止まない雨はないと言うけどね!!
“夏休みのバカンスは南の島へ”
テレビから流れた旅行会社の売り文句を耳にしたー古崎維ーは画面をみやって嘆息する。
「いいなぁ………夏休み………南の島でバカンスとか………」
弱冠17歳いう若さで暗殺組織の一支社のNo.2を務める少年は世間の夏休みな雰囲気を感じとる。年齢も性別もバラバラな中でも一番年若く、スーツ姿の事務職員が多い中てTシャツジーンズ姿の少年の発言に事務職員達は顔色を変えてざわめく。
「維さん、いきなりどうしたんですか!」
「維くん、疲れました?疲れましたよね!!今すぐ、お茶入れますね!」
「連続23回目の休みが潰れたの恨んでます?恨んでますよね。今すぐ、命を賭けてでも原因の命を必ずや差し出して見せますから見捨てないで下さい!」
ざわめく部下を前に維はいやいやと苦笑を向ける。
「そんなに慌てなくても本当に行ったりしないから大丈夫だよ。それに休みが潰れんのも、休みの日に携帯が鳴り止まないのもいまさらじゃん」
維は部下の杞憂をヒラヒラと手を振って振り払う。そんな態度にガタッと席を立って維を逃がすものかと捕獲体制に移行していた面々はホッと息を吐く。
「維くんがいなくなったら、どうしようかと思った………」
勤続八年目の三十路を視界にいれた女性が心底安心したと言わんばかりに机に突っ伏す。
「大げさだって。俺がいなくなっても誰も困んないよ~」
「何言ってるんですか!」
維の自虐的な発言に事務方の手当てを一手に担う四十代半ばの中間管理職は血走った目を向ける。
「維さんがいなかったら、この支社は半日たりとももちません!」
「え、またまた………うん………分かった………分かったからお願い。そんな目でみないで怖いから!突然、失踪なんてしないから!!」
「本当ですか?」
「本当に大丈夫だよ」
血走った目を向けて圧をかける事務責任者第三席に維は苦笑する。ちなみに第一席は所長で二席は自分だ。つい数ヵ月前まではこの支社も和気あいあいとしていた筈なのに血走った目をして自分を見るような状態まで追い込んでしまった事が申し訳ない。
ーそれもこれも………全て自分の血を分けた兄の責任であるー
事の発端は三ヶ月前の着任騒動。
「俺、本当ならまだ下っ端その一なのに」
その呟きに対する部下達の返答を聞けぬまま、維は三ヶ月前から続く着任騒動を思い出した。
「え?なんて?」
最初の第一報はカラオケの廊下から。携帯が震える事で着信を告げたのに気づいて相手を確認して………。普段は離れて生活する兄からの珍しい着信にバイト中なのを理解しつつも電話に出た。
『俺、今度相模の所長になるから』
その第一声があまりにも遠くて聞き直した声に返った言葉は突然の双子の兄の出世人事。
「………………………………………………」
思わず、その発言に大丈夫かな?と思ったのは兄の性格を悲しいかな………血を分けた弟の自分は知っていたから。
「とりあえず、おめでとう」
兄の出世をとりあえず祝うべく、祝いの言葉を述べてみて、大丈夫か………と一人ごちたのは………兄には自分の命よりも兄が第一な青年が付き従っているので大丈夫かと納得したのも遠い過去だ。
「古崎君、ちょっと!」
「あ、はーい!兄貴、バイト中だから切るね!」
『あ、維!』
兄が呼び止めるのも聞かずに電話を切った俺も悪いとは思う。でも、誰も兄貴が俺を呼び寄せるなんて思わないじゃない。兄貴一筋の腹心の側近もいたしさ………。
ーだって、俺。後方の裏方担当だったしー
カラオケ店でのバイトもとある事故を装った暗殺を手助けするための布石だったり。自分が出世コースの花形からほど遠い場所に居たことも分かってたしね。潜入のために染めた金髪ともそろそろお別れかな~ぐらいの気持ちでバイトを楽しんでいた俺にとって数日後にやって来た人事異動のお知らせは青天の霹靂だった。
「え?異動?」
カラオケ店の店長に退職を昨日告げたばかりの俺が呼び出されたのは所長室。
「相模支社の第二席をお前に命ずる」
「またまた、所長。冗談でも止めて下さい。第二席なんて下っ端の俺の胃に穴空いちゃいますよ」
