10.変わる心
「ほんと面白かった!ラストのとこさぁ!まさか赤井が黒幕と繋がってたなんて!」
「それな!騙されたわ〜。やっぱ家で観るより映画館の方が迫力あっていいよな!」
俺達は興奮冷めやらぬ内に映画館から出た。
映画を観る前まではお互いまだ少し距離があったが、今ではすっかり意気投合していた。
こんなに趣味の合う人はいないかもしれない。
今日観た映画は主人公の若手刑事とベテラン刑事がタッグを組んで次々と起こる殺人事件を追っていくが、その裏には現実離れした秘密が潜んでいて…というような内容だった。実はベテラン刑事が黒幕と繋がっていたり、主人公にとんでもない秘密があったりして見ていてとてもハラハラした。
正直言ってそんなに人気のない映画だから、こんなに共感できる人が身近にいてめちゃくちゃ嬉しい。
「まじで楽しかった!また連絡するから遊ぼうぜ!」
「おう!こちらこそありがとう!」
駅前で今日一日ですっかり打ち解けた友人と別れ、映画の余韻に浸りながら上機嫌で家路に着く。
電車の中でニヤニヤしないようにするのが結構大変だった。
最寄駅に到着し、改札を抜けるとまだ夕方なのに外は随分暗くなっていた。
陽が落ちるの早いなーっと空を眺めていると、右から5、6歳くらいの女の子が走ってきた。と思った瞬間、ちょっとした段差に躓いて派手に転びそうになる。俺は咄嗟に駆け寄り、左腕を前に伸ばして女の子が転ぶのを未然に防いだ。
「由依!走らないでって言ったでしょ!」
女の子の母親らしき人が駆け寄ってきた。俺の左腕を見てはっとする。
「助けていただいたようでありがとうございます。」
「いえ、転ぶ前に間に合って良かったです。」
「お兄ちゃんありがとう!かっこよくて王子様みたいだった!」
女の子は目をキラキラさせながら言った。
「ちゃんとお礼言えて偉いぞー。でもたくさん人がいるところじゃ走っちゃ駄目だからな。」
頭を撫でながら言うと、女の子は顔を赤らめて母親の後ろに隠れてしまった。
「もう由依ったら。ごめんなさい、身近にあなたくらいの歳のお兄ちゃんがいないから頭撫でられて恥ずかしくなっちゃったみたい。」
「いえいえ。俺も急に頭撫でちゃってごめんね?」
隠れている女の子に目を合わせて言うと、女の子は小さく頷いた。
手を振りながら母親に手を引かれる女の子を見送り家に帰ろうとした時、後ろから声を掛けられた。
「彩智」
後ろを振り返ると、紙袋をいくつか持った蒼生と花音が立っていた。
「2人とも買い物終わったの?」
「うん。そっちも映画終わったんだ。どうだった?」
「マジで面白かった!観に行けてよかった〜。あ、荷物持つよ貸して。」
蒼生と花音から服が入っていると思われる紙袋をいくつか受け取った。
「さっきの見てたよ。」
花音が上目遣いで俺を見つめる。
「さっきの?」
「女の子助けてたでしょ?かっこよかったよ。」
「あー、ただタイミング良かっただけだよ。」
「なんか、男の子のフリが板についてきたみたいでいつものさーちゃんじゃないみたいだった。」
「そうそう、服装に見覚えがあったから気づいたけど話しかけるの悩んだくらい。」
男の子のフリ?いつも通りにしてたつもりだけど。
フリって何だと考えていると、ガンッと頭を殴られたような衝撃が走った。
「痛ッ…!」
「彩智?大丈夫?」
「あれ…俺、何で…俺…じゃない?…私?」
俺は…私は橋元彩智だよね?私は女の子で…でも、さっきまでは…あれ?でも今だって…
ガンガンと痛む頭痛が段々と引いていき、思考がクリアになった。
さっきまでの出来事を思い出し、血の気がサッと引いていく。
そんな私を蒼生と花音は心配そうに見つめてくる。
私、さっきまで心まで完全に男の子になってた?心の中でも『俺』と言って、女の子にお兄ちゃんと呼ばれても何の違和感も抱かなかった。
「ちょっと彩智!大丈夫?どうしたの?」
頭を押さえて動かない私を蒼生が覗き込む。
「あぁいや、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけ。」
咄嗟に嘘をついて誤魔化した。自分の中でも整理がつかなくて、とてもじゃないけど2人には言い出せなかった。
駅から家までの道を3人で歩く。
