彩葉の生存戦略と可能性を失った人々。
「水を飲んでおきなさい」
美咲の指示に水を回し飲む。
もう、間接キスとか言ってられない。
飲みきったペットボトルはその場に捨てていく。
彩葉が口を拭って笑う。
「……あ、先輩、あたしの飲んだとこ舐めてるんすか?完全に間接キスっすね」
「そんなこと言ってる場合か」俺が吐き捨てると、彩葉は肩をすくめてニヤリと笑った。
美咲が配った塩タブレットを噛みながら、さらに悪ノリする。
「しょっぱいのに、なんかお菓子みたいでテンション上がってるんすよ」
「馬鹿言ってないの!」美咲の鋭く響く声。
「おーこわっ」おどけて見せる彩葉。
この軽口がなければ、俺と美咲の行軍はもっと重苦しくなっていたはずだ。
俺には理解も、真似もできない芸当。
「彩葉、なんでそんなにお気楽になれるんだ。こんな状況だぞ?」
首を傾け、彩葉がこっちを見る。
大きくため息をついて、やれやれ首を振る。
しかも、両手を広げて。鼻につくポーズだ。
「分かってないっすねぇ。こんな状況だからっすよ」
「楽しいから笑うんじゃないんす。笑うから楽しくなるんすよ?」
「どうせ練馬に着くまで歩くか、そこらで死ぬわけじゃないっすか。それまで笑っているか、苦しんでいるかの2択なら、あたしは笑う生き方を選ぶって決めているっす!」
最後に、急に声を潜めてニヤリと囁く。
「……ほら先輩、美咲パイセンのシャツ、汗で透けてますよ。チャンスっす」
美咲が振り向いて「何言ってんのよ」と真顔で返す。
彩葉は肩をすくめ、苦笑してみせた。
「……笑ってるんすよ。死ぬかもしれない世界で、最後まで笑えたら勝ちっす」
そう言って、俺に向け小さなピースサインを掲げてみせる。
そして、口を閉じた。
「……はいはい。しばらくは静かにしてますよ」
軽口を引っ込め、真顔で前を向く彩葉。
──死ぬまでは笑いたい。
それもまた一つの生存術・・・否定できない重さがそこにはあった。
*
公園を通り過ぎる。
乏しい明りの中、ベンチや遊具に座る人で埋まっているのが見て取れた。
常日頃、夜の公園でたむろするヤンキーではなく、家族連れだ。
荷物を抱えるか、足元において、ただ座っている。
子どもの囁き声だけが耳に届いた。それだけ静かだ。
「うっわ、めっちゃ人いるじゃないっすか」
今更気づいた彩葉が驚いている。
芝生や遊具の周りにもレジャーシートを広げている。
「こんなところで腰を落ち着けてどうするつもりなのかしら」
美咲は理解できないというように吐き捨てた。
ここは避難所ではない。感染しているかもしれない見ず知らずの人間が集まっている。
一秒でも早く離れたいと思うが、そう思わない人もいるということだ。
大通りから着の身着のままで逃げてきた人が行く当てを失っているのだろう。
動ける人は動いた。動けない子ども連れがここで根を張った。
そういうことだ。
「セーフエリアに見えるっすけどね……。ラスボス出現したら詰みっすよね」
囁く彩葉の声が全てだ。
遠く響く悲鳴に子供が泣き出した。
「黙らせろよ」という押し殺した声と親が口を塞ぎ、落ち着かせようとする音が聞こえてくる。
美咲が忌々し気に早く行くぞとサインを出す。
──足を止めるな
俺も彩葉もこの場から離れるべく先を急いだ。
ここに、可能性は無い。
笑って進む者と、可能性を失い止まった者。
きっと、その差が、生死を分けるのだ。




