第5章 エピローグ 戦術的勝利で戦略的敗北は覆せない。
数十メートル走り、先を確認してから脇道に身を潜めた。
息が荒い。
俺だけじゃない。美咲も彩葉も同じだ。
「彩葉、警戒を頼む」
「ふぅ、ふぅ……了解っす」
短いやりとりの後に、美咲へと視線を向ける。
「美咲、怪我は?」
「手首を痛めた。握力が無い。指が震えて握れない」
声は冷静だが、表情は険しい。
「痛いというより、痺れている」
骨折や捻挫ではない・・・と思う。
「アンタは」美咲が俺に視線を投げかける。
「膝を擦りむいたくらいかしら」
視線を落とすと、ズボンの膝が破れ、膝小僧に血がにじんでいる。
呼吸の荒さとジワジワ染み出す血が、戦闘の現実だった。
「……いや、膝は、今気づいた。それよりも、手首が痛い。フライパンを叩き付ける時に痛めたかもしれん」
そこまで重症ではない。
だが、重い違和感がある。
「──いやぁ、先輩マジ野獣っすね」
彩葉が戻ってきて、息を切らしながら笑った。
「まんま獣みたいな動きしてたっすよ。ゾンビより怖かったかも」
「すぐに終わってよかった。悟司が一撃で仕留めてくれたから」美咲が言う。
「10秒くらいでケリ付けるとかカッコ良すぎっしょ。映画なら拍手喝采っすよ」
10秒?そんなに早かったか。
「おかげで、音でゾンビが集まってくる前に逃げ切れた。助かった・・・」
美咲のその声に、張り詰めていた力が抜ける。
「いやぁ、マジで《ゾンビ狩りの悟司さん》爆誕っすね。しかも獣みたいな顔してた。カメラ回ってたら絶対バズってるっすよ」
壁を背に座り込みながら、「アホか」と彩葉を諫める。
「でもさ、笑っときましょうよ。生き延びたんすもん」
その声に笑う。苦笑でも笑顔は笑顔だ。
確かに、俺たちは生き延びた。
美咲も頬を緩めている。
「はぁ、死ぬかと思った。助かったな・・・」
「そうっすよ。あたしが見てるんで、少し休んで欲しいっす」
「美咲、水を出せるか?」
美咲と水を分け合う。
塩タブレットを食べ、彩葉にも渡す。
「勝てたけど、何度もは無理ね」
ぽつりと美咲が呟く。視線の先にはベコベコに歪んだ盾。
俺のフライパンも曲がっている。
武器だけじゃない。身体もキツい。
最初にぶち当たる美咲が持たない。
あんなのがウロウロしているんだ。
ゾンビが増え始めてすぐに動いた今だから慎重に動けば左程遭遇しないが、もっと感染が広がってゾンビが増えたら、道路を歩くことは即ち、自殺になる。
今はまだすれ違うのはたいていが人間。
そんな世界でも、移動は命懸けなのだ。
あれと出会って生き延びれる人間は多くないだろう。
無傷で切り抜ける人間に至っては、殆どいないはずだ。
素手なら絶望しかない。
──軍隊なら勝てるのか
その問いが胸の内に沸き起こり、思わず口から零れそうになる。
駐屯地が備えていると言って、備えていれば勝てる敵なのか。
言うなと口を縫い付ける。
これは、こればっかりは、今、口にするべきではないと思った。
1体のゾンビは倒した。
だからこそ人類は負けると、俺は確信した。
それでも、駐屯地を目指す。
ゼロよりもマシな可能性は、そこにしかないのだから。




