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「お前は悪だ」と断罪された元公爵令嬢、真実を暴く力で全てを覆す  作者: 慈架太子


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第27話:民に認められる

広場を支配していた断罪の熱気は、レイシアが背を向けて歩き出してもなお、霧のようにその場に留まり続けていた。

 石畳を叩く乾いた靴音。かつての優雅な絹の擦れる音ではなく、実直な平民の履物が刻むそのリズムを、数千の民衆は静寂をもって見守っていた。


だが、その静寂はすぐに、決壊したダムのようにざわめきへと変わる。

 人の波が、不規則な波紋を描いて揺れている。


「……見たか、今の」

「ああ……信じられねぇ。あの公爵令嬢が、あんな……」

「本当に……本当に、あの方が正しかったのか?」


ひそひそとした声が、あちこちから雨音のように降り注ぐ。

 しかし、その響きの中に、これまで彼女を苦しめてきた「悪意」や「嘲笑」の色は混じっていなかった。

 それは、目の前で起きた奇跡のような真実を咀嚼しようとする、困惑と期待が入り混じった、確かめるような視線だった。


「……」


レイシアは、歩きながら肌でそれを感じていた。

 背中に向けられる無数の視線。

 その数は、かつて王宮のバルコニーから民衆を見下ろしていた時よりも、遥かに多い。

 そして、その「重さ」も、以前とは決定的に違っていた。


――昨日までとは、明らかに違う。

 昨日までの視線は、彼女の「属性」を見ていた。公爵令嬢。次期王妃。あるいは、没落した罪人。

 だが今、彼女の背中を追っているのは、ただの肩書きではない、剥き出しの「彼女自身」を捉えようとする視線だ。


「……なあ」


隣を歩くリオが、周囲を警戒しながらも、どこか楽しげに小さく声をかけた。


「気づいてるか」


「……ええ」


短く答えるレイシアの声は、落ち着いていた。

 気づかないはずがない。街の空気が、まるで嵐の去った直後のように、急速に澄み渡っていくのを。

 

 向けられる目は、もはや軽蔑ではない。

 石を投げようとする疑念でもない。

 ただ――“一人の人間として、見ている”。

 そんな、混じりけのない真っ直ぐな視線。


「……待ってくれ! 止まってくれ!」


背後から、必死に呼び止めるような濁った声が響いた。

 レイシアとリオは足を止める。


「……?」


振り返ると、一人の男が人混みをかき分けてこちらへ駆け寄ってくるところだった。

 煤けた外套を纏い、顔には深く刻まれた皺。手は節くれ立ち、長年の労働を物語っている。商人か、あるいは小さな工房の主だろうか。

 彼はレイシアの数歩前で立ち止まると、激しく肩を揺らして息を切らした。


「……あ、あんた……」


男は言葉を探しているようだった。

 その目は驚愕に震え、同時に何らかの激しい感情に濡れている。

 何と呼べばいいのか。公爵令嬢か、それとも名もなき平民か。その迷いが、彼の唇を噤ませていた。


「……レイシア、です。ただの、レイシアとお呼びください」


レイシアは先に名乗った。

 それは、謙遜でも策謀でもない。

 今の自分を定義するのに、それ以外の言葉が不要であると、自然に理解していたからだ。


「……っ、レイシア……様……!」


男は、堪えきれなくなったようにその場に崩れるようにして、深く頭を下げた。

 石畳に額が触れんばかりの、渾身の礼。


「……先ほどの広場での件……一部始終、この目で見ていました。信じられなかった。だが、胸が震えたんだ」


「……」


「……あれは……あんたが言ったことは、全部本当なんですよね。あそこに立っていた証人たちの言葉は、嘘だったんですよね」


祈るような、確認の声。

 レイシアは、淀みのない瞳で男を見つめ、短く、だが力強く頷いた。


「……ええ。真実は、私が語った通りです」


「……そうか……やっぱり、そうだったのか……」


男が、長く溜まっていた毒を吐き出すように、大きく息を吐いた。

 そして。


「……助かった。本当に、助かったんだ」


ぽつりと、漏れ出た独り言。


「……?」


「俺の商売仲間がな……あの無理やり仕立て上げられた“証人”の件で、役人に脅されて巻き込まれそうだったんだ。あいつ、真面目な奴でな。断れば家族がどうなるか分からないって、泣いてたんだ。金もねぇ、権力もねぇ俺たちは、ただ震えて待つしかなかった……」