ー第二席ー
この組織においては支社の責任者を所長。もしくは第一席と呼び、その補佐。ようは雑用係の事を第二席と呼ぶ。
自分の真面目な訴えに所長ははぁとため息を吐いた。
「俺だって、金の卵をとられるなんて予想してなかったよ」
所長の深いため息に人員不足の組織に置いて、他支社への引き抜きは補充分を保証されないため、非常に切ないんだろうなと考えていた俺はここでもまだ事態を甘くみていた。
ープレイヤー気質の我儘王子には所長なんて無理なんだー
という事実を。
ーその事実を痛感したのはちょうど三ヶ月前ー
「なんで、こんな事も出来ないんだよ!」
花形の第一線を走ってきた相手にとっては簡単なお仕事でも、一般暗殺者にはと~っても難しいお仕事だったりする。
「館坂は今、捜索中です!所長、どうしたら!」
慌てた表情でなかに入って来た青年の報告に我が半身がいきり立っているのがわかる。
「そんなの自分で考えろ!」
涙目の部下がその判断に青ざめるのを腹心その一が追い討ちをかける。
「そうですね。そんな簡単な事も自分で判断出来ないんですか?」
本来なら、年上の人間としてたしなめるべき人間の発言に目眩を維は覚えながらも着任3回目の騒動に諦めをもって重い腰をあげる。
「兄貴、第二席の俺主導でやっていい?」
責任者の仕事なんてあんまり知らずにその座についたであろう兄に維ははいと手を上げる。その突っ込みに馬鹿にしたように見せた金魚のふ………違った兄一筋の側近を無視して問いかけると仕事の重責に押し潰されつつあった兄から言葉が返る。
「好きにしろよ」
「了解~。んじゃ、下っ端君。俺じゃ微力かもしれないけど、とりあえずお仕事片付けよう」
「ええ!」
「さぁさぁ」
自分よりも遥かに年下の俺に下っ端呼ばわりされた事に驚いた青年の背中をポムポムと叩いて、俺は抱えていた書類一式を片手に部屋の外に出る。そこでは色んな意味で青ざめた面々が固唾を飲んで立ち尽くしていた。そこに現れたのが下っ端その一ぐらいの俺だった事にメンバーが驚いた顔をしたけど、そこはあえて無視する。
「とりあえず、状況教えて~」
俺の若干、間の抜けた声に他の面々が虚を突かれたかのような表情で固まる横をすり抜けて近くの机に本日締切の責任者交代時の本部提出書類を置く。その姿を見守る面々を見回し、ニコリと笑う。
「大変でしょ?さ、片付けるよ~。状況を教えて」
責任者はいつ何時でも余裕のある態度と思いながら微笑むとぎこちないながらに何人かが近づいてくる。
ーもちろん、いまさら!なんだ!ー
という声も聞こえるけどもそれは後回し。
「ここの情報班の責任者は?」
「私です!」
「逃走経路の確保は?」
「あ、今館坂がてんぱってるみたいで逃げ回ってるんで狂ってます」
「警察関係者への根回し………連絡班の責任者は?」
「俺です!連絡したら、いいっすか!」
「うん。ごちゃごちゃ言うようなら、三本積んで」
「はい!」
指示を出すと固いながらも全員が自分の仕事を思い出したかのように動き出す。そんな同僚の姿をポカーンと見守る下っ端君の背中を維はドスっと叩く。
「ボサッとしない。下っ端くんも館坂探して来い!」
「はい!!」
元気よく駆け出していく青年を尻目に維は誰の席かもしれない机を引いて座ると立ち尽くしていた事務職員にニコリと微笑む。
「さて、ここからが事務職員の方々の腕の見せ所です。本部にこの失態がばれないように隠すよー」
我ながらこんな一言を発する日が来るなんて思っていなかった………三ヶ月前の騒動。
ーそしてー
今に至っているのだが………。
「ん~、しんどい。カラダガバッキバッキダヨ」
誰もいない深夜の事務室で残業に励んでいるのだが、連日続く激務にいくら若くても体がついていかない。朝から晩まで先発完投。天井を仰いで外国語風に呟いた所で第二席のお仕事は終わらない。
ーあれ以来、兄もちょっとずつだが歩みよりを見せてはいるがやっぱり若葉マークは健在でー
