Teacher Life
暑い。今日は既に九月中旬だと言うのに、気温は一向に下がる気配がない。いまだに最高気温は30℃をオーバーし、仕事用に来ているYシャツも汗で背中にへばり付く。
今年の春から小学校教諭となった俺――大崎剣勇は、慣れない仕事や子供たちの対応で四苦八苦しつつも、楽しくて充実した生活を送っていた。
「大崎先生、授業の時間ですよ」
考えにふけっていた所為か、時計の確認を怠っていたようだ。俺を呼ぶ声に自分の席を立ち、その声の主の元へと足早で向かう。
「す、すみません! 黒江先生」
この人――黒江静香先生は6年2組の担任で、俺はその補佐、副担任を任されている。新任であると言うのにそうそう6年の副担任を任される辺り、期待されているのか。それとも……黒江先生のおかげか。
「硬いですね……昔のように、『静香ちゃん』と呼んでいただいてもよろしいのに」
「はは……さすがに、この年でちゃん付けは……」
俺と黒江先生は、小さい頃からの幼馴染だった。年は黒江先生の方が3つ上だが、そんなことも構わずよく遊んでもらっていた。小学校教諭としてこの学校に出勤した際、黒江先生がいたことに驚いたのは言うまでもない。
「そうですか……残念です」
残念そうに俯き廊下を歩く後姿に、俺も続く。
俺が唐突に副担任、それも黒江先生のクラスの担当となったのは、黒江先生の手はずのせいではないかと思っている。昔から何かと世話焼きの傾向にある人だったので、俺のことを心配してのことだとしても何ら不思議ではない。
まだ子ども扱いされているのか、と少し恥ずかしく思うが、俺ももう23歳だ。いつまでも世話されるような身ではない。ようやく念願の小学校教諭になれたのだ、いつかは自分の担当クラスを持ちたいと思う。
(その為にも、今のままじゃダメだよなぁ……)
実際問題、今の俺は黒江先生抜きでは全く使い物になっていない。ほぼすべての作業が初めて取り掛かるものばかりで、初出勤から与えられた職務は副担任だ。正直言うと、自分の手だけではどうしようもないことが今までにも多数あった。黒江先生がサポートしてくれたからこそ機能してきたものの、全部を俺に任されていたらそれこそ寝る間を惜しむ羽目になる。
この現状が黒江先生の差し金だとしたら、早めの経験を与えたかったからなのだろうか。それとも……?
「大崎先生、着きましたよ」
「へ?」
黒江先生の声に顔を上げれば、目の前には『6-2』の表札が。どうやら俺は、気づかぬうちに廊下を歩き、階段を上り、この教室の前まで辿り着いていたようだ。
「正気が、戻られましたか?」
すべて知っているかのような笑みを浮かべながら、俺の顔を覗き込んでくる。どうやらお見通しのようだ、黒江先生は昔から変わらない。
「は、はい! すみません……」
「良いんですよ。昔からそういうところは変わりませんね、剣ちゃん?」
「へ……あ、いや……!」
「ふふ、可愛い」
黒江先生には、度々このようにからかわれる。動揺してしまう俺もどうかと思うが、黒江先生の外見でこういう事をあまりやらないで欲しい。
黒江先生は、この小学校内のすべての教諭・生徒から絶大な人気がある。おしとやかな雰囲気もさることながら、誰しもに優しい気立ての持ち主。そんな性格を持ちながら、女性としても理想的な方だ。性格に相まってとても整った顔立ちに流れるような長い黒髪、とても女性らしい体型。町を歩けば誰しもが振り返るほど、黒江先生の美貌は飛びぬけていた。
「さ、行きましょう? 生徒が待っています」
俺の動揺を知ってか知らずか、黒江先生はどこ吹く風という雰囲気でクラスのドアへと手をかける。
(ダメだダメだ、もっと気を引き締めないと……)
黒江先生に相当心をかき乱されたが、それは今は関係ない。俺は一学期で、子供と接する上で必要なのは平常心だということを学んだ。それはこの『6-2』の教室内に限る事なのかもしれないが、どうも俺は子供たちに舐められているのではないかと錯覚してしまう。随分と馴染んでくれているのはありがたいが、俺を小ばかにした態度はどうにかならないものか。
