結界
―――フェルニ・ノーノスノート
クモが一斉にこっちに向かってきた。
あまりの光景に、認めたくはないが・・・少し身が竦んだ。
しかし、あの少年についていく以上、予想はしていたことだ。
いくら強くとも、この場には少年もいる。
先ほど現れたエルフィム達の中にも、まだ年端もいってないだろう娘もいる。
私は騎士!
退けぬ!
退かぬ!
守らねばならん!
卑劣なる“クモの主”も許しては置けぬ!
(ここで退いては、もはや騎士などと名乗れぬのだっ!)
この程度の事で、我が魂は屈せぬのだっ!
万のクモが満ちようとも、すべてこの手で切り払ってくれるっ!
私は体中の【巡る力】を引き絞り、体の隅々にまで巡らせ、剣を引き抜いた。
クモに向かって駆けだそうとしたその時、
「ギオニスッ!!」
足取り軽く前に出た少年が叫んだ。
「はいよっ!」
(・・・なんだ?)
ギオニスが即座に、それはもう嬉しそうに返事をする。
腰に下げていた折り畳み式マジックワンドを手に取り、振って伸ばすと地面に突き刺した。易々と。
「【朽ちた軛を砕きて従え 万象支配の楔を我が手に 打ちて世界を分かたわん】」
ギオニスを中心に周囲の魔力が収束していく。それほど魔術に明るくない私でも解るほどに。それも・・・魔力光で淡く光る両手の人差し指で、空中に何かを書いている。詠唱しながら。
(・・・なんだこれは)
こんな魔術、聞いたことがない。
「以下省略っ!【罅割れた世界】ッ!」
なんという横着な【力ある言葉】。しかし、魔術は発動される。
【罅割れた世界】世界系上級結界。指示した特定の物理法則を歪ませる結界。単純防御結界ではなく、術士の発想と技量によって変化する変則結界の一種。
不思議な光景だった。
半径10メール程だろうか、私たちを取り囲むように網のような・・・違うな、その名の通り、周囲の空間に随分大まかな、不規則なヒビがはしった。
内側から見ると、割れたガラスを通してみたように、周囲がずれて見える。
ヒビが覆ったと同時に、クモが殺到してくる。クモが群がる様はなんとも気味の悪い光景だった。
・・・が、その後の光景はもっと気味の悪い光景だった。
「【罅割れろ】!」
ギオニスが叫ぶと同時に、ヒビからさらに外側へヒビが走る。
クモを巻き込んで。
クモの体にもヒビが入って・・・バラバラになった。
クモは原型が良く分からない、ぐずぐずのナニカ、になって地面に積もった。
「【罅割れろ】!」
「さらに【罅割れろ】!」
「もっと【罅割れろ】!」
「じゃんじゃん【罅割れろ】!」
「もひとつおまけに【罅割れろ】!」
もう何が何だか。
エルフィムの5人が、何とも言いようのない奇妙な顔をしながら固まっている。
今、私も似たような顔をしているのだろうか?
傭兵連中は・・・
「おおっすげぇ、ギオニス腕上げたなぁ!」
「前は2連までだったのになっ!やるなぁっ!!ガッハッハッ」
「母さん、あんたはやれる子だって信じてたよ・・・」
何故か少年が妙なことを言いながら目元を拭っていた。
時間にしては2・3分も経ってないのかもしれない。
唐突にギオニスが「尽きたっ!あとは維持だけっ!よろしくっ!」と叫ぶと、周囲を覆っていたヒビが、ヒビ割れた時とは逆に、巻き戻されるように周辺から消え去った。
「【省略】!【閉じた世界】!」 と叫ぶと、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。
・・・。
つい、倒れるギオニスを支えてしまった。反射的に。背中のクマちゃんが下敷きになってしまう。
汗だくのギオニスが私を見上げると、ちょっと崩れた爽やかな笑顔と共に、右手の親指を立てて突き出してきた。
どういう意味かは分からないが・・・
(これが、王属特務に推薦される者の技量なのか・・・)
結界が解除され視界が開けた周辺を見ると、夥しい・・・本当に夥しい数の、なにかグズグズとしたものが一面に散らばっていた。見渡せる範囲すべてに。
しかも森の木々には一切影響が及んでいない。変な液体になったのはクモだけらしい。
(しかしこれは・・・この森、大丈夫なのか?)
生臭い紫のグズグズが森一面にぶちまけられている。
なんか非常に体に悪そうだ。
森にも悪いんじゃないだろうか。
今この状態でそんなことを考えている自分もどうかと思うが・・・
(なにか・・・)
この奮い立たせた騎士魂と抜いた剣は、何にぶつければいいのだろう。
(なにか釈然としない・・・)
―――
「随分減ったなぁ」
半分ぐらいいったんじゃないか?大したもんだ。
「ギオニス、ずいぶん成長したなぁ」
地面でぐったりしているギオニスを見る。
女騎士殿は倒れるギオニスからクーを救い出してくれている。
しかしクーが女騎士殿にじゃれつこうとじたばたする背嚢を、どうしていいのか分からずおろおろしている。可愛いとこもあるじゃないか。
「しかし、張り切りすぎて気絶してますよ・・・」
「若にイイトコ見せたかったんですよっ!ガッハッハッ」
細部は良く分からんが、随分高度な魔術を使ったんだろう。それでも結界張りなおしてから気絶するあたりなんとも律儀だな。今度なんか奢ってやるか。
「そこのメルリリちゃん」
メルリリちゃんに話しかけてみた。
俺の中で何故か彼女はちゃん付けになっているので、ついそう呼んでしまった。
「・・・・ちゃ・・・ちゃん?」
急に馴れ馴れしく話しかけられて驚かせてしまったかな。まあいいや。
「今、どこにどんなクモがいるか、精霊さんに聞いてもらえるかな?」
わくわく。
「え・・あ・・」
今一つ頭が働いていないのか、しばらく視線をさまよわせた後、ウィズを見る。
ウィズが肯くのを見ると、囁くように【精霊の声】を発した。よく聞こえない。
「・・・・え、そんな・・・。あ、あの、千二百・・三十八匹って・・・」
おお、半分以上いったな。
「他とは違う個体や強い個体とかは分かる?」
「・・・・。え・・っと、ここから50メール先・・ここを囲むように北西、南東、北東に一体づついる」
「アラヴァは?」
「・・・わからない」
「分からない?」
「精霊は『わからない』と言ってる」
「居ない、じゃなくて、わからない?」
「・・・。【神獣】は特別。精霊は【神獣】に不可侵・不干渉の態度を取る。姿を見かけても誰かに告げることをしない・・」
精霊さんの業界もいろいろあるんだなぁ。
「へぇ。そんなことがあるんだ。じゃあ、どうやってここまでクーを追ってきたの?」
「クー・・・。ウルスの所在を直に精霊には聞けないから、足跡などの痕跡を追ってきり、ウルスが食べたであろう食べ残しやフンなどを頼りに・・」
意外に地道に来たんだなぁ。
「じゃあ、今この近くにアラヴァがいても、わからないと?」
「ええ」
ふむ。
じゃあ、アレが。
(アラヴァなのかな?)
少し離れた木と木の間。
そこに、白い蜘蛛が一匹いた。