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「お前は悪だ」と断罪された元公爵令嬢、真実を暴く力で全てを覆す  作者: 慈架太子


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20/30

第20話:覚醒前夜


王都の朝は、いつもと変わらぬ活気に満ちていた。

 高くそびえる時計塔が午前を刻み、広場には焼きたてのパンの香りが漂う。中央通りでは色とりどりの馬車が石畳を叩き、商人たちの威勢の良い掛け声が、春の澄んだ空気の中に溶け込んでいく。


それは、どこからどう見ても、平和で、ありふれた、王都の日常そのものだった。


だが。


「……」


レイシアは、その喧騒の中心で、肌を刺すような“違和感”を感じていた。

 リオの隣を歩きながら、彼女は無意識に、だが鋭く周囲に視線を巡らせる。

 人々の表情。

 肩をかすめる際の仕草。

 すれ違いざまに聞こえる会話の、不自然なほど高いトーン。


一見すれば、何も変わらない。

 昨日も、一昨日も、彼女が見てきた下層区や中層区の景色と同じはずだ。


だが――どこか、歪んでいる。

 まるで、精巧に描かれた風景画の筆跡が、一箇所だけ激しく震えているような。あるいは、調律の狂った楽器が、一斉に和音を奏でようとしているような、生理的な不快感が彼女の脊髄を駆け抜けていた。


「……どうした。足が止まってるぞ」


隣を歩くリオが、足を緩めて声をかける。その声はいつも通り気だるげだが、その瞳はレイシアの小さな異変を敏感に捉えていた。


「……妙です、リオ」


レイシアは短く答え、足を止めた。

 

「何が」


「……言葉で説明することはできません。理論的な根拠もありません」


彼女はゆっくりと首を振る。

 だが、否定しようのない事実として、彼女の内側にある「天秤」が激しく揺れ動いていた。


「……ただ、“おかしい”のです。この街全体が。はっきりと、分かります」


胸の奥が、氷を飲み込んだように冷たく、ざわついていた。

 昨夜、あの暴漢たちと対峙した際に見せた、相手の意図を読み取る力。あるいは、食堂で客の嘘を見抜いたあの感覚。

 それが、今は個人を対象とするのではなく、この街に流れる空気そのものを対象として、警告を発していた。


――“何かが隠されている”。


「……」


リオは言葉を返さず、レイシアの見つめる先……雑踏の中へと視線を投げた。


「……確かに、人は多いな。祭りの時期でもねぇのに、妙に浮ついた空気は感じる」


リオの観察は、あくまで経験則に基づいたものだった。


「だが、それだけだろ。景気が良いだけか、あるいは噂好きの連中が何かに色めき立ってるだけかもしれねぇ」


「……いいえ」


レイシアは即座に、かつてないほどの断固とした口調で否定した。


「数ではありません。気分の問題でもない。……リオ、あの者を見てください」


彼女は、少し離れた場所に立つ、一人の商人を指し示した。

 その男は、得意客と思われる貴族の従者と談笑し、商品の布を熱心に勧めている。表情は明るく、商売人らしい愛想の良さに溢れていた。


「……あの男がどうした」


「表情と、感情が、決定的に一致していません」


「……は?」


リオが眉をひそめる。


「笑っていますが……内側は、死の恐怖に怯える小動物のように震えています。彼が今、最も求めているのは利益ではなく、一刻も早くこの場から逃げ去ることです」


レイシアの瞳には、男の顔ではなく、男の魂が発する「不協和音」が見えていた。


「……確信がある。そして、一人ではありません」


彼女はゆっくりと首を巡らせ、周囲の人だかりを走査するように見渡した。


パンを売る女。

 井戸端会議に興じる主婦たち。

 巡回しているはずの警備兵。


あちこちに、同じ“歪み”が点在している。

 笑っているのに、目が死んでいる。

 平然を装っているのに、指先が不自然に痙攣している。

 表層に貼り付けられた「日常」という仮面が、内側から溢れ出す焦燥と恐怖に耐えきれず、今にも剥がれ落ちそうになっていた。


「……」


リオの表情から、いつもの不遜な笑みが消えた。


「……あんたがそこまで言うなら、ろくな話じゃねぇな」


彼は低く、独り言のように呟く。レイシアの「力」の信憑性を、彼は昨夜の戦闘ですでに認めざるを得なくなっていた。


「……ええ。これは偶然の積み重ねではありません。意図的な、あるいは抗いようのない何かが、王都の深部で動き始めています」


レイシアは、自分の拳が微かに震えていることに気づいた。

 恐怖ではない。かつて、アルヴェリア公爵家の長女として、国の行く末を憂いていたときと同じ……いや、それよりも遥かに純粋な、危機感。

 

 何も持たず、地位も名誉もない一人の平民となった今。

 だからこそ、剥き出しの真実が彼女に語りかけてくる。


「……行くぞ」


リオが、翻るように歩き出した。


「……どこへ向かうのですか?」


「情報だ。あんたの勘は信じるが、それだけじゃ動けねぇ。こういう時は、勘を確証に変えるためのピースが必要だ。ギルドの裏、あるいは小汚い情報屋のところへ行く」


「……承知いたしました」


二人は、足早に雑踏の中へと分け入っていった。

 

 人混みの中。

 無数の人間が行き交い、重なり合い、それぞれの人生を消費している。

 だが、その無機質な雑音の中に。

 

 確かに、“異物”が混じっている。

 それは、この街を裏側から侵食する黒い染みのような、あるいは時計の歯車に噛み込んだ小石のような、決定的な「不具合」。


「……」


レイシアは、鋭く目を細める。

 視える。まだ、その全体像は霧の向こうだ。

 

 だが、確実に、何かが蠢いている。

 それは、決して表舞台に出てはならない禁忌。

 それは、多くの人々の犠牲の上に成り立つ、醜悪な企み。


彼女の胸の奥で、鼓動が強く、激しく脈打つ。

 

 これは、かつての自分なら、報告書の一枚として処理していただろう事案かもしれない。

 だが今は、自らの足で歩き、自らの手でパンを掴み、自らの力で生きると決めた一人の人間として。

 この「歪み」を、見過ごすわけにはいかないという情熱が、静かに、だが熱く燃え上がり始めていた。


ふと、空を見上げる。

 天頂には、どこまでも高く、澄み渡った青空が広がっている。

 雲一つない、完璧な春の日。

 

 それなのに。

 レイシアには、その青色が、窒息しそうなほどに重く感じられた。

 

 まるで。

 ――嵐の前の静けさのように。


彼女は、無意識のうちにエプロンの裾をきつく握りしめる。

 まだ、表面的には何も起きていない。

 昨夜の暴漢たちのような直接的な暴力も、断罪のような言葉の刃も、今はまだ見当たらない。

 

 だが、レイシア・フォン=アルヴェリアは、確信していた。

 

 ――これは、始まりだ。

 彼女の、そしてこの王都の運命を根底から塗り替える、巨大なうねりの、最初の一波。

 

 覚醒前夜。

 静寂の中で牙を研ぐ何者かの気配を感じながら、レイシアはリオの背中を追い、更なる闇の中へと足を踏み出した。






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