動く人、止まる人
前のめりに転がるように突っ込んでくるゾンビ。
絶対に避けるべき状況。
ゾンビと戦えば死ぬという美咲の予測が、俺に生き残ること以外の全てを忘れさせた。
視線がゾンビに集中する。
中年の女性。買い物帰りの恰好。
カッ、タ、カッ、タとリズムを刻む音。
進むごとに左右に振れる身体。
女で体格は並以下。靴が片方脱げている。走る速度が少し遅い。
胸に浮かぶのは絶望ではない。可能性はまだあるという直感。
背後にはマンションの駐輪場。
自転車が倒れた音が繋がる。
あそこにいた。奴が自転車を倒した。音で気づけた。奇襲されなかったのは偶然だ!
幸運を理解。打開策を考える。
道路を挟んだ向こう側。
暗いアスファルトの道路を走る中年ゾンビとはまだ距離があった。
でも、早い。
一瞬でここまで来る。
動かねば、どうする?
美咲を守る、彩葉は後回し?
前に出るのか? 盾か、槍は効かない!
色んな思考で身体が固まっている。
手に持つ槍が震えた。
「逸らす! 悟司がドドメッ!」
夜の闇を切り裂く声。
美咲が俺の前に飛び出した!
トドメ‼︎
その一言で全ての思考が1つに統一される。
アイツの頭を叩き割るのが俺の役目。
右手の槍を投げ捨てた。カランと槍が転がる軽い音。
背中に手を回してフライパンを引き抜き、冷たいプラスチックの柄を握り締め、身構える。
リュックを下ろす暇はない。瞬時の判断を下した時には、ゾンビと美咲は至近距離にいた。
ゾンビと俺の間に入った美咲が槍を捨てる。
両手で盾を構える。
──ガンッ
金属板を思いっきりぶっ叩く音が響いた。
盾が吹き飛び、美咲が右斜め後ろに吹き飛んだ。
「ぐぅっ……」
美咲の押し殺した悲鳴。
ガシャン、ガジャンとアスファルトを盾が転がる音。
だが、俺の視線はゾンビしか見ていない。
走る女ゾンビは左へ逸れた。
美咲が左に盾で逸らそうとしたのだと理解する。
全力で走っているからこそ、横方向への衝撃でバランスを崩す。
身体を捻じるように斜め前に倒れ込むゾンビ。
その姿を視線が追いかける。
身体が動き出す。
──側頭部と後頭部を狙う!
考える前に身体が動いていた。
何度もリハーサルをした動き。
ズザッと転倒したゾンビがゴロゴロとアスファルトを転がっていく。
フライパンを片手に全速で駆ける。
うつぶせに倒れた女が腕を使って体を起こそうとした。
──潰れろ
腰とお尻のあたりを全力で蹴り飛ばす。
ガッと衝撃が右足から伝わる。
頭から突っ込むように女が道路に潰れた。
その背中に覆いかぶさるように左手の盾を押し当てる。
体重をかけて押しつぶす。
藻掻く腕、足。
起きようとする背中の力が盾越しに伝わってくる。
噛まれれば死ぬ!
押し付けた盾の縁から覗く後頭部。
白髪交じりの長い髪。
躊躇などない。
後頭部目掛けて全力でフライパンを振り下ろす。
──ドゴッ
浅い、割れていない。もう一発。
──ドカッ
フライパンがめり込んだ感触。
女がビクッと痙攣した。
──ドチュッ
三度目には骨ではなく、軟組織を潰す柔らかく粘り気のある感触が腕を伝った。
女が跳ね、そして、脱力したのを盾越しに感じる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
自分の息の音に気づく。
ビクビクと細かく震える女の身体。
だが、動かない。
警戒したまま身を起こし、フライパンと盾を構えたまま後ずさる。
手首が痛い。
ドクドクと心臓が煩い。
女から目が離せない。
──やったか?
美咲は?大丈夫か?
彩葉はどうした?
振り返り視線を向ける。
彩葉が美咲を支えている。
左手を抑えて、渋い顔をする美咲。
「移動するわよ、悟司、盾を拾って。音が出た、急いで」
彩葉に支えられて立ち上がる美咲が足早に動き出す。
移動する。逃げる。ゾンビが来る。
転がった盾を拾い上げた。
振り返る。女は動かない。
盾を彩葉に渡し、俺の槍を拾い、彩葉の背中を押して、俺も走り出した。
次、第5章ラストです!




