↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒトにはなれない異世界転生  作者: vastum


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/91

第82話『古い排水路』

水の音が、ずっと続いていた。


ぽたり、ではない。


さらさら、と細く流れる音。


地下水脈。


黒雨が染み込み、長い時間をかけて地下へ集まり、暗い石の間を流れている。


グレイは、その音を聞きながら進んでいた。


人工坑道の奥。


崩れた支柱。


腐った木箱。


割れた皿。


人間の匂い。


その全てを背にして、群れはさらに深部へ入っていく。


一体目が先行する。


入口側ではなく、前方警戒。


もう役割が変わり始めている。


以前なら、一体目は“外敵へ最初に噛みつく個体”だった。


だが今は違う。


群れを導く側。


先を見て、危険を嗅ぎ、道を探す。


二体目は中央。


新生幼生たちをまとめている。


腐肉個体は、そのすぐ近く。


完全には落ち着いていない。


人間の匂いが濃い場所へ来てから、余計に。


「こわい……」


時々、そう漏らす。


新生幼生の一体が真似しかける。


二体目がすぐ止める。


「グ」


静かに。


そのやり取りも、群れの中では自然になり始めていた。


グレイは前方の空気を嗅ぐ。


湿り。


錆。


古い油。


そして、もっと濃い人間の痕跡。


ここは、ただの坑道ではない。


もっと奥。


もっと“使われていた場所”。


グレイは、壁へ爪を触れた。


ざらつく。


だが途中から、質感が変わる。


削られている。


均一。


人工。


そして、奥へ進んだ瞬間。


空気が変わった。


広い。


天井が高い。


自然洞窟ではない。


長い通路。


左右に並ぶ古い鉄管。


壁に沿って走る溝。


水。


排水路。


グレイは止まった。


群れ全体も止まる。


一体目が低く唸る。


新生幼生たちは落ち着かない。


ここは自然じゃない。


石が、人間の形をしている。


それが本能的に怖い。


グレイはゆっくり進んだ。


足音が反響する。


かつ。


かつ。


かつ。


多脚の音が、人工通路へ響く。


まるで、人間の場所へ侵入しているみたいだった。


いや、実際そうなのかもしれない。


グレイは、左右の壁を見た。


古い文字。


錆びた番号。


赤い線。


矢印。


意味は分からない。


だが、レオンの記憶が揺れる。


案内。


方向。


人間は、道へ意味をつける。


誰でも迷わないように。


群れとは違う。


群れなら匂いで分かる。


感覚で分かる。


でも人間は、石へ意味を書く。


グレイは、その違いをぼんやり理解し始めていた。


一体目が、突然立ち止まった。


「グレ」


前。


危険ではない。


違和感。


グレイは近づく。


そして見つけた。


扉。


巨大な鉄扉。


半開き。


片側が歪んでいる。


かなり昔に壊されたのか。


押し開けられたのか。


そこから冷たい風が流れてくる。


水の匂い。


もっと強い人間の匂い。


グレイは、ゆっくり近づいた。


扉へ触れる。


冷たい。


硬い。


骨とも岩とも違う。


人間は、こんなものを作る。


閉じるために。


守るために。


その感覚。


グレイの中で、少しだけ“家”という記憶が揺れる。


レオン。


扉。


帰る。


閉める。


安心。


その感覚。


グレイは扉を押した。


ぎぃ、と低い音。


群れが緊張する。


だが、何も出てこない。


奥は、さらに広かった。


そして。


明らかに、人間の施設だった。


床は平ら。


壁には配管。


崩れた照明。


古い作業机。


棚。


箱。


腐った紙。


そして、奥へ流れていく排水路。


グレイは立ち尽くした。


ここには、人間がいた。


多く。


長く。


働いていた。


暮らしていた。


その痕跡が、空気の中へ沈んでいる。


新生幼生たちは怯えて、二体目へ寄る。


一体目は、低く唸りながら周囲を確認する。


腐肉個体だけが、ぼんやり壁を見ていた。


「いたい……」


小さく呟く。


何か思い出したのかもしれない。


人間の記憶。


作業員。


怪我。


怒鳴り声。


ここに近い感覚。


グレイは、排水路の奥へ進んだ。


水が流れている。


黒雨ほど汚れていない。


透明に近い。


グレイは少し飲んだ。


冷たい。


地下水。


腐っていない。


群れへ感覚を流す。


飲める。


二体目が新生幼生を連れてくる。


幼生たちは恐る恐る水へ近づく。


飲む。


安心。


その感覚が広がる。


グレイは、そこで初めて少しだけ息を緩めた。


安全。


完全ではない。


でも、以前の巣よりは。


人間はまだここを知らない。


