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部屋を綺麗にしなさい 5

お待たせしました。

「おらぁ、さっさと動く!」

「うぅ……すみません。動きますから怒らないでくれると……」

「口じゃなくて身体を動かせ!」


 まるでちんぴらの如く恐ろしい声を上げられながら、きよみはテレビや棚に掛かった埃を払っていく。舞った埃に思わずくしゃみが漏れるが、自業自得だ。甘んじて受け入れるしかない。

 にしても、何で自分の部屋のことでこうも瀬田に主導権を握られているのか、時間が経てば経つほど理解に苦しむ。約束を守る宣言をしてしまったため従うしかないが、あんな恐ろしいペナルティで脅されたら、誰だって言うことを聞かざるを得なくなる。


(本当に、こんなことをして何のつもりなの?)


 きよみはベッドでふんぞり返っている瀬田をちらりと見る。

 パーカーをフードから被りサングラスにマスクという、いかにも汚部屋仕様という格好の彼は、何故か突然ベッド下の引き出しを開けた。あっと思ったときには、瀬田は中の物をつまみ出した。

 盛大にため息を吐きながら、瀬田は手のものをまじまじと見る――そう、きよみの下着を。


「はぁ、まぁこんな生活してたら色気もないよな」

「ちょっちょっと何勝手に見てんの! 変態変態、返して!」

「うるせぇ、いいから掃除してろ。うわぁ、しかも引き出しの中ぐちゃぐちゃ」

「うあああ! もう、本当にやめてよね!」


 きよみは勢いよく瀬田を突き飛ばす。しかしあまりに勢いづきすぎて、瀬田と一緒にベッドに倒れ込んでしまった。早々にベッドを片付けておいて良かったと、ベッドに沈み込みながらきよみはぼんやりと思う。


「……なるほど、色気ないくせに肉食と。これは残念過ぎる」

「うるさい! そっちが悪いんでしょ!!」


 きよみはすぐに起き上がりながら、自分の下にいる瀬田を見下ろした。

 瞬間、思わず息を飲む。

 高い鼻梁に形の良い額。こちらを見上げる瞳は垂れ目なのに切れ長で、その目力の強さに思わず心臓がどきりと脈を打つ。こんな間近で瀬田をじっくり観察するのは初めてだが、やっぱり見惚れてしまうほどの美男子だと思う。散々理不尽を突きつけられてもそう思わせられるのだから、つくづく叶わない。


(あくまで顔はかっこいいのになぁ……)


 まるでメデューサの魔法に掛かったかのようにきよみがそのままの体勢で押し黙っていると、瀬田はまたも眉をしかめてため息を吐いた。


「きよみ、肌ガッサガサ。ちゃんとケアしてないだろ」


 瀬田はきよみの顎を掴んで、下から横からわざわざアングルを替えながら肌を観察する。きよみはクッと不満を飲み込んだ。


(ちょっとでも何かを期待した私がバカでした)


 何となく良い雰囲気――なんて思った矢先にこれである。ムードもへったくれもあったものではない。


「女子力ないっていうか、自分から捨ててるよなぁ……」

「いいんです! これから取り戻すので!」

「お? ようやくやる気になったか?」


 小馬鹿にするように片眉を上げた瀬田に、きよみはむっとしながら彼の上から離れ、片付けに戻る。


「ま、まぁね。私も必要だなぁと思ってた頃合いだし、きっかけを作ってくれた瀬田さんにはこれでも感謝してるんです」

「へえ? その割には昨日はだいぶ渋ってたけれど、何かあったの?」


 う、ときよみは唸った。察しがいい方だとは思っていたけれど、やはり瀬田には下手な誤魔化しは利かなさそうだ。

 きよみはふぅと小さくため息を吐いてから、昨日のことを話した。


「夕べ、告白されちゃったんです私」

「…………は?」

「ちょっとあまりに唐突でどぎまぎしちゃって返事は待つって言われちゃったんですけど、もし本当にお付き合いすることになったら、こういうずぼらなところは治さないとなぁと……」


 その時、何故か首筋がヒヤリとした。

 別に何かが直接当たっているわけではないし、窓からの冷気といっても今日はむしろ暖かくて空気は温い方だ。というか、冷気の源はもっと近く――ベッドの上から感じる。


「誰に言われたの?」


 瀬田の低い声が響く。

 きよみは恐ろしくて後ろを振り向けなかった。


「え、えっと言っても瀬田さん知らないんじゃ……」

「誰に言われたの? ってか誰と飲んだ? そこで言われたんだろ。会社の奴か?」


 そこまで言わなくてはいけないのか。

 しかし声のトーンがさっきよりも下がっている。これは正直に打ち明けないと、余計なペナルティを招きかねない。

 きよみは半ばあきらめの境地で答えた。


「……河村さん」

「河村? それってオケの団長の?」


 そうか、河村は団長だから瀬田が知っていてもおかしくはなかった。こくんと頷きながら、きよみは内心で納得する。果たしてどんな反応をされるのか、戦々恐々と後ろを振り返る。

