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王と魔術師の国  作者: 虎子
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呪い

  石畳の下り坂にはまだらに雪が残っていた。カーン、と午前の鐘が鳴る。


 まっすぐ伸びる坂の先には港があり、いくつも船が停泊していた。漁船のおこぼれに預ろうとしているのか、カモメが群れをなして飛んでいる。冷たくしみる冬の風にのって、ほのかに潮の香りが坂の上まで漂っていた。


 フェルラ。港町を足元に、背後を守るようにしてそびえる山には大学を中心にした街を擁する、人種、身分が様々に入り混じる都市だ。

髪や目、肌の色が違うであろう人々も、冬の厚い装いの違いでしか見分けがつかない。そんな人々が驚いて振り返った。つむじ風のように子供が雪が溶けて濡れた石畳を蹴って軽やかに駆けて行く。


「にいちゃん、早く!」


  十にはまだ足りないだろう少年が振り返り、急かすように手を振る。その先には少年を追うほっそりとした人の姿があった。こちらは滑らないように慎重に先を急いでいる。

 ズボンに折り返しのついたブーツ、青い上衣は慌てて身に纏ったのかいくつかボタンが開いている。襟元からは白いシュミーズよりもなお白い首筋がすんなりと伸びていた。首元でゆったりと止められた髪が動きに合わせて揺れる。


「待ってください! 危ないですから、ゆっくり」


  息を切らしながらも苦笑する。呼気は冷たい空気を温かく湿らせる呼気となって白く立ち上った。少年に男だと思われていることに思わず出てしまった自嘲の笑みだった。

 下町の人々は彼女をラシェルと呼ぶ。

 数年前にふらりとこの町へやって来て住み着いた。そういう人間はフェルラには少なくない。彼女は人々のささいな頼みごとを引き受けて暮らしている。

 格好のせいで少年のように見えるので、男だと思い込んでいる者も多かった。その方が割りのいい力仕事の頼みも入ってくるので誤解をそのままにしている。日々腕力を鍛えているので、細い身体に反して力自慢になり、女らしさからはかけ離れていく一方だった。


 港へ向かう坂を途中で脇道に曲がり、しばらくいくと石壁に囲まれた大きな屋敷があった。

 てっきり正面の門を潜るのかと思いきや、少年は屋敷の裏に回った。石壁の途切れた生垣の下を這うようにして入っていく。


「だ、大丈夫なんですか? これ……」

「いいから、急げよにいちゃん!」


  ひとつため息を吐いて低い灌木の下を腹ばいになって通った。早く、と声をひそめて急かす少年はもう屋敷の一角に向かって駆け出していた。

 雄鶏の棟飾りが地上を見下ろす、窓のついた青い屋根が印象的な、貴族の邸宅だ。

 少年は家の脇に生えた大きな樫の木にするすると登っていく。


「ちょ、ちょっと!?」


  ラシェルは驚いて制止するがもう遅く、少年は二階の窓に滑り込んだ。早くしろ、と窓から小声に叫ぶ。仕方なしに枝に足をかけた。

  慎重に木を登り、二階の窓によじ登った。部屋の中を見ると中には大きな寝台が置かれている。小花の描かれた壁紙やチェストと窓際に飾られた花、少女らしい部屋だ。

 寝台の上には少女がシーツに埋もれるようにして横たわっていた。床に膝をついて少年がそれを覗き込んでいる。近づくと、少女はぐったりとして浅い息を吐いていた。うっすらと開いた目は濁っている。


