君だけの為に祈るよ
それから、二日と21時間経過した。
期限まであと3時間ほどだ。
45人の人々が自分の行く道を選び取った。
今回の移民は21人。通例に比べて、かなり多い移民希望者となった。
残りは一人。
残るは一人。
その一人は・・・局舎屋上の空中庭園のベンチに座って景色を見ていた。
随分楽しそうに。
決めかねているのかい?
解っているけど、聞いてみた。
「え?あ、ええと、どなたですかっていうか、なんでクマがここに?」
クマ。
ふむ。私がクマに見えるのはね、私に対する君のイメージがクマだからさ。
「クマが喋ってる・・・」
人によって見え方が違うんだよ。老人に見える人もいれば、光に見える人もいる。
今は2メートル超えのクマだね。
「・・・じゃあ、あなたは・・あなたが・・・・」
「神様ですか?」
そうだよ。
―――
「とても綺麗ですよね」
そうだね。
少年とベンチに並んで座っている。
クマの体にはベンチはやや小さいようで随分はみ出している。
雲は遥か下に疎らで、地平線が輝いて見える。
見渡す空はとても高く遠く、青く赤かった。
「神様は・・僕の事を知ってるんですか?」
うん。知ってるよ。
「そうですか」
風の音だけが聞こえる。
「この世界は、とても綺麗ですね」
そうだね。
「僕は・・ずっとここに来ることが怖かった」
そうだったね。
「でも、早くここに来ることを、願ってもいたんです」
そうだったね。
「なんでも知ってるんですね」
神様だからね。
「じゃあ、僕が悪い人間だったことも知ってるんですね」
悪かったの?
「怒って、恨んで、羨んで、妬んで・・・僕は醜い人間だった」
それは醜い事?
「僕は・・僕が嫌いだった、です」
そうだったね。
「ずっと、神様を恨んでたんですよ?悪口も言ってました」
聞いてたよ。
「ごめんなさい」
いいよ。
「ありがとう」
どういたしまして。
「今は感謝してるんです」
どうして?
「死んじゃったけど、ここに来れて良かった」
良かったの?
「痛くない。苦しくない」
そうだね。
「自分の足で歩けるんです。走れるんです。食べ物が美味しいんです。空気が美味しいんです。この建物の周りも散歩しました。遊戯室で同じ年くらいの子たちとサッカーも出来ました。力いっぱい動けたんです」
そうだね。
「こんなに楽しいの、初めてなんです」
そうだね。楽しそうだったね。あの世ライフを満喫してたね。
「今度行く世界は魔法が使えるって言ってました」
うん。魔法、使えるよ。
「すっごい、楽しみなんです。魔法で空を飛んでみたい」
うん。空を飛ぶ魔法、あるよ。
「本当ですかっ!?やったぁ!」
随分嬉しそうだ。
今、君を連れて空を飛んであげようか?
「・・・。ううん。いいです。僕は、自分の力で飛んでみたい」
そうだね。
「向こうに行ったら、いろんな動物を飼ってみたいな」
動物?
「かわいい動物。毛むくじゃらの」
今までは触る事さえできなかったもんね。
「うん」
きっと飼えるよ。
「子熊飼えるかなぁ」
大きいクマはだめなのかい?
「ちょっと怖いよ」
むう。
残念。
少年は、笑った。
「どうして・・僕が、僕たちが選ばれたんですか?」
新しい世界への移民はね、
もちろん適性の有無もあるんだけど、
一番の条件はね、今の世界で幸福を感じなかった魂であることなんだ。
「その方が未練が無いから?」
そうだよ。
「なるほど」
もう一つ、大事な条件がある。
「なんですか?」
それでも、幸せを求める魂である事だよ。
「なるほど」
少年は、笑った。
どれくらいこうしていただろうか。
もうすぐ時間だね。
「はい」
行くんだね。
「はい」
願い事は決まったかい?
「ええ、考えたんですけど・・・」
決まらなかった?
「・・・僕は、今まで自分の力で何かをしたことがないんです」
そうなのかい?
「はい。全部、誰かの、お医者さんや看護師さんに手伝ってもらって生きてました。生きているためのお金だって、あんなにイヤだった父さんや母さんの世話になっていました」
そうだね。
「だから、だから、僕は、自分の力だけで生きてみたいんです」
とても危険な世界だよ。
「聞きました」
今よりも早く死んでしまうかもしれない。
「そうかもしれません」
それでも?
「はい」
少年はまっすぐ、こっちを見つめた。
「今度こそ、精いっぱい生きて、死んでみます」
うん。
それがいい。
「神様、ひとつお願いがあるんですが・・」
黙って手を広げる。
どうぞ。
「・・・へへへ」
少年は、おずおずと抱き着いてきた。
とても細くて。
とても弱弱しくて。
とても小さい。
それが彼。
生まれてきてから、ずっと闘ってきた少年。
「意外と、ごわごわしてるんですね」
そうかい?ごめんよ。
「えへへ」
少年は笑った。
雲が流れて日が沈む。
少年はごわごわの毛に顔をうずめている。
もう暗くて、少年の顔があまり見えない。
「・・・神ざま・・あのひから、ぼぐ、がんばっだよ」
うん。
見てたよ。
君があの日、たまたま居たお社に来た時から。
「どぎどぎ、わるぐちいっでごめんね」
うん。
言ってくれてもいいんだよ。
言ってくれた方がいいんだよ。
「またいぎられる、ぢゃんずくれて、ありがどう」
うん。
うん。
「ごんどは、どもだちいっばいできるがな」
うん。
いっぱいできるよ。
きっと楽しいよ。
「ごんどは、ぜいいっばい、いぎてみぜるよ」
見守ることも。
手助けすることも出来ないけど。
「・・るーるだもんね」
うん。
ルールなんだよ。
君を助けられないよ。
「・・・ほんどは・・もっと・・いぎだがっだっ・・・」
うん。
「・・・もっとっ・・・みんなとっ・・・」
うん。
「ごんどごそ、ごんどごぞっ、ぜいいっぱいっ・・・」
君なら出来るよ。
きっと。
君なら。
「がみざま・・・・ありがとう」
元気でね。
少年は、顔を上げ、
笑った。