(特に、あいつ……)
そんな、平常心とは程遠い気持ちのまま、俺は黒江先生の後に続きドアをくぐるのだった。
◇
「……で、結局こうなるんだよな」
現在の授業は算数。6年2組の生徒たちは配られたプリント(黒江先生製作)を四苦八苦しつつも解いている最中だった。黒江先生は黒板の前にイスを置き、生徒たちの様子を見守っている。俺は教室の後ろの方に立ち、質問のある生徒の元へ行って答える、という立ち回りをしていた。黒江先生の作るプリントは難しいのか、生徒たちは中々に苦戦しているようだった。
「何を一人でつぶやいてるの? 剣勇」
この生徒を除いて。
「別に、何でもない。と言うか、先生と呼べ。先生と」
「大崎せんせー(笑)」
「ぐっ……!」
この、人を全力で馬鹿にしたような態度を取る生徒こそ俺の悩みの種。名前は三島燈、赤茶色のボブカットが特徴的な女の子。クラスの皆が四苦八苦しているはずのプリントを、ものの数分で解き終わってしまうような、天才的な頭脳の持ち主。そして暇なのか、このような時には決まって俺に話しかけてくる。黒江先生も教室内にはいるためヒソヒソ声ではあるが、黒江先生の視線をちらちら感じる辺りばれているのだろう。後で何と言われることか……。
「大体な、三島。皆が頑張っている中、おしゃべりをするというのは……」
「燈」
「褒められたもんじゃ……何?」
「燈。そう呼んで」
微笑みながらそう言う三島の顔は、6年生のそれとは思えないほどに大人びていた。こういうませた部分も、俺を悩ませる要因の一つだった。
「馬鹿言うな。そんな事より、プリントを見直すとか、やることはまだあるだろう?」
「……」
「三島?」
急に黙った三島の方を見れば、そっぽを向いて口を尖らせていた。随分と表情がコロコロと変わる奴だと感心するが、それとこれとは今は関係ない。
「おい三島、何とか言ったらどうなんだ」
「……」
どうやら、俺が「燈」と呼ばなければ反応する気はないらしい。だが、俺とて一介の教諭だ。どれだけ馬鹿にされようと、どれだけ舐められようと、そこだけは曲げられない。ここで折れては、小学校教諭の名が廃る。
「三島、先生を無視するとは何事だ」
「……」
「おい、三島」
「……」
「三島?」
「……」
「……燈」
「なぁに? 剣勇」
「……はぁ」
廃ってしまった。
「見直しって言ってもね、こんなプリント簡単よ。見直しする必要もなく、満点に決まってるわ」
先ほどまでの沈黙が嘘のように、三島は嬉しそうに語りだす。そんなに俺を弄って楽しいのか。
「お前の頭がいいのは知ってるが、絶対なんてのは……」
「絶対よ絶対。何なら、見てみるといいわ」
そう言って三島は、俺にプリントを差し出す。前もって解答のプリントは渡されているため、俺には答えあわせが可能なのだ。
「ふぅ……ちょっと待ってろ」
「無駄だと思うよ、剣勇?」
あくまで自分の主張を曲げない三島のプリントを受け取り、答えあわせを開始する。よくよく見ると、黒江先生の作るプリントは本当に難しいようだ。単純な計算問題ではなく、どちらかといえばクイズに近かった。どのように解くかさえ分かれば単純なのだが、それを分かりにくくしてある。
確かにこのようなプリントを解いていれば、発想力のある子供が育つだろう。さすがは黒江先生だ。
「どう? 私の完璧な解答に声も出ないでしょう?」
「……三島」
「む、燈よ。あ・か・り」
「あぁ、燈。ここの問い、間違えてるぞ」
「……え?」
「計算ミスだろうな。解き方はあってるが、答えが違う」
俺が最後の問いを指差しながらそう言うと、三島は途端に顔を真っ赤に染めた。
(まぁ、あれだけ自信満々にしといて間違えてちゃ、恥ずかしいよな)
