表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「お前は悪だ」と断罪された元公爵令嬢、真実を暴く力で全てを覆す  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/30

第15話:能力の兆し


夜。

 王都の街角、一軒の小さな食堂。その窓から漏れる琥珀色の光が、夜露に濡れた石畳を柔らかく照らしていた。

 昼間の喧騒は潮が引くように消え去り、店内に流れる時間は穏やかな静寂に包まれている。厨房でカチャカチャと鳴る皿の音と、時折響く夜風の鳴き声。それが、この世界の全てであるかのような錯覚を覚えるほどの平穏だった。


「……」


レイシアは、店内の片隅に立ち、古びた布でテーブルを拭いていた。

 閉店まで、あとわずか。

 残っている客は、まばらだった。それぞれが静かに食事を終え、あるいは独りの時間を惜しむようにグラスを傾けている。

 

 だが――。

 レイシアの視線は、無意識のうちに一人の男へと引き寄せられていた。

 

 奥の席。

 使い古された厚手の外套を深く羽織り、帽子の庇で顔を半分隠した男。

 彼はただ、冷めかかったスープを音も立てずに口に運んでいる。特に目立つ風貌ではない。この下層区では、身元を隠すように食事をする労働者や旅人は珍しくなかった。

 

 だが、何かがおかしかった。

 

「……?」

 

 何が、と明確に言葉にすることはできない。

 ただ、彼を見ていると、胸の奥が不規則にざわつくのだ。

 胃のあたりを冷たい指で撫でられたような、形容しがたい落ち着かなさ。

 アルヴェリア公爵家で受けた、あらゆる「危機管理」の教育をもってしても、この違和感の正体を突き止めることはできなかった。


「おい、新入り。突っ立ってないで、あのお客さんの注文取ってこい」


背後から店主のぶっきらぼうな声が飛び、レイシアは現実に引き戻された。


「……はい、承知いたしました」


短く返事をし、彼女は淀みのない所作で男の席へと向かう。泥に汚れたエプロンを締めていても、その歩き方は依然として宮廷の回廊を歩むかのように優雅だった。


「ご注文を――」


言いかけて。

 レイシアの思考が、凍りついたように止まった。


「……」


男が、わずかに顔を上げた。

 帽子の隙間から、濁った茶色の瞳が覗く。

 目が合った、その瞬間だった。

 

 ――“何か”が、脳内に直接流れ込んできた。

 

「……っ!」

 

 強烈な眩暈めまいが彼女を襲った。

 頭が大きく揺れ、石畳の床が波打つように歪んで見える。

 

 それは言葉ではなかった。

 明確な音を持った「声」でもない。

 だが、それはあまりにも鮮明な「像」として彼女の感覚を埋め尽くした。

 

 はっきりと、分かってしまったのだ。

 

 ――“隠している”。

 

 この男は、何かを決定的に、致命的に隠蔽している。

 

「……何だよ」

 

 男が不機嫌そうに眉をひそめ、低い声を出した。

 

「さっさと注文取れ。見てんじゃねえよ」

 

 その声は、どこにでもある不愛想な客のものだった。

 だが、レイシアの「目」には、その声の“奥”にあるドロドロとしたおりのようなものが透けて見えていた。

 

 ――焦り。

 ――苛立ち。

 ――そして、剥き出しの「嘘」。

 

 彼の外套の下にあるのは、空腹の胃袋ではない。

 血のついた凶器か、あるいは奪い取った金貨か。具体的な物証は見えない。

 しかし、彼が今ここに座っている「理由」そのものが、巨大な偽りであるという確信が、レイシアを戦慄させた。

 

「……」

 

 レイシアは言葉を失い、立ち尽くした。

 なぜ、分かるのか。

 相手は一言も真実を漏らしていない。表情も大きくは変わっていない。

 なのに、彼が隠している「罪の匂い」が、毒ガスのように彼女の鼻腔を突く。

 それが、否定しようのない「事実」として彼女の中に着地していた。

 

「……おい!」

 

 男の声に鋭さが混じる。

 

「聞いてんのか? 耳が腐ってんのかよ」

 

「……あ、申し訳ありません」

 

 反射的に頭を下げ、かつての教育が叩き込んだ「完璧な給仕」の仮面を被る。

 だが、意識は依然として、先ほど彼女を貫いた奇妙な感覚に釘付けになっていた。

 

 今のは、何だ。

 

 超常的な視覚で透視したわけではない。

 超能力で思考を読み取ったわけでもない。

 

 なのに。

 相手の存在そのものが放つ「歪み」を、彼女の魂が、あるいは別の何かが、正確に受信してしまった。

 