男は、汚れた拳をぎゅっと握りしめた。


「でも……あんたが、あんな高い場所で、たった一人で、王子の嘘を全部ひっくり返してくれた。おかげであいつは……あいつの家族は、救われたんだ」


「……」


レイシアは、言葉を失った。

 自分の行動が、自分の再起のために放った真実の光が。

 顔も知らない誰かの、ささやかで尊い日常を救っていた。


それは、かつて公爵令嬢として行っていた「慈善事業」への感謝とは、根本から違うものだった。

 義務感からでもなく、名声のためでもない。

 泥を啜りながら、一人の人間として立ち上がった結果として得られた、魂の共鳴。

 

 世界は、思ったよりもずっと広く、そして繋がっていた。


「……ありがとう。本当に……あんたは、俺たちの希望だ」


男はもう一度、深く、深く頭を下げた。


「……いいえ。私は、私のやるべきことをしたまでです」


反射的に言葉を返したが、その後の言葉が続かなかった。

 どう返せばいいのか、分からない。

 胸の奥からせり上がってくる熱い何かが、彼女の喉を締め付けていた。


「……行くぞ、レイシア。あまり目立つと収拾がつかなくなる」


リオが横から、彼女の肩を軽く叩くようにして言った。その声には、彼女の戸惑いを察し、逃げ道を作ってやるような優しさがあった。


「……ええ。行きましょう」


深く、一礼をして、レイシアは再び歩き出した。


だが。

 変化はそれだけで終わらなかった。

 通りを歩く先々で、窓から、店先から、路地の角から。


「……レイシア様……!」

「……お見事でした、助かりました!」

「……俺たちのことも、見ていてくれたんですね……本当に、ありがとう……!」


声が、かかる。

 一人。また一人。

 それは、さざ波のように広がり、やがて王都の空気を塗り替える大きな潮流となっていく。

 頭を下げる者、遠くから祈るように手を合わせる者、涙を流しながら感謝を叫ぶ者。


「……」


レイシアは、時折立ち止まり、その一人ひとりの顔を焼き付けるように見渡した。

 

 人々の顔。

 そこにあるのは、かつての盲目的な崇拝ではない。

 自分たちと同じ地面に立ち、同じ苦しみを知り、それでも太陽を睨みつけた「不屈の魂」への、心からの敬意。


「……これが」


レイシアは、小さく呟いた。


「これが、“認められる”ということ、なのですか」


胸の奥が、静かに、だが激しく揺れていた。

 かつて、王妃になれば国中の民から認められるのだと信じていた。

 だが、今の自分は王妃でもなければ、貴族ですらない。

 ただの、泥に汚れた平民の女。


しかし、今のこの感覚こそが、あの日失った何よりも価値のある「本物」であると、彼女の魂が叫んでいた。


「……私は、まだそんな立派なものではありません」


自分に、戒めるように言い聞かせる。

 まだ弱い。まだ未熟だ。

 力の使い方も覚えたばかりで、自分の生活さえもおぼつかない。

 今日の結果は、偶然と状況が重なっただけの、奇跡に過ぎない。


「……」


それでも。

 周囲の民衆にとって、彼女はもはや「ただの没落令嬢」ではなかった。

 

 王子の陰謀を白日の下に晒し。

 圧倒的な力で暴虐を制し。

 不条理に歪められた「理」を、その手で正した。

 

 それは――。

 物語の中にしか存在しないはずの、“英雄”の所業そのものだった。


「……困ったな、これは」


リオが、頭を掻きながら苦笑した。


「完全に有名人だぞ、お前。明日からの仕事、皿洗いどころじゃねぇかもな」


「……そのようですね」


レイシアは、困ったように小さくため息をついた。

 名声など、今の自分には重すぎる荷物だ。望んだものでも、求めたものでもない。

 

 だが。

 その視線を遮り、否定することはしなかった。


「……」


もう一度、周囲の人々の顔を見る。

 そこにあるのは、どん底から這い上がった一人の女性に向けられた、確かな「期待」。


「……」


レイシアは、ゆっくりと、天を仰ぐように息を吐いた。

 そして。

 折れることのない一本の槍のように、背筋を真っ直ぐに伸ばした。


歩き出す。

 前だけを向いて。


まだ、分からない。

 この先に、どのような困難が待ち受けているのか。

 自分が、この力の先に何者へと成っていくのか。


だが。

 一つだけ、何よりも確かなことが、彼女の胸の真ん中に鎮座していた。


――私はもう、過去の自分ではない。

 ――私はもう、誰かに守られるだけの、か弱き花ではない。

 

 それだけは、暗闇を照らす北極星のように、はっきりとしていた。


レイシアの歩む道に、夕焼けの黄金色が美しく差し込む。

 彼女が刻む一歩一歩が、古い王国の歴史を塗り替え、新しい時代の鼓動となって、王都の地面を静かに、だが確実に震わせ始めていた。






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