花音と蒼生は目の前を話しながら歩いていて、私はその後ろをぼーっと歩いていた。
さっきまでのことを思い出しゾッとして、「もう元に戻っているんだ」と言い聞かせて落ち着いて、を頭の中で永遠に繰り返す。
「さーちゃん?」
腕を花音に掴まれてやっと自分の世界から抜け出せた。
「あぁごめん。あっもうこんなとこなんだ。花音は家あっちだよね。」
「そう、だからさーちゃんにバイバイ言おうとしたのに全然聞いてないんだもん。そのまま荷物持っていかれちゃうかと思った。」
花音の言葉で両手に蒼生と花音の荷物を持っていたことに気づく。いつもより軽く感じるから持っていることを忘れていた。
「ごめん、ちょっと考え事してた。」
「彩智、さっきからなんか変じゃない?松原と何かあった?」
「えっ、松原くん…?」
いきなり松原の名前が出てきて花音は動揺している。花音には映画は1人で観に行くと伝えていた。
蒼生〜!何で花音の前で言うの!蒼生ってよく人のこと見てるのに、たまに何も考えずに口に出してしまうときがあるんだよね。
「い、いや!何でもないって!ちょっと寝不足でさ!えっと…松原は映画館でたまたま見かけただけ!」
私は慌てて誤魔化す。
蒼生は私の慌てぶりを見て察したらしい。申し訳なさそうに目を合わせてきた。
その場を何とか収めて、花音とは無事に別れた。蒼生の家は私の家の一軒隣なので、この先は蒼生と2人きりだ。
「…ごめん。」
2人になってすぐに蒼生は謝ってきた。少し拗ねたような言い方でいつもよりも可愛く感じる。
「うん。」
いや、可愛いのは言い方だけじゃない。蒼生ってこんなに華奢だったっけ?隣を歩く蒼生はいつもよりも小さくて柔らかそうで、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。いつもと違って見下ろしているからそう感じるのかな。
「ねえ、彩智ってば。」
蒼生をじっと見ていたはずなのに話しかけられていることに気づかなかった。
「…っ!ご、ごめん、何?」
「…やっぱり彩智おかしいよ。何かあったの?」
黙って蒼生を見ていた私を不審に思ったのか、蒼生が心配したような顔で言った。
「…ほんとに何もないって。」
思わず顔を背けてしまった。
「嘘。彩智、顔に出やすいんだからすぐ分かるよ。今はいつもと違う顔だけど、表情は変わらないのね。」
蒼生にはいつも嘘がつけない。私が嘘つくのが下手なのもあるけど、何よりも蒼生は私のことをいつもよく見てくれている。
「…ごめん。自分の中でもまだ整理がつかなくてさ、話せるようになったら絶対言うから。」
「わかった。待ってる。」
いつの間にか私の家の前に着いていた。
駐車場にはお母さんの車が停まっている。今日はいつもよりも仕事が早く終わったようだ。
「ねえ、今がチャンスじゃない?」
「え?何が?」
「お母さん帰ってるんでしょ?今の彩智を実際に見てもらえればお母さんだって信じてくれるよ。」
そう蒼生に提案されたが、正直私は乗り気ではなかった。
だって、私じゃないって否定されたらどうしよう。他人に対する顔をお母さんから向けられたらと思うと、胸が張り裂けそうになる。
今日の出来事で私自身でさえ自分の事が分からなくなっちゃったのに、これ以上否定されてしまったら…。
「……」
「私がインターホン押すから。大丈夫、私が説明してあげるから心配しないで。」
何も答えない私の背中にそっと腕を回しながら、優しい口調で蒼生が言う。
「…うん。」
私の返事を確認して、蒼生はインターホンを押した。
『はーい』
お母さんの声がインターホンから聞こえる。思わず私はカメラに映らない場所に避けてしまった。
「こんばんは。」
『あ、蒼生ちゃん!ちょっと待ってねー。』
相手が蒼生だと気づくと、お母さんは用件も聞かずインターホンを切った。
玄関あたりからバタバタと物音が聞こえる。
緊張して両手を強く握った。
何だか顔が熱くなってきた。それに、体も熱くてガタガタと自分の意思に反して震えはじめた。眩暈がして目の前がぐわんぐわんと歪んでいく。あ、ダメだこれは。立っていられない。
「…蒼生、ごめんむり」
かろうじて絞り出した声で蒼生に助けを求め、私は意識を手放した。
「彩智!?」
意識を手放す直前に、蒼生の声と玄関の開く音が同時に聞こえた。