おかしいなとは思いつつ、あの一件から困った時の窓口として俺が固定されてしまった。第三席と連絡をとるために教えた携帯番号がなぜか事務職員全員の知る所となり、携帯電話はどこにいても鳴り響く。この前なんか、怪我の治療に先生の所に行ったら「どこに居るんですか!維さん!」って半泣きの電話。通信アプリのグループを作られ、なぜかグループ名が“維の会” 今も兄のサインが必要な書類も判子が一緒なため、普通になぜか所長の仕事がさも当然で混ざっている。みんな自分を買い被り過ぎる。それでもやらなくちゃなんともならないのが悲しい。
「あれ?維さん、まだ居たんですか?」
「あ、紺野さん。お疲れ様です」
急ぎの書類を携えて姿を表した第四席が定位置に座る俺を見つけて驚いている。今では認めてもらったのか暗殺者を差し向けられる事も減ったから、この部屋が血塗れになる事もなくなった。意外に頑張ったな~、俺と一人ごちた俺の前にやってきた二十代半ばの紺野仁貴は眉根を吊り上げている。
「今日も休まなかったんですか?」
「ん~、朝は家に居たよ」
「そんな真っ白な顔色をして、平気な訳ないでしょう」
「あ、分かる?」
「とりあえず、温かい紅茶でも入れますから休憩して下さい」
「ありがとう」
「確か、友坂が冷蔵庫にプリンを隠してたんで、とってきます」
ため息混じりで世話を焼いてくれる彼はなぜか自分を人間扱いしてくれる。それが嬉しくてこそばゆい。
「なんだろ~。紺野さんは優しいね」
机にベターと突っ伏しながら給湯室に消えた紺野に声をかけるとプリンとコップを両手に戻ってきた相手が呆れたように肩を竦める。
「人間扱いされたぐらいで、嬉しがらないで下さい」
「なに言ってんの………時たまされる人間扱いがどれだけ嬉しいか………」
維は温い紅茶をこくりと飲んで遠い目をする。ブラック企業万歳だ。そんな自分の台詞に紺野が顔を歪める。
「止めて下さい。なんか我々が維さんを酷使してる事実が痛いです」
「そんな事ないよ」
本当は限界ギリギリなのにニコリと笑う自分が辛い。
ーだって、自分がやらないと誰も代わってくれないー
その笑みに込めた意味を理解した紺野さんが顔を歪める。
「すいません」
「あはは、なんとかなるよ。事実、なんとかなってるじゃん」
「なんとかしてるの間違いでしょう」
第四席の彼と仕事を共にする事が多いせいか、彼は俺の事をそうやって甘やかす。時々は誰かに誉めて欲しいと思う俺をよく分かってくれる。
「紺野、大好き~」
「ありがとうございます。維さん、俺が後はちょっと整理するんでそれを飲んだらソファーで休んで下さい」
「ありがとう~」
有り難く、部下の気遣いを受け入れてちょっぴりの甘さに浸る。これがあるから頑張れる。
………と思ってた時期が俺にもありました。
「いい加減にしろよ!糞兄貴!」
いくら上司と言えども、あまりのふざけた発言に維は捨て台詞を吐いて所長室を後にする。ふーふーと毛の逆立った猫のように怒りに燃えつつも、席に戻ればぶすっとしつつもお仕事を片付ける。
「維さん………大丈夫ですか………」
珍しく怒りに満ちた表情でむっつりと持っていた書類を前に心配気な部下に微笑む。
「大丈夫。ちょっと出来ないっていう発言に死ねばいいのにと思っただけ」
「維さん!」
「大丈夫。ちょっとすれば………うふ、理不尽はーとぐらいで落ち着くから」
一支社の第二席のお仕事は色々ある。………本当に色々ね。上から降りてきた予算を修正して提出。つーか、予算修正以前の前になんなの!前年比、105%とか!ここはスーパ?スーパなの?理不尽に駆け巡る思いに痛むこめかみを揉んで、落ち着くと目の前の電話を手に取る。上司は理不尽。そんなもの世の中の全ての大人が知っている。短縮番号を押して、予算に物申してやると意気込んでいたのに。
「どいつもこいつも休みやがって!」
鳴り響くコール音に誰も取らない!とカレンダーをみやって“祝日”の文字に舌打ちする。24時間、365日営業している組織なのになんで本部はカレンダー通りに休むの!と言いたくなる。ま、本当に緊急で必要な部署は動いてるけど………けどね!