一体目が壁際を嗅いでいた。


そして、何かを見つける。


「グレ」


グレイは近づいた。


棚。


その上に、小さな布の塊。


腐っている。


だが、形は残っている。


人間の服。


グレイは、それを見た瞬間、レオンの記憶が大きく揺れた。


服。


寒さ。


肌。


人間は外皮を持たない。


だから、布を着る。


守るために。


隠すために。


人間を、人間の形にするもの。


グレイは布へ触れた。


柔らかい。


外皮と違う。


骨とも違う。


腐肉個体が近づいてくる。


その布の匂いへ反応している。


人間。


強い。


腐肉個体は震えながら、布を抱え込んだ。


「やだ……」


何が。


グレイには分からない。


だが、腐肉個体の中で、人間の記憶が揺れている。


寒い。


痛い。


怖い。


布。


安心。


それらが混ざっている。


二体目が、その様子を見ていた。


新生幼生たちも。


グレイは布を見つめた。


人間は、布を使う。


隠す。


守る。


形を整える。


その感覚が、グレイの中へ少しずつ残っていく。


その頃。


人間側では、追跡が難航していた。


崩落地点の奥。


ラグドたちは、新しい地図を広げていた。


古い坑道資料。


地下水脈図。


採掘記録。


セヴィルが、埃まみれの紙を机へ広げる。


「おそらく、ここです」


ラグドが覗き込む。


「何だこれ」


「旧排水路です」


セヴィルは指で線をなぞった。


「王都建設以前に使われていた地下施設。古い鉱脈と地下水処理を兼ねていたらしい」


防衛局の男が顔をしかめる。


「そんなものが残っていたのか」


「記録上は封鎖済みでした」


「ならなぜ」


「崩落か、地下水侵食でしょう」


セヴィルは淡々と続ける。


「灰の巣は、おそらくそこへ入った」


アレンが聞く。


「安全なんですか」


「人間にとっては危険です」


セヴィルは即答した。


「老朽化。地下水。崩落。地図欠損。ですが、群れにとっては違う」


ラグドが苦い顔をする。


「隠れ場所になるってことか」


「ええ」


セヴィルは目を細めた。


「しかも問題は、それだけではありません」


彼は別の紙を出した。


古い排水路構造図。


そこには、地下施設からさらに複数の分岐が伸びていた。


地下水脈。


旧倉庫。


作業員通路。


廃棄区画。


そして、一部は地上近くへ繋がっている。


ラグドが舌打ちする。


「巣ごと移動できるじゃねぇか……」


セヴィルは頷いた。


「はい。固定巣ではなくなります」


その言葉が重かった。


今までなら、灰の巣には中心があった。


場所。


入口。


封鎖できる。


だが、もし移動するなら。


もし群れ全体が地下施設を利用し始めたら。


もう“巣を囲う”ことができない。


防衛局の男が低く言った。


「……本当に災害だな」


誰も否定しなかった。


地下施設では、グレイたちがさらに奥を探索していた。


排水路の先。


狭い部屋。


崩れた寝台。


棚。


工具。


そして。


壁に掛かったままの小さな絵。


腐っている。


色も消えている。


だが、人間が描いたもの。


グレイは近づいた。


人間が、人間を描いている。


なぜ。


記憶のためか。


忘れないためか。


群れは、そんなことをしない。


必要なら匂いで残す。


でも、人間は形を残す。


グレイは、その違いをまた感じた。


二体目が新生幼生を寝台近くへ集める。


柔らかい。


石より暖かい。


幼生たちは少し落ち着く。


腐肉個体は、まだ布を抱えている。


一体目は入口を見ている。


役割が自然と出来上がっていく。


グレイは、その光景を見た。


群れ。


でも、以前の巣とは違う。


骨の山ではない。


人間の残骸の中に、灰の群れがいる。


それは、奇妙だった。


まるで、人間の暮らしを真似し始めているみたいで。


その時。


新生幼生の一体が、寝台の上へよじ登った。


柔らかい。


安心。


小さく鳴く。


「グ……」


二体目が近づき、身体を寄せる。


まるで、守っているみたいだった。


グレイは、それを見て動けなかった。


人間の記憶。


群れの本能。


空腹。


恐怖。


全部が混ざって、新しい形になり始めている。


《環境適応段階を更新》


《定住模倣行動を確認》


また、声。


グレイは目を閉じた。


嫌だ。


そう思う。


だが、否定できない。


群れは、人間の場所へ入り込んでいる。


人間の道を使い。


人間の布を拾い。


人間の寝台で幼生を休ませている。


模倣。


その言葉の意味を、グレイはまだ知らない。


でも、群れは確実に人間へ近づこうとしていた。


そして、そのたびに。


もっと人間ではなくなっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。