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愛屍の臨界──それは「愛してる」が全ての理由になる世界  作者: 灯野ユヅル@GoodNovel契約作家
第6章 意志こそ武器。そして、武器は使い方
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第5節 力の秩序──理の支配(上)

「はッ、ふぅ、はぁッ……」



抑えつけた盾の下、悶えていた女ゾンビが、ぴたりと止まった。


一撃で額を割られ、鼻筋まで顔面が陥没している。この女性が、元はどんな顔かももうわからない。


マジマジと見ていたい光景ではなく、手元に視線を戻した。



どくん、どくんと胸の奥で鼓動が鳴る。


ドンドンと、まだ戦っているかのように。



美咲が呼ぶ。



「立って、悟司」



彼女が差し出した手を見た瞬間、初めて力が抜けた。


手を取って立ち上がる。



「……ありがとう。助かった」


「当然でしょ」



短く返して、美咲は大男を見る。


俺は盾を置き、膝に手を当てて、しばらくそのままアスファルトと駐車場の白線に飛び散った赤い肉片を無感情に見つめていた。


呼吸が整っていくのを感じる。


全身に残った熱と、膝の震えがようやく生を実感させる。



ふぅ……生きてる。生き残った。


戦闘の緊張が解けていく。


疲労が一気に押し寄せてきた。



「先輩、槍っす」



彩葉の声。


振り返ると、さっき俺たちが放り出した槍を手にしていた。



「息ぴったっすね。……舐めプでもしてたんすか、あの女」



冗談めかした声に、少しだけ笑みが漏れる。


彩葉が槍を美咲に渡し、美咲が無言で受け取った。


そして、真正面に立つ大男へと歩み出る。



その姿を、初めて正面から見た。



でかい。


190はあるだろう。存在感が違う。


鉄パイプを肩に乗せ、俺たちを見下ろしている。


胸も肩も厚い。「使うための筋肉」で覆われた体。


腹は出ているが、その贅肉すら重さという武器になっている。


歳は五十前後。だが、老いはない。むしろ、生存闘争を生き抜いてきた野生動物のような、落ち着いた獰猛さがあった。


黄色いヘルメット。『安全第一』の文字が、まるで冗談のように場違いだった。


だが、それが逆にこの世界の異常を際立たせていた。



大男は俺たちを順に見た。


彩葉、美咲、俺。


どこか値踏みするような目つき。



その剣呑な視線が、夜を一瞬で静めた。


疲れて弛緩しつつある身体に警戒の火花が散る。


ゾンビよりも強い、迷わず暴力を振るえる強者の威圧感。



美咲が息を吐いた。その呼吸が、彼女の緊張を伝える。



こんな人間をどう仲間に取り込むというのか。


俺には分からない。美咲には・・・できるのか。



田所(ヘルメットに名前が書いてあった)が鉄パイプを肩に担いだまま、光る汗も拭わずに口火を切る。



「……てめぇら、なにもんだ」



低くざらついた声。けれどその響きに、虚勢も恐怖もなかった。ただ、圧が重い。



「女がゾンビぶっ殺すとか……世も末だな」


軽く鼻で笑い、口角を歪める。


「だが、助かったぜ」



カツンと担いだ鉄パイプを地面に置く田所。その先端はまだ血を滴らせていた。


今にもタバコを取り出して一服を始めそうな鷹揚さ。



美咲が一歩、前に出る。



「アンタも相当ね。一人で何体もゾンビを倒せる人間なんて、そうそういないわよ」



言葉を区切る美咲。



「だから……助けて()()()



そう、正しく、仕掛けた。


交渉事は俺の出る幕じゃない。2人の話を聞きながら、万一、田所が暴発するなら美咲を庇える位置に立つ。



美咲が告げたのは事実だ。俺たちは彼を助けた。助けてあげた。


それで素直に感謝するとは思えんが。



案の定、田所が眉をひそめる。



「あんだと? チッ……待て、ガキと女がいる」


「なら、コンビニに隠れましょ」


「誰もいねぇぞ?」


「好都合じゃない」



短い言葉の応酬。


互いに退かない。



ピリピリと静かに圧が高まっていく。


戦闘とは別の意味で心臓がチクチクと痛んだ。




ゴミ置き場に匿っていた女子供を誘導し、田所と俺たちは無言で、コンビニの自動ドアをくぐった。




自動ドアは動き、軽快なメロディーを流していた。その音が憎らしく、スピーカーを叩き壊したくなる。


売り場は荒らされずに残っている。今も営業しているコンビニに見えるが、店員だけがいない。逃げたのだろう。



田所が女子供を店の奥まった位置に誘導していった。


俺たちはガラスから外を警戒し、後続のゾンビがいないことを確認し、店内へ進む。



女子供と離れ、レジ横の壁にもたれて、田所が鉄パイプを持ったまま腕を組んで俺たちを待っていた。


静寂の中に、わずかにデザート売り場の冷房の唸りだけがブブブと空気を震わせていた。



「……自衛隊じゃねぇな。民間人か、そのなりで?」



田所の声。皮肉めいているが、目は笑っていない。



「えぇ、ただの生存者よ。……あなたも、そうでしょう?」



鉄パイプを顎でしゃくる美咲。



「俺ぁ別に。襲ってきたから、ぶちのめしただけだ」


「背中に、女子供を匿って?」


「殺されそうになってるのを見捨てられんだろ」


「……見捨てられない、ね。立派じゃない」


「小娘に褒められても嬉しかねぇよ」


「いいえ。褒めてるんじゃない。分析してるの」



田所の目がわずかに細まる。



「分析、ねぇ……。さっきからテメェの言い方、気に入らねぇなァ」



美咲の一歩後ろで聞いているだけで息苦しさにゴクリと唾をのむ。


それでも、その圧の中、槍を床に突き立てた美咲は堂々と仕掛けた。


視線はまっすぐに。声も揺らさずに。



「このままじゃ、あなたたち、全員死ぬわよ」

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