「スルト……?」

「エマ! 大丈夫か?」

「……」


 少女は力無く瞼を閉じた。顔色は青白いのを通り越して土気色をしている。部屋の中は薄暗く、窓を開け放って入って来たはずなのに、どことなく空気が澱んでいるようだ。


「変なんだ。昨日は家を抜け出して一緒に遊んだのに、今日急にこうなって……咳もしてないし、熱もない」


  心配げな少年の話を聞きながら、ラシェルはくんと犬のように鼻をひくつかせた。ゆっくりと部屋の中を横切る。


「確かに、良くない匂いだ」

「匂いって、犬かよ」


  少年が呆れ返る間にラシェルは匂いの元を見つけたらしい。ふっと床に膝をついて四つん這いになった。少年がぎょっとする。


「お、おい」


  寝台の下に腕を伸ばし、ごそごそとなにやら探った。起き上がると、ラシェルの手には一切れの紙片が握られている。


「何だそれ?」


  少年の問いには答えず、ラシェルは暗い瞳でそれを見下ろした。


「すぐに戻りましょう」


 囁く声が緊張している。素早く踵を返し、窓から木を伝い下りていった。どこか切羽詰まった様子で来た道を引き返す。



 下町の外れに崖がある。港へ伸びる坂道を一番上まで登り、脇道に入り、奥まで進むと、崖の上にぽつんと一軒建てられた邸宅に辿り着く。

 元は貴族のものだったが、海風の激しさを嫌ってうち捨てられていた。

 今は植木は好き勝手に枝を伸ばし、花壇は冬枯れた雑草と花が同居している。それでも日当たりが悪くなる枝と毒草は間引いてある。

 空き家のままでは荒れてしまうものを住み着いて手入れしているのだから、褒められはしても叱られるいわれはない。

 貴族ではない者が住むには贅沢な家だが、自分ではなくもう一人が貴族だろうから無罪放免だというのがラシェルの言い分だ。



 最後の方はほとんど転がるようにしてその家に戻って来たラシェルは、大股に台所へ向かった。


 部屋を占領するように置かれたテーブルの上はごちゃごちゃと散らかっていた。

 乳鉢や乳棒、フラスコ、実験の器具が広げられたまま放置されている。経過を見ているのか終わったまま片付けが面倒で置いているのか、ラシェルには判別がつかない。


「二階へ行って、主寝室でまだ寝てる人を連れて来てください」

「ええ、あいつまだ寝てんの?」

「宵っ張りですからね。寝たのも明け方でしょうから」

「働きもしないでいい身分だよな」


  腕を組んだ少年のまるで大人のような口のきき方についくすりと笑う。


「怠け者ですけど、私には必要な人なんですよ。いいから、起こしてきてください」

「えー……」


  ラシェルの緑の目がすっと細められた。


「あの子を一刻でも早く助けたければ、」

「わかったよ!」


  ぱっと階段を駆け上がって行く小さな背を見送り、ラシェルは一旦懐にしまい込んだ紙片を取り出した。

 手のひらに収まってしまう小さな羊皮紙の上には、丸や四角の図形が組み合わされたものが描かれている。図形にはいくつもの文字が並んでいた。

 文字を読み取ろうとすると、ラシェルの目には縦横に交わる線や円の重なりが紙から浮き上がってぐにゃりと歪んで見えた。

 諦めて他の情報を拾う。一見普通のインクで書かれているように見えた。光に透かすと、何か赤黒いものだとわかる。家畜の血だろうか。

 首の後ろが総毛立つような感覚と対峙しながら、ラシェルはその札を睨むように見つめた。


「何だよ。人の寝入り端起こしやがって」


  あくび混じりの不機嫌な文句に顔を上げると、かったるそうに二階から降りてくる男の姿が見えた。

 羽織ったブランケットの合わせから手を差し入れてだらしなく首をかいている。浅黒く男らしい顎にはうっすらとヒゲが生え、ほとんど赤毛に近い金髪はあっちこちに跳ねて寝癖が付いていた。

 彼はラシェルの同居人だ。その姿を見た途端、張り詰めていた気持ちがふっと晴れる。ゆっくりと彼の方へ向き直った。


「アレク。すみません、可愛い女の子の命に関わるものなので」

「へえ?」


  薄氷色の瞳がキラリと光った。好奇心をそそられたらしく、無言で先を話せと促される。


「突然寝付いてしまった女の子のベッドの下に、こんなものが。彼女はつい昨日まではスルトと走り回っていたそうですよ」

「ふうん。……臭うか?」


  手すりにもたれかかりながらアレクはもうひとつ名残のあくびをした。どうも本当に寝ようとしたばかりだったらしい。頭を振って眠気を飛ばそうとする様子に申し訳ない顔をしながら、ラシェルは頷く。


「羊の血ですかね」

「臭う?」


  階段を降りてラシェルの隣に並んだ少年が手元を覗き込みながら問い返す。


「こいつは犬みたいに鼻が利くんだよ」

「犬とは聞き捨てなりませんね。人の悪意にだけですよ」

「ハッ。こんな田舎じゃなけりゃ生きていけない奴だよ、お前は」

「ここに書いてある名前を読んでほしいんです」


  軽口を無視してラシェルが頼むと、アレクはのそりと階段を降りて台所へやってくる。テーブルを挟んで向かいから羊皮紙片を覗き込み、名前を読み上げた。


「エマ・オリキュレール」

「彼女の名前ですか?」

「……うん」

「燃やすか?」


  アレクの問いかけにラシェルは首を振る。


「誰が彼女を狙ったのか、わからないと後で困るかもしれません」


 アレクは目を細めた。


「お前、出来るのか?」


  緑の目が彼を見上げた。燃えるような光がそこに宿っている。


「……貴方が手伝ってくれるなら」

「なあ、何をやるんだよ?」


  置いてけぼりにされたままだった少年が不満そうに声を上げた。アレクは顔を顰めて無知な奴めと言いたげに彼を見下ろす。ラシェルは困ったように眉を下げ、言いにくそうに、少し考えながら口を開いた。


