プロローグ
◆?
独り、暗く薄汚れた路地裏を歩く。
もうすぐ夜明けの時刻だが、空はまだ陽を受け入れず辺りは暗い。
正体不明のゴミ。
ぶちまけられたなにかの液体。
足の無い犬の死体。
襤褸を被って動かない人間。
世界中の汚いものを集めて積んだようなこんな路地裏が、世界中どこの町にもあるのだと、師匠は言っていた。
酷い臭いだ。
夜目は利くので、汚いモノを避けて奥へと進む。
そう、世界は汚い。
キレイなモノは何一つとしてない。
だから何一つとして儘ならない。
(いや・・・ある・・あった)
大切なモノ。
大切なヒト。
優しかった母さん。
ダリア姉さんやメトラ姉さんベレーズおばさん・・・ショウカンの気のいい姉さん達。
偏屈で無愛想だけど頼りになった師匠。
でももう居ない。
こんな世界にもう用なんてないけど。
母さんが言った。
「あなたはここから出ていきなさい。大丈夫、あなたならきっと自分の居場所を見つけられる。私の大切な―――。
絶対、絶対、生きて、幸せになって・・」
そう言い残して、母さんは死んでしまった。
皆と一緒に。
あの暖かい手は、もう二度と私を撫でない。
「自由に生きな。もうオメェを縛るモノなんかありゃしねぇ。好きな所へ行って好きなオトコの子でも産んで生きて行けばいい」
そう言った師匠も死んだ。
最後に振り返った時、師匠の背中から剣が生えていた。
年寄りの冷や水だから一緒に逃げようって言ったのに。
「うっ・・ふっぐっ・・・」
乱暴に上着の袖で涙をぬぐう。
何が好きなオトコだ。
男はキライだ。
汚い。
人の姿をした獣にしか見えない。
母さんは「そんな人ばかりじゃないよ。少なくともお父さんは違うよ?」って言ったけど信じられない。
・・・本当だろうか?
ならなぜ母さんを助けにこない?
男なんて皆・・
(・・・・)
・・・二年くらい前だろうか、妙な男の子に会った事があった。
あたしと同じ年くらいなのだけど、妙に大人びた雰囲気をした子。
旅人だと言っていた。所用で2週間くらいこの町に滞在することになったらしく、この広い町の中で何故かあたし達はよく会うことが多くて、よく話すようになって、3人で一緒に遊んだりした。
あたしが町を案内なんかしたりして・・
一緒にご飯食べたりなんかして・・
聖霊祭なんかも一緒に回って・・
なぜか、
なぜか、
あたしはとてもそれが楽しかった。
あの子と会えることが嬉しかった。
あの日々は二年たった今でも、色褪せず心の底にある。
・・・あの子も・・あの男たちと同じなんだろうか・・・
大人になれば、そういう風になってしまうんだろうか・・・
何故か胸がぎゅっと痛くなる。
なんでだろう。
そっと胸を押さえる。
胸元に下げられた石が熱くなった気がしたから。
陽の届かない路地の終わりが見える。
考えることをやめ、一心に路地の先を目指す。師匠に教わった様に細心の注意を払って進む。『おめぇは野良猫より野良猫らしいな』と師匠はからかったが、気配を読むのは得意だ。
・・・だから、この先に“居る”のがわかる。
路地裏を抜けると、雑多な建物と建物の隙間・・薄暗い世界の中に唐突に現れた空白のような場所に出た。
いつか来た思い出の場所。
「やあ」
思い出の中心から声がした。
◆?
