弁護士と被告
俺は弁護士だ。
司法試験に受かるまで五年かかった。三年目を過ぎたあたり、俺はこのままだとやばいんじゃないか、一生司法浪人で終わるんじゃないかと不安になって、怯える日々を過ごしたりもした。だけど、やっぱり努力は裏切らなかった。俺は弁護士になれた。それからは格安で依頼を受けてガムシャラに働いた。弁護士会への会費を払うのも大変で、依頼の来ないときは生活もギリギリの自営業。何億も稼ぐ弁護士が正直うらやましい。それでも、憧れだった仕事を今ではこなしている自分は幸せだと思う。
でも現実は甘くない。刑事事件を主に扱っているけど、ゲームのような逆転裁判は全然起こらないし起こせない。裁判になれば日本の有罪率は99%になる。それに思うこともあるが、俺にできることは不起訴に持っていくかせいぜい情状酌量などで量刑を軽くすることくらいだ。被告のために努力はした。犯罪者だとしても弁護を受ける権利はある。俺は胡散臭くとも人権派でいたい。
今日はある人に会う。俺はその人に謝らなければならない。
待ち合わせの場所に、その人はすでにいた。
「お待たせしてすみませんでした」
「いえ。そんなに待っていませんよ」
「いいえ……本当に、お待たせして申し訳ございませんでした」
その人は、強姦罪と強制わいせつ罪で起訴された被告だった。俺は弁護を担当した。一貫して無罪を主張し続けたが、聞き入れてもらえず、有罪。懲役10年が確定し服役。再審請求が受理されたのは5年後だった。もちろん、暴行の被害に遭う女性は実際にいて、そういう非道な事件は起きる。だが今回は違った。被害者である女性が嘘の証言をしていたのだ。彼はもう被告ではなくなった。彼は塀の外に出た。
彼がどんな気持ちで刑務所での日々を過ごしていたのか。それを思うと俺は胸が苦しさでいっぱいになる。
「あなたは被害者であった女性を刑法で定める虚偽告訴罪で訴えることができます。また、国や県に賠償請求ができます」
俺は弁護士としての務めを果たそうとしていた。
「今日はその話をしにきたんじゃないんです。確かに生活のためには私もお金が必要ですが……それは置いておきましょう。私はあなたにお礼が言いたかったんです」
「お礼だなんて……。俺はあなたに何もして差し上げられなかった。俺は今日謝罪しにきたんです。本当に、申し訳ございませんでした」
俺は土下座をしていた。これで誠意が伝わるとは思えなかったが、それしかできなかった。
「よしてください。顔を上げて」
「しかし……」
「私はあなたに感謝しているんです。いいですか、」
その人は静かに語る。
「被疑者となったとき、私の周囲の人間は皆離れてゆきました。妻も、娘も、友人たちも。職も失いました。でもあなただけは私の言うことを信じてくれた。あなただけは私を信じてくれたんです。人間の心は不思議なものですね。たった一人、たった一人が自分のことを信じてくれているのなら救われるんです。私はあなたに救われたんですよ」
「……ですが、私は弁護士として何も……」
「あなたは闘ってくれた。精一杯、私と一緒に闘ってくれた。ですから、顔を上げて、前を見てください。あなたはいい弁護士だ
」
「……」
その人の言葉に、俺は涙を流していた。
「これからも頑張ってください」
「はい……」
救われたのは、俺の方だ。
彼自身がもう前を見ていたのだ。だから俺に教えてくれた。くじけずに頑張れと、励ましてくれた。
人を裁くのが法であるならば、人を護るものも法である。だけど、そこに人間の心があるのならば、俺は何度でも挑むことができる。