「……水だ。あと、パンを一つ持ってこい。すぐだ」

 

 男が吐き捨てるように言い、再び視線を落とす。

 

「……承知いたしました」

 

 機械的に返し、レイシアはその場を離れた。

 

 背中を冷や汗が伝う。

 足取りが、無意識のうちに速くなる。

 頭の中が、濁流のような情報に押し流されそうで、必死に壁を掴んで立ち止まった。

 

 何が起きた。

 

 これまで彼女が使ってきた「魔法」とは、根本的に何かが違う。

 魔力を用いて事象を改変する。それが彼女の知る魔法だった。

 だが、今の感覚は――。

 事象の「裏側」にある、不可視の真実に触れたような。


「……どうした。また皿でも割る寸前か?」


厨房のカウンターまで戻ったところで、リオが声をかけてきた。

 

「顔、ひどいぞ。幽霊にでも取り憑かれたみたいだ」

 

「……いえ、何でもありません」

 

 すぐに否定する。

 だが、自分の声が微かに震えているのを隠しきれていなかった。

 

「……何かあったな、あのお客と」

 

 リオが少しだけ目を細め、カウンター越しに奥の席の男を盗み見た。

 

「……」

 

 一瞬、迷う。

 この混乱を自分一人で抱え込めるほど、今の彼女は強くない。

 だが、話したところで信じてもらえるだろうか。

 「あの客は嘘をついている」などと、根拠もなしに。

 

「……自分でも、分からないのです」

 

 結局、逃げ場のない真実をそのまま吐き出した。

 

「ですが……。見ただけで、“分かってしまった”のです」

 

「何が?」

 

「……その者が、何を隠しているか。何を偽っているか。それが、音や光のように……いいえ、もっと直接的な重みとして、私に伝わってきたのです」

 

 自分でも信じられない言葉だった。かつての彼女なら、そんな不確かな直感を述べる部下を、厳しく指弾していただろう。

 

「……は?」

 

 案の定、リオは眉をひそめた。

 

「そんなの、超能力者じゃあるまいし、分かるわけ――」

 

 言いかけて、リオの手が止まった。

 レイシアの瞳を見る。

 そこに宿る、かつての傲慢な光とは違う、恐怖と確信が入り混じった異様な輝きを見て。

 

「……本気で言ってるな」

 

「……ええ。根拠はありません。証明することもできません。ですが……確信だけは、あります。はっきりと、“見えた”のです」

 

「……」

 

 リオは腕を組み、顎を擦りながら少しだけ考え込んだ。

 

「……魔法か? あんた、アルヴェリアの天才だったんだろ」

 

「……分かりません。魔力の微かな昂ぶりは感じました。ですが、これまでの術式とは明らかに質が異なります」

 

 レイシアは、自分の震える掌をじっと見つめた。

 

「……ただ、“正しいかどうか”が、魂で判別できるような感覚でした。真実か、虚偽か。それを、有無を言わさず見分けるような――」

 

「……」

 

 リオは黙り込み、それから短く息を吐いた。

 

「……面倒くせぇ力だな」

 

 ぽつりと、吐き捨てるように言った。

 

「……?」

 

「いいか。嘘が分かるってことは、他人の汚ねぇ中身が全部見えちまうってことだ。そりゃ、楽なことばっかりじゃねぇぞ。この世は嘘で回ってんだからな」

 

「……」

 

 その言葉に、レイシアの呼吸が詰まった。

 確かに、彼の言う通りだ。

 もし、この感覚が本物なら。

 これから出会う人々の、取り繕った微笑の裏側にある憎悪や、善意を装った打算。

 それらを全て直視し続けなければならない。

 

 胸の奥が、静かに、そしてずっしりと重くなるのを感じた。

 

 だが。

 同時に、ある思いが彼女を突き動かした。

 

 ――これは、力だ。

 

 何も持たず、誇りも名誉も剥ぎ取られた自分。

 どん底でパンを齧り、泥水を啜るだけだった自分の内側に、初めて芽生えた、誰にも奪えない“何か”。

 

「……」

 

 レイシアは、ゆっくりと、深く呼吸を繰り返した。

 震えていた指先が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 

 まだ、この力の正体は分からない。

 これからどう向き合えばいいのかも、何のために使うべきなのかも、霧の中だ。

 

 だが、確かに。

 彼女の「第二の人生」の幕が上がる音を、彼女は確かに聞いた。

 

 レイシアは背筋を伸ばし、トレイを手に取った。

 

「注文、持ってきます」

 

 その背中を見送りながら、リオは小さく呟いた。

 

「……ま、せいぜい使いこなしてみろよ、お嬢様」

 

 物語の歯車は、加速し始めていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