「・・あたしを・・殺しに来たの?」
彼女は・・猫のような大きな目を爛爛と輝かせて言った。
こんな路地裏には不釣り合いな真っ直ぐな瞳だ。
「・・・違う」
そんなわけない。
「母さんを殺したみたいに」
「違う」
「師匠を殺したみたいに」
「違う!」
違うんだ。
ボクは・・・
「知ってる。でもあんたは・・・」
彼女はそのまま黙り込んでしまった。
ボクもかける言葉が見つからない。
彼女にとっては、彼らもボクも同じようなモノだろう。
(なぜ彼女が。なぜ彼女が)
そればかり考えていた。
出来る事なら助けたい。
でも。
でも。
ボクが居た世界は白くて綺麗な世界だった。
世界中の清浄なモノを紡いで編み上げたような世界。
清らかな言葉を重んじ、
愚直に祈りを捧げ、
聖なる鎖で雁字搦めに縛りあげた世界。
「なぜ彼女を?」と問うた答えはこうだ。
「聖意である」
馬鹿な。
そんな答えがあるか。
しかし、疑った瞬間にボクは聖なる火に焼かれる。
もう何もできない灰になる。
彼女を殺したくない。
いや、殺させはしない。
何もない真っ白いボクに色を落してくれた初めてのトモダチ。
二人に出会って、二人に手を引かれ、ボクの世界にはじめて色がついた。
ボクが白でなくなった。
(彼なら・・どうするんだろう?)
あの日、彼女と共にボクの手を引いてくれた彼なら。
彼なら、
彼女を助けてくれるだろうか。
不甲斐無いボクを叱ってくれるだろうか。
(きっと、助けてくれる)
あれ以来会ってはいないけど、なんとなくそう思う。
でも彼はここにはいない。
ボクしか。
ボクが、やるしかない。
「・・・ラインレッドに行って」
「え?」
「アルザント王国のラインレッド。彼はそこの人間だ」
「・・・でも」
彼女の心にも彼はまだいる。
ボクの中にもいるのだから。
「彼ならきっと、力になってくれる」
「で、でも・・」
「大丈夫だよ。だって約束したもの」
なんとも心許ない、子供の約束だけどね。
「・・・2年も前の・・約束じゃない」
「それでもきっと」
彼は。
「・・・・あんたは・・?」
「ボクには・・まだ、やることがある」
必ず追手がかかる。わずかでも時間を作らないと彼らから逃げ切ることなど出来ない。
「あんたが危ないじゃないっ!」
「こう見えても演技は得意なんだ。君よりは安全だよ」
手持ちの銀貨をすべて彼女に渡す。
彼女の迷いは解る。
立場が反対なら、ボクだって迷うし素直に言うことなど聞けない。
「・・・・一緒に戦えば・・っ!」
「確かに君は強い。ボクも強い。でも二人は二人だ。同じくらい強い彼らには勝てないよ。判ってるよね?」
「・・・」
理解している、だからこそ反論できない。
そっと彼女を抱きしめる。
「時間は稼ぐ。君は・・ウィカは・・見つからないように早く彼の元に行って」
遠い他国ならここよりもまだ安全だろう。
彼ならきっと上手く匿ってくれる。
「・・・ディーも一緒に行こう?」
「・・・そうだね、全部終わらせることが出来たら・・ボクもアトルの所に行こうかな・・・」
・・・なぜだろう?
2週間ほど一緒に過ごしただけの男の子なのに。
こんなにも信じてるなんて。
「・・・絶対だよ。・・・ホントに・・ホントに大丈夫なんだよね?ディー・・」
彼女が強く抱きしめ返してくれた。
泣き虫だけど気丈な子が、震えている。
「大丈夫。大丈夫だよ」
いつかの抜け道を辿り、ウィカは旅立っていった。
ボクは何回もこちらを振り返りながら遠ざかっていくウィカを外周壁の上からずっと見ていた。
夜が明ける。
(・・このボクが、神様よりも信じてるなんてね)
目立たぬように首に下げられた青い石のネックレスを取り出して眺めた。
朝日を受けて輝いている。
あの時からちっとも色褪せてはいない。
(ふふ。これじゃあホントに、背信者じゃないか)
◆
「きっといつか・・・また三人で会おう」と俺が言うと、
「・・・うん」
ウィカが肯いて、
「うん」
ディーも肯いた。
ウィカがいて、
ディーがいて、
俺がいて。
( ・・・ああ、これは、夢か )
また、会いたいなぁ。