 すると瀬田は手で口元を隠し、ぷっと声を漏らした。


「きよみ、まさかそれ本気にしてるわけじゃないよな?」

「え……? どういうこと? というか何で笑うの?」

「いや、そんな冗談真に受けるんだなと、つくづく残念過ぎて。しかも返事待たれてるって何だよ……」


 瀬田は喉の奥でククッと笑いを押し殺す。それが余計に嫌味っぽく見えて、きよみは眉を顰める。睨み付けるようにして瀬田に視線を送ると、瀬田は尚もおかしそうにしながら言った。


「だってあの人、結婚してんじゃん」

「……え?」

「しかも子供もいるじゃん、確か六歳の」


 肩を揺らしながら言う瀬田に、しかしきよみはぱちくりと瞬きするだけだった。彼の言葉に思考が付いていかない。


「え……? いや、あの人独身ですよ? 別の河村さんと勘違いしているのでは?」

「何言ってるんだよ、まさか妻子持ちなの知らなかったの?」

「いやいや、だって独身だって本人も言ってたし、指輪だってしてないし……。大体瀬田さん一昨日が初対面でしょ? 何でそんな事情まで知ってるの?」

「あぁ、仕事の関係で元々知っていたんだ、河村さん。でもそうか、その話だとオケでは隠してるのかな」


 瀬田はフッと鼻を鳴らした。さらっと打ち明けられた真実に、ようやくきよみの中に衝撃が走っていく。いつも優しく頼れるお兄さん的存在の河村のイメージが、ぐにゃりと歪みかけた。


「え、え……いやでも、あの河村さんだよ? ありえない……」

「まぁあんな真面目そうな外面じゃあな。人は見かけに寄らないって、あの人こそ当てはまるな」

「でも、えええ。待って、じゃあもし瀬田さんの言うとおりなら、河村さんは私と――」

「――不倫しようってわけだ」


 あまりにストレートに言われ、きよみはぎくりと身体を揺らした。頭が混乱してやまない。


(まさかあの河村さんが……?)


 あまりに信じられなさ過ぎるが、嘘だと言い張るには瀬田の言葉には妙な信憑性を帯びている。とは言え、瀬田の言うことを鵜呑みにするわけではないが――。


「ちょっと河村さんに確認する」

「はあ? 確認するまでもないだろ、返事ももう決まった」

「いや、こういうのは本人の口から聞かないと。又聞きで決めるのは良くないですし」

「あのなあ――」


 その時だった。

 テーブルに置いていたきよみのスマホが、突然着信音を鳴らした。画面を覗き込むと、そこに表示されていたのは『河村遼也』――。

 ちらりと瀬田の方を見ると、瀬田は無言で受話ボタンを押し、それをきよみに押し付けた。瀬田の意図が全く分からないが、とりあえず出ろと言うことなのだろう。電話の向こうから「もしもし、きよみちゃん?」という河村の声が聞こえてくる。


「も、もしもし、河村さん? どうしたんですか?」

『どうしたってわけでもないんだけど、あ、今大丈夫?』

「え、あ、はい……一応……」


 すぐ隣で瀬田が聞き耳を立てているのが非常にやりづらいが、彼は何も言ってこない。そんな緊迫した状況だというのに、電話の向こうの河村は嬉しそうに息を吐いた。


『いや、なんだか昨日のこと思い出したら居ても立ってもいられなくなってね。きよみちゃんに電話したかったんだ。今何してたの?』

「あ、ちょ、ちょうど部屋片付けをしてて……」

『そうなんだ。きよみちゃんの部屋か……どんな感じなんだろ。今度行ってみたいな』

「ええ? いや、でも、あの……」

『あぁ、ごめん。まだ返事もらえてなかったのに、はしゃいじゃったね。でも俺は本気だから、前向きに考えてもらえると嬉しいな』


 河村は途中までは嬉しそうにはにかみながら話していたが、「本気だから」という部分には、やけに力を入れて真剣なトーンで話していた。言われた瞬間、きよみの胸はどきんと大きく鼓動を打つ。

 しかし、それと同時に瀬田がきよみを鋭く睨み付けてくるので、ゆっくりその余韻に浸れる余裕もなかった。


「あ、じゃあ私、片付けしなくちゃいけないので……」

『ああうん。忙しいのにごめんね、また電話する』


 そうして電話を切ると、持っていたスマホを瀬田が横からひったくった。瀬田は低い声で言った。


「きよみ。ダンボール寄越すから、来週までに荷造りしろ。引っ越しの準備だ」

「は、はあ? どういうこと? というか何で引っ越さなくちゃならないの? しかもそれってどこに――」

「引 っ 越 し の 荷 造 り。分かったな?」


 ぎろりと冷たい視線を向けられ、きよみは思わず硬直する。これは逆らったらペナルティのパターンだ。瀬田の意図が全く分からないが頷くしかない。


「ほら、分かったらさっさと片付けを再開しろ」

「……分かりました」


 顎で指示を出され、渋々片付けを再開するきよみ。しかし内心では瀬田に対して反発の気持ちが芽生えていた。


(やっぱり河村さんは不倫するような人じゃないよ。気に入らないからって最低)


 そう思うきよみの横で、瀬田は自分の電話でダンボールの手配をしていた。

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