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ある哀しみの価値の残響

作者: 語奇メルク

 雨が強く身を濡らす。自虐し乾いた笑みを零すが、天の雨は何も潤いを与えはしなかった。

 墓地に立ち尽くす。

 今日で二年目になる。あの災害から二年たった。沢山の死が溢れ、多くのものを喪った。

 街はある程度もとに戻ってきたが、もどらないものも沢山ある。むしろ、何もかも無くしてしまった。

 まだ私は、災害から抜け出せていないようだ。

「もう帰ろう……」

 そう呟き、振り返る。するとそこには、信じられないものがいた。

 獣のような息遣い、影のような存在感の無さ、死のような重い姿。それは……。

『もうお帰りになるのですか?』

 まるで、紳士のように悪魔は嗤った。

『もう少し、わたしとお話しませんか? なに、タダでとは言いませんよ』

 足が動かない。目をそらせない。ついに自分が狂ってしまったのかと疑うほど、悪魔の存在を理解できてしまう。そこにいるのだ。

 何を話すのか? タダでとは? 私の魂でも奪うのだろうさ?

 悪魔は音を出さずに大きく嗤う。心底愉快と言わんばかりに。

『貴方の魂などいりませんよ。わたしの好みはもっと貴いものです』

 悪魔は心が読めるのか。言って一息吸い、悪魔は続ける。

『わたし達は人間の味方です。いつの世も手を貸してきたでしょう? いつの夜も貴方達に囁き、幸福へと誘ってきたでしょう?』

 悪魔は嗤う。よくわらう悪魔だ。だが、言っている事が間違いだとは思えない。

「なら、私に何のようです?」

 本当は分かっている。悪魔の言葉が真実なら、やって来た理由は一つきりだ。

『貴方を救いにきました』

 やはり、か。心が読めるは悪魔は嗤う。

「具体的には、どう救ってくださるのですか?」

『災害を無かったことにします。無くなったものを全てお返ししましょう』

 脳にフラッシュを焚かれたように視界が明滅する。今、悪魔はなんと言ったのか。なんと宣ったのか。

「本当にできるのか?」

『嘘は申しません。全て、元通りです。災害は起きず、召された魂、彷徨う魂は全て』

 可能なのだろうか、本当に。

「神は、お許しになるのですか?」

 これは重要なことだ。悪魔の独断で死んだ人間を蘇らせ、起きた事を無かった事にするなど許されるはずが無い。

『神は貴方に慈悲をお示しになりました。ちゃんと、御約束は頂いております』

 それが真実なら……。それが……。

『さあ、どうしますか? 貴方が一言、わたしに囁くだけで、全て元通りです』

 私は……。

 今まで、沢山の死を見てしまった。今まで、多くのものを喪った。二年もの月日を過ごしてしまった。

 妻は、子は、名も知らない被災者達は、私と同じように望むだろうか。

 一目でも会いたいと、何度も願ってきた。生き返ってくれるのなら、自らを捧げると何度祈っただろう。

『もう祈る必要はありません。その両手は祈りを請うのではなく、愛する者を抱きしめる為に遣いなさい』

 悪魔が囁く。そうする事ができたのなら、どれだけ――

 頬を伝う。降り続ける雨ではないものが、一筋流れ落ちる。

「――できない」

『なぜ』

 沢山の祈りを捧げた。多くの夜を過ごした。多くの人が、沢山の哀しみを過ごしてきた。祈りを捧げてきた。

 私もそうだ。願ってきたのだ。一目でも会いたいと、刹那にも満たなくても構わないから、もう一度抱きしめたいと。

「……そんなことを、願えないっ……」

『なぜ』

 妻は、子は、多くの被災者達は、死んだのだ。もう戻りはしないのだ。帰ってはこないのだ。

『戻ってくるのです。貴方が一言、わたしに言葉にするだけで全て元に戻るのですよ?』

 そんな、悪魔如きに……願って元に戻るほど、安くないのだ。

『どういうことです』

 価値があるのだ。もう戻りはしないものには、引き換えならないほどの価値があったのだ。

 妻も、子も、沢山の哀しみも、そんな事で戻るほどの価値ではないのだ。

『戻ります。貴方が囁くだけでいいのです』

 私一人の勝手な願いで、戻って来てはいけないのだ。

「だからっ……そんな願いは、ありません」

 悪魔から表情が消える。冷たい、こんな雨など何とも思えないほどに、冷たい表情になる。

『そうですか』

「私は、願いません」

 今ここで何が起きようとも、自己満足だと嘲られようとも、嬲られようとも、何を言われ何をされようとも。

 私は哀しみの価値を忘れたくは無い。

『……そうか』

 それだけ言って、元から何も無かったかのように、悪魔は消えてしまっていた。

 墓地に一人残された私を打つ雨は、いつの間にか止んでいた。

御精読有難うございます

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