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ちびっこ悪魔 キュッチェ(ショートショート)

作者: 藻ノ かたり

ちびっこ悪魔のキュッチェ。十歳になり、地獄から修行の旅に出る。どこに行くかと言えば人間界。そこで十人の人間を不幸にすれば目出度く合格、晴れて地獄へと戻れるのだ。


だがキュッチェは失敗続き。ターゲットにした人間が、負わそうと思っていた不幸より、更に大きな不幸を既に背負っていたり、良いように言いくるめられ、キュッチェの方が不幸になったり散々だ。


キュッチェは、思う。


「どうして、上手くいかないんだろう? ここは本当に、人間界なんだろうか。


そう言えば、ここへ送られてくる時、聞いていた話とは、何だか違う感覚に襲われたけど……」



さて、そのころ地獄では。


「おーい。天界庁から、何か知らせが来たぞう」


上級庁の天界役所から送られて来たファックスを、悪魔役所・総務課の役人がぼんやりと目を通す。だが彼の表情は、みるみる内に変わっていった。


リーン、リーン。


市民育成課の内線電話が鳴る。


「あぁ、総務課の……。何だい?そんなに慌てちゃって」


定年間近の老悪魔役人が、お茶をすすりながら尋ねた。


「大変です! 今、天界庁から連絡が来たんですけど、どうやら地獄界と人間界の位置関係が、変わったらしいんです!」


電話を受けた老悪魔は、最初、向こうが何を言っているのかわからなかった。


「位置関係が変わった……。なんだい、そりゃ?」


「いいですか、よく聞いて下さい。送られて来たファックスによると、今までは上から、天界、人間界、地獄界となっていたものを、天界、地獄界、人間界に変更したって言うんです」


総務課の悪魔が、一大事とばかりに、がなりたてる。


最初は、彼の言う事を今一つ理解していなかった老悪魔役人も、次第に事の重大さを把握していった。


「ちょっと待て。そんな話、全く流れて来なかったぞ。あ……、もしかして、この間の地震。あれか!? あの時に!」


「どうも、そうらしいです。あの時、地獄界と人間界の位置関係が変わったみたいで……。気象課の者たちが、急いで計測を始めています」


その時はもう、役所のあちらこちらで、蜂の巣をつついたような騒ぎが始まっていた。


「だが、なんで!」


老悪魔は少しでも情報を得ようと、総務課の悪魔に問いただす。


「いや、急いで天界通の友人に聞いてみたんですけど、どうも最近の人間界は、地獄より地獄らしいって話が天界議員の間で出ていたらしく、忖度した天界役人が早々に準備を進めた上で、あっという間に決まった事みたいですよ。


与党の人気取りに、野党が乗っかった形らしいです」


「そんな馬鹿な。こっちには全く知らされてないぞ!」


寝耳に水の事態に、定年間近の悪魔が狼狽した。


「もちろん、地獄界では誰も知らなかったようです。今、市長が他の首長に呼びかけていて、出来るだけ早く緊急連絡会議を開くらしいです」


「ちくしょう、上級庁の役人どもめ。今度も、こっちには事後報告ってわけだ。それでこちらが、どれだけ迷惑するかなんて考えちゃいない」


二人は電話を通じて、互いに憤慨する。


「あっ!」


市民育成課の老悪魔が、思わず叫んだ。


「何です?」


先輩悪魔の尋常ならざる様子を察し、今度は総務課の悪魔が問うた。


「ついこの前、あの地震のすぐ後に、何十人かの子供悪魔を人間界へ送り出したんだよ、修行のためにな」


「そうか、そうでしたね。早速、救援隊を差し向けましょう。今や、人間界は地獄より酷いところです。子供の彼らに、修行をクリアできるはずがありません」


総務課の悪魔は、とても心配そうな声を出した。何故なら彼の甥っ子キュッチェも、つい先日、意気揚々と人間界へと向かったからである。


「……いや、それは出来ん」


老悪魔が、絞り出すような声で言った。


「どうして、どうしてですか!」


甥っ子の親、すなわち自分の姉の狂わんばかりに取り乱す姿を想像しながら、総務課の悪魔が食いさがる。


「課題をクリアするまでは、地獄界へは帰れん。法律で、そう決まっているのは、君も知っているだろう?


公務員の我々が、法律を破るわけにはいかん。少なくとも、天界の方で特例法案が可決されなければ無理だ」


老悪魔が、気の毒そうに言った。


「そんな……。それじゃぁ、いつになるか、わからないじゃないですか? 今の天界政府は少数与党だから、法案ひとつまともに決められない。


特に地獄界の子供たちとはいえ、彼らが犠牲になったと分かれば、議員や役人たちが責任の押し付け合いをするのは目に見えている。


地獄界と人間界を入れ替えた時のように、すんなりいくはずがない……」


地獄よりも下の、いわば本当の地獄を彷徨う子供たちの姿を思い、総務課の悪魔は電話の向こうで泣き崩れる。


受話器を通して彼の嗚咽を聞いていた老悪魔は、おのれの無力さを恨むしかなかった。



その頃、ちびっこ悪魔キュッチェは、ドブのように汚れた川に掛かっている橋のたもとに横たわっていた。辛酸をなめ尽くし、既に一歩も動く事が出来ないほど弱り切っている。


「……あぁ、そうか。やっと思い出せた。人間界へ来る時の感覚。聞いていたのは”上へあがる”だったのに、実際は”下へさがる”だったんだ。


おかしいな。


それじゃぁ、こっちの方が”地獄”だって事になるじゃんか……」


夜のとばりの中、キュッチェは疲れ果てた小さな体から、急激に力が抜けて行くのを感じ始める。だが彼には、それが”もう、頑張らなくてもいいんだよ”という、優しいメッセージにも思えた。


「お母さん……」


キュッチェは、まどろみの中で、無事合格した事を、笑顔で迎える母親に報告する幻影を見ながら、暗く果てしない深淵へと飲み込まれて行く。


その時、川面に一滴の雫が落ちた。


それは彼の頭上に煌々と輝く満月から、悲しみの涙がこぼれ落ちたようにも見えた。


それからしばらくの間、人間界のネット界隈では「尻尾や羽が生えた、よくわからない小さくて黒い生き物の死骸が、色々な場所で発見された」というニュースが、まことしやかに流れ世間を騒がす事となる。


だがそれも長くは続かず、いつしか芸能人の不倫やら、戦争やら、年金やら、米不足といった雑多なニュースの中に飲み込まれ消えて行った。



【終わり】


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