「ねぇ、何なの!予算比、前年105%とか!俺に枕営業して予算に見合うだけのお仕事準備しろっていう神からの試練なの!!それとも嫌がらせ!!」
電話を切って、イライラとパソコンを叩いて仕事を片付けながらも名刺のたんまり入った“ツテ”を取り出すも………。
「ちょっと………元上司に相談しよ………」
誰に予算が足りないんで、仕事下さいって言うんだよ!と気づいてツテを仕舞う。本当に第二席って難しいお仕事!とか思いながら自前の携帯電話を取り出して元上司にすがり付く。
「すいません、どうしたらお仕事って捻り出せます?」
ーちょっぴり俺も限界かもしれませんー
元上司の声を聞きながら維はそう痛感した。
ー止まない雨はないー
と言うけれど………。
土砂降りの雨のなかで乾いた場所なんてないぐらいに打ち付けられる雨の中。呼吸も出来ないぐらいにしんどくても誰も助けてはくれないものだ。
「ねぇ、紺野………」
「何ですか?」
本日締切の書類を片付けるべく、俺の隣で仕事に励む二十代半ばの青年が俺の言葉に応えてくれる。
「疲れた………」
「………………………………………」
漏らした弱音に返る無言にへにゃりと笑う。
「死にたい………」
安易な励ましよりも痛ましい顔をする紺野の表情の方がよっぽど雄弁に励ましてくれる。
「土砂降りだわ………俺」
もはや濡れ鼠になって、さしていた傘も身に付けていたカッパも役に立たないぐらいにずぶ濡れで立ち尽くしてどれぐらいになるだろう。
「何、紺野………頑張れって言ってくれないの?」
冗談めかして問いかけると息を詰めていた紺野がため息混じりに俺をみやる。
「自分が土砂降りの雨の中で苦しい癖に。普段は大丈夫って言う人間に更に頑張れなんてどんな拷問ですか」
「………………………………………」
その言葉に喉の奥が震えるも泣けるような人生は歩んでいない。
ーでもー
「ありがと………」
「思うんですよ。いつも止まない雨はないっていう言葉が俺は嫌いです。止まない雨ない?そんなの分かってるよ。土砂降りの雨の中にいる俺には今、打ち付ける雨がしんどいのにって思うじゃないですか。むしろ、この雨がいつ止むかを教えて欲しいのに」
まだ二十代半ばの紺野の浮かべる表情で心の中に降る土砂降りの雨で溺れた事があるのだと言う事を教えてくれる。
「お前もあるの?」
「ありますよ。何回も溺れてます」
しれっとした表情の紺野に維はくしゃりと笑う。
「そっか………」
それだけでなんとか生きるか………と思える。
「………とりあえず、止まない雨はないって言えるやつは溺れるぐらいの豪雨を知らないんだと俺は思ってます」
「あはは、確かに!」
紺野の真面目腐った表情に維はくくっと笑ってしまう。
「溺藁とか何って思うしね!」
「本当に」
掴んだ救いに絶望する事もあるが………少なくとも………。
「もう俺、紺野の前では頑張らない~」
「お好きにどうぞ」
「うん、そうするわ」
しれっとした表情を崩さない紺野を前に維はにかっと笑った。
ーそして………ー
「あの時、私は確かに見たんです!維君の背後に後光が射す所を………」
「維さんは神です!」
「俺、一生ついていきます!」
事務職員の自分に対する誤った認識が増えた事件についてはまた後日………。
ーでも………ー
「俺の背後に後光が射すって………俺のスペックなんなの!」
事務職員の据わった目に今日も第二席。
ー暗殺組織のNo.2は今日もなんとか生きてますー
自分の中の最大の事件は全て仕事がらみなんて、どれだけ寂しいんだ!と思います。
お盆前の最後の休み。一生に一度でいいから「お盆休み」って言ってみたいな………
少しでも皆さんに笑っていただけたら嬉しいです