俺の質問、美咲の発想が、生存の可能性を繋ぐ。
美咲を追って、クーラーの効いた室内に戻る。
重く閉じられたカーテンの隙間からは、さっきまでの修羅場の音も届かない。
快適ないつもの日常だ。
ローテーブルを挟んで、美咲と向かい合う。
彼女は姿勢を正し、冷たい声で切り出した。
「現時点で、アタシたちに生き残る可能性はない」
俺は唇を噛み、頷いた。
美咲は表情を変えず、言葉を積み重ねていった。
「最善の選択は籠城。でも、さっきの女性を見たわね? 顎を殴られても鼻を潰されても、止まらなかった。小柄な女ですら致命的脅威よ。もし大柄な男だったら? 勝てるわけがない」
事実の羅列。希望の余地は削られていく。
「つまり、最善手を打ち続けてもアタシたちは死ぬ。もって……1週間ってところね」
淡々としたその言葉は、絶望を告げているのではない。
ただの事実確認だ。
何故だろう、彼女の顔は、唇を固く結び、《重苦しい覚悟》に染まっていた。
──美咲は何を思いついたんだ
身じろぎすらせず、彼女に言葉を待った。
美咲は俺を真っ直ぐに見つめ、言う。
「そして、アンタの問い。答えは一つ」
「この状況で生き延びる人間は、既に生き延びる準備をしてきた人間だけよ」
「アタシたちが生き延びる方法は、生き延びる準備をしてきた人の保護を受ける、寄生する、または、乗っ取る……。それしかない。他人が作った生存の可能性に相乗りするわよ」
「どんなに卑怯でも、これが残された最後の可能性」
──生き残る準備をしてきた人間
あぁ、なるほど、確かに。
可能性の細い道。
暗闇の中、さっきまでは無かった未来に続く一本のラインが見えた。
生き残る用意をしている人間は、助かりうる。
その人間に助けを求める。
だが、美咲は言葉を繋いだ。
──乗っ取る。寄生する。
助けてくれと言って助けてくれるわけがない。
ならばどうする──
・・・卑怯、か。
胸が引き裂けそうだ。
だが、やらねばふたりとも死ぬ。
──なんだってやってやる
《なんだって》
その残酷さを理解する。
ふたりで生き残る。
それ以外の全てを投げ捨てる。
その果てにようやく手が届く可能性。
やらねば、「一緒に死ぬか?」以外、もう言えないのだ。
──昨夜食べた甘いケーキとその後の甘いひと時
もう、遥か昔の事のように思える。
「……情報収集の方針を切り替えるわ。明らかに事前に準備をしている政府機関、警察、病院、自衛隊、そして個人を探す。そこに潜り込む」
「それが、アタシたちの生存ルートよ!」
確かに生き延びる目が見えた。
だが、笑顔なんて浮かばない。
固く歯を噛みしめて、頷いた。
「了解だ」
「アタシは政府機関から洗い出す、アンタは自衛隊の動きを調べて!」
*
猛然とパソコンのキーを叩く美咲
その後ろ姿を見つめて俺は結論した。
──俺はここで死んだ
ここから先の未来があるのは、彼女のおかげだ。
最善手を選んだとしても、俺はここで籠城し、死ぬ。
自力で助かる可能性がないから、助かる用意をしてきた人間に寄生する?
その発想。
死ぬまで俺には出てこなかったはずだ。
たった今、俺は、美咲に命を救われた。
アイデア、一つ。
だが、今はそれが《命》と同じ価値を持っていた。
俺は、自衛隊関連情報を調べるべく、手の中でスマホを握りしめた。
*
防衛省の公式ページ──更新はない。
暴徒の文字すらない。
土曜の13時。役人は休み。
だから更新できないのか?
調査対象を切り替える。
SNSだ。
検索ワードを打ち込む。
《自衛隊 車列》《自衛隊 訓練》《自衛隊 動員》
画面に溢れる目撃報告。
「珍しい車両を見た」
「迫力あった!」
──ノイズ
ただの軍オタか、暇な通行人の投稿だ。
歯を食いしばり、祈るように範囲を広げる。
「都内駐屯地」でネット検索し、駐屯地名を把握。
朝霞駐屯地、練馬駐屯地・・・
それぞれの名前で調べていく。
──練馬駐屯地
スクロールが止まった。
一枚の鮮明な写真。
道路を埋める車列。
装甲車、トラック、牽引車が次々と基地から出てきている。
撮影者は得意げに「普通科と特化科の混合編成は珍しい!最高の写真が撮れた!」と書いていた。
投稿時刻──昨日の11時。
「昨日?」
ドクンと鼓動が高鳴る。
自衛隊はすでに動いていた?
だが、練馬駐屯地でネットを調べるが、ニュースには何も出ていない。
さらに指を滑らせる。
《基地》で再検索。
──異様な投稿が目に付いた。
『何の訓練だろ?』
別の写真。
駐屯地の司令部本棟。
土嚢が無数に積み上げられ、まるで要塞のように建物の入口を塞いでいる。
投稿時刻──昨日の16時。
画像を拡大するが、どこの基地か分からない。
祈るようにネットからストリートビューを開き、練馬駐屯地を見る。
「……っ!!!」
声にならぬ声が漏れた。
繋がった。
──画像は《練馬駐屯地》の司令部本棟だ。
画像とストリートビューが一致した。
違うのは、土嚢で囲まれているかどうか。
──ここは準備している、明らかに。
これだ!!!
震えが止まらない。
パソコンに向かい、揺れるセミロングの巻き髪を見つめ心の中で呟く。
お前は本当に、得難い完璧彼女だよ
「美咲!」
スマホの画面を向ける手が震えている。
画面を示す俺の震える声に、美咲が飛びつくように身を寄せてきた。
一緒に覗き込む。
「……これよ! 自衛隊が動いてるの?」
食い入るように画面を凝視する美咲。
「いや、他の駐屯地は動いてない。ここだけだ」
練馬駐屯地。
そこだけ。
「独断かしら? ……だとしても、ここは備えてる。防備を固め、部隊を動かしてる!」
美咲の頬が上気し、目に火が宿る。
「悟司、ここに入り込むわよ!」
14時17分。
0%だった生存の可能性に、か細くとも確かな光が灯った。