗ねているようだ。


「いつ戻る?」

「そんなのは私の方が聞きたいです。ここに間借りしている身としては肩身が狭いんですから。そろそろ戻ってきて欲しいのに」


 戻らぬ兄への文句混じりの返事に、宿屋の女将が笑う。


「ウチとしちゃあ、いい客寄せになってるからいつまでもいてほしいんだがね」


 それからひと月、暇を見てはその宿に通った。


 その日は教授と議論が白熱し、彼女の元へ訪れた頃には夜になっていた。

 ランタンのオレンジ色の明かりで照らされた店内で、酔客が呂律の回らない舌で下手くそな歌を歌う。昔語りが弾んでいるのか、肩を叩き合いながら大笑いする。


 その光景の中に紛れてラシェルがいた。

 彼女の正面には赤ら顔にまばらに生えた髭、着ているものは垢に汚れたダブレットに毛皮とちぐはぐで、見るからによろしくない商売の人間が座っている。

 彼女とその男の間のテーブルに紙切れが置かれていた。彼女は腕組みをしてそれを睨みつけている。


「何やってるんだ?」

「アレクさん」

「さんはいらねえよ」


 ラシェルは腕をほどき、眉間に寄せていたしわを開いてアレクを見上げた。どこかホッとした様子だった。


「割りのいい仕事らしいんですが、悩んでまして……」

「へえ?」


 アレクが覗き込むと、男はあからさまに慌てたようだった。

 相手が引っ込める前に紙を奪い取る。十分に手が届かない距離を置いて、中身を高らかに読みあげる。


 それは一方的な契約だった。男の妻として結婚し、男の求めに拒まず身体を開き、家事をし、働き、働いた金は全て男に渡し、男に尽くし、男が飽きたら娼館に売り付けられても文句は言わないという、よくもここまで人でなしなことを思い付けたものだと言うほど酷い内容だった。


 そして、この内容に憤慨しない彼女に、文字が読めないのだと初めて気付いた。アレクは低めた声で男を脅す。


「こいつは傑作だ。これが割りのいい仕事だって?」


 男はカッと赤らんだ顔を更に赤くさせた。

 上手くいくと思っていたところに邪魔が入ったのだ。木の杯を叩き割らんばかりにテーブルに叩きつけ、アレクに掴みかかろうとする。


 咄嗟にラシェルの手首を掴み、店を飛び出た。

 春の小雨の降る中だった。

 雨除けのマントもなく、濡れながら走った。大学の寮に戻るわけにもいかず、そういえばと思い出したあの崖の上の屋敷に潜り込んだのだった。


 埃の積もった屋敷でも、雨がしのげるのはありがたい。

 暖炉で火を起こしている間に、ラシェルは濡れて寒気を感じたのか自分を抱きしめるように腕をさすった。


「今、火を起こす」

「……ありがとうございます」


 このひと月小気味よくアレクに答えていた娘の声が震えていた。

 ちらりと横目で確かめると、暗闇の中で肌が青白く光り、黒い髪が濡れてうなじに貼り付いている。

 思わずその肩を抱き寄せた。小刻みに震えている。

 寒さのせいだけではないだろう。胸の内側がグラグラと煮え立つように熱い。今までどんな相手にも抱いたことのない思いだった。


「女将さんの知り合いで。何か、……良くないことだろうとは、わかっていたんですが。断れなくて。助かりました」

「間に合ってよかったよ」

「はい……」

「夜が明けたら、あの宿屋には俺が行く。荷物を受け取って、そのままあそこは引き払う。それでいいな?」


 俯きがちだった彼女がアレクをまっすぐに見上げる。血の気が引いて真っ青な顔をしていた。


「そこまで迷惑はかけられません」

「さっきの親父にいいようにされたいか?」


 ラシェルは言葉に詰まり、唇を噛んだ。それを返事と受け取ってアレクは再び火を起こし始めた。


 翌日訪ねた宿屋の女将は頭を下げてアレクに謝った。


「悪どい奴なのはわかってたんだが、金払いが良いし、文句を言ったところで何されるか怖くてね。あの子には悪いことをしたよ」


 真っ当なことだけでは店はやっていけないのはわかっている。ラシェルもわかっていたからこそ大声を上げて拒めなかった。

 荷物を受け取って部屋を引き払い、それから崖の上の屋敷で二人暮らしが始まった。


 ラシェルに男の格好をすることを提案したのはアレクだ。

 最初は女だとバレて厄介なことが起こるのではと警戒していたラシェルだが、三月経って何も起こらないとわかると安心したようだった。


 あの夜の震える肩と、気丈に振る舞おうとした態度。突っぱねてもよかったものを、世話になった女将を慮って出来ずにいた。

 世の中がいかに女たちにとって生きにくいか。

 あんなことがあった後なのに懲りずに働こうとする彼女を馬鹿に出来なかった。


 女の一人暮らしは不用心だ。

 ラシェルの兄が戻るまで。

 読み書きができなければまた騙されるかもしれない。


 いくつも理由を並べて、アレクはラシェルが汗にまみれて働いていても美しく見える理由に気付かないふりをしていた。


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