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「お前は悪だ」と断罪された元公爵令嬢、真実を暴く力で全てを覆す  作者: 慈架太子


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18/30

第18話:仲間として

朝の光が、湿った路地裏の隅々まで容赦なく照らし出していた。

 ひび割れた石畳、昨夜の乱闘で飛び散った泥の跡。それらが白日の下に晒され、昨夜の死闘が幻ではなかったことを冷酷に告げている。


「……」


レイシアは、硬い寝台の上でゆっくりと目を開けた。

 全身を走る鈍い痛み。特に男の腕を必死に掴んだ指先は、ズキズキと拍動を繰り返している。体の重さは、これまで経験したどんな激務よりも深く、肉体にこびりついていた。


だが、意識は驚くほどにはっきりとしている。

 生きている。

 朝日が網膜を焼く感覚すら、今の彼女にとっては、自分がこの世に繋ぎ止められている証として愛おしく感じられた。


――逃げない。


昨夜、闇の路地で自らに課した誓い。

 それは朝の光を浴びても霧散することはなかった。むしろ、一晩を経て、彼女の血肉へと深く浸透していた。


「……起きたか。案外、タフなもんだな」


横から、聞き慣れた不愛想な声がかかった。

 リオだ。彼は部屋の入り口付近の壁にもたれ、腕を組んでこちらを見ていた。その視線は相変わらず冷めているが、どこか彼女の生存を確認し、安堵したような響きを含んでいる。


「……ええ」


レイシアは短く答え、軋む体に鞭を打って体を起こした。


「体はどうだ。どっか折れてるような感覚はあるか?」


「問題、ありません。ただの筋肉の強張りと、擦過傷です」


即答する。

 本当は、息をするだけで脇腹が痛み、指先を動かすのにも相当な気力がいる。だが、それを弱音として吐き出すことは、今の彼女が最も嫌うことだった。


「……そうか。ならいい」


リオはそれ以上は追及しなかった。深入りせず、相手の申告をそのまま受け入れる。その距離感が、今の彼女には救いだった。


「……」


室内を沈黙が満たす。

 窓の外からは、下層区の日常が始まろうとする騒がしい音が聞こえてくる。

 レイシアは、握りしめた拳をじっと見つめ、何かを言い淀むように唇を噛んだ。


そして。


「……リオ」


レイシアは、まっすぐに彼を見据えて口を開いた。


「昨夜のことですが。改めて、礼を。……助かりました」


虚飾のない、はっきりとした謝辞。


「別に、気にするな」


リオは軽く肩をすくめ、視線を窓の外へと逃がした。


「俺一人じゃ、あの数を捌ききれたか怪しかったしな。お節介な『声』のおかげで、余計な穴を開けられずに済んだ」


「……私が、役に立った、と?」


レイシアは、わずかに目を見開いた。

 これまで、アルヴェリア公爵令嬢として、王妃候補として、彼女は数えきれないほどの賞賛を浴びてきた。だが、それらはすべて彼女の背負う「背景」に向けられたものだった。


「少しはな。……完全に邪魔ってわけでもなかったぞ。あんな状況で、平民を盾に逃げ出さないお嬢様なんて、物語の中でも稀だ」


あっさりと返された言葉。

 だが、それはレイシアにとって、これまで受けたどんな勲章よりも重く、熱い価値を持っていた。

 役に立った。自分の肉体と、自分の意志で、誰かの困難を支えることができた。

 その実感が、胸の奥を静かに、だが確実に満たしていく。


「……で」


リオが、ふっと表情を戻し、話を切り替えた。


「これからどうする。いつまでも、あの食堂の皿洗いで食いつないでいくのか?」


「……」


問いは単純だったが、その意味はどこまでも重い。

 今の自分には、働く場所がある。一日を生き抜くためのパンを手に入れる手段はある。

 だが、それだけでいいのか。

 昨夜の暴力、剥き出しの悪意。それらを目の当たりにした今、ただ「生存」するだけでは不十分だということを、彼女は痛いほどに理解していた。


「……私は」


ゆっくりと、一つひとつの言葉に意志を込めて紡ぐ。


「……もっと、強くなりたい。いいえ、強くならなければならないのです」


はっきりと。


「昨夜、理解しました。今の私は、何も守れない。隣にいる者の窮地すら、ただ見て、震えて、しがみつくことしかできない。そんな自分を、私は認められない」


現実だ。

 力がなければ、正しさはただの空論に変わる。誇りは泥にまみれ、命は容易く踏みにじられる。


「……力が、必要です。運命に翻弄されるのではなく、運命を選び取るための力が」


レイシアは視線をそらさず、リオをまっすぐに見つめた。


「……そのために。リオ、あなたに同行したい。あなたの行く場所に、あなたの戦う場所に、私を置いてください」


それは、嘆願ではなかった。

 すべてを失った者が、自らの意志で選び取った、新たな契約の提示だった。


「……」


リオは黙り込み、じっと彼女を凝視した。

 品定めをするような、あるいは彼女の覚悟の底を覗き込もうとするような、鋭い視線。


「……やめとけ。俺は、あんたが期待するような騎士様じゃねぇ」


短く、吐き捨てるように言った。


「俺の周りにあるのは、安全でもなければ、楽でもねぇ。いつ泥水を啜ることになるか分からんし、誰もあんたを『お嬢様』としては扱わない」


事実を、淡々と並べる。それは彼なりの最後の警告であり、優しさでもあった。


「……それでも。私は、逃げません」


レイシアは即答した。昨夜、彼が自分に教えてくれた言葉を、そのまま彼に投げ返す。


「私はもう、逃げ場のない場所まで来ているのです。ならば、私は私の信じる道を進みたい。あなたの隣こそが、今の私が最も学ぶべき戦場だと、私は判断しました」


「……」


沈黙。

 長くはないが、部屋の中の空気が密度を増していくような、重苦しい時間。

 やがて、リオは深くため息をつき、そっぽを向いた。


「……勝手にしろ。ついてきたいなら止めはしねぇよ」


「……!」


「ただし」


彼は言葉を継ぎ、釘を刺すように低い声で続けた。


「足手まといになるなら、その場で置いていく。助けを呼ぶ暇もなく、あんたが野垂れ死ぬことになっても、俺は責任を持たねぇ」


「……承知いたしました。それを望むのは、私自身です」


即答。迷いなど、欠片もなかった。


「あと、命の保証もねぇぞ。昨日のような連中が、次も手加減してくれるとは限らないからな」


「……構いません。死を恐れていては、何も掴めないことを、私はすでに知っています」


「……ふん」


リオは鼻を鳴らし、再び沈黙した。

 だが、今度の沈黙には、先ほどまでの拒絶の色はなかった。

 決まった。

 二人の関係は、救う者と救われる者から、共に行く者……「仲間」という未完成な形へと、変化を遂げたのだ。


「……行くぞ。店主には俺から話を通しておいてやる」


リオが背を向け、部屋を出るために歩き出す。


「……はい」


レイシアも、痛む体に力を込め、その後に続いた。


並んで歩くには、まだ実力が足りない。

 歩幅も、経験も、何もかもが。

 彼女の位置は、まだ彼の背中を追う、少し後ろの場所。


だが。

 もう、境界線の“外側”にいる他人ではない。


レイシア・フォン=アルヴェリアは。

 初めて、地位でも血筋でもない、自分という一個の人間として。

 誰かの隣に立ち、世界と対峙するための一歩を、力強く踏み出した。


朝日が、二人の影を長く、一つに重なるように路地へと伸ばしていた。





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