「悪口を言われると、嫌な気分になりますよね?」

「なる」

「お前なんか死んじまえと言われると?」

「めちゃくちゃ腹が立つ。それと、少しは傷付く」


  思慮深げな細い面を縦に振りながら、ラシェルはさらに続けた。


「悪意は人に害を与える力を持っています。悪口くらいなら少し嫌な気分になるくらいですが、これは幾重にも悪意を込めて作られたものです。人を死に至らしめるにはおぞましい材料を用意して、複雑な手順を踏む必要がある。これはそういうものが得意な人間が作った」

「それって、呪いってこと?」


  おとぎ話の中でしか聞いたことのない存在を口にして、少年は眉をひそめた。


「平たく言えばそうです」

「にいちゃんは、人を呪えるのか?」

「私は出来ません。やり方を知ってはいますが」


  方法を知っていれば出来るのではないのか、問いたげな顔をした少年に困ったように微笑み、アレクを指差した。


「私は字が書けないので、彼の手伝いがいるんです。呪いをかけるには、呪いたい相手の名前と呪文を読み書きすることが必要だから」

「読み書き出来ないのか?」

「他の奴には言うなよ」


  アレクが地を這うような声で脅した。その迫力に少年は慌てて首を振る。


「馬鹿になんてしないよ。俺だって読み書きは苦手だし」

「言いやがったら、ぶっ殺すぞ」


  まだ怖い顔をしたまま鼻を鳴らし、アレクは腕をまくった。


「それで? 何が要る?」

「清水と、弟切草の精油と、水晶……これならそれで十分だと思います」

「清水……裏手の泉の水でいいか」

「アレクは水晶を砕いておいてください」

「ああ」


  高価な水晶を簡単に砕くと言うのに目を剥いて、少年は二人を見比べた。

 どちらも冗談ではない真剣な顔で頷きあい、それぞれの作業を始める。ラシェルは清水を汲むために空の器を掴んだ。アレクはどこかから麻袋に詰められていた水晶を取り出して、テーブルの上にのせて金槌で砕き始めた。

 あれ一つで何年食い繋げるか。そう思ったのだろう、目と口をまん丸く開けている。その姿を、冷たい色をした目の同居人が睨んだ。


「暇なら精油を取って来い」


  ラシェルが戻り、器に摂ってきた清水に弟切草の精油を混ぜた。血のように赤い液体に少年は目を落とす。一体これで何をするつもりなのだろう。そう問いたげだった。

 不思議そうにする彼をよそに二人は着々と準備を進めた。ラシェルはテーブルに置かれた紙片を円で囲むように砕いた水晶を散りばめ、アレクは羽ペンを手にとりインクのように赤い液体にペン先を浸した。


「何をすればいい?」

「書かれているものを全部教えてください。それから、私が言うように書き換えて」


 アレクのよく通る低い声が呪いのために書かれた文字を読み上げ、じっくりと考えた後にラシェルが指示する。鮮やかな赤い線がするすると羊皮紙に書き加えられていく。正誤がわからない自分はアレクを信じるしかない。緊張で額にじわりと汗が浮かんだ。

 一文字書き込むごとに紙片から感じる悪意は和らぎ、一文字足すごとに清浄な風が一陣、駆け抜けていく。


 半刻は経っただろうか。その場から完全に嫌な気配が無くなった。ラシェルは白い額の汗を拭い、ふうと息を吐き出す。それを見て少年が恐る恐る訊ねた。


「……終わったのか?」

「ええ」

「エマは助かる?」


  不安げな問いに、膝を折って目の高さを合わせて少年を覗き込む。萌える草木の色の瞳は柔らかな光を湛えていた。


「きっと大丈夫です。心配なら、エニシダの枝を庭で折って持って行きなさい。枕元に置いておけば魔除けになる」

「その前に、仕事料は置いていけよ」


  安心させるように微笑んだラシェルが、ちらと振り返ってアレクに非難の目を送る。

 仕事は仕事だろ、とうそぶく青年は盛大なあくびをした。


「清水」、「聖水」どっちで書くか悩んで「清水」になりました。

理由は後々の章で書いてますが、ヒロインの信仰する宗教とフェルラで信仰されてる宗教が違うのと、「聖水」は「聖別された水」なので儀式的なものが必要なはず……と「清水」に。途端に滲み出る日本感……

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