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部屋を綺麗にしなさい 3

「そういえばきよみちゃん、夕べは普通に帰れたの?」


 二軒目に移動したお店でデザートを頬張ろうとしたとき、ふと河村が尋ねてきた。

 そう、既にいつの間にか二軒目なのだ。

 流石にヤバイかな、などときよみの頭の中では一応危険信号が鳴っているものの、それよりも圧倒的になんとかなるなる悪魔の声の方が大きく、もはや瀬田に対する恐怖は薄れてしまっていた。


「夕べですか?」

「うん。終電やばいーってチェロ背負って帰ったじゃん。覚えてないの?」

「え? あ、いあいあ、覚えてますよ、ちゃんと」


 きよみは若干引きつり気味な笑顔を浮かべながら、パンケーキの刺さったフォークを口に運んだ。向かいで河村が苦笑いを浮かべているのを見ると、完全に忘れていたのを誤魔化せてはいないだろうが、いちいちそれを追及する河村でもない。


「夕べきよみちゃん、結構飲んでたでしょ。ちょっと心配だったんだけど、まぁ大丈夫だったみたいだね。というか、瀬田君に介抱されたのかな?」

「――ぶふ!?」


 ここでまさかその名前を聞くとは思わなかった。

 思わずパンケーキを喉に詰まらせる。


「夕べ、きよみちゃんが店出てった後、追い掛けるようにして瀬田君も帰ってったんだよね。残った人らで『おお? もしかして』とか言ってたんだけど、実は持ち帰られたりしちゃってない?」

「まさか!」


 きよみは勢いよくテーブルを叩いた。

 すると、周りの客がざわざわとこちらを見てくるので、わざとらしく咳払いして誤魔化す。


「もう、河村さんも他の人たちも何言っちゃってるんですか。そんなほいほい付いていくようなタイプじゃないですよ、私は」

「いや、そうだろうけど、相手があの瀬田君だったらさ。彼、超イケメンじゃん」

「いくらイケメンでも私は靡きませーん! っていうか、そんな展開になるわけないじゃないですか。あの人、女に困ってなさそうだし」


 というか、絶対にあり得ない。何せ問答無用で無理矢理ペナルティとかを押し付けてくるような人なのだ。むしろお持ち帰りされていた方がずっとマシだった。

 出来ることなら瀬田の愚痴を言いたいところだが、下手にその後の話をして勘ぐられるのも嫌だし、そもそも夕べ瀬田はオケでは愛想良く好青年的に振る舞っていたため、何を話しても信憑性に欠けてしまうのが、また腹立たしいところだ。


 とにかく今は瀬田のことよりも目の前のパンケーキの方が大事だ。


 そう思って切り分けていると、河村が「うーん」と難しい表情を見せた。


「どうなんだろうね? 今付き合っている人はいないらしいけど」

「河村さん、よく知ってますね」

「夕べ聞いたからね。あとずっときよみちゃんのチェロ褒めてたよね。あんなに上手いのに、何でトップじゃないのか不思議だって、ずっと言ってたよ」


 そういえばそんな話を夕べの居酒屋で話していた気がする。

 うすぼんやりと、そのときの光景が頭に浮かぶ。


 彼らが所属するオケのチェロパートで一番演奏力があるのはきよみだ。日々それなりに練習もしているし、培ってきた年数だって伊達ではない。


 しかし、次の定期演奏会では、きよみはトップの席には座らない。


 オケでのパートトップとは、人数の多い各弦楽器パートの最前列の客席側であの手この手で各パートの演奏をまとめる重役のこと。厳密には一番上手い人が務めなくてはいけないものではないのだが、今回演奏する曲目にはチェロがソロで奏でるフレーズが含まれているため、その部分を弾くパートトップにも高い演奏力は求められる。

 もちろんきよみはトップを務めたかったし、そのソロの部分だって弾くつもり満々でいた。

 しかしチェロパートは野心多き人たちばかりなため、誰がトップをするか公平に話し合いで決めようということになったのだが、非常に間抜けなことに、ずさんすぎるスケジュール管理のせいで、きよみはその話し合いスカイプ会議をすっぽかしてしまったのだ。


 そういうわけで、きよみは二列目で大人しく練習に参加しているのだが、たった数時間、しかも合奏練習の中で弾いていただけのきよみの音を、チェロ隊から距離のあるバイオリンの席で、瀬田はしっかりと聞き取ってくれたらしい。

 きよみにしてみれば、瀬田のバイオリンも思わず聞き入ってしまうほどに綺麗な音が出ていたので、そんな彼から褒められるのは、正直嬉しい。


「だからきよみちゃん追い掛けて出て行ったのも、もしかしてそういうことなんじゃないかって言ってたんだよね」

「いやいや。さっきも言いましたけど、あり得ないですから。大体あの人、色々と謎だし」

「確かにねぇ。夕べは普通のサラリーマンですって言ってたけれど、それにしては身に付けている物が良いブランド品だったな」

「河村さん、本当によく見てますね……」


 とは言え、昨日の今日でスカイダイビングをしてしまえるような人間は、普通のサラリーマンではあり得ない。しかも彼は、太平洋だって当たり前に行き来できるような口ぶりだった。

 色々と胡散臭いが、ただ者でないことは確かだ。


「でもきよみちゃんもそろそろちゃんと相手探さないと。今二十六でしょ?」

「ええ、だからと言ってスペック高すぎる系は色々と疲れそうで大変そうじゃないですか。私には河村さんくらいの庶民レベルの人が合ってると思います」


 お酒の入ったきよみは、考えずにものを言うことが多い。

 今も先に口が滑ってしまい、言ってから「しまった」と内心きよみは焦った。

 河村は咎めるように目を細めた。


「うわぁ、ひどいな。俺は庶民レベル」

「あーいや、物のたとえですって。要するに質素って言いたかったんです」

「それもそれでどうなの」

「うへへ、いつもごちそうさまです」


 両手を合わせて深くお辞儀すると、河村は困ったようにため息を吐いた。

 ちょうどそこで店員さんがオーダーを取りに来たので、きよみは追加の飲み物を頼む。

 そうしてきよみが手元のおしぼりでアヒルを作ろうとしたとき、河村がぽつりと言った。


「――じゃあさ、付き合っちゃう?」

「え?」

「俺たち」


 きよみは弾けるように河村を見た。

 河村は口元に手を当て顔を半分隠しながら、じっと真っ直ぐにきよみを見つめていた。


 このときにはもう、きよみの頭から瀬田のことはすっかり抜け落ちていた。

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