そんな事を俺が考えていると、おもむろに俺の手からプリントが引っ手繰られた。ハッとして三島を見れば、猛烈な勢いで自分の問いを消しているところだった。
「いつもそうなら、可愛げがあるんだがな。燈?」
「……うっさい、馬鹿剣勇」
調子に乗ってニヤニヤしている俺と、間違いを指摘されてあまり強く出られない三島。頬を赤く染めている三島の顔を見ると、相当に恥ずかしかったのだろうと思う。いつもとは逆の立場になり、少し楽しくなってきた。いつもなら授業時間が終了を迎えるまで俺が弄られっ放しなのだが、今日だけは違うようだ。今まで色々と弄られた分、今日はお返ししてやろう。
そう俺が意気込んだ時だった。
「大崎先生……?」
「!?」
ゾクリ、と。
俺の背中を悪寒が駆け巡る。静かに俺の名を呼ぶその声は、今までに聞き慣れた人の声であり、その声質からその人がどんな状態にあるのか一発で理解できる、そんな声だった。
「楽しそうで、なによりですね」
「く、黒江先生……」
振り返るとそこにいたのは、やはり黒江先生だった。妖艶な笑みを浮かべ静かに言葉を放つその様からは、最早恐怖しか感じなかった。心なしか、黒江先生の笑みには影さえ差しているようにも見えた。
「質問のある生徒たちも放置して、楽しそうにお喋りですか。きっとそれは、何かしらの意図があっての行動なのでしょう?」
「え、えっと……その……」
「あら? まさか、何の理由もなしにお喋りを?」
「……すみません」
まさか三島の所為にするわけにもいかず、ただ謝るしかなかった。実際、調子に乗っていたのは確かなのだから、非があるのはどう考えても俺の方だろう。
三島の方をチラと見れば、「ざまぁ見ろ」と言わんばかりの表情でニヤニヤと俺を見ていた。覚えてろよ。
「大崎先生?」
「は、はい!」
三島の方に視線を向けていたのが気づかれたのか、再び黒江先生は静かな声色で俺の名を呼ぶ。黒江先生の視線だけでなく、教室内の生徒全員から視線を感じる。
こんなだから生徒に舐められるんだろうなぁ、と暢気に考えてしまう辺り、これらもいつもの事だからとしか言いようがない。
「廊下に、立っていなさい」
「……はい」
これもいつもの事。最早6年2組の名物にすらなっている。廊下に立って時間を過ごしていると、時折校長先生がふらりと立ち寄り、何とも居た堪れない思いをしてしまうのだ。それだけは回避したかったのだが、今回も結局同じ末路を辿ってしまった。
そうして自己嫌悪に陥りつつも、校長先生が通らないことを願いつつ教室のドアを開く。
こうして、俺の教師生活は慌ただしく過ぎ去っていくのだった。
どうも、検体番号10032です。
この度はご一読いただき、ありがとうございます。
最も新しい投稿から随分と時間が空いてしまい申し訳ありませんでした。大学生となった今、色々と忙しい毎日に奔走している次第です。
そんな私ですが、これからも温かく見守っていただけると嬉しいです。
さて、今回の話はいかがでしたでしょうか?
今回は“ありきたりな日常”をテーマに書かせていただきました。ほのぼのとした雰囲気が出せていたら、それはとても嬉しい限りです。
ここで読者の皆様に一つ、聞きたいことがあります。
これまでいくつか短編を掲載してきました私ですが、何か一つくらい連載小説を書きたいと思っている次第です。そこでこの『Teacher Life』を連載にしてみようかなと思いつつあります。
皆様に聞きたいのは、仮にこの『Teacher Life』が連載小説となった場合、読みたいかということです。是の意見が多いのであれば連載を考えますし、非の意見が多ければ何か別の小説を考えます。ただ、更新速度はあまり安定しないとは思いますが、ご了承いただければ幸いです。
もちろん、アンケート以外にも感想やご意見は随時お待ちしております。メッセージなどでも構いませんので、どうかよろしくお願いします。
それでは。




